王都の靴磨き令嬢 ~婚約者(第三王子)が女友達ばかり優先するのでマフィアのボスと仲良くして見せつけようと思います~

淡雪みさ

第一章 プリマヴェーラ

ラクア王国の靴磨き職人




 藤の花が咲き誇り、華やかに王都を彩る春。

 まったりとした国民性を持つラクア王国では、昼間からあちこちでコーヒーやワインを楽しみ談笑する人々、街のど真ん中で太陽の光を浴びながら集団昼寝をする人々が見られる。

 ラクアの民は天気がいいだけで幸せになれると言われている。雲一つない青空の下、心地よい風が吹かれながら、こんなに緊張しているのは私くらいのものだろう。

 私はこの日のために用意した特別な靴で水の上を歩き、宮殿に続く花のトンネルをくぐり抜けた。


 ――婚約の挨拶をする日だというのに、迎えは誰も来ない。


 宮殿に入り、執事に案内されるままに応接間に向かう。

 王族の住まう場所に足を踏み入れたのは初めてだ。あまりに天井が高く、見上げると首が痛くなる。天井からは精緻な金細工が施されたシャンデリアがぶら下がっており、きっと私が生涯で稼ぐお金を全部使っても買えないような値段なんだろうなと思った。


「レオ王子。アリア様がお越しです」


 執事が応接間の重厚な扉を開ける。

 大きなマホガニー製のテーブルの上には、繊細な刺繍が施された絹のテーブルクロスが広げられ、銀の燭台が静かに輝いていた。周囲に並ぶ椅子それぞれに王室の紋章が刻まれていて、本当に王族の元に来てしまったことを感じてごくりと唾を飲む。

 テーブルの先、一番奥に座っているのは、尊き血筋の第三王子レオ。

 彼は生まれつき体が弱いらしく、だから私のような靴磨きの才があるだけの下級貴族と結婚させられるらしい。最初に聞いた時は、さぞ私のことが恨めしいことだろうと思った。せめて相手が上級貴族であればプライドもへし折られなかっただろう。

 これはただ、王家と私のような靴磨きができる者との繋がりを保つためだけの政略結婚だ。


「アリアと申します。この度は誠に僭越ではございますがレオ王子の婚約者として挨拶に参りました」

「顔を上げて」


 レオ王子は深々とお辞儀して名乗った私の肩に手を当て顔を上げさせた。その瞬間、彼の美しい顔立ちが目に入ってくる。

 王族のみが持つ深いマリンブルーの瞳と、陶器のように白い肌、整った目鼻立ち。彼が一般女性から密かに人気な理由がよく分かった。間近で見るとその美貌に倒れてしまいそうになるくらいの顔面をお持ちだ。


「君は僕の妻になる人なんだから。畏まってばかりいてはダメでしょう」


 一度も直接会ったことのない人との結婚なんてと不安に思っていたけど、そんな不安を払拭させるくらい、その声音にレオの優しい人柄を感じた。


 私はレオ王子に一目惚れした。


 政略結婚ではあるが、私のような靴磨きの才しか取り柄のない女が、こんなに優しくて美しい第三王子と結婚できるなんて。

 幸せだった。これから待つ生活が楽しみだった。


 そう。幸せな結婚生活が待っている――はずだったのに。


 婚約後、レオ王子は私のことを放置した。




 ◆



「もうっ、レオったら。本当にねぼすけさんなんだから。寝癖付いてるよ? 今日も昼まで寝てたんじゃないの?」


 婚約者の目の前だというのに甘ったるい声を出してレオ王子にベタベタと触る、プラチナブロンドの髪がお似合いのご令嬢エミリア。

 彼女は名の知れた上級貴族の娘で、レオ王子とは幼い頃からご交流が深いらしい。聞くところによると彼女の親が彼女とレオ王子をくっつけようと仕向けていたのだとか。

 ただ、王であるレオ王子の父親は、意見の合わない彼女の一族をよく思っておらず、当てつけのようにレオ王子を私のような靴磨き職人と婚約させてしまった。私はエミリアのご家族から恨まれているに違いない。


 テーブルの上には今日もおいしそうなお菓子と紅茶が並んでいる。

 正面のソファに並んで座っているのはエミリアとレオ王子で、私は向かいの席で黙って紅茶を飲むばかり。


 エミリアとレオ王子が古くから交流のある兄妹のようなものであるなら、私は婚約者としての懐の大きさを見せねばならない。

 そう思ってあえて何も注意せず、エミリアが帰るのを待ちながら紅茶を飲み続けた。飲みすぎてトイレに行くのを我慢しているところだ。


「レオ様、アリア様がいらっしゃいますが……」


 執事が気を使ってレオ王子に再度私の存在を伝えるが、レオ王子は正面に座る私にようやく視線を向けると笑顔で言った。


「ごめん。ちょっと待っててくれる? エミリアが指先を怪我してるみたいだから手当てしたいんだ。この子、僕がいないとダメだからさ」


 己の口元がひくつくのが分かる。

 何だそれは。幼い子でもあるまいし――と文句の一つでも吐いてやりたくなるのを堪え、「分かりました。待っていますね」と代わりに聞き分けのいい言葉を返した。

 レオ王子はエミリアの肩に手を置いて部屋を出ていく。メソメソしているエミリアの指先の怪我はちまっとしていて、上級貴族様と比べて育ちの悪い私からすれば舐めときゃ治るだろと思ってしまった。


 ばたん、と音を立てて重厚な扉が閉まる。


「きぃぃぃぃーーー!!」

「ア、アリア様、落ち着いてください」


 二人が出ていったのをいいことに激しく地団駄を踏む私を、傍に立っているレオ王子の執事が慌てて宥めてくる。


「落ち着けるもんですか! 何あれ!? エミリア様もレオ王子も、悪気なさそうなところがまた腹立つわ!」


 あくまでも二人にとってはあれがいつも通りの関係で、婚約者ができても変わらない絆というやつなんだろう。

 エミリアの方がレオ王子とは長年の付き合いであるし、婚約者だからとそこを邪魔するのははばかられる。ぽっと出の私が関わるのをやめてほしいなんて言おうものなら、まるで友情を邪魔する悪役だ。

 王子の婚約者たるもの、ちょっとやそっとのことでヤキモキしていないでどんと構えていなければいけない――それは分かっているけれど。


 レオ王子の手前遠慮して一度も手を付けていなかった皿の上のクッキーを鷲掴みしてバリボリと食べる。


「ああ、おいしい! ムカついててもここのクッキーは超おいしい!」

「この前、アリア様からの評価をメイド長に伝えたら喜んでおられましたよ。未来の奥様に褒められるなんてと」

「そ……そう? 私がこの宮殿に住むことになったら、毎日食べられるのかな」

「勿論でございます。いくらでも作ってくださると思いますよ。だからほら、機嫌を直して」


 執事は私の機嫌を取るのがうまい。

 この日々を我慢した先に大好きなお菓子食べ放題な結婚生活が待っていると思うと少し楽しみになった。


 そこでふと、執事の靴の先が汚れているのに気付く。


「……ねえ、それ磨いてもいい?」

「え? っああ、汚れていますね。これは失礼しました。お恥ずかしい」

「いいのよ。靴磨きは私の仕事であり趣味みたいなもんだから。ここ座っていいから脱いで」


 ぽんぽんとソファの隣の空いている場所を叩き、執事に座ることを促した。

 さすが宮殿の住み込み執事、お高かったであろう上質な革靴だ。

 紙を広げて上に預かった靴を置き、シューキーパーを入れた。ブラシで大きめの汚れを落とし、つま先やかかとに乗っているワックスを落としてから、専用のクロスをくるくると指に巻きつけてクリーナーを塗りこむ。強く擦りすぎると皮の表面を傷付けてしまうため、気を付けるべき作業だ。みるみるうちに革の汚れは取れていった。

 最後に、靴に潤いを与えるクリームを塗りながら、靴に水の上でも歩ける力を込める。靴の底が熱くなったのは、この靴が水上を歩けるようになった証拠だ。


「できた。店では蒸気も当てているんだけど、さすがにその機材は持ってきていないから……中途半端でごめんなさい」

「いえ、そんな! 見違えるようです。さすがプロの靴磨き職人ですね。実は最近、水に浮く力も弱ってきていて……滅多に宮殿の外に出る機会がないので放置していたのですが、危うく出られなくなるところでした」


 執事は有り難そうにぺこぺこと何度もお辞儀を繰り返した。


 ――靴磨き。私の住むラクア王国では、それは他国以上の意味を持つ。

 ラクア王国は水の上に建つ国と言われ、水上都市が数多くある。特に王都付近の建物はほとんど海上に建設されていて、水上歩行ができる靴を買える富裕層のみが集まっている。

 靴に水上歩行の力を与えられる特殊な職人がこの国で言う〝靴磨き職人〟だ。


 歴史上、靴磨きという仕事はラクア王国の最下層と言われていた。

 しかし、気候変動により多くの国が海水に浸され、低い島国は海の中に沈んでいった頃、靴磨き職人の存在は見直された。

 戦時にも水上戦は重要視され、戦いに勝つためには水上でどれだけ戦っても沈まない靴が必要であると謳われた。

 時代に背中を押されて靴磨き職人の世間からの評価はぐんぐんと上がった。ついには貴族までもが自分の家に靴磨きの才を持つ子が欲しいと言い出し、身分の低い靴磨き職人と結婚するようになった。


 ――私はそんな貴族と靴磨き職人の間に生まれた、靴磨きの才を持つ下級貴族の子だ。




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