扉の向こう

フルリ

第1話(11:15)

 ドアが、開いた。

 それ自体は何の変哲もないことで、むしろ普段のわたしだったら、ドアは開くものだろう、むしろ開かなければドアとは言えない、と難癖をつけたくなるくらいノーマルなことだ。

 でも、これはおかしい。だって、これは。

 開くはずのない、ドアだから。

「冴?」

 そんな風に、すぐそこにいた友達に訝しまれて、わたしは背筋を伸ばす。思わず、驚いて背中を丸めてしまっていた。

「まさか開いた? なわけないよねー」

 だってこれ、「絵」でしょ? ドアノブついてるけど。

 続いた言葉の通り、これは絵だ。このドアは、どうあがいても、驚くほど繊細に、緻密に描かれた一つの絵画でしかない。ドアノブのそばには『回してみてください』という張り紙がされているものの、常識的に考えて、描かれたドアが開くことは、あり得ない。

「すごいよねー、美術部。結構リアルだよ。文化祭の展示のレベル超えてるって」

 確かに、校舎の中でもトップレベルにたどり着きづらい、辺鄙な場所にある美術室で展示するにはもったいない作品だった。結構と口では言っているものの、リアルどころか、遠目ならわたしは本物だと判断しているくらい、写実的なものだ。パステルな色合いで、蔦が上から垂れ下がっているから、現実の物よりはファンタジックな雰囲気を醸し出しているが、テーマパークになら存在していそうに思える。。

「えー、ちょっと貸してー」

 梨沙がわたしの手からドアノブを奪い取る。押しのけられてわたしは後ろに下がった。

「手汗すごくない? べとべとなんですけど」

 思わず制服の脇腹で手を拭った。気持ち悪かっただろうか。

 ガチ。

 梨沙がドアノブを回したのは間違いない。体重をかけたのも間違いない。でも、その反応は明らかに、わたしの時と違った。

「なーんだ、開かないじゃん。あーあ、異世界とか行けるのかと思ったぁ」

 まさか。

 梨沙はさっさとドアノブから手を放している。

「汗かいちゃった」

 一歩後ろに下がって、私の顔を見て照れ笑いをした後、ポケットからハンカチを出してごしごし拭う。わたしとは女子力が大違いだこと。

 ——どうしよう。

 わたしがやった時は、開いた。否、開いたように感じた。でも、梨沙がやった時は開かなかった。

 もう一度、試してみたい。

 だって、それで開いたなら。

 これは、わたしにだけ開くドアってことになる。

 ふと、足が勝手に前へ出た。

 わたしみたいな、陳腐な中学二年生がよく抱く、「特別願望」に駆られて思わずノブに手を伸ばす。冷たい金属に爪の先を触れさせるコンマ一秒前、梨沙の声がわたしの全細胞を凍り付かせた。

「マジ、開くわけないよねー。ちょっとでも開くと思って、馬鹿みたい。そんなんで異世界行けたら苦労しないっつーの」

 当たり前のことだったけれど。わたしの淡い期待をしぼませるには十分で。

 わたしは勢いをつけて、ドアに背を向けた。

「どういうつもりだった? 異世界行って玉の輿?」

 馬鹿な想像はやめよう。失望なんて真似はしたくない。

「あー、良いねそれー。命救ってもらったりしちゃって」

「ノーマルに惚れるわー」

 ばちっと頭のチャンネルを切り替えて冗談を飛ばしても、どこか頭の中に小さなわだかまりが残っていた。

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