第2話 不法侵入(1)

 「暗いけど……そっちのほうがバレなくていいか。よーし、行くぞ。杏奈ちゃん!」

 一足早く校庭に降り立ったお姉ちゃんは元気よくそう言ってこちらを振り返った。が、まだフェンスに絡みついている私を見てちょっと呆れたようなため息をつく。運動音痴なのだから仕方ない。

 「あー、もう疲れた」

 「嘘でしょ。楽しいのはこれからだよ」

 差し伸べられる手。

 お姉ちゃんはいつもそうだ。

 いつも私を楽しい方へ引っ張っていってくれる。

 それは嬉しいことではあるが、じゃあお姉ちゃんを楽しい方へ引っ張っていってくれるのは?

 私にそれだけの力があるだろうか。

 お姉ちゃんが手を差し伸べてくれる度にこんなことを考えてしまう。

 「なにしよっかー。 ブランコ? シーソー?」

 「いやいや、あんまり騒ぐと通報されちゃうよ。マジで。もっとなんか……静かに出来ることしようよ」

 「今更でしょ」とか言われるかと思ったがお姉ちゃんは意外にも同意してくれた。

 「それなら校内を見てまわろう! それだったら静かにできるでしょ?」

 いい提案をした、とばかりにしたり顔を見せた。

 「でも、大丈夫かな。機械警備とか入ってんじゃないの?」

 「あー! もう! その時はその時だから!」

 まだ酔いが醒めていないお姉ちゃんはついに私との議論が面倒くさくなってしまったようで、フェンスを上った時と同じように突然走り出した。

 「どこ行くんだよー!!」

 咄嗟に大声をあげてしまった。意味もなく辺りを見回す。その間にもお姉ちゃんの背中が小さくなっていく。

 私はようやくお姉ちゃんの後を追いかける。放っておいたら何をしでかすかわかったものじゃない。

 学校の敷地の外側にある街灯を頼りに校舎とフェンスの間を駆け抜けていく。

 はっきり言ってもう吐きそうだった。

 もう日が落ちたとはいえ、昼のうだるような暑さがまだまだ残っているし、さっき飲んだお酒も残っている。

 何度も唾液を飲み込みながら私は走った。すると前方を走っているお姉ちゃんが右に曲がった。少し遅れて私もそこを曲がる。

 この辺りは言うなれば校舎の裏側だろうか。左手に校門が見える。お姉ちゃんはまだまだ止まらない。

 いったいどこまで行こうというのか。

 そこで私は走るのをやめた。

 もういい。疲れた。足はガクガクするし、相変わらず吐きそうだし。

 彼女も疲れたら勝手に止まるだろう。

 私は少しの間、校舎の壁に背中をつけて休んだ。布越しに伝わる冷たさが心地よい。

 そういえば今は何時なんだろう。明日も早いんだからそう遅くまでは遊んでもいられない。

 バッグからスマホを取り出して確認するともう二十一時を半分ほど過ぎていた。そろそろ切り上げて帰りたいところだ。

 さて、特急列車をどうしたものかと思案していると、その張本人から電話がかかってきた。

 私は即座に応答する。

 「お姉ちゃん? どこまで行ってるの? もう疲れたし、帰ろうよー! んで、お土産に買ったプリンでも食べて寝よ! ね!」

 『杏奈ちゃんってば、そんなこと言ってる場合じゃないよぉ!』

 電話口からお姉ちゃんのちょっと興奮したような声が響く。その声色はまるでお子様ランチを目の前にした子供のようだった。

 『今どこにいるの? こっちに来てほしいんだけど。早急に!』

 「えー……疲れたから校門の近くでちょっと休憩してるよ。もう汗だく、足ガクガク」

 『オッケーオッケー』

 何もOKじゃない。

 『それならここまですぐだね。ねぇ、そこから真っすぐ歩いてきてよ。そしたら左手正面にプールが見えるからさ。そこにさ! いるんだよね。たぶん、私の見間違いじゃなければ!』

 お姉ちゃんはまくし立てるようにそう言うと、勿体つけるように言葉を切った。

 「……何が見えるの?」

 あぁ、お姉ちゃんのしたり顔が目に浮かぶ。鮮明に浮かぶ。

 『人魚! 人魚がいるんだよ!』

 

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人魚は不味い マリエラ・ゴールドバーグ @Mary_CBE

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