第103話 イッ君の初めては私がよかった!

「さっきまで体育館だったのに、なにこの真っ白な部屋!?」


 狼狽える琥珀姉ぇの事はそっちのけで、俺はセッ部屋さんがまたしても暴走したのかと、慌てて強制退室のコマンドを押す。



『本IDでは退室する権限がありません』



 表示されたメッセージウインドウを見て俺が確信する。


「これは……そうか、お前が翠の時にも!」


 ここはセックスしないと出られない部屋であっても、俺が管理者権限を持っている部屋とは別個体だ。


 俺のセッ部屋さんは暴走していたのではなく、別個体による召喚であることがこれで確定した。


 だが、正体を暴いたところで、部屋の方からは何も返事何て返って来ない。


「イッ君……この場所のこと、何か知ってるの?」

「あ……」


 部屋からの返答はない代わりに、今回の召喚に巻き込まれた琥珀姉ぇからの問いかけが俺に飛んでくる。


「翠って、小鹿先生のことだよね? イッ君はここに来たことがあるの?」

「そ、それは……」


 俺は、ここで全てを琥珀姉ぇに話していいのか迷ってしまう。


 セックスしないと出られない部屋について話せば、琥珀姉ぇも、俺の周りに最近女の子が集まってきている事について、疑問が解けるだろう。


 と同時に、俺の事を軽蔑するかもしれない。


 こんな特殊な力を使って、女の子たちの心を掴んでいたなんて……と。

 俺には、それが何より恐ろしかった。


「うん……俺は以前、この部屋と同種の部屋に来たことがある。いや、それどころか、この手の部屋の管理者権限を有している」


 だが、真っすぐな琥珀姉ぇに対して、ウソはつけなかった。


「管理者権限?」

「この部屋に誰かを召喚したりすることが可能って事」


「…………」


 俺は敢えて、この部屋を今までどのように使ってきたかを伏せて、端的に伝えた。

 この部屋の本質は、あくまで定型文のアナウンスの通りなのだから。


 この部屋を使ってきながら記憶が残らなかった俺にとって、ずっと頭の隅にこびりついていた事実。



 俺はこの部屋があったからこそ、愛されたのではないか?



 異常な事態と環境に年頃の男女を放り込んで観察するという、神々の悪趣味な余興を目的としたセックスしないと出られない部屋。


 現実にはないシチュエーションで育まれたり、一線を越えた愛し合いは偽物なのではないか?


 俺から、この部屋の管理者権限と言う特殊な力が滑り落ちていったのならば、その時、優月も珠里も、瑠璃も翠も自分から離れていってしまうのではないか?


 それが恐ろしかった。

 俺に身体を重ねた時の記憶が無いのだから、余計に自信が持てなかった。


 だから、誰かに罵ってもらいたかった。


 卑怯な手を使ったと。



「俺はこの部屋の力を使って、今まで好き勝手してきたんだ」



 俺は琥珀姉ぇに偽悪的に笑った。

 断罪されるなら、この人がいい。


自分の事を本当によく知る、誠実な彼女が。


 それで琥珀姉ぇから心底軽蔑されようとも、人ならざる超常の力を使ってきた代償なのだから、まだ軽いくらいだ。


「ふーん。で、イッ君はこの部屋で何してきたの?」


「え、何ってそりゃ……」


 てっきり侮蔑の言葉か、嫌悪の態度が向けられると思っていたのに、琥珀姉ぇから向けられたのは、いつもと変わらない物だった。


「どうせ、この部屋で筋トレしたり、大好きなお料理を目一杯やったりしたんでしょ?」

「あ、まぁ、そうだけど」


「やっぱりね。そんな事だろうと思った」


「いやいや琥珀姉ぇ。聞こえてなかったかもしれないけど、ここはセックスしないと出られない部屋なんだよ?」


 バンバン俺の過去の行動を読んで来るが、まず気にすべきなのはそこじゃないでしょ。


「知ってるわよ、読んで字のごとし何だから」

「じゃ、じゃあ」


「イッ君はこういう部屋に閉じ込められたからって、女の子を襲ったりするような男じゃないでしょ。私の事バカにしないでよね」


 逆に、そんな簡単なことも解らない子扱いな点に、琥珀姉ぇはご不満なような様子だ。


「あの……でも、俺はこの部屋で何人も」

「あ~、この部屋の存在を知って、全て合点がいったわ。赤石さんが、私との初対面時にあんな自信満々だったのも、白玉さんが急にイッ君にデレ始めたのも、瑠璃ちゃんが急に穏やかになったのも、小鹿先生が急にこの学校に来たのも、全てはここが原因か」


 今までの疑問が全て、一本筋でつながったという得心顔で琥珀姉ぇはウンウンと、自論に頷く。


「え、そこまで解るの?」

「どうせ、赤石さんについてはイッ君が絆されて、瑠璃ちゃんは無理やり襲われたとかでしょ」


 すげぇ……。

 エスパーか何かか、琥珀姉ぇは?


 でも、そこまで解っててなんで……。


「琥珀姉ぇは怒らないの? 俺が色んな子とその……しちゃってることを」


 昔から『イッ君、イッ君』と俺に纏わりついてばかりの琥珀姉ぇは、俺の知る限り、ボーイフレンドなどを作っていた様子は無かった。


 美人さんだし性格も良い琥珀姉ぇだから、色々と告白はされてきただろうに。

 そんな潔白な琥珀姉ぇだからこそ、これは許しがたい事実ではないのだろうか。


「赤石さんたちが向こうでもイッ君を慕ってるのが答えでしょ。それに、イッ君と長く一緒の空間に居れば、女の子なら好きになっちゃうって。小さい頃から一緒だった私がそうだったんだから」


 苦笑いして、琥珀姉ぇが目を伏せる。


 どこまでも俺の事を理解している琥珀姉ぇの言葉。

 だが、俺もそれを言葉通りに受け止めるほど、琥珀姉ぇの事を知らない訳じゃない。


「俺の目を見て言ってよ琥珀姉ぇ」


 セッ部屋の床に伏せかけた琥珀姉ぇの顔を、顎を指先で優しくつまんでクイッと持ち上げる。


 強制的に俺の眼前に顔を突きつけさせる。


「イッ君……」


 最初は驚きと少しの羞恥。


 しかし、その後、洪水のように押し寄せた激情で、琥珀姉ぇの顔がクシャクシャに歪む。


「本当はイッ君の初めては私がよかった!」

「うん」


 俺の胸の中で、琥珀姉ぇが拳でポカポカと殴って来るのを受け止める


「一人だけ大人になっちゃって、私だけ置いて行かれたのが悲じがっだ!」

「うん」


 文化祭で着ていたクラスTシャツが琥珀姉ぇの涙でベショベショになった。


「私が一番最初にイッ君の事好きになっだのに!」

「うんうん」


「うぇぇぇぇぇえええええん!」


 2人だけの空間に、しばらくの間、琥珀姉ぇの子供みたいに泣く声だけが響いて、俺は望んだかわいい断罪を受け入れた。




◇◇◇◆◇◇◇




「落ち着いた?」

「うん……」


 タブレットで操作して設置したソファに座らせ、ホットココアを渡すと、琥珀姉ぇはそう言ってコクンと頷いた。


「不思議な部屋でしょ?」

「うん、こうやって何でも瞬時に出てくるのを目の当たりにすると、信じるほかないね」


「今はユーザー権限しかないから制限があるんだけど、管理者権限がある時は凄いんだよ。本当に色んなことが出来るんだ。例えば今日の文化祭では、この部屋で業務用調理器具を使って、屋台用の食材を切ったりしたんだ」

「そんな事に?」


「他にも、人命救助をしたり、小説家志望を缶詰にしたり、無料塾も実はこの部屋の力を使ったんだよ」

「フフッ。楽しそう」


「だろ? まるで神様になったみたいだったよ」

「ううん、そうじゃない。イッ君がこの部屋のことを話してる時、凄く楽しそうに笑ってるから」


「え、あ、ごめん」


 たしかに、自分の得意分野のことになると饒舌になるオタクみたいに一気にしゃべり過ぎてたかも。


「謝らなくていいよ。イッ君が楽しそうにしているのを見ると、私も嬉しいし」


「ほ、ほら。この部屋って名前が名前だから、色々と誤解されやすいけど、神様の力の一部みたいなものだから、使い方によってはとても有益なんだ」


「でも、思春期の男の子だったら、本当は別の使い方をするのが多数派なんじゃない?」

「それは、よく元の持ち主の残念女神様にも文句言われてる」


 琥珀姉ぇと2人でひとしきり笑い合うと、2人しかいない空間に沈黙が流れる。


 物心ついた頃から一緒だった琥珀姉ぇなのだから、今さら沈黙が居心地が悪いという事は無い。


 家族なら、別に同じ空間にいるだけで安心する。


 でも、やはりセックスしないと出られない部屋にいるというシチュエーションだからなのだろうか。


 どこか落ち着かない。


「イッ君……」


 それは、琥珀姉ぇも一緒だったようで、熱っぽい視線を俺に送る。


「琥珀……」


 肩を抱き寄せて、唇を近づけると、琥珀姉ぇはこちらに身をゆだねるようにスッと目を閉じた。




「今度は、イッ君からキスしてくれたね」


 唇にまだ柔らかい感触を残したまま、眼前で琥珀姉ぇがはにかんだ笑顔を見せる。

 それは少女が、大人になる覚悟を決めた顔だった。


 俺は、そのまま彼女の制服のブラウスのボタンに指先を触れさせ。








「おめでとうさぁぁぁあああああん!」





 2人だけの静寂で燃える世界に冷や水をぶっかける声に、ビクッと俺たちは声の方を振り向く。


 この空間に干渉できる奴は一人しか居な。




「どうも。ゴッドオブゴッドでぇす」




 栗色のショートの髪に、エメラルドグリーンの羽衣をまとった、紫色を基調としたアヤメとは似ても似つかないボーイッシュ女神様は、自身をゴッドオブゴッドと称した。


 神の中の神。



 それを証するように、その横にはしょぼくれて萎れたアヤメが、涙目で膝をついて俯いていて。




「おい、アヤ……あぐあぁぁぁあああああっ!!」




 一先ずアヤメに声を掛けようと口を開きかけた時、今までの人生で経験したことの無い激しい頭痛が襲い、俺は自身の呻き声と共にブラックアウトした。

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