第79話 どんどん遠くに行っちゃうな

「料理おいしい~、いくらでも、飲めちゃう~」

「ハナちゃん、飲み過ぎだからそろそろ、お酒はやめにしたら?」


「まだ大丈夫らって、一刻さ~ん。しゅき~~」

「ぐっ! 俺の嫁が可愛すぎる! 存分に飲んでくれ!」


「いや、胸のドキドキを抑えてないで、その酔っぱらいの嫁を何とかしろよ父さん」


 ミイラ取りがミイラになりかけている父さんに、思いとどまるように諭す。


「いや、この可愛さは国宝級だろ。普段は健康面が心配だから、お酒は出来るだけ控えさせてるんだけど、やっぱりグデングデンのハナちゃんが可愛すぎる。でも、共白髪でずっとハナちゃんとは長生きしたいし……でも可愛い」


 父さんの頭の中で、天使と悪魔が取っ組み合いしている。


「いや、こっちの客観的な視点で見ると、イチャイチャしてるおっさんおばさんで、息子の立場からするとかなりキツイ光景なんですけど」


 海外赴任で離れて暮らしてたから久しぶりに見たけど、あらためて父母がイチャイチャしているのを目の前で見せられるのはキツイ。


「この光景、私は子供の頃から好きだけどな~。うらやましい、こういう夫婦」

「そう? 琥珀姉ぇは変わってるね。ちょっと部屋に行こうか」


 目の前の無残な光景から逃げ出したいので、俺は琥珀姉ぇを部屋に誘う。


「え!? う……うん。私もイッ君のお部屋行きたい」

「ん。じゃ、父さん、母さん。俺たちは部屋に行ってるから」


 食べ終わった皿を片付けて、グデングデン隙だらけの母さんを介抱する父さんに声をかける。


「おう。部屋で2人きりだからって間違いは……いや、今まさに間違いを犯そうとしている俺に、そんな事を言う資格なんて……」


「頼むから、変な事おっ始めるなよ! 琥珀姉ぇもいるんだからな!」


 欲望に負けそうになっている父さんへキツ目に忠告すると、俺と琥珀姉ぇは部屋の方へ上がって行った。




◇◇◇◆◇◇◇




「はぁ~! 帰国して来られた早々、嫌な物を見たぜ」

「フフッ。相変わらずお義父さんはお義母さんの事が大好きなんだね」


 自分の部屋のベッドに身体を投げ出し、大きなため息をつく俺を見て、琥珀姉ぇがクスッと笑う。


「まぁ、父さんは母さんへ永遠の片思いしてるって感じだよね」

「けど、お酒が入ると、いつもは表に出さないお義母さんの好意が駄々洩れになるから、お互いがお互いを大事に想ってるんだなって解るよ」


 学習机の椅子に乗ってクルクル回りながら、琥珀姉ぇが笑う。


「そう言えば琥珀姉ぇ、アイドルデビューおめでとう。しかも、グループのセンターに抜擢されたんだって?」


「うん、ありがとう。と言っても、センターになれたのは、瑠璃ちゃんからの強い推薦があったからだけどね」

「へぇ、瑠璃から」


 意外だな。

 昔は、琥珀姉ぇと瑠璃は、何故か張り合う事が多くて、仲が悪かったんだよな。


 同性で歳も一歳しか違わないから、近所の幼馴染のお姉ちゃんって言うより、ライバルって認識だったのかもなと思っていたけど。


 最近になって和解したのかな?


「今、イッ君、瑠璃ちゃんと私が仲直りしたんだって思ったでしょ?」

「違うの?」


 言葉にしてないのに、こちらの考えを見抜く琥珀姉ぇ。

 これも、いつもの事である。


「違うわよ。あの小姑は、私がアイドル活動に忙殺されることで、イッ君から私を引きはがそうという魂胆なのよ」


 ギリッと奥歯を噛みしめる顔は、アイドルグループのセンターがしていい顔じゃなかった。


「そ、そうなの?」


 その迫力に気圧されて、ちょっと引いてしまう俺。


「そうだよ! 瑠璃ちゃんがオーディション番組に急遽出演して、『琥珀さんは私のライバルになり得る存在ね』なんて思ってもいない事を言うもんだから、おかげで『あのラピスが認めた才能の輝き!』とか、大々的に宣伝されちゃって」

「あらま……そうだったんだ」


 それは、プレッシャーがえげつない事になってそうだ。


「っていうか、イッ君。この一連の流れって、自分で言うのも何だけど、芸能ニュースとかで結構話題になってたんだけど、知らなかったの?」


 ジトッと責めるような目で、琥珀姉ぇが睨んで来る。

 ヤバい。最近はテレビの芸能ニュースとかは全然チェックしていなかった。


「すいません……夏休みは色々と忙しくて……。いや、琥珀姉ぇと比べちゃあれなんだろうけど」


「私に興味なくなっちゃったんだ……私がレッスンで血反吐を吐いている間に、イッ君は赤石さんや白玉さん、瑠璃ちゃんと……」


「いや、違くて……。ええと」


 椅子の上で体育座りになり、膝の間に顔を俯かせる琥珀姉ぇに何て言ったらいいんだと、大いに焦る。


 ど、どうすりゃいいんだ?


「な~んて、ウソだよ! ちょっと拗ねてみただけ。本当は、イッ君が色々と慈善事業の立上げとかで忙しかったって、瑠璃ちゃんから聞いてたから。焦った? イッ君」


「お……おどかさないでよ琥珀姉ぇ」


 顔を上げてペロッと舌を出し、イタズラ大成功とばかりにはしゃいだ笑顔を見せる琥珀姉ぇに、俺は安堵する。


「でも、イッ君が歌姫ラピスの慈善事業を取り仕切ってるだなんてね。その前には、学童保育所の移転にも携わって。偉いねイッ君は」


「そんな事ないよ」


「本当……どんどん遠くに行っちゃうな」


 少し寂しそうに、視線を下に移す琥珀姉ぇの顔は、どうやら今度は小悪魔的ないたずらのための演技ではなく、本心からの物であるようだった。


「……それは本来、幼馴染がアイドルデビューしちゃう俺の方が言うべきセリフじゃないの?」


「アハハッ。本当だね」

「そうだよ」


 立場と真逆のやり取りである事がおかしくて、2人でしばし笑い合う。

 その笑い声が止むと部屋の中は静かになる。


「イッ君はさ……出来る子なのに、今まではどこか自信なさげだった」

「そうだね……」


「その理由は何となく解ってた。そして、同時に私もその一因なんだって事も解ってた。けど、私はイッ君の側を離れることは出来なかった。それが、イッ君を傷つける事を解っていながら……」


 周りにいる才能に溢れた人たちと比較して、卑屈になっていた自分。

 そして、その対象は幼少期から一緒だった妹の瑠璃と、幼馴染の琥珀姉ぇに向けられていた。


 瑠璃は、そんな俺を傷つけないように距離を取り、琥珀姉ぇはそれでも俺の近くから離れようとしなかった。


 どちらも優しさからくるものだった。


「うん……嬉しかった」

「お礼を言われる事じゃないんだけどなー」


 琥珀姉ぇが困ったように笑う。


「面倒な状態の俺に、まるで何も気づいていないという風を装って、幼馴染の距離無しお姉さんとして接してくれたから、俺は一人にならずに済んだんだよ」


「アハハッ、そうだね。イッ君がきちんと自信を持って歩んでくれるようになって本当に良かったよ。これで、幼馴染のお姉さんとしてのお役目は終わりかな」


「あ……そう……だね」


 そうだよな。

 琥珀姉ぇは、俺のために構ってくれていたのだ。


 これからは、琥珀姉ぇはモデル業に加えてアイドルも始めて忙しくなる。


 だから、もう……。


「んむ!?」


 ふわりと、鼻先にレモンイエローの髪先が触れると同時に、唇に柔らかな感触が走る。



「って、え!? 琥珀姉ぇ、今のキ、キス!?」


「これからは、私の事も1人の女の子として見てね? イッ君」


 はにかんだ笑みを口元にたたえた、恥ずかしそうに頬を染めた女の子が、俺の目を真っすぐ見つめていた。


「いや、琥珀姉ぇ、ちょっと待って。アイドルなんだから、こういうのは……」


「うん。バレたら大変な事になっちゃうから、しっかり私の事見ててね」


 慌てふためく俺の前で、琥珀姉ぇはイタズラっぽく笑った

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