第70話 目の前に広がる絶望の景色

「うわっ! これは……」


 ある日、開店作業のために俺が無料塾へ赴くと、目の前の惨状に思わず絶句してしまった。


 無料塾の入口には生ゴミなどの汚物が散乱し、酷い有様だ。


 同フロアには飲食店は無いので、カラスや猫が荒らした訳ではなく、明らかに故意に人が撒いたものだった。


「なんだってんだ、まったく」


 俺は記録用に写真を何枚か撮ると、辺りに人が居ないかを確認してから、セックスしないと出られない部屋の機能を使って、瞬時に汚れた壁や床を綺麗な状態に戻す。


「まぁ、繁華街だから仕方ないのかな」


 と最初は深く考えなかった。

 だが明くる日も、そのまた明くる日も同様にやられていた。


「またか……」


 日に日にエスカレートしていく行為と、明らかに悪意を向けられているという事実が否応なく、こちらの態度も硬化させる。


「とっとと出ていけ、か……」


 無料塾の入り口の前にはゴミが散乱するのに加えて、スプレーで口汚い言葉が殴り書きされていた。


「警察に相談するか。でも、そうすると捜査や現場検証で即日で直す事が出来ないから、何日間かは無料塾を閉めるしかなくなるな」


 直接の危害を加えられていない以上、警察もそこまで熱心に犯人を捕らえてくれそうにも無いし。

 そのために無料塾を閉めて、通っている子たちのためにもそれは避けたかった。


 習慣化した、この行動リズムを変えさせてくはない。


「このままエスカレートされたら迷惑だからな。とっとと処理する」


 こんな事で、折角できた恵まれない子たちの居場所を失くすわけにはいかない。

 そのための理不尽な障害は、即刻排除する。


 俺は無表情で、バーチャルコンソールを操作する。


『対象 器物損壊 犯人』


 召喚対象を打ち込むと、俺は静かな怒りを込めて、『ルーム展開』と唱えた。




◇◇◇◆◇◇◇




『ここは、セックスしないと出られない部屋です。脱出するには、セックスをする必要があります』




「なんだこりゃ!? ここは、どこだ!」



 突如、脈絡なく空間転移で何もない真っ白な部屋に連れて来られた対象者は、戸惑い半分、怒気半分という感じで辺りをキョロキョロと見まわす。



『ようこそ嫌がらせの首謀者さん。私、無料塾の運営をしている者です。名は豊島一心と申します』



「お、お前は!? 学童保育所の移転の時にいたガキか!?」


 俺は今回、あえて音声だけではなく、モニターを表示して自分の姿を晒している。

 その意味を、目の前のクソ共は理解しているだろうか?


 いや、いきなり人智を越えた場所に連れて来られて、それは過ぎた要求か。


「どうも愛光さん。その節はどうも」

「俺たちに何をしやがった!」


 今回の件の首謀者である不動産会社の愛光社長に、抑揚のきいた声で挨拶をする。それに対し、愛光社長は粗雑な態度で応じる。


 学童保育所の新しい移転先に強引に訊ねてきて、すごすごと遁走した時には、ギリギリに理性的な言動をしていたが、愛光社長の素はこっちなんだな。


「貴方だったんですね。あのメンズコンカフェのオーナーは」

「な⁉」


 狼狽える愛光社長に、俺は出し惜しみなくカードを切る。


「そして、顧客層が被るうちの無料塾に嫌がらせをして、休止か撤退を企てた」

「し、知らん! 俺はあの店とは無関係だ!」


「そこをとぼけるのは時間の無駄です。実行犯を締め上げて、全て吐かせてます。ええと、暴力団の吉田組でしたっけ? はい、どうぞ」


 そう言って、出現したのは、身柄を拘束された厳つく派手なスーツを着た面々だが、その多くが目の焦点があっていない状態で転がっている。


 外傷はない。

 ただし、組員たちは一様に生気がない屍のようであった


「お前……ら……」

「吉田組長……」


 辛うじて一人だけ、話せる程度の生気は残しておいてある組長のおっさんが、辛くあえぐように呼吸しながら、愛光社長を睨みつける。


「……お前ら……とんでもない事に俺たちを巻き込んでくれやがって……もう俺の組はおしまいだ……」

「そ、そんな。私は何も知らない……知らないんだ!」


 呪詛の言葉を投げかける吉田組の組長に対し、愛光社長が狼狽えながら力なく弁明の言葉を述べる。


「組長さんはお知り合いだって言ってますよ。どちらがウソつきなんでしょう?」


 これは、しらを切る吉田組長と愛光社長の双方への問いかけだ。

 俺の問いかけに、恐怖を思い出した吉田組長が泡をくったように話し出す。


「た、頼む! この件から、うちの組は全面的に手を引く! 顧問料も無しでうちがケツ持ちをする! だから!」


「はい、お疲れさまでした」


 俺がそう言うと、瞬時に愛光社長たちの前に、拘束され転がっていた者たちが消える。


「ヒッ! 消え……」

「反社の助けなんて要らないよ。うちは真っ当な福祉事業なんだから」


 そうボソッと俺が呟いた所で、恐怖のゲージが振り切れたのだろう。

 今まで沈黙していた、もう1人が話し出した。


「わ、私は! このオヤジの言いなりになってただけです! 街の売春についてもこいつが!」


 キンキンと耳に響く甲高い声で、全力で罪から逃れようという強い意志が宿っているのが、印象的だ。


なお、当の愛光社長は、目の前で起きている事態の異常さに心がついていかなかったせいか、罪を擦り付けられようとしているのに無反応だ。



「もう一人の首謀者が貴女だとは思いませんでしたよ。東横さん」



 ここで、愛光社長の横にいるもう1人の女性へ、俺が向き直る。


 目の前にいる東横さんは、ピエン系地雷娘の華やかな格好には似合わぬ滝のような汗をかいて弁明を開始する


「楓さんと一緒にいた豊島さんですよね? お会いした時に見ていた通り、私はメンズコンカフェの掛けがたまってて、この男が取り仕切る売春ストリートに立っていて……。あ! 売春ストリートで立っている時に話してたオヤジって、こいつなんです! こいつは未成年買春をしようとした犯罪者で、私は悪くないです!」


「ああ。あの時に後ろ姿しか見てなかったけど、あれは愛光社長だったんですね」


 東横さんが売春ストリートに立っている時に、楓さんが偶然見つけた時に、何やら価格交渉をしていた中年男性だが、今思えばあれは愛光社長だったわけだ。


「あ、あれは違うぞ! 何を人に罪を擦り付けようとしてやがる!」


「ちがう! 私はただ巻き込まれただけです! だから……」


 自分を貶めるような発言をする東横さんに対し、目の前の事態に放心状態だった愛光社長が再起動して食ってかかるが、東横さんはその発言に被せて、必死に自分が主犯側でないと主張をする。


 醜い争いで見るに堪えなかった。


「あれは、売春時の相場価格を相談してたんですね。てっきり、買春の価格交渉をしているのかと思ってたんですけど」


「ち、ちが!」


「貴女が、あの売春ストリートの元締めをしてるネタは上がってるんですよ。メンズコンカフェを出禁にされていたのも、あそこに通う未成年の子を、自分が元締めの売春ストリートに引き込んでいたからなんですね。王城さんから聞きました」


 正直、無料塾に嫌がらせをされていた時に、最初に浮かんだ容疑者は、メンズコンカフェの店員だと思っていた。


 だが、推理パートなんて一切なく、ダイレクトに犯人を召喚するセックスしないと出られない部屋さんの機能により、犯人は最初から決定していたのだ。


 結論は解っているので、後は答え合わせの作業だ。


 とある、この部屋のおぞましい機能を使って犯人を芋づる式に締め上げていき、事態の全容が判明した。


 現実世界でもキングこと王城さんに接触し、証言も得て裏も取った。

 っていうか、いの一番に疑って本当にゴメンナサイ。


「あの……何か勘違いされてませんか? 中学生の私がそんな、売春の元締めなんて」

「ああ、年齢サバ読んでますもんね東横さん。本当は23歳でしたっけ」


 オドオドした小動物の振りをするのも、真実を既に知っている身からすると、滑稽なだけだ。


「……ガキが。女の年齢を詮索しやがって」


 自分の素性がバレている事を悟り、憎々し気にモニターに映る俺を睨むさまは、路上でオドオドしていた少女の物ではなかった。


「子供を違法売春させる大人よりはマシだと思います。楓さんは本気で心配してましたよ、東横さんのこと」


 しかし、俺も楓さんも、完全に中学生だと騙されてたな。

 ファッションと話し方で、案外行けるもんなんだな。


「私は、ただガキにこの街での生き方を教えてやっただけだ」


「大人なら、子供が真っ当な道を歩ける教えを説いてください。貴女のような、少年少女を食い物にする大人がいるから、俺はあの場所を作ったんです」


 そして、その場所を穢れた欲望にまみれた大人が汚そうというなら、俺は容赦しない。


「解った。あのストリートのシマは明け渡す。だから」

「ああ、それは大丈夫です。どうせこれから行う苛烈なおしおきを受けたら、二度とあなた達はあの場所に立てないでしょうし」


「な……なにをする気だ」


 震える声で、青ざめた顔の愛光社長が訊ねる。


「さっき、組長さんたちもやってもらいましたよ。あなた達の人の尊厳をボキボキに折っておきます。二度と、こちらに手出し出来ないように」


 そう言って、俺は事前に保存されていたセクサロイドのデータを呼び出し、部屋の中に放った。



「な、なんだ⁉ この臭くて汚く醜い男どもは!?」

「ギャ――ッ! ウネウネ、ニチャニチャ……なにこれ、巨大ミミズ?」


 突如自分の目の前に現れたセクサロイドたちの異形の姿に、愛光社長と東横さんが悲鳴を上げる。


「ああ、愛光社長は汚いオジサン、東横さんは触手系生物が生理的に苦手なんですね」


 この、セックスしないと出られない部屋の機能には、この部屋にいる者の情報を丸裸にするスキャン機能がある。


 年齢はもちろん、性癖、嗜好。

そしてその逆。


 最も生理的嫌悪をもよおす物も。


「うぐ……臭い。く、来るな‼」


「ち、近寄らないで!」


 2人は逃げ出そうとするが、多勢に無勢。

 あっと言う間にセクサロイドたちに取り囲まれてしまう。


「じゃあ、ここで心が折れるまで蹂躙されつくしてください。大丈夫、ここでの記憶は全て消してあげますよ。ただ、身体にはその恐怖が刻まれますが」



『ここは、セックスしないと出られない部屋です。脱出するには、セックスをする必要があります』



 俺の無慈悲な宣告と、相変わらず図ったようなタイミングで流れる定型文アナウンスに、愛光社長と東横さんは、これから自分が何をされるのか悟ったようだ。


「ほ、本当に悪かった! そちらの無料塾に嫌がらせをしてしまって。わ、詫びに金なら出す! メンズコンカフェの利益を全て渡すから! だから!」

「路上売春のみかじめ料で稼いだ金を全部あげるから、止めて!」


 周囲を取り囲まれ、泣きながら2人は土下座して必死に謝罪の言葉を叫ぶ。


 人は脆い。

 目の前の痛苦や苦難から逃れるためならば、簡単に自分の大事な物を差し出す。


 それは、路上に立つ少女たちと図らずも一緒の構図だった。


「俺が少女たちから搾り取った金を受け取って喜ぶとでも? つくづく解っていないですね。やれ、セクサロイドたち」


「や、やめ!」


「イヤだ! イヤだ! イ」


 愛光社長と東横さんの絶望と悲鳴は、セクサロイドたちの圧に押しつぶされて、すぐに聞こえなくなった。



「目の前に広がる絶望の景色が、いたいけな少女たちが見たものですよ」



 汚い物を見る趣味も無かったので、そう言い残して俺はモニターを閉じた。

 恐らく、最後の言葉は本人たちには届いていないと知りながら。

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