第50話 あ~、あの2人
「暑い……」
「そりゃ、3人を1人で相手してるんだから大変でしょうね。ほら、汗拭いてあげる」
クスクスっと優月が笑いつつ、額の汗をハンカチで拭ってくれる。
「ありがと優月。思った以上に3対1ってキツイな」
「それにしても、一心って意外と思い切りが良いよな。ねだる3人に、1対3でまとめてかかってこいなんて」
「実際は、1対2くらいがバランスいいんだけどな。手は2つなんだから、どうしても3人目が疎かになっちまう。そういう意味じゃ、お前だけ後ろでゴメンな珠里」
「いいよ一心。私は手より、こうして一心に後ろから覆いかぶさる方が好きだから。こうして、両手が塞がった無防備な背中にイタズラできるし。ムチュッ」
「ワヒャッ!? 首筋にキスすんな珠里」
「ふふっ、ちょっとしょっぱい。一心の汗の味。後背位の役得だぜ」
いや、珠里が喜んでるならいいけど。
それに、俺は俺で背中に珠里の柔らかな胸元の感触が感じられ、むしろ役得は俺の方で。
「お兄ちゃん。いま、エッチなこと考えてたでしょ」
俺の腕をクンッと引きながら、制服姿の瑠璃がふくれっ面で見上げる。
「無茶言うなよ瑠璃。3人の女の子に身体を密着されて、エッチな事を考えるなって方が無理だろ」
「ふーん……でも、考えようによっては、こうして複数相手の方がお兄ちゃんも素直に勃つし、そのままの勢いで妹の私にも行けるのか」
「人の往来のあるところで勃つって言うな瑠璃!」
まったく。3人共、はしゃいじゃって。
という訳で、今俺は、夏休みの補習の最終日に、優月と瑠璃を両腕にぶら下げ、珠里を背中に背負っている状態で帰宅の途についている。
「重い……そろそろ足と体幹が限界なんだけど珠里。降りてくれないか?」
「ん、拒否するぜ。空手の鍛錬だと思って頑張れ。大会も近いんだから」
俺は型の部での出場だから、苛烈な筋トレはむしろ直前期にはしたくないんだけど。
「朝もこの布陣で登校したら、周りの視線が痛かった……」
「まぁ、視線が痛かったのは、優月っちが、1日目の補習終わりにぶち込んだ爆弾発言のせいだろうね」
「ああ、瑠璃に『一心とセックスした?』って聞いたアレな。あの時は、教室の空気が凍り付いてた」
「そのせいか、足柄先生も体調を崩されて今日はお休みで、急遽お兄ちゃんたちのクラスと合同の補習になって、私は嬉しかったけど」
多分、足柄先生は、俺たちのことは色々と考えるのを辞めたんだろうな。
こっちとしても、説明がドンドンしにくい状況になっているので、その方がありがたい。
「結局あれは、一心大好きで嫉妬に狂った私が、恐れ多くもラピス様に暴言を吐いたって事で落ち着いたみたいよ。これなら、瑠璃も人前でお兄ちゃんとベタベタしてても、私に対抗してる普通の可愛いブラコン妹で周囲には通るでしょ」
「いや、それ優月はいいの? 優月の評判が下がることに……」
「別に一心以外の誰に何をどう思われようと、どうでもいい。解ってくれる人に解ってもらえればいい」
やだ……優月さん男前……。
「うん、優月のそういう一本気の通った所は、どこぞの自称小姑に聞かせてやりたい。ねぇ、優月。今のオーディションアイドルユニットに、私のワイルドカード枠で芸能界入りしない? 小姑に使うつもりの枠だったけど、それは反故にするから」
瑠璃が、半ば冗談交じりに優月を事務所に勧誘する。
っていうか、それじゃあ琥珀姉ぇが可哀相すぎでは?
「あいにく、そっち方面には興味はないわ。福原先輩みたいに、そのせいで一心と過ごす時間が減っちゃうのは本末転倒だし」
「あら、残念。優月なら結構いい所まで行けると思ったんだけどな。気が変わったら、ここに連絡して。私の署名も入ってるから」
「まぁ、いざという時に使わせてもらうわ」
瑠璃から渡された名刺を優月は財布に仕舞い込む。
口では軽く言っているが、瑠璃の様子からして割と本気で優月をスカウトしてるな。
そうじゃなければ、自署名の名刺なんて渡さないだろう。
それだけ、瑠璃は優月のことを買っているし、自分のために泥を被ってくれた優月のことを信頼しているという事か。
「それじゃあ、補習も終わったし打ち上げに行きますか」
「「「お~う!」」」
打上げ会場まであと歩いて10分。
持ちこたえてくれ、俺の足腰。
◇◇◇◆◇◇◇
「ああ旨かった。特に紅茶シフォンケーキが最高だったぜ」
「普通の女子中高生はあんなお店に行くのね。今度の新曲の歌詞に取り入れようかしら」
「私は、ペペロンチーノが良かった。期待してなかったけど、中々に良い辛さだったわ」
「ケーキバイキングなのに、優月はケーキじゃなくてペペロンチーノばっかり食べてたね」
無事に補習が終わった打上げでケーキバイキングを訪れた俺たちは、満腹なお腹を抱えて街をぶらついていた。
なお、さすがにバイキングの後に、四位一体のフォーメーションを取ると俺のお腹の中身が出てきちゃうので、そこは3人にご容赦いただいた。
「この後はどうする?」
「カラオケやボーリングとか?」
「カラオケがいいんじゃない? また、さっきのケーキバイキングのお店の時みたいに、ファンに群がられるのは勘弁だし」
「そうだな……ケーキバイキングのお店では、中高生の女の子たちからの視線が痛かった」
もとより、メインの顧客層は女子中学生の店だ。
そこに、同世代で有名人の瑠璃がいたので、結果は大混乱で、危うくお店を追い出される所だった。
「歌姫ラピスの生歌が聞けるなんて最高だぜ!」
「アリーナチケットは今、宝くじみたいな倍率だから感謝しなさいよ」
「私はあんまり、ラピスの曲って聴いたことないのよね」
「じゃあ、今日で虜にしてあげる」
やんややんやとかしましい女性陣だが、どうやらこの後はカラオケで決まりのようだ。
今俺たちがいる辺りは、駅前から少し外れたエリアだが、スマホの地図アプリで検索すると、該当店舗がありそうだった。
どこの通りかな? と周囲を見渡していると、それは偶然に俺の目に入った。
「あれ、足柄先生と愛川先生?」
今日は体調不良で休んでいた足柄先生と、それに付き添う愛川先生だった。
2人は病院から出てきた所だった。
「本当だ。足柄先生と千百合ちゃんだぜ」
「婦人科の病院から出てきたわね」
「愛川先生は養護教諭だから、付き添ったのかな?」
こっちの方に歩いて来るので、俺たちは慌てて傍らの路地に入って、様子を窺う。
「ゴメンな千百合……ゴメン……」
「謝る事じゃないよ、ミヨちゃん」
珍しくしおらしい足柄先生の横に、慈愛に満ちた微笑みをたたえた千百合先生が励ます。
まるでその様は……。
「なぁ、あの2人。何て言うかその……」
「随分と、その……仲が良いって言う感じだな」
「ね、ねぇ。あの2人は同期だって言ってたからかなー。同期なら、ああやって恋人繋ぎで手を繋いだりするのかなー」
壁際から2人をのぞき見しつつ、俺たちは歯切れの悪い、手探りの討論を開始する。
何といっても、俺たちが戸惑ったのは、2人の雰囲気だ。
まるで2人とも深く傷つき、それでいて相手を最大限いたわり支え合おうとしているのは、さながら長年隣で連れ添った番≪つがい≫と言うか……。
それは、同期の仲の良い友人同士であるという事を差し引いたとしても、大きな違和感を感じるほどに親密な距離感とお互いを信頼し合っているという安定感が、足柄先生と愛川先生の間から醸し出されていた。
「あ~、あの2人お付き合いしてるわね」
皆が、とある答えに辿り着いていたが、世話になっている俺や優月や珠里がなんとなく気恥ずかしくて言いだせない空気を、まだ付き合いの浅い瑠璃が、あっさり看破する。
「……やっぱり?」
「芸能界にも女性の同性カップルって何組かいるからね」
瑠璃は、別によくあるみたいな顔で頷く。
「それは本当ですか⁉」
「なんで敬語なのよお兄ちゃん」
「いや、百合カップルには男の俺は最大限の敬意を以って当たらないと」
俺は百合カップルには男キャラは不要派なのだ。
百合の世界では、女の子たちだけで幸せになって欲しい。
「アイドルユニットにも、可愛い女の子と一緒にいたいからって志望してくる子もいるし。ま、そういうのはオーディションで弾かれるし、万一隠して入っても、すぐにトラブル起こして急に卒業しちゃったりするけど」
「おおう……」
やっぱり芸能界って凄いんだな。
瑠璃や琥珀姉ぇは大丈夫なのか心配だ。
「な~んだ。ガミガミと私たちのことに色々と説教して来てた割に、自分達はやる事やってるんじゃない先生たち」
「そこは、未成年者と、ちゃんと自分の行動の責任を取れる大人との違いだぞ赤石」
「あいたっ!?」
優月の脳天に、足柄ゲンコツが降り注いで、優月は頭を抑えてしゃがみこんだ。
「お前ら、こんな所で何してんだ?」
そこには、いつもの教師スイッチを入れた足柄先生が立っていた。
「隠れてたのに。どうして気付いたんですか?」
「お前らは黙ってても目立つからな。周囲の視線が集まってる先を見たら、おのずと解る」
歌姫で有名人の瑠璃は言わずもがな、光沢のある漆黒の黒髪に紅い目を持つ、喋らなければ妖艶な雰囲気を持つ美少女である優月と、銀髪褐色肌のはつらつ元気ギャル。
俺達は、致命的に尾行には向いていない一団だった。
なお、モブ顔の俺は除く。
「俺たちは補習終わりの打上げで。それより足柄先生、体調はどうなんですか? どこか悪くされたんですか? 先ほど病院から出てきたようなので」
「ああ……まぁ、ちょっとな。悪いな、補習の最終日に休んじまって」
いつもなら、『話をそらすな!』とさらなるキレのいい説教が返ってきそうなものだが、やはり今日の足柄先生は、どこか元気がなく、回答も歯切れが悪い。
「ゴメンね~ みんな。ミヨちゃん、ちょっとしんどいから、質問しても答えられないんだ」
ここで、愛川先生が間に入る。
養護教諭として、生徒たちの悩みを聞く際のニコニコした笑顔はいつも通りだが、そこには、いつもと違って有無を言わせぬ圧があった。
「一心、ほら行くわよ」
「お、おう」
微妙にピリついた空気を察してか、優月が俺の腕を取って引っ張っていく。
「じゃーね、千百合ちゃん」
「失礼します先生方」
そう言って、俺たちはそそくさと2人の前から退散した。
◇◇◇◆◇◇◇
「もう、一心ったら。ちょっとは気を遣いなさいよ。婦人科の病院に用があったんだから、いくら生徒とは言え、男の一心には話したくないでしょ」
「わ、悪い……つい、足柄先生の事が心配になっちゃって訊ねちゃって」
先生たちと別れた後に入ったカラオケ店の中で、俺は早速優月に怒られて、自分の失敗を恥じていた。
そうだよな。
そもそも病気の事と言う高度にプライバシーな内容を聞くべきではなかった。
「お兄ちゃん、よしよし。まぁ、女相手だから足柄先生たちが話したかと言われると疑問符がつくけどね。あそこの婦人科の病院って、不妊治療の専門病院だよ」
そう言って、瑠璃が病院名でスマホ検索した画面を見せてくれた。
シックで落ち着いたデザインの病院のホームページには『体外受精』や『顕微鏡受精』というワードがおどっていた。
「本当だ……じゃあ、あの2人は赤ちゃんが欲しいのか」
「同性カップルって、養子を取るのもかなりハードルが高いって聞くしね。となると、精子バンクから精子提供を受けての受精を試みてるってところか」
「じゃあ、さっき足柄先生があんな気落ちしてたっていたという事は……」
「おそらくは上手くいかなかったってことだろうな」
そんな精神状態が底の底まで落ちている時に、俺は土足で上がり込むような真似をして……。
ああ、最低だ。
せっかくカラオケ店に来たのに、沈んだ空気になってしまい、結局俺たちは1曲も歌わずに帰ってしまった。
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