第25話 帰りは一心を独り占め

「あれ、優月待っててくれたんだ」


 足柄先生のお説教が終わり、帰るためにカバンを取りに教室に戻ると、優月が待ってくれていた。


「うん」


「珠里はまだ戻って来てない?」

「白玉さんは補習予定の計画について話があるから来いって、生徒指導の先生に連れて行かれた。遅くなりそうだから、先に帰っててだって」


「ありゃりゃ。まぁ、休み過ぎて出席日数が足りないんだから、仕方がないか」


 まだ今は初夏になろうかという時期だ。

 高校1年生は始まったばかりなのだから、今からなら何とかリカバリーも効くだろう。


「じゃあ帰るか」

「うん。へへっ、帰りは一心を独り占め」


 そう言って、優月が俺の腕を抱き込む。


「あんまり学内ではくっつくなよ。周囲の目が痛い」

「いいじゃない。それより知ってる一心? どうやら、一心の学内での評判が下がりきってるみたいよ」


 愉快そうに優月がクスクス笑いながら、悲報を報告してくる。


「それ、明らかに優月たちのせいじゃん!」


「放課後、私が一人で教室で待ってたから、男女問わず色んな人から言われたわよ」

「な……何を」


 聞きたい気持ち半分、聞きたくない気持ち半分で、俺はおそるおそる優月に尋ねた。


「『あんな女にだらしない男はやめときなさい』とか、『君はあの男に騙されてるんだ!』って熱心に説得された」


「なんかさ……男子共からの怨嗟に満ちた目には慣れてきたんだけど、女子から蔑みの目で見られるのが、割とダメージデカいんだよね……」


 俺は、女子から汚物を見るような目で見られて興奮できる性癖持ちではないので、普通にただただ傷ついた。


「私の初めてを貰ったんだから、当然の犠牲よ」


「記憶があれば、それも甘んじて受けるんだがな……」


 感覚的には、夢の中で悪さをした自分の悪行の責任を負わされているような感じだ。

 解せぬ。


「じゃあ、このまま一心の家で本当にしちゃう?」

「いや、だから……優月もこの間、お説教受けたでしょ」


「うん。ちゃんと避妊はしましょうねって、千百合先生から教わったよ」

「そういう問題じゃないんだけど」


 これは教育の敗北なのか、それとも土俵際での粘り腰なのか。

 俺には解らん。


「けど、一心も変わってるよね。普通、セックスしないと出られない部屋を自由にできる立場を手に入れたら、好き勝手やるものなんじゃないの?」


「ん? いや、好き勝手やってるよ。自分の好きな料理が出来る広々としたキッチンに、トレーニングルームに」


「そうじゃなくて、やろうと思えば、それこそ一心は好き勝手に女の子をあの部屋に連れ込んでいかがわしい事が出来ちゃうわけでしょ? なのに、やってるのは、お部屋の模様替えと人助けって」


「う~ん……それは優月がいるからかな」

「え……ちょ、ちょっと何、一心。不意打ちズルいってば」


 真っ赤になった優月がワタワタと慌てだす。


「あの部屋の管理権限を貰ったからって、隣でこれだけ好き好き言われちゃね。他の女の人とどうこうなろうって意欲は湧かないかな」


「だって、一心のこと好きでたまらないから……ごめんね、一人で盛り上がっちゃってて」


「いやいや。おかげで、俺は人の道を外れずにいられるんだ」


 あの部屋を、もし本来用途として用いるなら、参加者の振りをして爛れた生活を送るか、はたまた第三者をあの部屋に放り込んで鑑賞して楽しむか。


 どちらにせよ、ろくでもない道だ。


「やっぱり一心は誠実だね。そう言う所が本当に好き。私、絶対に一心の童貞を奪うからね」


「前にも言ったけど、そういう欲望をもうちょっと抑えれば、あの部屋で3年も過ごすことにはならなかったんじゃないかな」


 苦笑しながら、俺は学校最寄り駅の改札をくぐる。


「あ、そうだ。最近は、朝に俺の家に優月が迎えに来てもらってるから、優月の家まで送るよ」


「え!? そんな、いいよ……。一心が帰るの遅くなっちゃうよ」


「もう初夏だし暗くなる前には帰れるよ」

「う……うん」


 あれ?


 珍しく優月の歯切れが悪い。


「あれ? 家へ行くのは都合が悪い?」

「そういう訳じゃないけど……どうしようかな……」


 中々煮え切らない優月。


 何だろう?

 ご両親が厳しいとか、家がすごいボロ家だから見られたくないとかかな。


「別に送り狼するつもりはないから。けど、優月がそういうのを気にするなら今日は止めておこうか」


「い、嫌じゃない! よし。い、行こう! わが家へレッツゴー!」


 そう言って、優月はホームへの階段を駆け上がっていく。

 その掛け声は、どこか空元気のように見えた。




「ここが優月の家か」

「う、うん。そうなんだ~」


 優月の家は、凄い豪邸という訳でもなく、凄まじいボロ家というわけでもない、ごく普通の二階建て一軒家だった。


 しかし、駅から優月宅までの道のりでもそうだったのだが、優月はどこか上の空で、オドオドしていた。


「ありがとう一心送ってくれて。じゃあね」

「なんか、さっきから変だね優月」


 明らかにおかしい。


 最近の優月の態度からして、あわよくば俺を自分の家の中に連れ込んでことに及ぼうと画策するのが自然なのに、今日は随分とあっさりとしている。


「え!? そ、そうかな~」


「何かご家族のことで悩みでもあるのか?」


 あんまり立ち入った事を聞くべきではないとも思ったが、俺は思い切って直球で切り込んでみた。


 俺自身の体感では大した期間ではないが、あの部屋で過ごした実績から、込み入った話をしても大丈夫だろうと踏んだのだ。


「……そっか。一心は、あの事も忘れちゃってるんだもんね」


 玄関前の門扉を開けかけた手を止めて、優月が少し悲しそうな顔で笑った。


「あの事……?」


「ううん、ゴメンね。気にしないで。私もあの部屋で過ごして変わったんだから、何とか向き合う事にしたんだ」


「俺……何か優月の大事なことを忘れちゃってるのか……ごめん」


「一心が謝る事じゃないよ。じゃあね、また明日」


 そう言って、優月は家の中へ消えていった。



「……今の俺じゃ、まだ話せないって事か……」



 軽率に、優月の触れて欲しくない所に触れてしまったことを実感し、優月の心の深い所まで切り込んでしまった事を、俺は後悔した。


 無闇にあの部屋での優月との間の信頼関係という、今の俺自身が築き上げた訳ではないものを担保にして、俺は軽率に踏み込んでしまっていた。


 自分は忘れてしまっている癖に。


「でも、優月、家庭で何か問題でも抱えてるのかな……」


 どちらにせよ、今は優月が話したくなるのを待つしかない



 そう呟きつつ、優月の家の方をもう一度振り返る。


「ん?」


 2階のカーテンがわずかだが揺れている気がした。


 あそこが、優月の部屋なのだろうか?

 それとも、他の家族の。


 少し気になったが、考えても仕方のない事だし、あまり人の家をジロジロと見るのもダメだと思い、俺は駅の方へ歩を進めた。

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