ゾンビの世界で電線渡り ~電信柱がチートアイテムだとは思わなかった~

緑豆空

電車渡りの有効活用

  会社と家を往復する平凡な毎日。彼女とかいうリア充的なお知り合いはいないものの、とくに不満も無く生きてきた。そんなつまらなくも平和な日常を送っていた俺に、ある日、突然降ってきた天啓。まるで電子音のようなその声が俺の脳内で告げた一言は、人外の能力を与えると言うものだった。それは選べるものではないらしく、ただ一方的に与えられる能力らしい。


 どんな能力だと思う?


 空を飛び怪力で墜落しそうな飛行機を助ける力?

 人の意識を読み取って自在に操る力?

 強力な火炎を吐き出して全てを焼き尽くす力?


 いや。


 おれが身に着けた能力はそのどれでもなかった。実際のところ俺が授かった能力の事は、誰にも教えたくないような意味のないもの。そんな能力を持ったところで何になる? と言われるのがオチだと思う。だから俺はその力を封印し、誰にも気づかれないように生きていた。


 だがそれをずっと俺だけの心に仕舞っておくのは、ストレスが溜まり今にも爆発しそうだ。だからみんなには伝えておこう。俺が授かったスーパーパワーとは。


 電線渡り


 そう電線渡りだ。


 はっ? だよな。正直な所、俺も意味が全く分からない。なんだその能力は? 何の意味があるんだ? そんなの綱渡りと何ら変わりはない。何処が人外の力なんだ?


 もし俺じゃない他人がその能力を得たと言ったら、俺もそれに何の意味がある? って馬鹿にしちゃうと思う。だがそれでも力は力だしと思い、俺は深夜にこっそりその力を試したことがあった。電信柱をよじ登り、恐る恐る電線の上に立ってみる事にしたのだ。それは俺が想像していた能力とは、ほんの少し違っていた。まあ綱渡りは綱渡りかもしれないが、電線の上であれば平地の様に歩いたり走ったりできるのだ。


 楽しくなって夜の電線の上を駆けずり回った。だが体力は変わらぬ俺のままで百メートルも走ると息切れする。


 意味ない。


 一つだけ特筆すべきものがあるとすれば、電線であればどんなに細い物でも立てるということ。一センチにも満たない細い電線でも、平地の様に立ってジャンプだってできる。どうやら俺は、電線の上に立っている時に体重が無いらしい。五ミリの電線だとしても、切れる事無くその上を歩けるのだ。


 だから何だ? 

 

 大金を稼げるわけでもなく、誰かを救えるわけでもない。もしこの力を公表したとしても、テレビで見世物になるのがオチだ。そもそも電線の上を走ったりしてたら、警察に捕まりそうな気がする。だから俺はその力をしまっておいた。


 俺は、この力が物凄く役に立つことになるなんて思いもしなかった。


 そして今、俺の部屋に入ってきた妹が、さっきからウダウダと言っている。


「お兄ちゃん、お小遣い頂戴よぉ」


 女子校生の妹が俺に小遣いをせびりに来たのだ。今日俺が給料日だったと知っている。


「そんなもん。母ちゃんに貰えよ」


「今月分はつかっちゃったのよぉ!」


「自業自得だ。お前のインスタ見たぞ。めちゃくちゃ映えるフルーツがたっぷり乗ったパフェを友達と食ってたろ。女子校生がパフェに1880円も使うなんて、お小遣いがいくらあっても足りんだろ!」


「付き合いだよぉ。私だけジュースだけ、なんて出来ないじゃん!」


 まあ言われてみればそうかもしれないが、俺が高校の頃はそんなの無かった。


「リア充にやる金などない」


「だってぇ! お母さんがお兄ちゃんからもらえって言ってたんだよ? お兄ちゃんはたいして家に生活費入れてないんだから、めっちゃお金持ってるはずだって。彼女とかもいないようだし、遊びにも行かないんだから貯金があるはずだって」


「うぐっ」


 思いっきり、俺のハートを抉って来やがった。しかも間違いなくその通りで、金の使い道がない俺の楽しみは、時おり一人で酒を飲む時のつまみを買うくらいだ。


「ねえ。いいでしょ、こんなに可愛い妹が言ってるんだからぁ!」


 確かに顔もスタイルも良い方ではあるが、俺は妹に対して全くそんな風には思わなかった。こう言う時ばかり甘えて来るし、正直なところかなり生意気なクソガキである。兄妹としての情はあるが、だからと言って甘やかしてやろうとは思わないのだ。


「無理無理」


「ねえー、明日みーちゃん来るんだよ」


「えっ?」


「みーちゃんと遊びに行くのに、お金ないなんて無理じゃん」


 俺はドキッとする。みいちゃんというのは、妹のクラスメートで名前を美羽という。これがめちゃくちゃ可愛くて、女子校生と言えども侮れないほど逸材なのだ。


「えっと、そうか。彼女と遊びに行くのに金が無いというのもあれか」


「そうだよー。だからお願い!」


「わかった。無駄遣いするなよ」


「やりぃ! 話が分かる!」


 本来なら二千円くらいあげとけば良いかと思うのだが、美羽ちゃんの前では俺も良いカッコしたい! そう思った俺は思わず一万円を渡してしまう。


「こんなに? いいの?」


「美羽ちゃんにもたまには奢ってやれ」


「わーい! ありがと! やっぱ持つものは恋人の居ない兄だね」


 カチーン! だが俺は大人だ。


「俺の気が変わらないうちに出てけ」


「はいはい」


 そして妹は部屋を出て行った。俺はそろそろ自分のハッピータイムをすごそうと、インターネットをつけていかがわしいサイトにアクセスをし始める。彼女の居ない俺が、平和に過ごしていられるのもインターネットのおかげかもしれない。


 イヤホンをつけて、動画を見始めた時だった。


 バン! とドアが開いて妹が入って来る。俺は慌てて画面を閉じようとするが、間違ってイヤホンのジャックを抜き取ってしまった。部屋に流れるあやしい女の声に一瞬気まずくなる。冷静にパソコンを閉じて、くるりと振り向き妹に言う。


「コホン。部屋に入る時は、ノックをした方がいいぞ」


「…いや! そんな事より大変だって! テレビテレビ!」


「あ?」


 俺は妹に手をひかれるようにして、一階のリビングに連れていかれる。そこに母親がいて、テレビを食い入る様に見ていた。父親は単身赴任で隣県に住んでおり、土日にしか家に帰ってこない為、平日はこの三人で暮らしている。テレビでは緊急ニュースが流れていた。


「なにか事件?」


 俺もテレビをじっと見るが、かなり衝撃的な内容が流れていた。各地で暴動が発生しており、瞬く間に広がっているらしい。


「なにこれ?」


「なんかマズいよね?」


 すると母親が言った。


「お父さん大丈夫かしら…」


 すぐさま母親がスマホを取って親父に電話した。だが電話は繋がらず、留守番電話サービスに繋がってしまう。


「お父さん大丈夫? ニュースで大変な事が起きているようだけど、留守電を聞いたら電話ください」


 母さんが電話を切り、俺達と顔を合わせた。


「このあたりは大丈夫なのかしらねえ」


 どことなく対岸の火事の様に感じているのだろう。母さんはボーっとした声で言う。


「まずは電気を消した方が良くない? 暴漢が襲ってくるかもしれないし」


「玄関の鍵!」


 俺と妹が慌てて玄関に行くが、鍵はもともと締められていた。俺達は家の電気を全て消し、テレビとスマホを見続けている。だがスマホのSNSでは衝撃の動画のオンパレードだった。


 俺の隣りでは妹が美羽ちゃんにラインを送っているが、既読にならないそうだ。


「どうしたんだろう?」


「おい! これ見て見ろよ」


 SNSに映ったのは、亡霊のような虚ろな顔をした人間が襲って来る様子が映し出されている。動画の中の人は、それでもカメラを回し続けているようで、逃げた街角を曲がった瞬間に違う奴らから襲われていた。落ちたスマホは夜空を映し出しており、持ち主の叫び声だけが高らかに響いた。そのスマホをまたぐように、ぞろぞろと青い顔をした人間達が行く。


「これって…」


「ゾンビ?」


「だよね」


 テレビの緊急速報が入る。


「皆様。全国各地で暴動のようなものが起きています。大変危険ですので、外には出ないでください。暴動を起こしている人々は集団ヒステリーを起こし、人を噛んでいます。大変危険ですので、くれぐれも外には出ないでください」


 俺達はそれを呆然と見ていた。するとこの家の周辺もにわかに騒がしくなってきた。俺は急いで周りの状況を調べるために、二階にあがり自分の部屋の窓を開けてベランダに出る。すると道路や向かいの建物の敷地にも、ゾンビがあふれていて人を襲っていた。


 俺はゾンビに見つかるのを恐れ、慌ててしゃがみ込みベランダの手すりに身を隠す。


「マジかよ。マジでゾンビじゃないか!」


 次の行動をどうするか? 既に取れる行動は少ないが、俺はスマホで何か情報がないか探し始めた。だが、慌てていてスマホが上手く打ち込めない。


 バリーン! と一階から窓ガラスが割れる音が聞こえてきた。


「嘘だろ!」


 俺が部屋を飛び出して階段を降りると、ガラスを破って人が侵入してきていた。どうやら母さんか妹が電気をつけたらしく、それに引き寄せられて入り込んで来たらしい。


「うぐぁぁぁ」

「あがあ」

「おおお」


「きゃぁぁぁぁぁぁ!」


 妹が叫び、母さんが妹に言う。


「早く! 逃げなさい! 早く!」


 すると母さんに集団が飛びかかって噛みついた。


「母さん!」


「にげて、あああ!」


 俺は咄嗟に妹の腕を掴んで走り出すが、妹は腰を抜かしていた。よく見ればスカートが濡れているので、お漏らしをしてしまったらしい。


「おい! 立て!」


「あ、あう」


 すると、ゾンビが今度はこちらの方に向かって来た。


「ほら! 早く歩け!」


 俺が何とか引きずるように妹を立たせて、二階に上がるために部屋を飛び出す。だが妹は足を絡ませて転び、そこに何人ものゾンビが飛びついて来た。事もあろうに母さんまでがゾンビになって混ざっている。俺が力任せに妹を引っ張って上にあがろうとするも、妹はゾンビにまとわりつかれて噛まれてしまった。


「ぎゃぁぁぁぁぁ」


「この!」


 噛んでいる奴を蹴飛ばすが、なかなか離れない。すると次々部屋から出て来て、あっという間に妹に覆いかぶさっていく。さらには妹の体を乗り越えて、俺に大量に人が迫って来た。


「くそ!」


 俺は無我夢中で、自分の部屋に入り鍵をかけようとするが、ゾンビに体を割り込ませられてしまった。俺はドアを閉めるのをあきらめて、急いでベランダに出る。窓を閉めるが、鍵は中からしか掛けられない。周りを見渡して雨樋を見つけ、ベランダの手すりに立ってそこをよじ登った。寸前で足にまとわりつかれそうになったが、どうにか屋根に上る事が出来た。


 家の周りを見渡すと、ゾンビ達がここに押し寄せてきている。


「どうする?」


 街のあちこちで火が上がり、サイレンが鳴り響いていた。俺はとりあえず腰を下ろして、警察の緊急番号に電話してみる。しかし電話は一向に繋がらず、今度は父親に電話をしてみる。先ほど母さんが電話してみて繋がらなかったが、今度は何度目かのコールで電話に出た。


「海斗!」


 海斗というのは俺の名だ。


「とうさん!」


「そっちは大丈夫か!」


「父さん! ごめん! 家が襲撃あって母さんも萌菜もやられてしまった」


「そんな…」


「父さんは?」


「追い詰められた。今はビルの最上階にいる」


「会社?」


「そうだ」


「助けに行く!」


「こっちはもうダメだ! 来るな! 街はやつらでいっぱいだ!」


「でも!」


「いいか海斗! お前はどうにかして生きろ! 父さんや母さん、萌菜の為にも頼む!」


「ちょっ」


 ガガッ! と音がして携帯が切れた。もう一度かけてみるが、もう電話に出る事は無かった。


「くそ!」


 俺は一縷の望みをつなぐために、父さんの会社に向かう事にした。父親の会社と言っても、単身赴任の為遠く離れている。そこまでたどり着けるかも疑問だが、俺にやれることは残っていなかった。もうダメかもしれないと思いつつも、助けられるならどうにかしたいと思ったのだ。もう無我夢中だった。


「まさか…こんなところで俺の特殊能力。電線渡りが役に立つとは思わなかったな…」


 俺は屋根から伝わっている細い電線に飛び乗った。まるで地面にいるかのような安定感で歩く事が出来る。俺はそのまま電信柱まで行き、電線の上を歩き始めた。凄いもので、日本というのはどこまでも電線が続いている。


 俺が歩いていると、屋根の上に逃げた人々がいる事に気が付く。すると屋根の上の人から声がかけられた。


「君! 危ないぞ!」


 いや。全く危なくない。なにせ俺は電線渡りの能力者なのだから。


「大丈夫です! それよりそちらは大丈夫ですか!」


「逃げ場がなくなってしまった!」


 なるほど。かといって電線渡りをしろとは言えない。普通の人に出来るはずがないのだから。


「すみません。このまま行きます」


 するとその人が言った。


「自分もやってみる!」


「えっ」


 危ない気がする。そもそもそこから電線までは距離がある。


「ちょっ! 危ないですよ!」


 俺の制止も聞かずにその人は、屋根の反対側まで下がり思いっきり助走をつけて飛んだ。だがその勇気と頑張りもむなしく、その人は電線までたどり着くことなく下に落ちていった。


 ドチャ!


 落ちた所にゾンビが群がって来る。


「うわあ…」


 俺が悪い訳じゃないのに罪悪感を感じる。俺が平然と電線渡りをしているからと、自分も出来ると思ってしまったのだろう。だがそもそも、屋根から電線までは六メートルくらいある。幅跳びの選手でもない限り、飛び移れるはずがないのだ。


「た、助けてくれ!」


 落ちた男にみるみるゾンビが群がり、あっという間に噛まれてしまった。俺はどうしようもなく先を急ぐ事にする。そのまま幹線道路に出ると、そこで電線が途切れてしまった。道路を渡るなら先に見える交差点のところで電線を渡らねばならない。回り道ではあるが、下では人々が逃げ惑い襲われている状況なので仕方がない。


 だが少しずつ疲れが出始め、母さんと萌菜の事が思い出されてきた。だんだんと辛くなり、俺は電線の上に胡坐をかいて座る。おのずと涙がこぼれて来て、嗚咽を漏らし始めるのだった。


 さっきのさっきまでお小遣いをねだられていたというのに、いきなりあんなことになって。


「ううう」


 ポロポロと涙を流していると、何処からともなく声が聞こえてきた。


「…さん。お兄さん!」


 どうやら正面から声をかけられているらしく、俺はそのまま頭を上げて前を向く。どうやら女の子が家の屋根の上から声をかけていたようだ。しかし俺はその顔をみて、ようやく誰だかわかった。


「美羽ちゃん?」


「どうしたんです? そんなところで!」


「逃げて来たんだ」


「モエはどうしたんです?」


「ゾンビにやられた。目の前で…」


「嘘…」


「ちょっと待ってて! 今そこに行く!」


 家に繋がる細い電線を伝って、俺は美羽ちゃんの家の屋根に降りた。


「今…どうやって?」


「俺の力なんだ。電線の上を歩けるんだよ」


「えっ?」


 美羽ちゃんは目を丸くしている。そして俺の方から聞いた。


「ここに逃げたんだね?」


「うちも全滅しちゃったの。お父さんもお母さんも妹もみんなゾンビに襲われて」


「じゃあゾンビが家の中にいるのか」


「そう」


 可哀想に。美人な顔立ちは涙と鼻水でぐずぐずだ。だが俺とて条件は同じ、とにかく生きるために事を起こさねばならない。


「隣りの県まで歩こうと思ってたんだけどね」


「知らないんですか?」


「何が?」


 すると美羽ちゃんが携帯を取り出して、俺に見せてきた。どうやら家の屋根の上でもW IFIが繋がっているようで、動画がスムーズに流れている。そこには隣県の大都市の映像が映し出されていた。このあたりよりも遥かに多くの火事が起こっており、あちこちで煙が立ち昇っている。そして次の瞬間、ドガンと激しい音を立てて爆発が起きた。


「なにこれ?」


「自衛隊と米軍が出動したみたい。爆撃と砲撃で沈静化を図ってるんだって」


 うそだろ。親父を迎えに行こうと思ったが、こんなところに行くのは自殺行為だ。


「そんな…」


「しかも電線を伝って徒歩で行くつもりだったんですか?」


「そのつもりだったよ。他に思い浮かばなくて」


「九十キロ以上あるんですよ。何日もかかります」


「確かに…」


 衝動的に突っ走ってきたが、よくよく考えると車などを使った方が早い。とりあえず俺と美羽ちゃんは屋根の上で、周辺の状況を伺っていた。


「ゾンビ。凄く増えてきたね」


「次々感染しているみたいなんです」


「ゾンビだよね? あれ」


「だと思います」


 絶体絶命じゃないか…。どうしたらいいのか分からなくなってきた。


「あの」


「ん?」


「なぜ、お兄さんは電線の上を歩けるんですか?」


「わからないんだ。ある日突然出来るようになった」


「私も連れて行ってもらえます?」


「えっ?」


 考えてもみなかった。俺は一人では電線の上を歩けるが、誰かを連れて行けるのだろうか?


「ちょっと試してみたいけど、失敗して電線が切れたら屋根の上に孤立しちゃう」


「どういうことです?」


「美羽ちゃんが乗ると電線が切れるかもしれない」


「なるほど」


 さて困った。人を連れて電線を渡った事なんかないし、普通に考えたらこんな細い電線を人が歩いたら切れてしまう。電信柱を渡す電線なら太くて丈夫なんだけど、家から出ている電線はどれも細い。


 それでもやってみなければ埒があかない。


「よし、俺の手を掴んで」


「はい」


 俺は美羽ちゃんの手を掴んで先に電線に乗った。まあ普通の地面を歩くかのごとくで、何の変化もない。そして美羽ちゃんが恐る恐る電線に右足を慎重に乗せていく。しかし俺の時とは違って、電線は沈み込むようにたわんでいった。


「沈んでる」


「えっ? やっぱり無理ですか?」


「たぶんこのままいったら切れるかも」


「じゃあ戻ります!」


 だが運が悪い事に、美羽ちゃんの左足がつるりと滑ってしまう。ズンっと俺の両腕に重みが加わり、美羽ちゃんをぶら下げる形で、電線の上に立つ事になった。


「んぎぎぎぎぎ」


 なんとか美羽ちゃんを屋根の上に乗せ、俺も屋根に戻ってどさっと仰向けに寝る。


「はあはあはあ、危なかった」


「無理でしたね」


 俺は行けても美羽ちゃんは行けなかった。どうやらこの力は、俺一人だけに発動しているらしい。いずれにせよ、やれることが限られて来た。


 俺は自分のクソみたいな能力を呪う。自分だけ歩けたってどうしようもない。


 すると美羽ちゃんが言った。


「お兄さんだけなら生き残れる可能性が高いです。私を置いて行ってください」


「そんな事は出来ない。なんとか生き延びる方法を考えなくちゃ」


「でも、私は電線の上を歩けないし、下にはあんなにゾンビがいっぱいいる」


 俺達が話をしていた音につられて、次々に集まって来たらしい。


「とりあえず静かにして、屋根の上でじっとしていよう」


 俺は美羽ちゃんと一緒に、屋根の上に座りじっと時が過ぎるのを待った。ゾンビはなかなか去って行かなかったが、逃亡者らしき車が走って来ると、その音につられて道路の方に行ってしまった。


「行った…」


「ですね」


「この町にも自衛隊が来ないかな?」


「来るかもしれません。大都市では戦いが繰り広げられているみたいですけど」


「下手に動かないで待ってみようかな」


「いいんですか?」


「美羽ちゃんを一人には出来ない」


 それから屋根の上で夜を明かし、薄っすらと空がピンク色に染まってきた。陽が上がり周辺が照らされていくと、ポツリポツリと屋根の上に避難している人に気が付く。またマンションの一室から出れずに、ゾンビから逃れている人もいる。


 それから二時間もすると、俺はまた深刻な事態に直面するのだった。屋根の上の俺達を日光がじりじりと焼き、屋根の照り返しも合わさって灼熱地獄になって来たのだ。


「マズい…水もないし」


「お兄さんだけ、行ってください!」


 どうにかしなくては、二人とも熱中症で死んでしまう。


「美羽ちゃん。高校生だからやった事無いと思うけど、車の運転は出来る?」


「え、無理です」


「簡単だよ。鍵を開けて乗り、ドライブに入れて右のアクセルを踏むだけ。止まりたい時は真ん中のブレーキを踏めば止まるから」


「でも…」


「やらなくちゃ死ぬ。俺が電線の上で大声でゾンビを集めるから、その隙を見計って鍵を探して車に飛び乗るんだ」


「わかった! やってみる!」


「車に乗ってエンジンをかけたら、すぐに出発して! 絶対に止まってはいけない! 止まればゾンビが集まって来る」


「はい!」


「じゃあ行くよ!」


 俺が電線を歩いて道路の対面まで行く。そして俺はそこで大声を出し始めた。


「おーい! ゾンビ! 俺はここだ! 集まってこい! 俺はここにいるぞ!」


 大声で叫び始めると次々にゾンビが集まってきた。美羽ちゃんの家の窓からもぞろぞろと出て来て、俺は美羽ちゃんに親指を立てて合図をする。美羽ちゃんは屋根から降りて、家の中に入って行った。


「ゾンビ! 集まれ! こっちだ!」


 ゾンビはぞろぞろと集まって、少しずつ山になりかけてきた。そこで美羽ちゃんが玄関から飛び出して来て、駐車場に停めた車にたどり着く。何体かのゾンビがそちらを振り向くが、俺は更に大声を出して引き付ける。


 チュチュチュブーン! エンジンは順調にかかり、美羽ちゃんはどぎまぎしているのが分かる。どうやら思うようにいかないらしく、俺は窓を開けるゼスチャーをした。


「ブレーキを踏むんだ。ブレーキを踏みながらじゃないとギアが入らないかもしれない」


 美羽ちゃんはそれを聞いて、再び操作をすると車が動き出した。エンジン音につられてゾンビが集まって来るが、そのまま道路に飛び出していく。


「止まるな! 行け!」


 一度止まりかけた車は、すぐに出発し道の向こうに消えて行った。


「よし」


 やっと一人、人助けが出来た。そして俺は再び電線の上を歩き始める。下から見ているゾンビ達がついて来るが、電線の上には手出しが出来ずぞろぞろついて来るだけだった。俺はわざと大声で叫びまくる。


「近隣の皆さん! 引き付けているうちに脱出を! ゾンビは気を取られています!」


 進んでは立ち止まり、また進んでは立ち止まりを繰り返しゾンビの注意をひきつけていく。生存者が一人また一人と、車などで逃げ始め、俺の後ろにはゾンビが行列を成してついてきていた。まるでブレーメンの笛吹きのような状態で、ゾンビ達を引き連れていく。


 俺は当初行こうと予定していた線路に向かった。線路の上を通る橋が見えて来て、その上を渡る電線に立って下を見る。。するとゾンビ達が線路に入ってきており、俺に向かって手を上げている。


「どうしたもんかね…」


 本来は線路の上の電線を歩いて行こうと思っていたのだが、線路にゾンビが多くて下に降りれない。電車の電線は普通の電線とはまた別なので、一度道路に降りないと昇れないのだ。


 俺がしばらくそこで悩んでいる時だった。


 ごおっ! と線路の向こうから火の玉が近づいてきている。よく見ると燃える新幹線だった。うちは田舎なので、新幹線は在来線を走るのだ。どうやら暴走した新幹線が、こちらに突っ走ってきているらしい。下にいるゾンビ達が一気に跳ね飛ばされて飛び散った。


「今だ」


 俺が電信柱から降りて、跨線橋から線路の電線に飛び降りようとした時だった。突然クラクションが鳴る。


 ププッ!


 振り向けば、そこには美羽ちゃんが運転する車があった。いろんなところにぶつけた跡があり、車はボコボコだったが動きには支障がないようだ。俺が駆け寄ると、美羽ちゃんは助手席に移り運転席を開けた。俺が飛び乗ってすぐに出発する。


「助かったよ美羽ちゃん!」


「無事でよかったです!」


 結局俺は気が付くのだった。電線を歩ける力があっても、緊急時の脱出方法ぐらいにしかならない事を。だがそのおかげで、多くの人を助けたのも事実。これからどうなるかは分からないけど、俺は助手席で震える美羽ちゃんの手を握りしめ、電線を見上げながら走る続ける。


「それで、お兄さんの能力なんですけど」


「ああ、名前で良いよ。俺は海斗だ」


「はい。海斗さんの能力は凄いです。万が一どこかの一室に立てこもったとしても、自由に出入りができますよね?」


「確かに」


「私から提案なんですが、物資をたくさん回収して、どこかに潜伏しましょう。出歩くのは危険ですし、とにかくゾンビの少ないビルが良いと思います」


「わかった。食料や飲み物なら俺が何とか出来そうだしね。どこかのマンションの空き部屋を見つけたら、外の電線から侵入してそこに入る」


「はい」


 その後、俺達はマンションの空き部屋を見つけ、そこを拠点にしてこの災害を切り抜ける事にしたのだった。飲み物が無くなれば、電線を伝って自動販売機に行っては壊し回収する。食べ物が無くなれば、電線を伝って留守の家などから盗むことも出来た。


 いつしか美羽ちゃんは俺に対して依存する心が強くなり、俺がいなくては生きていけない事を悟る。俺達は次第に仲良くなり、いつしか男と女の関係になっていた。


 だが俺は美羽ちゃんに内緒にしている事がある。それは俺が電線を使っての回収作業をしているうちに、美羽ちゃんの様な困っている女の人が沢山いる事に気が付いたのだ。男性には何をされるか分からないから近づかないようにしているが、一人暮らしの若い女性は極力助けるようにする。


 何を隠そう、俺は時おりそんな女の子達の家に泊まっていた。次の日に電線を伝って帰っても、美羽ちゃんは何も文句は言わない。俺が持ってきた食料と水を飲み、平和な暮らしを送れているからだ。


 電線渡りの能力がこんなに素晴らしい物だったとは思わなかった。


 それに気づかせてくれたゾンビに感謝しつつ、俺は今日も電線渡りをするのだった。

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