吸血鬼青年の辿る孤独な運命の果て。「ゾンビ」のジョージ・A・ロメロ監督作品「マーティン」は現代に何を問うのか。

高柳孝吉

吸血鬼映画「マーティン」とは我々現代人の孤独そのものだ

 「マーティン」(「ゾンビ」等のキングオブホラー、ジョージAロメロ脚本、監督作品)、さっき観終わりました。10代の頃から観たかった作品で、約40年の年月を経た今夜勤明けでやっと念願叶い出逢う事が出来ました☺。全く新しいタイプの吸血鬼映画だとは聞いていましたが、ホラー要素は薄く、呪わしい運命を抱えた一人の孤独な青年がたどる切なくも哀しい運命のお話しでした。とても繊細な演出だと想いました。

あの青年、「マーティン」の吸血鬼という運命は他の言葉に置き換えて我々が一人ひとり抱えている問題に結び付けられるのかも知れません。例えて言うなら他者とは違う事によってもたらされる様々な差別や偏見。もしかしたらロメロ監督は新しい吸血鬼伝説を通して現代の人々のそう言った問題を描こうとしたのではないでしょうか?

そしてあるいは現代人の孤独を、今となってはこの映画が撮られた当時は無かったスマホの普及で一見人々の結び付きが強くなった様に見える反面、実は直接的な対面が少なくなったが故に更に強まり加速して行く一方の様な気もする現代を生きる我々の孤独を描きたかったのではないでしょうか?ーーそんな気がしてなりません。

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吸血鬼青年の辿る孤独な運命の果て。「ゾンビ」のジョージ・A・ロメロ監督作品「マーティン」は現代に何を問うのか。 高柳孝吉 @1968125takeshi

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