第16話  殺人鬼

「おうおう、ずいぶん長かったじゃないか」


 背もたれにグイッと体重を乗せ、タバコに火を点けながらそう言った之槌はさながらチンピラ。

 くわえて、課長室の天井に設置された換気扇は動いておらず、再び視界が濁り始めていた。


「えぇ。それは彼がアブソリュートと渡り合ったからです」


 そんな村雨の言葉に驚かなかった之槌は、


「だろうな。決まったのか? クラスは」


「はい。彼のクラスは、アルファです」


 入局して間もない少年が、たくさんの大人を差し置いて10位に食い込んだのは快挙だ。

 しかし之槌はこれまた予想の範疇だったようで、


「ほぉ。そいつは大したもんだな」


 タバコの煙を斜め上に吹き上げた。

 少年らの方向に撒き散らすのはマナーに欠けるとでも思っているのかもしれないが、副流煙は部屋中に溜まりつつあるため、あまり意味は無い。

 相変わらずのヘビースモーカーに、村雨が止めの異例を報告する。


「ただ、ランペイジ状態だったので、クラスの妥当性は低いかと」


 これはさすがに予想外だったらしく、之槌は灰皿にタバコを添え置き、組んでいた脚を解いて姿勢を正した。


「本気か?」


 今一度、村雨に真偽を問う。

 己のが目で見た村雨は、自信を持って頷いた。


「顔の傷と言い、やっぱ妙なやつだなぁ」


 再び背もたれに身を委ね、腕を組んだ之槌はヒガサの顔を不思議そうに眺めた。


「ご苦労さん。まぁ座れよ」


 指示通りソファに腰かけた二人。

 テーブルに置かれたタブレットには、格闘技の選手らしき外国人の写真が表示されている。

 何かを察した村雨がそれを一つ手に取って之槌に尋ねる。


「早速ですか?」


「あぁそうだ。お前らにはとある殺人鬼を追ってもらう――――」




※※※※※




 チーム編成は、村雨とヒガサの二人と、明日合流予定の四課捜査官がもう二人。

 タブレットに写し出されていたスキンヘッドの屈強な男が今回の目標。

 素性はすでに明らかになっており、彼は海外の総合格闘技大会の元チャンピオン。

〝ヒドラ〟という名で、不死身のヒドラなんて異名を持つのだそう。

 とあるタイトルマッチで、突如として力が溢れ出した彼は、劣勢だった戦況をひっくり返したことがある。

 しかしあまりの興奮状態に歯止めが利かなくなり、相手選手を殴り殺してしまった。

 その事件を理由にチャンピオンの称号を剥奪され、業界から姿を消したのだ。

 が、数年経った今日、凶悪な殺人鬼として裏社会に現れたのである。

 動機は不明だが、被害者が名だたる武道家や力士ばかりであることから、ただ強さを追い求めているだけだと予測されている。

 日本に来たのは、柔道や相撲などの国技に興味があるのだろう。


 ちなみに被害者の死因は撲殺のみ。

 肋骨はバキバキで、顔面は跡形もなく砕け散っているケースがほとんどで、身元の特定に時間を要することもしばしば。

 被害者の画像を見せられたが、凄惨過ぎて見るに耐えないものばかりであった。

 鑑識の調べによると、ヒドラの皮膚片や血液が被害者の負傷箇所に付着しており、凶器は彼自身の拳だと判明している。

 格闘技団体に登録されていた情報では、ヒドラの身長は183センチ、体重は105キロ。

 ちょっとやそっとでは倒れないだろう。


 さて、特軍局にこの件が任されたということは言うまでもないが、一般警察には手に負えない相手、すなわちニュークということだ。

 実際、通報を受けた巡査が五人がかりで逮捕を試みたが、返り討ちにあったらしい。

 その五人は、負傷したものの命に別状は無いそうだ。

 そんな化け物を捕らえるのがヒガサらのミッション。


 神出鬼没のヒドラはバカではないらしく、真昼間から顔を晒して歩き回るところは確認されていない。

 行動するのは常に夜、人気の無いスポットで犯行に及ぶ。

 その夜行性動物をどう見つけるか、という問題だが、次の獲物はすでに特定できているという。

 標的に選ばれたのは全国高校柔道選手権の覇者である沖田おきた選手。

 実は沖田は二日前、ヒドラに襲われたが命からがら逃げ切ることに成功した稀有な例なのだ。

 近頃、武道の全国大会に出場し、優秀な成績を収めている高校生が標的にされている。

 そんなヒドラの事件はニュースでも取りざたされていた。

 沖田自身は、対岸の火事として気に留めていなかったのだが、彼の親が我が子の身を案じて催涙スプレーを持たせていたのが延命できた理由だ。

 沖田曰く、ヒドラは催涙スプレーで怯みながらも「ニガサナイ! ヒキョウモノ! オキタ!」とカタコトの日本語で叫んでいたらしい。

 その言葉から察するに、再び彼の前に現れる可能性が高い。

 今回がヒドラを捉える絶好のチャンスであると言えよう。

 いずれにしろ、犯行動機が〝強い人間と闘いたい〟という欲望そのものなら、リリースしている特脳捜査官と接触した時、ヒドラの闘志に火が付くのは間違いないだろう。


 以上が、ヒドラに関する大まかな概要だ。




※※※※※※




 翌日。

 ヒガサと村雨は会議室にて合流予定の捜査官二人を待っていた。

 初任務ということもあり、ヒガサは緊張と不安を抱えていた。

 そんな少年に、村雨は「初任務では、死なないことが仕事です」と、緊張をほぐしたいのか、恐怖心を煽りたいのか分からない言葉をかけていた。


 しばらくの間待機していると、ノック音が鳴り、


「失礼します」


 若々しい女声が室外から聞こえた。

 扉が開かれ、入室してきたのは男女二人。

 無論、ヒドラの件でチームアップする二人だ。


「お二人とも、お疲れ様です」


 いつも通りの丁寧さを損なわない村雨。

 すると、入室するや否や女は村雨に抱きついて、


「会いたかったですぅぅう! イサミさんんんんん!」


 と膝をついて叫び始めた。

 椅子に腰かけながら、村雨が女の頭を撫でている。

 まるで膝の上で愛でられる猫と飼い主の関係。

 それに、女が抱きついた時、村雨の眉がまた反応したように見えた。


「お二人とも、無事で何よりです。聞いているとは思いますが、彼が天若ヒガサさんです」


 女の行動を見て呆気に取られていたヒガサは、ふと我に返り、バッと立ち上がって、


「天若ヒガサ、高校二年、よろしくおなしゃーっす!」


 お馴染みの溌溂な挨拶をかました。

 一瞬だけ室内の時が止まり、気まずい空気が充満。

 村雨の太ももに埋めていた顔を上げた女は、ヒガサと目が合った。

 が、返事をせずに再び顔を埋め直した。


 は!?

 無視!?

 というヒガサの怒りをなだめるかのように、


「僕は二年目の蓮水はすみレン。高校に行ってたなら三年生かな。よろしくね」


 と優しい目で青年が手を差し出す。

 ヒガサは、すがる思いでそれを握り返した。


「レンくん! よろしく!」


 サラサラの紺髪が特徴的な、ザ・青年。

 体格はヒガサよりも小さく、なんなら華奢と言っても過言ではない。

 少女のように手指は細く、闘えるのか心配になるほどだ。

 間違いない、彼はモテる。

 嫉妬するわけではないが、ヒガサはそう感じた。

 そんな青年は申し訳なさそうに頭をポリポリと掻きながら、


「彼女は二師にすいヒロメさん。僕の唯一の同期なんだけど、男の人があまり好きじゃないんだ。悪く思わないであげて」


 とヒガサに紹介した。

 ヒガサからすると、挨拶を無視されている時点で二帥の第一印象は最悪。

 とはいえ、ギスギスするわけにもいかず、ヒガサは感情をグッと堪えて、


「あの~、二帥さん。ヒガサっす。よろしくお願いします」


 腰を低くして、再度声をかけてみた。

 二帥は再び顔を上げてヒガサと視線を交えたが、


「ふんっ」


 と吐き捨てて、そっぽを向いた。

 さすがにこれには我慢ができずに、引きつった表情を見せたヒガサ。

 そこでようやく飼い主が躾ける。


「二師さん。無視はダメですよ。挨拶は人間関係を良好に進めるうえでの切符のようなものですから」


 頬をムッと膨らませた二師は立ち上がり、


「二師ヒロメ。よろしく」


 依然として素っ気ない態度。

 茶色の髪を後ろで束ねたポニーテール。

 いかにも気が強そうな鋭い目力。


 いつものヒガサなら、喧嘩を買っていただろう。

 しかし一応、返事は貰えた。

 わざわざ食って掛かるのもお互いストレスだ。

 と、珍しくヒガサは怒りを鎮めた。


 その後、ヒドラの件でミーティングを行った結果、明日にでも沖田と協力し、逮捕に向けて動くということで話が固まったのであった。

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