若松青葉の話②
若松青葉は、私が想像していたよりもずっと明朗快活な青年だった。
あの文章群から読み取れた執念や、他者への無関心さから、一体どんな病んだ若者が現れるかとおっかなびっくりであったが、挨拶もハキハキしていて、とても話しやすい印象がある。
「あの、すみません今日はわざわざ」
そう言いながらコーヒーを飲む若松さんに、私も同じ様に頭を下げる。
私たちは、メールで約束した通りファミリーレストラン⚫︎⚫︎倶疋店に来ていた。
「いえ、こちらとしても興味深いお話だと思ったので」
「興味深い、すか」
若松さんが複雑そうな表情をする。
考えてみればこの発言は軽率だった。
「ああいえ、決して白月さんの死を面白がる様な意図では。ただ、職業柄といいますか」
「大丈夫ですよ。俺から無理を言って読んでいただいたんですし、気にしないでください」
彼の応答は、どれもとても落ち着いて見えた。死んだ友人に執着して周りから怪談話を聞き回っているとは思えないほど、極めて穏やかである。
「ありがとうございます。とは言え、ご友人を失った御心痛、お察しします……とも言えませんが」
「はは、マジメなんですね。実際、察せないっすよね、大事な人が死んだ奴の気持ちなんて、その人を同じくらい大事に思ってでもないと」
「すみません。昔からこう言った決まり文句が苦手で」
「やっぱり作家のひとってそうなんですかね?オリジナリティみたいな。あ、てか直で言っとかなきゃだと思ったんですけど先生の書いた話めっちゃよかったし怖かったですよ!やっぱ幽霊とか祟りってあるんだなって」
礼儀もある。オリジナリティと言われてしまうと、個人的には苦笑したくなるところもあったが。
「お褒めに預かり光栄です。でも、若松さんもたしか根尾さんの……」
「根尾……ああ、ゆうかですよね。まぁ、確かにそうすね。俺も、幽霊見てますよね。じゃぁこれも定型文か。すみません」
「ああいえ。その、というか怖いと感じるものですか?あなたでも」
この質問に関しては完全に今回の件とは無関係の、私的なものだった。単に私が当時、自分自身の執筆に行き詰まっていたのもある。
「え、そりゃそうですよ。血まみれのおばあちゃんが立ってたり、怖くないですか?」
「そう、なんですね。その、送っていただいた文章からはあまり恐怖を感じ取れなかったものですから」
「まぁ、知ってる奴ですし。それに調べごとなんだからわざわざ怖いとか書かないですよ」
「そう言うものですか。……その、ついでと言ってはなんですが、もう一つ」
「?」
「若松さんは、祟りで人が死ぬということは、やはり本当にありうると思いますか?」
これも、重ねて私的な質問だ。本当はそんなものはないのではないかと思うことがしばしばある。あるいは偶然で、あるいはなんらかの理由で精神が弱っていて。
「ミウくん」に関わって死んだという人たちも、私がその場に居合わせて彼ら彼女らの死を見ていない以上、事故死や、単にその当時の精神状態に問題があり、そこにたまたま自殺や殺人が重なったのではないかと、そう疑うこともできなくはないわけだ。
根尾ゆうかさんが死んだ時の画像に映る幽霊というのも、私には光の加減に見えなくもなかった。生きている人間なのではないか、と。
大空りくとさんの幽霊が映る映像に関しては説明のつかない部分もある。ただ、それだって編集だフェイクだとこじつけることはできるだろう。というか、これは証拠がどうとかいう話ではないのである。
オカルトというのは、その時々の状況で信じられたり信じられなかったりするもので、この時私は、少し信じられなくなっていた。
そのことを言うと、若松さんは苦笑した。
「それめっちゃわかります。俺もね、ゆうかの幽霊見て、やっぱ幽霊いるんじゃんって思って、でも今はほんとにいるのかなって疑ってます。実際問題、俺はミウくんの幽霊を見てないわけだし」
「ただ」と前置いて、
「祟りなんて、実在しない方が良いような気がします。だって、じゃなきゃなんでミウくんは俺を殺しに来ないのかわからないから」
若松さんはそう続けた。
その言葉に、私はどう答えていいかわからなかった。ふと、あの文章には、白月さんと会いたい、白月さんの幽霊を見たい、という感情こそ見られたものの、彼が実際に、何を思って白月氏の幽霊に関する話を集めているのか、名言はされていなかった。
「ところで」
「ん?」
「あなたは、その、白月さんの死の真相、の様なものを知りたくて怪談を集めているんですか?」
「え、真相って、なんでそうなるんですか?」
「その、具体的になぜなのかは明言されていなかったので、私はそう解釈したのですが」
「あー、そっか。やっぱダメっすね素人だと。わかってもらってるつもりになっちゃう。これ、多分コミュニケーションとかもそうなんでしょうね。俺、ミウくんにわかってもらってるつもりになってた」
若松さんは、また苦笑する。彼は笑う時、少し申し訳なさそうにする。それが少し、寂しい感じがした。
「えっと、ミウくんがなんで死んだのかとかは、だいたい想像がつくんです。ミウくん、あんまり家庭環境良くなくて。たまに発作的に死のうとしたり、結構あったんですよ。暴れたり、泣いたり、不安定で壊れそうで。みんな心配してましたけど助けるとかは無理で」
若松さんはポツポツと語る。
「それこそ窓から飛び降りようとして止められたり。それで、結局あんな高いところから飛び降りちゃうなら、一回飛び降りさせて骨折でもさせとけば、なんて。後の祭りっすね」
「……なんと申し上げればいいか」
「あはは、たしかに反応に困りますよね。俺、ミウくんのこと、大切に思ってて、ミウくんとずっと一緒にいられるって勝手に思ってたんです。たしかにミウくんは死にたがるし、たまに殴るし、子どもとか妊婦さんとか横目に『死ねばいいのに』とかいうし、めっちゃ病んでて、ボロボロだったけど、それでもなんとなく2人で大学とか言って、死にてー死にてー親がクソ親がクソ言いながら酒とか飲めるかなって、そう、あはは」
「……若松さん」
若松さんの頬を、白い指がなぞる様に撫でた。
「ミウくんね、死ぬ直前に俺にメール送ってきてたんです。ラインとかじゃなくてわざわざメール。俺、それに気づいたの、ミウくんが死んで数日経ってからでした」
「……」
「慌てて開いたら、『アホなくせにゆーとーせーの若松くんはどうせ授業中にスマホ見ないだろうし、俺が死んだ後とかに見といて』って文章と一緒に、3分くらいの動画ファイルが添付されてて。最後まで、バカにしてました」
その声には、嗚咽が混じっていた。テーブルに出されたお冷に涙が落ちる。髪を指が梳かし、サリサリという音がする。
「俺、それを見れてないんですよ。結局ずっと。ミウくんが最後に何言ったのかわからなくて、怖くて。そのメールも、動画ファイルも、ダウンロードしたまま放置してます。見るのが、怖くて」
「つまりその、白月さんの死は、精神が不安定になったことによる自殺であると……」
「そう、ですね。そう思います」
「では、白月さんにもう一度会いたくて、ということですか?」
「ああ、ううん、それもちょっと違って」
「違うんですか?」
「だって、会ってじゃぁ、何いえばいいんですか?死ねてよかったねとも、死なないで欲しかったとも言えないじゃないですか。俺はミウくんに生きてて欲しかったし、でももう、ミウくんは死んじゃってるんだし。どの面下げてですよ」
そう、なのか。ならば、なぜ。
真相の究明でも会いたいからでもないなら、なぜ。その疑問は、頭に浮かんだ次の瞬間には口に出ていた。
「なら、若松さんはどうして怪談を集めてるんですか?白月さんの怪談に関わって、たくさんの人が亡くなっているわけじゃないですか」
よく怪談には、それを聞いたり話したりすると死ぬという話がある。
「そんなリスクを犯してまで、何が知りたかったんですか?一体どうしたいんですか?」
本来、取材において過度に感情的になるべきではないと思う。ただ私はこの時点で、若松さんに相当入れ込んでいたのだ。
「リスクじゃ、ないんです」
若松さんは、涙をそのままにして笑った。その顔がどこか恐ろしくて私が息を呑んでいると、気づいた様に白い指が涙を拭く。
「リスクじゃない、というのは一体」
「俺は、呪われたいんですよ」
「……」
「呪われて、死にたいんです。俺は、ずっと死にたくて、怪談を集めていました。みんなが苦しんで苦しんで苦しんで死ぬのを見ながら、俺は、ずっと死にたくて怪談を集めていました」
内容とは裏腹に、若松さんの言葉が熱を帯びていく。
「おかしいですよね。死にたきゃ死ねばいいのに、て言うか、ミウくんが死んだ時点で死ねばいいのに。でも、でもね。死んだからって、ミウくんに会えるわけじゃないって、そう思ったら、死ぬ気力も起きなかった。そうやって、立ち直った風にのんべんだらりって生活しながら、自殺することはできないくせに、俺はずっと、死にたかったんです」
「それは……白月さんへの、罪滅ぼしなんですか?」
「違いますよ。ただ俺は、ミウくんに呪われて、苦しんで死にたかったんです。だって」
白い指が、ヒラヒラ揺れる。
「だって、そしたらミウくんが俺のことを覚えていてくれるってことじゃないですか」
若松さんの表情は、もはや私が対面する前に抱いていた印象通りの病んだものだった。
「俺、怖いんです。ミウくんの幽霊が出るって聞いてから、ミウくんの幽霊が高橋とかのとこに出たって聞いてから、ずっと」
「それは、白月さんの幽霊が、という意味ではないんですよね。多分」
「うん。ミウくんの幽霊は怖くないです。俺は、ミウくんが死んで、俺のことを忘れてしまってるのが怖い。親友だと思っていたのは、俺だけだったんじゃないかって」
「そんな、」
「1番最初に俺のところに来てくれなかった時から、ずっとずっと不安なんです。俺のことなんかどうでもよくて、なんかつるんでる奴程度にしか思ってなくて、死んだらどうでもいいんじゃないかって、ずっと」
若松さんの目が、ぎょろぎょろ動く。瞼が、痙攣している。きっと、寝ていないのだ。白い指が、瞼に触れている。
「ねぇ」
低く、妙に艶っぽい声だった。
「俺は、ちゃんと呪われて死ねると思いますか?」
そう言って笑う若松さんの笑顔は、恍惚としていて、それでいてひどく疲弊していて、
それが、ひどく恐ろしくて、気持ち悪くて、綺麗で、
私はいくらか言葉を選んだ後、できるだけ慎重に言った。
「……白月さんは、そんなふうには思っていないと思いますよ」
「……はい?」
若松さんの笑顔が、わずかに引き攣る。
「白月さんは、少なくとも若松さんのことは大切に思っていたと、忘れてなんていないと、私はそう思います」
「はは」
若松さんは自嘲的に笑う。
「いいですよ。定型文、嫌いって言ってたじゃないですか先生」
違う。
違うのだ。
私はなにも、若松さんを慰めるためのありがちな文句としてそんなことを言っていたわけではない。そんな薄っぺらいことはしない。
私の言葉には、ある種の確信があった。
若松さんが、泣きながら白月さんについて話している間、少しずつ、ぼんやりと像を結ぶ様に、彼の隣に人の姿が現れていた。それは、もはやはっきりと視認できる。
髪の長い、カーディガンを着た男。
それはおそらく、白月さんだった。
忘れているはずが、ないじゃないか。
忘れているやつが、そんな顔するもんか。
白月さんの幽霊は、若松さんにピッタリと寄り添っていた。カーディガンからわずかに覗く細く白い指で、若松さんになん度も優しく触れながら。
目を細めて笑うその表情は、とても幸せそうに見える。大切な人のそばにいる時の、穏やかな幸福の顔。
そのことを口に出そうとした瞬間、白月さんの幽霊は、顔を真っ赤にして人差し指を唇に当てると、眉根を下げて消え入りそうな声で言った。
『バラしたら殺す』
私は結局うつむき
「すみません、貴重な話をありがとうございました」
そう言った。白月さんの幽霊は再び満足そうに笑って、若松さんの手に指を絡めた。
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