ヨースケキン
佐々井 サイジ
第1話
クラスメイトの幹也は一歩一歩蟻を踏みつけるような足音を立てつつゲラゲラと笑いながら恵茉の席へ向かってきた。不自然に上げた右手を恵茉の机の端に擦り付けた。
「ヨースケ菌!」
頭の悪さを象徴するような大きな声を出しながら、教室の中央に固まる男子グループのもとに走っていった。テストの点数はみんな悪くても八十点台のなか、幹也だけは六、七十点台しか取ることができなかった。恵茉は通っている塾の講師が小六の時点で学校のテストを六、七十点台しか取れない人は確実に中学校の勉強についていけないと言っていたことを思い出した。
「あぶねえ、もうちょっとでヨースケ菌で死ぬとこだった」
じゃれあう男子たちの間から菌の所有者である陽介が机に突っ伏しているのが見えた。よく見ると小刻みに震えているようだった。
ヨースケ菌を移されたら誰かに移さないと死ぬ――
恵茉が小学二年生になってからいつの間にかクラス内で流行り出した。恵茉が一年生のとき、陽介とは違うクラスだった。しかし保育園時代からの友達が陽介のクラスにいたためよく遊びに訪れていた。そのとき、陽介は男子たちと仲良く喋っていたはずだった。少なくともからかわれているようには見えなかった。
いつのまにこうなっちゃったんだろう……。
恵茉は幹也が触れた机の端をぼんやりと眺めながら、小二の参観日で作文の発表会だったとき、陽介が自分のお父さんが細菌学者であることを言っていたことが頭に浮かんだ。
「わるいばいきんやウイルスを研究して治す方法を見つけるお父さんはすごいと思います。僕はお父さんみたいになりたいです」
そこからだった、陽介が変なバイキンを持っていると言われ始めたのは。頭の悪い幹也が細菌学者の父を持つ陽介を黴菌だらけの不潔な奴だとみなしたのだろう。それ以来六年生になり、明日卒業式を迎える今日までヨースケ菌の移し合いは流行り廃りを繰り返したが、今また、昔やった遊びを懐かしむように突然菌の移し合いが始まった。
ヨースケ菌はあの男子グループ内だけじゃなく、いつのまにかクラス中が移し合いをするようになった。男子も女子もみな同じように目に見えない菌を、まるで汚物を触るかのように気持ち悪がって誰かの机に擦り付ける。
恵茉の机にも毎日ヨースケ菌が回ってくる。その度に恵茉は手で触れられたところを拭い取る仕草をし、そのまま床に投げつけた。男子はそれを見て「恵茉最強じゃん」と面白がった。
男子の笑いを取るためでも、本当に汚いと思っているわけでもない。とはいえ、陰湿で低能ないじめを止める勇気もなかった。ヨースケ菌を徹底的に嫌う風潮ができあがったこのクラス内で何もせずに終わって自分が標的になるのが怖かった。結果、床に投げつけるという行為を覚えた。幸い男子たちには好評で恵茉がいじめのターゲットにされることはなく、明日の卒業式を迎えられそうだった。
もう一度陽介に視線を移すと、両手で顔を覆い隠しながら小さく震えていた。陽介がわずかに頭を上げたとき、口の端が痙攣しながら引きあがっているように見えた。恵茉は急に寒気がして腕をさすった。きっと悔しすぎて笑っちゃったんだと言い聞かせた。
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