勝って兜の緒を締めよ、締める兜があるならば
乙島 倫
第1話 川向こうの北条 動かない義明
今から約500年前、太日川(今の江戸川)の両岸では北条軍と足利・里見連合軍が対峙。まさに決戦が始まろうとしていた。
足利義明は上総国の小弓を拠点とする将軍家ゆかりの人物。安房の豪族里見氏、上総の真里谷氏、下総の千葉氏を従え、鎌倉を狙う構えであった。
北条を率いるのは北条氏綱と氏康。氏康は若干二十代であったが、扇谷上杉家、武田家、今川家など周囲の大名たちを次々と撃破する無双の戦いぶりで名を上げていた。
「申し上げます。川向こうに北条の軍勢が現れました」
伝令が足利義明の前に出て、北条の動きを伝えた。
足利義明は上総の国に本拠地をおく小弓公方であり、相模から武蔵へと進出してきた北条家を挟撃するため、太日川河畔に出陣していた。北条軍出現の報告に、足利配下の武将たちはどよめいた。もし、北条が渡河を始めれば、絶好の攻撃の機会を得ることとなる。
さらに、別の伝令が足利義明に歩み寄り状況を伝えた。
「申し上げます。北条が川を渡り、こちらに向かっております」
里見配下の宿老正木時茂が小弓公方に進言した。
「殿、今こそ千載一遇の好機です。攻撃の御下知を」
近習の武将がしきりに攻撃開始を促した。しかし、足利義明は動かない。
足利義明はすでに上総、下総と安房の三か国を手中に収めている、ここで、北条を撃破すれば、関東をほぼ手中に収めたこととなる。足利義明はすでにその先の事を考えていた。
北条氏綱の父、伊勢宗瑞は、幕府の御家人であり、堀越公方を襲ったのは、足利茶々丸が悪政を行っていたためである。仮にここで北条に勝利したとしても、卑怯な手を使ったとなれば、堀越公方と同じ。民衆の心は離れてしまう。少しでも卑怯な手は使えない。
足利義明は、かつて別当をしていた鶴岡八幡宮を訪れた際、北条氏康に出くわしたことがあったが、氏康は臣下の礼をとっていたことを覚えていた。
足利義明はようやく口を開いた。
「足利将軍の一族である私に本気で弓を引ける者など居よう筈もない」
ついに、足利義明から攻撃命令が出ることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます