第23話噂の左腕

 三月下旬。私たちが甲子園で開かれた春の選抜大会から帰って来ると、大変興味深いうわさを耳にした。

 二人でカフェテラスの席に腰掛けながら、酒場で仕入れたその情報について話し合う。


『剛速球だけが取り柄の左投手』。イスラスクの野球《》界隈かいわいではその話題で持ちきりだった。

なんでも、リリース直前まで球が見えない独特の投げ方から繰り出される剛速球には誰も彼も手も足も出ないのだとか。


 ただし守備の方はからっきしで、バント処理もまともにできないから出塁自体は難しくないらしい。

 加えて、殆ど真ん中にしか投げないからバントするのは容易、だそうだ。

 圧倒的な投球力に対し、ザル同然の守備力。野球選手としては極めていびつだ。


「なーんだ。じゃあ大したことないじゃん……」


 興味なさげに呟くのは連れのシャルラ。赤毛の頭皮から突き出した獣耳とフサフサの尻尾が特徴的な獣人アニムスの少女。私の一つ下の後輩に当たる。

 俊足しゅんそくでバントが得意な彼女だけに、件の投手にそういう評価を下すのも頷ける。


 ただ、私が個人的に気になっていたのは捕手の存在。

 なんでも、どんな強打者でも振り遅れる剛速球を一度も後逸させる事無く捕球し続けているのだとか。投手としては、むしろそっちの方に関心を寄せていた。


「だいたい、商会リーグの連中が言う剛速球なんて、たかが知れてるじゃん……」


 いかにも興味が失せたといった様子で、背もたれに腕を乗せながらだらける。


「確かに、そうかもしれないわね……」


 その点では私もシャルラに同意を示す。

 迷宮都市イスラスクはこの地域一体における主要な都市ではあるものの、首都や商業の中心地と比べれば規模は数段劣り、商会リーグのレベルもそれほど高くはない。

 もっと大規模都市の商会リーグの方が資金や待遇の面でも好条件だし、我らがエヴェイユ学習院の野球部員もそちらの方に流れるのが大半。現実は残酷だ。


(それに――)


 甲子園はここの商会リーグでは太刀打ちできないチームも多数出場している。

 デルフィナはいまだに野球後進国で、甲子園上位クラスともなれば白線と見紛うような剛速球も珍しくはない。そんな傑物がひしめくのが甲子園という舞台。

 それにしても――


「そんな有力選手、一体どこから来たのかしらね?」

「さあ?」


 シャルラは興味の対象外の話を振られ気のない応答を返す。他方、私は静かに口元へ手を当て黙考に耽る。

 投手の名前はアコニス。長身の吸血族で歳は十五。どこかの貴族の子女らしく、商会リーグの登録は今年が初めて。


 左腕の投手はただでさえ珍しい。そんな希少な存在が、どうして地方の商会リーグに居るのか。

 そしてそれは捕手にも言えた。アコニスの女房役はフレーヌ。彼女は初出場でホームランを打っていた。捕手としても打者としても優秀。そんな一級品が埋もれているなんてことが果たしてあり得るのだろうか。疑問は尽きない。


(情報が足りないわね……)


 まるで神秘のベールに包まれているかのよう。私の好奇心は、そのすそをめくりたくて仕方ない。


「あ、そーいえば」

「なにかしら?」


 思い出したように呟くシャルラの言葉に、私は長い聞き耳を立てる。


「なんか言われてませんでした? 野球の特待生がどうとか」


 春の選抜中、校長がやって来たかと思うと監督と何やら話して居たのを誰かが立ち聞きしたらしい。その話なら私の耳にも入っていた。

 この春、というか来月から野球の特待生が編入して来るという噂。


「じゃあ、もし本当ならラタトスクってことですよね?」

「そうなるわね」

「うわぁ……」


 可愛い後輩が呻くのも解る。エヴェイユは全寮制で四つの寮が存在し、中でもラタトスク寮は変人や狂人、果ては問題児の巣窟そうくつというのは有名な話。

 私としても、入り浸りたいとはつゆほども思わない。そんな危険地帯がラタトスク寮。


 これから編入してくる特待生は、そんな彼らに毒されることなく、健全に野球に勤しんでもらいたいものだ。


「どんなヤツなんですかね?」

「なんでも、四番で主砲って聞いた気がするわね……」


 これは確定情報ではなく、憶測が多分に入っているだろう。容易に想像できた。


「でも、どーせアレでしょ? どこぞのお貴族さまが金に物言わせて、無理矢理ねじ込んだとか。しょーもない理由に決まってんすよ」

「そうかしら……?」


 あの厳格な校長が金や権力に対し、容易になびくとは思えない。その結論には疑問が残る。


「いや、絶対そうですよ。特待生ならそもそも、ソレル先輩が選ばれてないとおかしいじゃないですか⁉」


 鼻息を荒げるシャルラは本当にかわいい後輩だ。私の実力を高く買ってくれている。

 甲子園常連の強豪校に投げ勝つことができなかった私を慕ってくれるのが素直に嬉しい。


「でもまあ。どんな選手かは、少し興味があるわね」


 噂の投手や捕手ほどではないにせよ。未だに野球にご執心な校長が特待生だと認めたのだ。何かあるに違いない。背景や実力も含めて。


「しょせんはザコっすよザコ。先輩の投球の前に、腰を抜かすのがオチですって」


 私の興味に水を差す後輩に悪気はない。だから無言の笑みで答えた。


「野球の話ですか?」


 私たちのテーブルにやってきた女給が尋ねてきた。

 せっかく質問されたので、紅茶とケーキの配給中に少しだけ話すことにする。


「ええ。なんでも最近、とても強い投手が彗星の如く現れたのだとか」

「そうなんですよ!」


 食い気味に声を被せて来る女給の言葉には熱がこもっていた。見ればほおも上気している。


「彼女こそ、我らがシュラウド商会に突如舞い降りた一等星!」

「たしかアコニス、と言ったかしら?」

「そう、アコニスちゃんです! 昨日、うちのお店に来ていただき、私もサインもらっちゃいました!」


 ほおに手を当てきゃあきゃあと黄色い声ではしゃいでいる彼女はとても幸せそうだ。


「詳しく話、聞かせてもらってもいいかしら?」

「よろこんで!」

「仕事しろよ」


 降って湧いた情報源。水を差すシャルラを手のひらで制し、この女給から根掘り葉掘り聞き出すことにすると、


「こんな所にいたのか」


 二人が振り返ると、そこには額からの一本角を生やした鬼人族オーガの女性が立っていた。

 ディーサ。紫掛かった長髪をなびかせる長身の彼女はパルトネ商会の正捕手。

「甲子園お疲れ様。さっそくだが、仕事だ」


 私たち二人は奨学生で、授業料の出資元はパルトネ商会。

 出資の際に商会の選手として登録しているので、長期休みで授業がない時期に駆り出される事がある。


「どこですか相手は?」

「ケフィアス商会だ」


 シャルラの問いには手短に答えた。

 確か、堅守が売りのチームだ。打撃の方はそこまで見るべきものが無いのも特徴だ。


「因みにですが。近日中にシュラウド商会との試合は?」

「既に一試合した後だ」


 イスラスクの商会リーグは一月の間に同じチームとの連戦はないので、再戦は翌月に持ち越す形になる。そうなると私たちは学業優先になるので出場機会は限られる。


「それは残念ですね」


 密かに期待していたが、叶わぬ願いとなったようだ。露骨に落胆は浮かべなくとも目を伏せた。


「それで、勝ったんですか?」


 尋ねた獣人の少女は、軽く横に振るディーサの仕草に絶句した。


「七対〇で完封負けだ」


 中々に堪えたよ。肩をすくめる鬼人女性からは、敗戦の屈辱が垣間見えた。

 パルトネ商会はイスラスクで最優のチームと言っても過言ではない。そんな彼女たちが完敗するとは。


「例の本格左腕、アコニスが関係してるのですか?」


 私は核心に迫る。が、それにも首を縦に振らない。


「その日の先発は、たしかピティエとか言ったな。淫魔族の」


 なら人違いだ。詳しく話を聞くため、ディーサに着席を促し事情の説明を頼んだ。 

 ピティエはディーサとあまり身長の変わらない淫魔族の少女。左投げでリリースポイントが見えにくいという点はアコニスと共通しているが、投球の内容は全然違った。


「ストレートの速さは勿論あったが、実際は制球力を活かした豊富な変化球にやられたんだ」


 左腕から放たれる胸元を抉ってくる直球に差し込まれ、更にはタイミングを外してくるスローカーブやスライダー、スプリットで執拗な内角攻めに加え、右打者の外角に逃げていくシンカーでカウントを取られて打線がきりきり舞いになった。それが完封の要因。


「正直、アコニスの方がまだやりようがあった筈なのよ」

「はぁ。そういうモンですか……」


 憮然と答えるディーサの顔が忌々いまいましい敗戦だったことを物語っていた。

 私も変化球の多彩さと制球力が武器のタイプなので、ピティエとは一度試合で投げ合ってみたいものだと密かに考えた。


「にしても、七点って。誰がそんなに調子が悪かったんですか?」

「そうじゃないのよね……」


 深刻そうに声のトーンを落とした。


「とにかく、フレーヌって子にやられたのよ」


 その日、彼女の成績は八打席で本塁打三本に四打点。半分以上の得点を叩き出していた。

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