第16話自主練習

 食休みが終わると、家庭教師としてコルネリウスがやって来る。

 編入までに必要な知識を詰め込むため、オレとピティエは机に向かって教鞭きょうべんる彼の授業を聞いていた。


 といっても、植物や魔物の生態や薬学の基礎などの知識は冒険者稼業をしている中で身についているのであまり苦労はない。

 ただ、デルフィナ《この国》の歴史や地理といった分野は専門外だったので、ほとんどの知識が新鮮だった。


 午前中の授業を終えてお昼を軽く済ませる際。アコニスたちの姿を見かけなかった事から、制服の仕立てや編入準備に街へ繰り出しているのは想像が付いた。


「――それでは。今日はこの辺で終わりにしておくとしましょう」

「「ありがとうございました」」


 玄関先でお見送りすると、時刻は既に四時過ぎ。冬より陽が長くなったとはいえ、太陽は西へと傾き始めていた。


「よし、じゃあ野球すっか!」

「はいっ」


 両手を突き上げ伸びをした後で幼馴染を誘うと快諾してくれた。

 二人で自室へと引き返し、オレはキャッチャーミットなどの野球具一式にバケツ一杯の球を持って中庭へと足を踏み入れる。

 ソラニテが元野球選手だけあって、中庭の一角には土が盛られてマウンドが一基。

 個人所有のグラウンドがそこにはあった。


『球も含めて好きに使ってよい』


 言伝にドロテアから聞いていたので入学までの間、オレたちはここで練習をすることにした。


「ほら、いくぞ」


 まずは軽くキャッチボールから。山なりの軌道を描いた白球がピティエのグローブに収まる。ナイスキャッチ。


「フレーヌさまっ」


 嬉々として投げられた球は胸元に収まった。わざわざミットを動かすまでもない。抜群の制球力だ。


「ナイスコントロール」


 めながら返球すると彼女は破顔し、笑顔を弾けさせた。眩しい。

 終始笑みを浮かべ、キャッチボールできる喜びを全身で表現するピティエ。

 三十球ほど投げ合うと、さすがに身体も温まって来る。

 一旦野球具を壁際に置き、ロードワークのために中庭を後にするとアコニスとドロテアに出くわした。


『あっ』


 それは誰が言ったのか、もしくは数人の異口同音か。お互いに広間で対峙した。

 服を着替えたアコニス。百八十センチ越えの長身と抜群のスタイルは、飾り気の無い白シャツにパンツルックでより強調されていた。

 流麗なプロポーションは美貌びぼうと相まって、見る者をきつけてやまない。


「何……?」


 胡乱うろんな眼差しをオレに向け、所在なさげに肩をすぼめる。そんな彼女が大事そうに胸に抱えていたのはグローブ。


「アコニスって、野球やんの?」


 グローブを指差し顔を近付けると、後ずさりしてグローブを庇った。その後でコクリ、と控えめにうなずいた。

 オレはそこで初めて、アコニスに興味がいた。


「おお、マジかっ ポジションは? 内野? 外野? それとも――」

「アコニスは投手だ」


 後ろを振り向くと、黒豹の獣人。執事服を窮屈そうに着た彼が近付いて来た。


「コイツはピッチング以外にやったことがなくてな。色々教えてやってくれ」


 背を向けたアコニスに対し親指を向けるオフリオ。どこかかばっているように見えるのは邪推が過ぎるだろうか。


「おう、わかった。任せとけ」


 野球の人数が増える。その事実に歓喜したオレは快諾した。すると、目の前の獣人はきびすを返し去って行く。それを呼び止める長身の少女。


「オフリオ。アナタも――」

「あいにくと、仕事が残ってるんでな。ガキの遊びには付き合えん」


 背を向けたまま、振り返ることなくその場を後にしたオフリオ。

 野球を『ガキの遊び』呼ばわりされたのは釈然としなかったが、今は呆然自失で立ち尽くすアコニスの方が気になった。


「なあ、もしよかったらさ。オレたちと――」


 少し屈んで顔を覗き込むと、物凄い形相ぎょうそうにらみつけられた。

 引き絞られた真紅の瞳に、オレは気圧けおされた。


 キッとにらみ付けた後で無言で歩を進め立ち去ったアコニス。どうやら、彼女は気難しい性格のようだ。

 仕方ない。オレは気を取り直し、ピティエを連れ立ってロードワークへと出かけた。


 〇                            〇


 あの二人の誘いを断った後、わたしは自室のベッドで横になっていた。

 特にしたいことも無い。明日から授業とか言っていたが、はっきり言ってどうでもいい。


 何もする気が起きない。

 ごろんと寝返りをうって仰向けになる。その胸には、オフリオの言葉がトゲのように食い込んでいた。


「オフリオの、バカ……」


 再び寝返りを打ち、愚痴ぐちをシーツに吐き棄てる。ふてくされた声が耳を打つのは、口をとがらせたせいだ。

 なんだか、もやもやしたものが胸の中にうず巻いてる。イライラするのは、ぜったいオフリオのせいだ。


『ガキの遊びには付き合えん』

(あんな言い方、しなくたって……)


 本当にありえない。どうかしてる。わたしはシーツを被りながら、心の中で悪態をつく。


「どうせ、ガキだもん……」


 口からこぼれた言葉が恥ずかしい。これでは、いじけた子供だ。カッコ悪い。


(こんなハズじゃ、ない……)


 地下闘技場コロシアムでのわたしはカッコよかった。

 どんな相手も剛速球でねじ伏せてきた。


(遊びなんかじゃ、ない――――!)


 わき上がる衝動にまかせて、わたしは身体を起こした。

 胸の奥が熱い。これは、怒りだ。

 発散するには投げるしかない。スパイクに履き替え、球とグローブを手に、わたしは部屋を出た。


 ここはいわゆる、貴族の屋敷なのだろう。先程の女の子二人が出てきた所へと向かう。

 扉を抜けると、外に出た。辺りを見渡していると、こんもりと盛られた土が一つ。

 よみがえるのは以前、亡き母と一緒に行った野球観戦。


 そこでお母さんから聞いた。マウンドというヤツだ。

 球を握りしめ、その上に立つ。いつもより目線が高い。ここからなら、ふつうに打席を見下ろせる。それはきっと、気分がいいだろう。

 主役を張れた地下闘技場を思い出させる景色が、少しだけ気に入った。


(たしか、このプレートってヤツに足を乗せて――)


 大きく振りかぶってから限界まで体をねじり、おしりを沈み込ませるように始動。

 ギチギチに全身を締めつけることで生まれた反発が、遠心力となって身体を加速させる。

 かかとから地面に着地。下半身に制動をかけることで、更なる加速を得る。その中で肘を跳ね上げた。


(っわ――)


 引手で身体をまとめながら利き手を振り抜き、指で球を弾くと同時に、余った勢いで蹴り足が真上に舞い上がる。バランスを崩した私は、ひっくり返る視界に目を白黒させながらマウンドの上から転げ落ちた。


「いたい……」


 痛みに顔をしかめたわたしは、打ち付けた肩や背中に付いた土埃を手で払う。

 深呼吸をして立ち上がったわたしは、まだ少し痛む身体を引きずって投げた球を取りに壁へと歩み寄った。投げ放ったであろう場所に目をこらすと、特にへこんだりはしていないことに安心した。


 貧民街スラム粗末そまつな壁ではこうも行かない。轟音を響かせ、亀裂を入れてめり込んだのは、今となってはいい思い出。

 これなら、いくら投げ込んでも大丈夫そうだ。今度はコケないようにして投げよう。

 再びマウンドに登板したわたしは、大きく振りかぶった。


 〇                            〇


 アコニスにすげなく断られてから、ピティエはずっとご機嫌斜めだった。

 それをなだめるためにも、オレは掛ける言葉を選ぶ。


「まあまあ。あっちにも事情があるんだろうし……」

「そうかもしれませんが……」


 ふくれっつらむくれているのを隠そうともしない。

 ただまあ、アコニスの気持ちも分かる。親しかった相手から突然冷たくされたら誰だって戸惑うだろうし、傷付いて意固地になるのも頷ける。

 その意味では、オレは自身の軽率さを反省した。もう少し、違う誘い方があったかもしれない。


 頬を膨らませて剝れるピティエ。近隣の村までのロードワークから戻って来たオレは、扉をくぐり抜けると轟音を聞いた。


「何だ?」


 耳を澄ませば、一定の間隔で響いていることが分かる。これは、恐らく中庭。音の発信源を確かめるべく、駆け出したオレたちは屋敷の中へ向かった。

 そして確信する。音はグラウンドからだ。そう気づいた時、ドロテアがその前に立っていた。


「お帰りなさいませ」

(オレの予想が正しければ――)


 メイドへの挨拶あいさつもそこそこに、オレは中へと急ぐ。

 やはりだ。マウンドに立っているのは一人の少女。長身の体躯たいくで背筋を伸ばし、マウンド上から打席を睥睨へいげいしていた。それから、両腕をげて大きく振り被る。


(あれは――)


 その投球フォームは、こちらの世界に来てから初めて目にした。

 前世の試合でも、お目に掛った事の無いソレは――――。


 アコニスは紛れもなく、天才だった。

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