画伯密室殺人事件。


 殺されたのは資産家の男。

 彼は絵画コレクターだった。



「死因は?」


「胸を銃弾で一発。即死だったようです。凶器は未だに見つかっておりません」



 検査官がブルーシートをめくる。遺体は腐敗が進んでいた。悪臭に鼻をつまむ。床には血が飛び散っている。



「自殺だろう。その年齢としになると死ぬのが怖くなくなる」



 白い髭を蓄えた老年の警視が、葉巻を咥えて部屋へと入ってくる。彼はもうすぐ還暦で、来年で四十年勤めた警察を退職することになっている。若い頃から「現場第一主義」を掲げており、捜査局の信頼も厚く、今回の事件も彼に一身されていた。



「だけど、凶器が見つかっていないというのは変ですよ。それに見てください、被害者の表情かお



 異変を察知したのか、隣にいた若き有能な警部が遺体をひっくり返す。



「……驚愕を絵に描いたようだな」


「はい。酷く何かに怯えています。死ぬ直前、信じられない光景を目撃したかのようです。自殺を図る人間がこのように動揺するでしょうか?」


「身内の犯行じゃないのか。信頼していた者に裏切られたのならば、そんな顔にもなる」


「ですが、彼には家族はいませんでした。かつては家政婦を雇っていたそうですが、数年前に高齢を理由に辞職。現在は老人ホームに入居中だそうです」


「では、恨みを持つ外部犯だろう!無人の屋敷に突然侵入者が現れたとすれば、驚くのも無理はない」



 現場第一主義とは聞こえはいいが、人間誰しも年齢を重ねる。

 かつては「警察の古豹こひょう」と呼ばれた老警視も、ここ数年粗雑な推理をするようになっていた。

 かろうじて名誉を保てているのは、右腕である若警部の支えがあったからだ。



「この屋敷は彼が買い取った山に建設されています。標高は高く一般人は近づけません。そのせいで事件の発覚が遅れました。また彼は隠居生活に入っており、財産はすべて慈善団体と自社の経営する会社に注ぎ込んでいたので、妬まれるほどの貯金は持っていませんでした。この屋敷にあるのは大量の絵画と生活必需品に、豪華な家具だけ。また彼は恨まれるような人間ではなかったようですね。長年連れ添った家政婦の家族にこっそり資金援助をしているとも聞きました。彼には人望があった。むしろショックを受けてる人も多いでしょう」


「事情を知らないものが強盗目的で資産家を狙う事件が近年多発していることを忘れたのか!? 若造どもが年寄りを狙ってだな! 闇バイトというくだらんものがーー」


「それも考えたんですが、そもそもおかしいんですよね。何故ならここはなんですよ」


「密室……?」



 老年の警視の顔つきが変わる。確かに彼は全盛期に比べると錆びついてしまってはいる。

 だが、かつては『警察の古豹』と呼ばれた男。

 錆びつき、衰え、頑固な老害になってしまってはいるとは言え“無能でない”ことは確かだ。

 推理力が下がっていたとしても、膨大な過去の事件の知識はまだ健在である。


 密室殺人というシチュエーションに、不謹慎ながら古豹の胸は高鳴っていた。



「部屋には鍵がかけられていました。遺体の状況から見て射殺でしょう。銃がどこかにあるはずです。そして、ここは三階。窓ガラスには割れた形跡はありません。犯人はどうやって被害者を撃ったのでしょうか?」



 若き有能な警部の言葉に「古豹」が顔を出し始めた。葉巻を咥えたまま、部屋の中を調べ始めた。


 古びた書斎。部屋には本棚と長机が並んでいる。本棚には美術の専門書が並べられていた。机の手元には老眼鏡とライト。ライトは付いたままで、読みかけの本が乱暴に投げ出されている。


 近くには格子窓が二つあり、それを覆うようにカーテンがあった。

 侵入した形跡はなく、窓も割れていない。

 それどころか傷一つなかった。


 部屋を出る。廊下には大量の絵画が額縁に飾られており、荒らされた痕跡もなければ、むしろ異常なまでに整理されている。絵にはホコリ一つない。几帳面な性格だったようだ。


 また後ほど地下室を発見するのだが、そこは彼の作業場だったようで、ソファーにイーゼル台とキャンバスがあった。中は画材道具ばかりだ。

 どうやら絵画への情熱は本物だったらしい。



「……うーむ」



 捜査資料に目を通す。自分と同年代の資産家。

 結婚はしておらず、生涯独身。異性に興味がなかったとか、遊び人だったというわけではなく、単純に一人が落ち着くから好きだったのだろう。

 ヲタク気質な芸術家。


 そこは残念ながら自分とは異なっている。

 かつての「警察の古豹」はモテて仕方なかった。事件解決のみにストイックになれれば良かったものの、前時代的考え方としては「全部、完璧にしてこそ一流の男」という価値観があった。


 だから女遊びも沢山したし、その分仕事にも全力を注いだ。全てに妥協はしなかった。


 だからこそ、そんな肩書きがつくまでになったのだがーーでも、資産家のような生活にも憧れがあった。自らの趣味に没頭しながら、家族も作らずに、ひたすらに老後をまっとうする。


 そういう生き方を今後意識しても良いかも知れない。

 愛する妻や子供のことよりも、一日中釣りをして終わるようなそんな生活もーー。



「……いかんいかん」



 事件とは無関係な個人的な願望を振り払う。

 あまりに被害者に感情移入しすぎると見失ってしまう。一定の距離感で事件を見つめねばなるまい。


 さて、遺体が倒れていた位置から推測するに、ここで本を読んでいたことは伺える。鍵をかけていた理由は分からないが、恐らく用心のためだろう。


 そこで何か“驚くようなこと”があった。本を投げ出し、逃げようとしたが失敗終わった。



 そのまま──部屋の中心で、心臓を撃ち抜かれた。




「なにか、わかりましたか?」



 若き警部が聞く。事件に集中したとき、老年の警視は口数が少なくなることを彼は知っていた。


 葉巻に火をつけて、ふぅーと吐き出す。

 吸い終わると彼は尋ねた。



「……この絵は?」



 机の背後に飾られていた大きな絵画を指差す。



「えーっ、ちょっと調べますね」



 聞くと同時に身体は動いていた。警視は絵画を優しく両手で掴み、裏側を確認する。

 背後にはーー壁があるだけ。



「……強盗目的ではないのなら、殺害目的の計画的犯行になる。外部犯は格子窓の両端にロープをかけて、三階まで登り、あらかじめ書斎の壁に穴を開けるように細工しておき、この絵画から被害者を背中越しに撃ち抜いた、というのがオレの見立てだったがーー」



 警視は壁に手を触れる。

 何一つとして傷はなかった。

 取り外した絵画を丁寧に壁に戻す。



「残念ながら一筋縄ではいかんようだ」



 流石だ、と警部は唾を呑んだ。

 普段は偏屈で頑固な老害ジジイなクセに“無能ではない”というのがよくわかる。

 だからこそ、彼の右腕になろうと思った。

 一番近くで知識や術を盗んで取り入れるために。


 野心ある若き有能な警部はグッと拳を握る。



「床に血痕が飛び散っている以上、犯行現場はここ以外というのは考え難い。壁に穴が空いていないというのも重要だな。……そうなると、被害者の知人が部屋に侵入し、隠し持っていた銃を向け、そのことに気付いた被害者が驚き、逃げようとしたが撃たれてしまった。そして方法はわからないが、密室に仕立て上げた。そう考えるのが一番無難だな」



 葉巻を咥えながら独り言を呟いている警視。

 どうやら結論が出たようだ。



「とりあえず彼の交友関係を当たってくれ。また使われた弾丸の痕跡から何かわからないか? 分かり次第、報告を頼んだ」


「「「は、はい!」」」



 検査官やその他の警察官が部屋を出てゆく。

 あとに残ったのは二人だけ。



「……凶器の見つからない密室殺人か」



 少し納得がいってないように、老年の警視は眉間に皺を寄せている。



「警視、面白いものが出てきましたよ……」


「どうした?」



 若警部が捜査用の端末をいじっている。

 近年はスマートフォンを捜査に用いることも少なくない。そのまま絵画の説明を始めた。



「こちらの絵は18世紀、英国イギリスのスナイパー・ハートブレイクという画家が描いた作品です。彼は【非現実主義】を唱え、現実を憎み、社会を恨み、その想いを全て作品にぶつけた。そして、38歳で謎の死を遂げました。銃殺だったそうです」


「“スナイパー・ハートブレイク”……。不吉な名前だな」


雅号がごうーーつまり、偽名だったようです。本名はヴィクター・アルフレッド。そして、こちらは《農夫の男》という作品です。彼の作品の中ではマイナーな部類で、市場でも大した価値はないそうですね」


「なのに偉く気に入って、こんなデカデカと書斎に飾っているのか。ふーむ、絵画コレクターの趣味はわからんな」


「そして面白いことに……実はこちら【】と呼ばれており、持ち主が全員死ぬと噂の作品だそうです。著者のヴィクターが謎の死を遂げていた際も、こちらの絵画が近くにあったとか」


「【呪いの絵画】……? フッ、バカバカしい」



 鼻で笑って、警視は絵に触れる。

 表面に傷はない。これが“呪いの絵”だと?


 彼はオカルト的なものを信じていなかった。科学的根拠と論理的思考から事件を解決に導くからである。事件解決というのは非現実から最も程遠い。


 絵画には帽子を被った長い髭の農家の男の横顔が描かれている。

 ボロボロになった手には銃が握られていた。


 美術には精通していないため、この作品の良し悪しは判断できない。

 だが、引っかかることがあった。



 ……銃、だと?



「……この農夫の男は何故のだ? くわではなくて」


「えー、この絵が書かれた際、英国イギリス政府への反抗意識がかなり高まっていたそうです。ですので、一般的な労働階級の人間でも、銃を持って闘わなくてはならないーーという意図が込められているのでしょう」


「なるほど……」



 古豹が絵画と見つめ合っている。

 呪いの絵画とはさぞ大層な肩書きだ。


 ふと、葉巻に火をつける。


 そして、何を思ったか、絵の男にタバコの火を押し付けた。

 ジューッと肉が焼けるような音を立てながら煙が立ち登ってゆく。



「絵画コレクターの趣味は理解できないな」


「ちょ、ちょっと……! なにやってるんですか!? 価値はないとはいえ、呪いの絵画にそんなことをしたら──」


「絵画が人を殺すとでも? やれるものなら、やってみて欲しいものだな」



 かつての古豹は笑っている。

 真面目な若警部は苦笑した。


 前時代的な刑事というのは良い意味でも悪い意味でも恐れを知らない。


 引退が近いというのに、本当にこの人は……。



「ま、冗談だよ。とりあえず被害者の関係者から地道に探っていこう。時間はまだある。こいつが犯人だったら面白いと思っただけだ」


「……全く、美術コレクターに怒られますよ? しかし、犯人は一体誰なんでしょうね」



 そう言い、警視が葉巻を絵から押しのけたーーその、刹那の出来事だった。





      「ワシじゃよ」





 ───瞬間、絵画から銃を握った農夫が額縁を掴みながら、ぬらりと上半身をこの世に出した。


 火傷した手首を鬱陶しそうに擦りながら、怒りに満ちた顔で猟銃を構えている。



「は?」

「えっ──?」



 逃避よりも先に驚愕が出た。

 直後、二発の銃声がーーその場に轟く。



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テーマ『密室殺人』

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