約束、約束

おおつ

第1話

 目の前の白い肩はベッドヘッドの明かりを受けてぼうと光っている。その肌に手を伸ばし、なんとなく撫でる。彼はくすくすと笑う。

 「まだするの?」

 「いや、綺麗な肌だなと思って」

 すると彼はまたくすくすと笑って「親父くさい」と言った。

 俺は不倫をしている。


 「ただいま」

 小声で言いながら家に入る。子供を起こさないようにするためだ。妻も寝たようで静まり返る家の中、できるだけ足音を立てないように移動する。浴室でシャワーを浴びて寝巻きに着替える。情事の痕は残っていないはずだ。寝室に向かうと二人分の寝息が聞こえた。ベッドに潜り込む。


 俺と妻は学生時代に出会った。同じ空手サークルの先輩後輩だった。自然な成り行きで付き合い、卒業して社会人三年目あたりで結婚した。夫婦仲は悪くないし、7歳になるかわいい娘もいる。


 魔が差したのは去年の春のことだ。俺が働いている空手道場(規模はそこそこ大きく、数百名の会員がいる)に入会してきたのが彼、波津直樹だった。はじめは数人いる新規入会者のうちの一人だった。次第に熱心に指導に聞き入る姿勢や直向きな姿に惹かれていった。しかも彼は自分によく懐いてくれた。それがなんとなく嬉しかった。いや、言い訳を並べるのはよそう。彼の若さと美しさに惹かれて手を出してしまった。それからずっと関係が続いている。


 朝は子供に合わせて早く起きる。妻がトーストと卵を焼いてくれているのでそれを食べて、着替えて子供の準備を手伝う。妻と二言三言交わし、子供の手を引いて家を出る。今日は俺が送りの日だ。

 「ねえパパ」

 「うん?」

 「きょうははやくかえってくる?」

 「今日は早く帰ってくるよ」

 「やった」

 嬉しそうな顔を見てこちらも微笑む。妻と子を騙している。自分がやっていることが道に反していることはわかっているが、やめようとは思えなかった。それほど彼との時間が惜しくなってしまっていた。


 家に帰ると妻はもう仕事に行っていた。自分も仕事道具を持って家を出る。道場へ向かう足は軽かった。

 「鳴島さん」

 同僚の古賀に話しかけられる。

 「なにかいいことあったんですか?」

 「え? なんでまた」

 「だって機嫌よさそうだもの」

 「別になにもないよ」

 古賀は妙に鋭いところがある。そんなに浮かれていたつもりはないが態度に出ていたのだろうか。気をつけなければ。

 「鳴島先生!」

 「おう波津かどうした」

 「形見てもらえませんか!」

 「わかった!すぐ行く」

 俺は努めて平静を保って向かっていった。


 その日は帰るとカレーの匂いがした。好物の香りに機嫌よく「ただいま」を言う。部屋の奥では娘の大きな「おかえりー!」と妻の優しい「おかえりなさい」が聞こえる。手を洗うと妻が妙なことを言った。

 「さちが変なこと言うのよ」

 「変なこと」

 「そう今日のお迎えわたしだったじゃない?でもパパも来たって言うのよ」

 「えー行ってないけどなあ」

 「でしょう。 ほらさちー!パパ来てないってよ」

 さちは真剣な顔でこちらを見ていた。

 「パパいたよ」


 このときからはじまっていたのかもしれない。

 

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