あとがき(のようなもの。)
かなりの面積が自分語りで構成されています。お気をつけください。(当時の個人的な記録という意味合いの書き物です。)
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このお話はかなりネガティブな感情を想起させるコンテンツだったなと、書きながら個人的に思っていました。それは自分の場合であってもそうだし、読者の皆様に対しても同様だったと把握しています。応援コメントの欄を覗いてみても、それはほとんど実感と同じ程度で可視化されているふうにも捉えることができました。(またそれは作者の力不足による設定不良からくるものであるとも自覚しているつもりです。)
そもそもNTR要素がメインにある小説というのは、どうしてもそのような感情を生じさせてしまう、要するに共感しえない部分が比較的出てきやすいものだと思います。そしてそれは最初からNTR要素を受け付けない人であったり、ストーリーの内容によって好みが分かれる人であったり、様々であると思います。
だからこそ、こういったアルゴリズムによって管理されているプラットフォームで書かれる小説というコンテンツは、NTR関係なしに、それぞれの人気要素においてそれぞれの王道といわれるような展開があるのだと思うし、それに従えば質のよい創作がある程度担保されるともいえるのだと思います。そのような形態へ比較的、そしてより顕著に収束していくものなのだと想像しています。
ただ、私にとっての創作(または読書)では、それとは少し違っていて、ある種の苦しみを伴いながら書く、または読むというふうな個人的な体験を大切にしていきたい、という思いがあります。常に違う読み方だったり、書き方、考え方を有機的に行いたいという思いがあります。
もちろん、私も心温まるストーリーが大好物ですし、王道の展開というのも大好物です。しかし、それだけでは物足りないときというのが、必ず日々の生活のなかで多々生じていきます。そのようなときに私は純文学を読んだり、名画座に行ったり、哲学書を読んだり、サブカル臭のある漫画を特に好んで読んだりします。そしてそれを通して様々な読み方をしたり、実践としての書きをしていると個人的には思っているつもりです。
しかし、そのような自分でもまだ判然としないような考えを小説のなかで具現化していくという作業は、ときとして不明瞭なよく分からない状況を導いてしまうときがあります。それはキャラの言動について個人的にも納得しないところだったり、彼らが何を考えているのかよくわからなくなってしまうことだったり……。
創作の出発点がそのような個人的な読書体験だったり、現実体験だったりというものに根付いているというのにも関わらず、彼らのことがよくわからなくなってしまうときがある。
でもそれが、そのような状況になることが、私としての個人的な創作の価値であると思うし、それをあわよくば、読者の皆様にも享受していただきたいと思っている次第です。共感できてもできなくても、何かしらの部分的な言葉でもいいから、何か大切なものを受け取ってほしい。そのような気持ちをどこかに抱えながら創作をしているつもりではあります。(そのなかでどうにかコンテンツとしての完成度を高めていきたいとか、そういう目標をもちつつ……やってる感じです。)
まだまだ趣味として創作を始めた期間は短い(たぶん3年?そのあいだにかなりのブランクがあったりします。実質1年ちょっとかもしれない。)ですが、このように創作に取り組んでいると、書くことで本当に自分の見えてこなかった部分が見えてくるんだなと実感しております。そしてまた書くことで見えなくなっていくことも、同様に存在していると感じることもあります。要するに私にとっての創作とは自己理解とその副産物としての作品なんだなと……。どっちかというと私の書く動機は、純文学よりなのかなと個人的には思っています。
なんだか、そんなこんなの取り組み方をしていると、作品を仕上げるたびに、まだまだ未熟な自分を発見しつづけていく(創作)人生なんだなと、思ってしまうわけです……。それこそ、永遠に、死ぬまでずっと。
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今回の作品をここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
ヒグラシの鳴き声は私の幼いころの記憶として、とても歪になって刻まれているものであると思います。小さいときは総じて恐ろしく怖いもの、少し大きくなれば、どこか切なさを伴うもの、というふうに様々な感情を私にもたらしてくれた鳴き声でした。小中高時代には、その鳴き声を聞きながらずっと釣りをしていたことを今では懐かしく思います。
都会に出てきてからは少しも聞けなくなった、その鳴き声をyoutubeの環境音で聞いていると、自分は今一体どこにいて何をしているんだろう、と人生を振り返る機会がたまにやってきます。本当にふとした瞬間にそうなるときがありあす。ひぐらしに関わらず。何かしらのきっかけが影響して……。
だから、この作品ではとてもヒグラシが重要な意味合いを帯びてきています。そう思って表現したつもりではあるのですが……。作者の技量によって力足らずなところが多いのも(というかそれがほとんどかもしれない)実感している今現在です。
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人間のもっともっと奥深いところまで考えるということは、きっと幸せと結びついていると信じています。よく在ることが幸せになるための必要条件だと思っています。
今までは幸せだと思い込むことでしか、みんなは幸せにならないとか、そんな厭世主義みたいなことを考えていた時期がありました。でも、そんな消極的な幸せではいけないなと、せっかく生きているのだから、積極的にとことん苦しんで苦しみぬいて、時にはとことん楽しみぬいて、最終的な個人的な幸せを、どこまでも個人的な幸せを目指していかないといけない。
そんなふうな思いが最近では強くなってきています。満たされるだけでは手にはいらない幸せというものを最近になって、強く実感している次第です。
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あとがき、にこんな感じで個人的な思いを書いていくのが、やり方として正しいのかは分かりませんが、今のリアルな感情の通り道として、書き記しておくこととします。
最後に改めて、ここまで読んでくださった読者の皆様に最大限の感謝を申し上げます。ありがとうございました。
穏やかな田舎町。僕は親友に裏切られて幼馴染(彼女)を寝取られた。僕たちは自然豊かな場所で何をそんなに飢えているのだろうか。 ネムノキ @nemunoki7
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