第65話 力なき音
ムーテとルジの会話は、二人だけのものにしておくとして。今聞こえるものを端的に表すとしたら、
「――人の死ぬ音がする」
「トーリ……ごめん。そんな音を聞かせて」
「レイが謝ることじゃない。何もしなくても聞こえるだけだ」
外に出ても解決、とはいかなそうだ。
――それから何時間か経って、食事が運ばれてきた。音を聞いて接近を感知し、先んじて行動する。
レイはオレにくっついて、嘘をつくのが下手な顔を隠す。オレは、緊張した面持ちを演じた。
「トーリー、コワイヨー」
な、なんて棒読みなんだ……。
「何も怖いものは入っていませんよ。外の子どもたちに出しているのと同じものです。どうぞ、召し上がれ」
ハミラスが魔法で運んできたお盆には、よく分からない料理が載せられていた。肉まんのときと同じだ。
そして、子どもたちが今、ご飯を食べているのは、聞いていれば分かる話だが、同じものかどうかは分からない。
――ガチャ、と檻が開かれ、お盆が下ろされる。
「食べられる分だけでも食べてくださいね。あなたたちは大切な存在なんですから」
そこに、親愛の情が一切ないのは、レイでなくとも分かった。ハミラスは退室した。
――瞬間、ぐぅ〜と、間抜けな音が鳴る。
「ふっ、くくっ……!」
「はー、お腹鳴りそうでしんどかった」
「じゃあ、食べるか」
匙を手に取り、手を合わせると、レイがぐだっと、楽な姿勢になった。
「あ、僕食べないから、トーリだけどうぞ」
「え。なんでだ?」
「怖がってるフリ」
確かに、本当に怖がっていたら、食べられないかもしれない。
「でも、食べないと元気が出ないだろ」
「どのみち、この足じゃ何もできないし」
「この作戦を思いついたのは、レイだ。しっかり食べないと考える力が弱くなる」
黒い瞳がまんまるになって、笑う。
「んー……。じゃあ、一つの匙で一人分だけ手をつけて、偽装しよう。トーリは食べる元気があるけど僕は怯えてて何もできない、みたいな」
「お前、ほんとに賢――」
と言いかけて、オレの体液を採取するとか言い出すのでは、と身構える。
「じゃあ、僕先に食べるねー」
「え?あ、ああ……」
不純な思考が湧いてしまった自分が悲しい。
「――ごちそーさまー。残りはトーリの分ね」
「分かった」
食べ終わってから、オレの方を多めにするために先に食べたのだと、気がついた。
***
「……あれ。食べていないじゃないですか」
隅の方で座るレイと、警戒はしつつも食べられないほどじゃない、という風なオレ。お互いに顔を見合って、食べかすがついていないのは確認済みだ。
ハミラスが中まで歩いてきて、レイの前に屈む。
「少しくらいは食べないと……」
「こ、こわいー」
本当に下手くそな演技だな……。
「何もしませんよ。まあ、急にこんなところに閉じ込められて、怖がる気持ちは分からないでもないですが」
なぜ信じる。その方が都合はいいが。
「こわいよー、ハミラスさんー、ぎゅっ」
そう言いながら、レイがハミラスに、抱きつく。
――今だ。
「たああっ!」
「きゃっ――!?」
ハミラスを力いっぱい突き飛ばし、レイを抱えて檻から逃げる。
レイの考える道筋が、言葉にされずとも頭に浮かんでくる。
「順調だな」
「待って、トーリ。なんか――」
ざわめいている。
――最後の扉を開けた先、入ってすぐの広間で、お面の群れに遭遇する。キツネやタヌキ、穴凹を始めとして、真っ赤な面や、真っ黒な面など、様々だ。
そのお面を被った子どもたちの手には、斧や剣、弓など、それぞれの武器が握られていた。
「レ、レイ……」
怖い、怖い、怖い、怖い……。
血で錆びた石や金属の武器。
――その後ろに、大量の亡霊が、みえる。
『死んで。私たちと一緒に死んで死んで死んで。死んで。死んで』
『お前は最後だ……くけけけ。そいつが苦しむ様を拝ませてやる……くけけけけ』
『どうして私がこんな目に……。オマエガソウナレバヨカッタダロオオオ!!オマエガナレヨ!!ジンセイカエセヨオオオ!!』
うるさい、うるさい、うるさい……。
「トーリ、僕はここにいるよ」
「レイ、レイ……」
レイに力いっぱいしがみついても、体がバラバラになりそうなくらい、怖くて。怖くて。怖くて怖くて怖くて――。
風を切る音。振り下ろされる斧は、鋭く輝く。
――死んだ。
***
怒号に混じって聞こえるは、バイオリンの音。ラスピスの意思を継ぐなら、つまりはそういうことだ。
水で溢れかえる戦場のど真ん中で、一人、楽器を奏でる様は、誰がどう見たって滑稽で。そも、バイオリンの良し悪しなど分からない戦士たちに聞かせたところで、何の役にも立たない。
当たっても痛くない。大声でかき消すことができる。聞く人によって感じ方は様々。
音楽で戦争を止められないのは、千年前から知っている。
それでも。
「――」
命の危機に晒され続ける極限状態で、彼女はバイオリンを弾いていた。
とびきりの笑顔で。
額に玉のような汗を浮かべ、死に急ぐ戦士たちと同じ笑みで。
けれど。そんなものでは、戦争はおろか、人一人動かすことすらできない。
「――っ」
「ラウ!」
魔法が被弾して血が流れても、その手を止めない。笑顔も崩さない。演奏の質も当然、落ちない。
むしろ、時間とともに、上がっていく――。
このままではいつか、戦火に巻き込まれて命を落とす。市街戦のど真ん中でバイオリンを弾く八歳の少女にも、死は平等に訪れる。
「なんで、そこまで」
狂気の域だった。
武器か魔法しか持たない戦場の中心で、ただ一人、楽器を楽しそうに構える少女の姿は、違和であり、幻のようにさえ思えた。
これほどの演奏を聞けること自体が、幸福で、動物たちですらその演奏を邪魔しないよう、息を潜める。
というのに。
誰一人として、その演奏を、聞いてはいなかった。
「ぐっ……」
「ムーテ!」
弓を支える腕に穴が空き、血がドバドバと流れる。
それでも、少女は演奏を止めない。
音楽で戦争は止められるのだと、証明するために。
止められるわけがないのに――。
弓を持つ手は痛みに震え、ついぞ、思うように奏でられなくなり、弓を落としてしまう。
「ラウッ――!」
それでも、少女の目の中で、音符は輝く。
そのとき。偶然にも、ムーテのいる方に、剣が振られる。
溢れる水を割り、地響きを起こし、宙を真空に変えながらムーテに向かう。
それでも、ムーテはバイオリンを握る。
最期の瞬間まで、音楽の力を信じていたと、見せつけるかのように――。
「やめろ」
気づけば俺は、ムーテを庇っていた。
空を切り裂く剣筋を片手でもみ消し、その筋を逆に辿って、敵を見つける。
「……クレセリア」
背後から聞こえるは、バイオリンの音。彼女の手からバイオリンを取り上げる。
「返して」
「二度と、弾けなくなるぞ」
「それでも今、証明しなきゃ。お母さんが言ってたことは正しいんだって。音楽で戦争は、止められるんだって!」
ムーテの腕の傷口を、魔法で塞ぐ。魔法が効かない子どもたちより遥かに、楽だ。
「そこで黙って聞いてろ。――リア」
「ラーウ!」
嬉しそうに、リアは箜篌へと姿を変える。水に濡れないよう、魔法で防ぎながら、俺はその場に座る。
「これでも止められなかったら諦めて、母親を連れて逃げろ」
「ちゃんと、本気で弾いてね」
俺の音楽には何の力もない。
けれど。
「――音楽で手を抜いたことは、一度もない」
だからこそ、俺の本気の演奏を聞いても意識を保てたニーグが、俺は嫌いなんだ。
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