2-3


 月夜に上る竜の如く、しかし寄ってみればボロボロの長髪に絡まった死骸を鱗とする腐敗の竜で、顔には白い鬼の面を付けて。のた打ち回り己の体を焼く炎をかき消し、目の前の獲物、僧侶の姿をした者へ縋る様に襲い掛かる。その咆哮は怒りというよりも……


「解りました。そういう会話も、僕は心得があります。安心してください」


 しかしその穏やかな口調とは違って、その表情はとても冷ややかだった。

 ラシャは背負っていた「非想緋緋蒼天ひそうひひそうてん」を覆う藍色の布を払いのける。月光を浴びて白い拵えが真珠質に輝いた。鯉口には変わらず黒々とした鎖が巻き付き、抜刀は叶わない。

 夜風より速く、ラシャの両足の神木デバイスがその体を宙に弾くように踏み切らせる。そうして振り上げた大太刀は、岩を穿つに余りある力を持って、特殊ナノマシンの強化で加速されて振り下ろされる。


「やはり、抜くまでもない。あるいはは斬るべきではないと……?」


 怪物と相対しても抜けない魔刀に食傷気味のため息をつきながら、ラシャは荒々しい対話を続ける。

 ラシャの攻撃は怪物の体に直撃したかに見えたが、長く濛々とした髪と思わしき部位が邪魔をして実体を捉えそこなう。如何に神木デバイスが強力で、地面を大きく抉るような、衝撃で大木をなぎ倒すことも可能な一撃を放とうと、当たらねば意味がない。

 ならばと怪物からの反撃が来るが、そもそも怪物の攻撃の多くはナノマシンへのジャミング効果に頼った物であり、ラシャには効果がない。肉体能力も神木デバイスの心臓が一度脈打てば、彼にとっては世界は多くは緩慢に映る。

 次第に髪の毛に隠れた怪物の本体の位置をラシャは推測し、怪物の体を覆う余分な腕や髪の毛を振り払っていく。余分な腕が取れる度に、赤黒い暴走状態のナノマシンが霧散していく。そんな中、彼女が最後まで守ったのは顔だった。

 そうして隠された部分が次第に明らかになると、残ったのは白い鬼の面を付けた女性一人だけになっていた。

 彼女は怒りとも悲しみとも苦しみともつかぬ声で叫び、ラシャに飛び掛かり馬乗りになり、そのままラシャの首に手をかけ、顔を近づける。白い鬼の仮面の向こうの顔は、仮面越しにも解るほど個性的な造形をした顔であった。

 そして、怪物はまるでその行いが自身の意にそぐわないものであるかのように、そっと呟いた。


「たすけて。もう、殺して。嫌われたくない」


 ラシャはその言葉の意味を察し、そっと、微笑みながらその髪の毛を撫でて優しい言葉を口にする。その心の内に同情と困惑とを感じながらもそれを必死に押し殺して。


「あなたは、優し気な声をしてらっしゃる」


 その言葉にはっとしたように首を絞める力が緩む。

 だが次の瞬間にはラシャは彼女を跳ね除けた。直後、ラシャの右肩を光線が打ち抜く。それは彼の生身の部分を打ち抜いた。


「惜しい。もう少しで殺せたのに」


 イリが高圧縮熱線銃、異星の科学力で造られた熱線を圧縮して放出する銃、所謂レーザー銃を持って、その銃口をラシャに向けている。即座にラシャに向けて連射する。流石の神木デバイスも光の速度を避けるのは困難を極める。更に一発が左足を貫いた。

 イリが煙を吹く銃をリロードしながら、どこかに潜んだであろうラシャに声高に話しかける。


「君も気付いてたのかな? オレが怪しいって」

「さあ、僕はなんとなくとしか。一人で入山したのに他の人のための予備の装備が潤沢になるのは怪しいとは思いました。まるで山に他の人を留まらせたいのかな、と」


 ラシャの声がする方へ、イリが銃を連射する。出鱈目に連射してはリロードを繰り返す。空になったレーザー銃のマガジンが無作為に地面に落ちる。


「異星の技術で造られたレーザー銃を見るのは初めてかい? 大木だって簡単に打ち抜けるんだ。どこへ隠れても弾避けにもならないよ! ほら早く死ねよ! 死んでくれよ! 無様に!!」


 だが、乱射しても手ごたえも無くラシャの声はなおもイリに応える。


「僕からも質問があります。彼女の髪に様々な物が絡まっていたのは、彼女が怪物と呼ばれるまでに人を襲っていたのは、あなたが原因だったんですか?」

「そんなの知らねぇよ。こいつが勝手に襲ったんだ! オレは関係ない。むしろ感謝してほしいぐらいだ。こうして後始末を買って出てやってるんだからな」


 ラシャは身の毛がよだつ感覚を覚えた。


「彼女は『嫌われたくない』と言ってたんです。彼女が嫌われたくない人はあなただったんじゃないんですか? あなた、彼女に何をしたんです? 何をさせてたんです? あなたの何が、彼女を怪物に仕立て上げたんですか?」


 またイリが銃を連射し、怒りを苛立ちを露わにする。


「ああうるせえ! オレが、こいつに殺されるようにどいつもこいつも誘導したんだよ! 悪いかよ! 頑張って社会生活を送ってるオレを全部肯定してムカつく奴を殺してくれる、こいつはそういう女なんだよ! いいじゃねぇかオレのために全部貢いでくれる女だ! コイツに怯えて、ムカつく奴が殺される様が、オレの生きがいなんだからよぉ!」


 怪物であった女性から、また悲しみとも怒りとも痛みとも取れない声が漏れる。

 そんな慟哭など一切無視して、イリが不躾な言葉をぶちまける。


「不細工でも惚れてるなら、オレが自由にする権利ぐらいあってもいいだろうが!!」


 ラシャはその言葉に思わず歯を食いしばった。

 だがラシャが出るより前に、別の者が声高にイリに怒りを怒鳴りつけた。


「ふざけんなクソ野郎! お前の腐れた性格なんぞ、ウ◯コ以下じゃねぇか! 比較された◯ンコに謝れこのウン◯未満野郎!!」


 ピンティが怒鳴り散らし、スエがその足元で彼女を止めようとしていたが全くピンティに止まる気配はない。忘れてはいけないが、ピンティも満足に逃げる事すらできない状態であるはずだ。


「そんなだから社会的にハブられてるって少しは考えろ脳みそまでウン◯以下のドグされクソが!!」


 流石にその光景に、ラシャもイリも、怪物にされた女性までが冷静になった。

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