【結城】 18 救出部隊

 黒いハイエースは豪雨の中、県道を西に向かって爆走していた。


 ハンドルを握る結城の手のひらは、汗でぐっしょりと濡れている。


 雨の勢いはもはやワイパーが間に合わないレベルで、運転席からの視界を著しく悪くしていた。それでも結城はアクセルを踏む。赤の点滅信号をノーブレーキで越えていく。


 道路は至るところが冠水していた。水田から溢れかえった水が行き場を無くし、低い方へ低い方へと集まっている。このまま雨が降り止まなければ、この町の全てが水没するのではないかと思われた。


 霞む視界の彼方に、回転する赤色灯が見えた。検問だ。道の真ん中に車の往来を遮るように、2台のパトカーが停まっている。

 昨日からの雨で、岩田屋川とその支流は既に氾濫危険水位を超えている。

 ここから先の橋は通行禁止なのだ。


「――止まるな」


 助手席に座っている里菜が前を見据えて言った。その断定的な口調に、結城は抵抗できなかった。アクセルをさらに踏み込む。


 人間だけは、はねないようにしたい。


 車体を雨粒が叩く音とロードノイズ。エンジン音。車内は音で満たされている。


 里菜はビキニトップの上から身につけているショルダーホルスターから拳銃ベレッタを引き抜いた。まさか発砲するわけではないだろうが。


「あの、里菜さん、撃たないですよね」


「黙ってアクセル踏み」


 結城は言われるがまま、検問に向けてハイエースを飛ばす。他に車もいないので、気兼ねなく加速していく。赤色灯がどんどん近づいてくる。


 パトカーの脇には、警官らしき人間が四人立っていた。

 レインコートを着ているからか、そのシルエットはまるで人のフリをした怪物のようだった。


「やっぱ人間ちゃうな、アレ」


「え?」


 里菜は助手席の窓を開けると、躊躇なく身を乗り出した。


「え、え、里菜さん」


「アホ! スピード緩めんな!」


 検問は既に目の前だった。そこまで近づけば結城も気づく。


 パトカーの脇に立っているのは警官ではない。


 例の雪男達だった。


 乾いた発砲音は四回。


 その場に崩れ落ちた四人の雪男のうち、真ん中にいた奴の上をハイエースは通過した。

 ドッと柔らかい何かに乗り上げる衝撃がシート越しに結城に伝わった。

 結城の背中に一万匹の米粒サイズの虫が這い上がるような感覚――


 それは殺しの感触だった。


 あっという間にパトカーの赤色灯は背後に遠ざかっていった。


「――9mmでも眼球を撃ち抜いたらイエティを倒せる。UMAマメ知識や」


「その知識、どこで使えばいいんですか」


 結城の問いに答えずに、里菜は拳銃をホルスターにねじ込んだ。


 里菜は雪男達を射程内に捉えた瞬間、不安定な態勢をものともせずにその眼球をあやまたず――四連続で――撃ち抜いたということらしい。素人でも分かるほどの、常軌を逸した腕前だった。


「アレがいたってことは、もう敵の勢力圏ってことでしょ。すこぶる分かりやすいわね」


 後部座席からの刺々しい声に反応して、結城はルームミラーを見た。


 そこにはキリンジと例の少女が座っている。


 浅倉撫子と言うらしいが、結城は結局まだ一度も言葉を交わしていなかった。そもそも苦手なのだ。ティーンエイジャーの女の子というものが。学生時代に女子とろくに話さなかったからなのだろうが。


「キリンジ、そろそろルーフに上がり。100キロぐらいなら立っとれるやろ」


 里菜が恐ろしいリクエストをした。結城はとっさにスピードメーターに目をやった。ハイエースは現在、制限速度をぶっちぎって時速110キロで走行中だった。


「了解」


 キリンジは里菜の声に逆らわず、スライドドアを勢いよく開けた。外界の音と雨風が車内に流れ込む。


「いや、キリンジさん、それは――」


 結城が何か言う前に、キリンジはルームミラーの中から姿を消した。車のルーフに上がったということらしい。実際、天井から何かが移動するような音がした。キリンジの身体能力は、やはり並の人間のものではない。撫子はそんなキリンジの行動に特に驚いた様子もなくスライドドアを閉めた。


「結城、キリンジのことは気にせずに走るんや。絶対振り落とされへんから」


「……はい」


 黒いハイエースは岩田屋川に架かる橋の上に差し掛かった。

 巨大なコンクリートの橋梁のすぐ下を、流木や瓦礫を孕んだ茶色い濁流が、荒れ狂う龍の群れのように通過している。凄まじい自然の猛威に結城の心臓は縮み上がった。あの流れに飲み込まれれば、どんな生き物であってもひとたまりもないだろう。


 結城はキリンジが落下しないことを祈りながら、アクセルをベタ踏みした。


「待ってろよ、アイ――」



◇◆◇◆◇◆◇◆



 ひとしきり泣いた後、少女は里菜に促されて浴室へ向かった。シャワーを浴びてさっぱりしてこいということらしい。


「あの子は浅倉撫子。うちの妹や」


 脱衣所に着替えを持っていった里菜が戻ってきてソファに腰を下ろした。


「妹さんですか」


 たしかに少女――撫子が泣き出す直前に、里菜は『お姉ちゃんがおるからな』と言っていた。結構な年の差があるように見えるが、二人は姉妹らしい。名字も違うが、そもそも里菜の場合は芸名だろう。本名は浅倉なのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていると。


「あ、似てへんって思ったな」


 里菜がニヤリと笑った。


「いや、そんなことはないですけど」


 言われてみれば、確かに里菜と撫子は全く似ていない。どちらも整った顔立ちだが、系統はまったく違うと言ってよかった。里菜の顔立ちはどちらかというと派手だが、撫子は和風の美人だ。


「まあ似てないのも無理はないねん。全く血の繋がりはあらへんから」


 あくまで軽い調子で里菜は言った。血が繋がらない妹ということは、結婚相手の妹ということだろうか。里菜の年齢を考えれば、結婚していても全くおかしくはないが。


「義理の妹さんですか」


「母親の再婚相手の連れ子なんや。もう一人男の子もおんねんけどな」


「――なるほど」


 結城の予想は外れていたが、謎は解けた。しかし、全く血の繋がりのない人間と姉妹になるというのは、どういう気持ちなのだろうか。情は湧くのだろうか――いや、先程の抱き合う二人の姿を思い出せば、それは愚問だったか。


「――で、さっきの話の続きやけど、撫子も『巫女』なんや」


 里菜の話は、撫子が部屋から出てくる前のUMAと『巫女』の話題に戻った。


「あの子もですか」


 浅倉撫子もアイと同じく、UMAと繋がりを持つことができる『巫女』と呼ばれる存在であるらしい。


「まだまだ修行中の身やけどな。ちょっと状況を整理しよか」


 里菜はゆっくり首を回すと、考えをまとめるように宙に視線を彷徨さまよわす。そしてうんと頷くと結城に向き直った。


「『岩田屋にくにくフェスティバル』やったっけ? あの場には二人の『巫女』の適格者がおったってことになる。結城の恋人さんと、撫子や。襲撃者の狙いはその二人で、結局さらわれたのは結城の恋人さんのほうやったってことやな」


 さらわれたという言葉が結城の胸に深く突き刺さった。あまり考えすぎると冷静さを欠いてしまいそうになるので、なるべく思考の外縁に置いておくようにしているのだが、アイが誘拐されて安否不明という現状は、結城にとっては叫び出したくなるぐらい耐え難い状況だった。


 結城は襲撃者の姿を脳裏に描いた。黒いジャケットを着た男。そして羽の生えた大男。二人はそれぞれ一人ずつ『巫女』を襲ったということなのだろう。


「アイをさらった男が、アイのことを『予備』と言ってました」


 黒いジャケットの男がたしかそんなことを言っていたはずだ。『予備』がアイということは――


「本命は撫子ってことなんやろな。あの子の家の血は、UMAというか、人ならざるモノに対する感受性がバカ高いねん。結城の恋人さんも、恐らくそういうがある人なんやろうな。もともと『巫女』としての素養があったんやと思う」


 里菜の言葉を聞いて、結城は首を捻った。


「本人は『霊感はない』って言ってましたけど……」


「霊感云々は関係ないねん。まあ、UMAに気に入られるか否かが全てやな。究極的に言えば」


 随分と曖昧な条件だが、何もかも解明できているということでもないのだろう。そもそも『巫女』という言葉自体がオカルトめいている。


「とにかく、うちらは岩田屋の『主』であるUMAとの交信のために、撫子を『巫女』として立ててたんや。そういえば、キリンジの山小屋に行ったことあるんやろ」


 北村と訪れたキリンジのアトリエのことだろう。あの訪問から一ヶ月と経っていないのに、それは随分昔のことのように感じられた。


「はい、仕事で」


「あの山小屋が前哨アウトポストなんや。槻本山におる岩田屋の『主』を監視するためのな」


 突然出てきた前哨アウトポストという言葉に結城は混乱した。あのアトリエは、ただのジビエ工房などではなく、UMAの監視施設だったということらしい。


 結城の頭の中で、事実と事実が糸で繋がっていく。キリンジが監視していた岩田屋の『主』というのは――


「もしかしてあの絵の……」


 ぼそりと呟いた結城の言葉に、里菜は少し驚いたように反応した。


「お、キリンジの絵を見たんやな? 趣味で描いた割には上手いやろ。個展でも開いたらどうかと思うねんけど。いや、それはどーでもええわ。そう、アレが岩田屋の『主』であるサンダーバード。本気になったらこの町を消し炭にできる神話の世界の怪物や」


 キリンジとアトリエで交わした会話を思い出す。ワキンヤン。またの名をサンダーバード。それはネイティブアメリカンが信仰する神の鳥だった。


「あれが……あの絵の鳥が、槻本山にいるんですか」


「ああ、いてる――と、断言したいところやねんけど、とある事件以降まったく姿を見せなくなってしもーてな。先代の巫女から撫子に代替わりしてからは、一度も人目には触れてないはずや」


 難儀な話でな、と里菜は肩をすくめた。


「どこか別の場所に行っちゃったってことはないんですか」


 そもそもネイティブアメリカンの神様なのだ。アメリカに帰ったということはないのだろうか。


「その可能性もあったんやけど、サンダーバードと『巫女』である撫子の繋がり自体は、しっかり確立しとるみたいなんや。撫子曰く、『絶対にこの山のどこかにいる』ってことらしいわ」


「なんか……すごくファジーな話ですね」


 結城にはその“UMAと『巫女』の繋がり”というものが、具体的にどのようなものなのかがイメージできないので、雲をつかむような話にしか聞こえなかった。


「UMAに関するアレコレは、その目で実体を見ることができるものばかりじゃないっちゅーのが難しいところやな。それでもうちらは撫子の言葉を信じて槻本山を監視し続けとるわけや。キリンジ、自分も随分あの山のイノシシと仲良くなったんやろ」


「ベーコンにしちゃってますよ」


 呑気なトーンでキリンジ。


「お前、友達ちゃうんかい。酷いやっちゃなー」


 里菜は薄情者めとキリンジを罵る。


 イノシシを捕獲・解体してベーコンにするのはキリンジの副業だったということなのだろう。キリンジの立場を考えれば、それもヤクザのシノギの一つということになるのだろうか。


 結城はキリンジのアトリエの裏庭にいたイノシシのことを思い出していた。裏庭と言えば、あそこには妙なものがたくさんあったが。


「キリンジさんの山小屋の裏にあった滝とか舞台って――」


「自分、そんなところまで見たんか? そうや。あれは撫子が『巫女』としての修行をするための場所や」


 なるほど、そういうことだったのか。


 あの裏にあった滝で、撫子はたき垢離ごりをしていたのだろう。あそこに落ちていたショーツは、撫子のものだったのだ。少女の姿と下着が結びついて、結城はうっすらと後ろ暗い興奮を覚えた。恐らく彼女はショーツを穿き忘れたまま帰ったということなのだろう。


 世の中にはそういう事故のようなエッチな出来事が起こるものなのだなぁ……と結城は中学生のような感想を抱いた。もし、思春期の自分がノーパンの少女と遭遇することがあったら、きっと性癖がバキバキに歪んでいたに違いない。


 いや、そんなことを考えている場合ではない。


 結城は岩田屋町のUMAと『巫女』の関係について、改めて頭の中を整理した。里菜の説明のお陰で状況はかなり分かりやすくなった。


「いろいろ腑に落ちました。連中はサンダーバードの力を手に入れるために『巫女』の適格者であるアイをさらったってことなんですね」


 神の鳥の力を『巫女』を利用して我が物とする。そういうことなのだろう。分かったからといって許せるものではないが。


 敵の姿が明確となり、どこかスッキリとした表情の結城とは反対に、里菜は眉根を寄せて難しそうな顔をしていた。


「……その線が濃いと思ってたんやけどな。なんか違和感があんねん。ほんまに敵さんの狙いはサンダーバードなんかって」


 前提を覆すようなことを里菜は口にした。


「違うんですか」


「最近この町で起こっとった細々こまごまとした怪現象がな、サンダーバードとは違う、別の何かが現出する前兆に思えてん」


「別の……何か?」


 サンダーバード以外にも、この町には強大な力を持ったUMAが潜んでいるとでも言うのだろうか。そんなものが二頭も三頭も人目を避けて潜んでいるようなら、この町が滅びる日も近いだろう。


「うーん、結城も心当たりがあるんちゃうかな。結城は『巫女』の『よすが』なんやから。身の回りで何か妙なことは起こってへんかった?」


 里菜の口から出た『よすが』という言葉に結城は食いついた。襲撃者達とキリンジのやり取りの中にも出てきた言葉だ。そしてキリンジは、結城のことをアイの『縁』だと言ったのだ。


「キリンジさんも言ってましたけど、その、『縁』って何なんですか」


 里菜はそうやなーと唸ると。


「さっき『巫女』はほっといたらUMAに飲み込まれるって言うたやろ? 『縁』はそれを防ぐための安全装置みたいなもんや。あっち側の世界――彼岸ひがんに引きずり込まれないように、『巫女』が此岸しがんとの結びつきを維持するための存在が『縁』ってことや。『巫女』と精神的に深い繋がりがある人間が、勝手に選ばれるんやけど」


 結城は綱引きの縄のようなものを想像した。片方をUMAが引き、片方を『巫女』が引く。だか、UMAの力は余りにも強い。あっという間に『巫女』を引っ張り込んでしまう。だから『巫女』は余った自分の縄を、自分の背後にある岩だか木だかに結びつける。それが『縁』ということだろう。


 勝手な解釈かもしれないが、結城はそう理解することとした。


 自分がアイにとって“精神的に深い繋がりがある人間”だということが、なんとなく誇らしくもあった。


「連中は『ボラード』と呼んでいました」


 キリンジが補足した。確かにそうだった。羽の生えた男が不吉な声で「ここでも『巫女』と『ボラード』がセットか」と言っていたのを思い出す。


「『ボラード』ってアレやな、港にあるアレ。あのー、わかるやろ? 港でこう、足をのっけたくなるアレや。船を繋いでおくのに使うやつや。わかるよな?」


 里菜は不明瞭なジェスチャーをしながら二人に同意を求めた。


「わかるような、わからないような……」


 古い映画で岸壁に立つハードボイルドな男が足を乗せている逆さL字のアレのことだろうか。


「まあええわ、後でググっといて。別に呼び名は何でもええねん。で、結城は何か身の回りでおかしなことはなかったん?」


 改めて里菜に問われて結城は最近身の回りにあったことを思い出す。それはアイとの思い出でもあるので、胸が締め付けられるような苦しさがあった。二人の幸せな光景の中にあったもの。差し挟まれた違和感のような存在。


「――そう言われると、妙な馬の幻覚みたいなものが見えることがありました。アイも同じようなものを見てたみたいです」


 首のない黒い馬の幻が、たびたび二人の前に現れた。そのことについて二人で話すことはできなかったが、アイの目にもそれが見えていたことは明らかだった。


「――馬なぁ」


 里菜は首を傾げて頭をかいた。サラサラと美しい金髪が流れる。


「神話級の馬型のUMAと言ったらいくつかは思い浮かびますが――」


 キリンジが指を折りながら里菜に向き直る。


「でも、そいつらが岩田屋におる理由は思い浮かばんやろ」


 確かにそうですねと呟いたキリンジは、顎に手をやってふむと息を吐いた。


「あと気になるんが、連中が『縁』はいらんと言うてるところやな。結城の恋人さんと一緒に、撫子の『縁』に当たる男の子が連中にさらわれてるんやけど、それもただ『巫女』である撫子をおびき寄せるためのエサって感じやし」


 結城は羽の生えた男が片手にぶら下げていた少年のことを思い出した。羽の生えた男は確かに「エサ」と言っていた。『巫女』を現世に引き留めるための『縁』として利用する――という口振りではなかった。


 そもそも。


「何より、俺がさらわれずに捨て置かれてますからね」


 アイの『縁』である結城を、連中は放置して去っていったのだ。生きようが死のうがどうでもいいという態度だった。


「それよ。連中は『巫女』をUMAに食わせたら、後はアウトオブコントロールでも問題ないと思っとる可能性が高い。そばに『縁』がおれば『巫女』を介してUMAの行動をある程度制御することもできるんやけど、あちらさんはそれをするつもりがないみたいや」


 里菜の言葉は不穏な状況を示唆していた。


「それって――」


「UMAを大暴れさせることができれば、何でもええってことなのかもしれへん」


 里菜は虚空を睨みつけながら吐き捨てた。敵の目的はそれこそ『この町を消し炭にすること』なのだろうか。


「あるいは『巫女』を介さずにUMAをコントロールする何らかのすべを持っとるのか――」


 いや、それはないか――と里菜は口にした自分の言葉をすぐに否定すると、ソファにもたれてぐしゃぐしゃと金髪をかき乱した。


「なにせ予備の『巫女』はもう連中の手の中にある。撫子が手に入らないと分かれば躊躇いなく、それを使うやろうな」


 結城は息を呑んだ。

 ここでじっとしていれば、アイが生贄として捧げられる時間がどんどん近づいてくるということだ。悠長に準備している場合ではない。


「あんまりゆっくり考えている時間はないってことですよね。引き伸ばす方法もないなら」


 あの二人の怪人を見る限り、交渉して時間を稼いだりもできそうにない。そもそも連絡手段もないのだ。里菜が言っていた別件で岩田屋町を離れている『主戦力』とやらが帰ってくるのを待つという選択肢は取れないだろう。


「せやな。搦め手を使えるほどの余裕もないっていうのが実際のところやし。現状の戦力はうちとキリンジと撫子ぐらいや。あ、結城もカウントしとこか? 結城には『縁』として道案内を頼まなあかんし。なにせ、このメンツで敵さんの本陣に突っ込むしかない。罠が張り巡らされてると分かっててもな」


 里菜はポキポキと指を鳴らした。その表情はキリンジを叱りつけたときのような凶悪なものになっていた。


「いや、俺は別に戦力としてカウントしなくてもいいですけど。っていうか里菜さんも戦力なんですか?」


 ヤクザとは言え、見た目はただのギャルである。その佇まいになんとも言えない凄みがあるのは分かるが、実戦で何かできるようには思えなかった。


「あ、うちのこと女の子やと思った? ちゃうねん。見かけに寄らんけど、うちめっちゃ強いねん」


 凶悪ヅラから気楽なモードに戻った里菜は右腕でぐっと力こぶを作るポーズをしてみせた。ビキニトップに包まれた形のいいバストがぷるんと揺れる。出ているところは出ているし、引き締まるところは引き締まっている。AV女優引退から10年近いが今も、いや、今だからこその、いいカラダだった。


「――安心しろ。姐さんは俺と同じぐらい強い」


 深刻な顔で腕組みをしていたキリンジが、断言するように結城に告げた。


「俺と同じぐらい? ほー、キリンジも言うようになったなー。今度久し振りに稽古つけたらなあかんな」


 里菜が先程とは違うタイプの悪い笑顔になっている。キリンジはそれを見てあわわと取り乱した。


 この二人の関係を見る限り、里菜が強いというのは嘘ではないのだろう。


 気になったことはもう一点あった。


「あの子も――撫子ちゃんも連れていくんですか。連中の目標はあの子なんですよね?」


 シャワーの音が聞こえなくなったので、今は着替え中だろうか。結城はバスルームに繋がる扉のほうを見つめた。


「だからって置いていく訳にはいかんやろ。撫子が来ないと分かれば、連中はすぐにでも結城の恋人さんを使うかもしれへん。それに――ちょっと自信過剰に聞こえるかもしれへんけど――うちの目の届くところにおることが、一番安全なんや。あと、もし置いていったら――」


 前触れなく扉が開いた。


 そこにはブカブカの白いTシャツを着た撫子が、タオルで頭を拭きながら立っていた。Tシャツの丈が長いからか、下に何も穿いていないように見える。すらりと伸びた白い足はカモシカのように美しい。まさかノーパンということはないだろうが。


「――この子一人で敵さんのところに突撃するに決まっとる。あの『縁』の男の子に、相当ながあるみたいやからな」


 風呂上がりの撫子の頬はピンク色に火照っていた。きょとんとした目でこちらの三人を見ていた撫子だったが、里菜の言葉からなんとなく話の流れを掴んだのだろう。


「もし私を置いていったら――」


 撫子はタオルを首に掛け、静かな声で宣言した。


「全員殺すから」

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