【光】08 アイドル研究部

 突然アイドル研究部の部室に浅倉撫子が現れた。


 床にダイブしていた光、シュウ、忍の三人は身体を起こしながら、同じことを考えていた。


 ――さっきの話を聞かれていたのだろうか。


「何よ。ジロジロ見て」


 思わず全員で撫子の顔を見つめる形になってしまった。今度は全員がよそよそしく撫子から視線を外す。


 撫子は溜息を付きながら後ろ手でドアを閉め、先程まで光が座っていたパイプ椅子に腰を下ろした。


 どうやら先程の話を聞かれていたわけではなさそうだった。しかし、これから何が始まろうというのか。


「座らないの?」


 と撫子に言われて、男達もパイプ椅子に座った。


 撫子は珍しそうに部室の中を眺めている。狭い部室にはライブDVDを満載した棚の他には、そこそこ大きなテレビがカラーボックスに載せる形で置かれていた。隅には何が詰まっているのかよく分からない段ボールが三つ積み上がっている。壁にはポスターが三枚貼ってあるのだが、恐らく忍以外には分からないアイドルユニットのものであった。


 なんとも言えない緊張感の中、口火を切ったのは光だった。


「あの、浅倉さん」


「何よ」


 何よじゃないんだよ、と光は思った。


「僕に何か用事なのかな。それとも忍君に?」


「斎藤君に用はないわ」


 あっさり言われて「ぐはっ」と忍がうなだれる。撫子はそれには特に気を留めず、こいつ分かっていないのかという表情で光を見ていた。


「私はね、あなたを監視しに来たのよ浜岡君」


「僕を……監視?」


「ええ」


 なるほど、話は先程のロングホームルームでの『演説』と繋がっているわけだ。光は撫子がここに来た理由を理解した。


「僕がいつ『暴言』を吐くとも知れないから、近くにいて監視しておくってこと?」


「そういうことよ。さすがに家までは付いて行けないから、校内限定だけどね。それでも他の生徒に向かってあなたが何か言いそうな空気になったら、私が口を塞いであげる」


 口封じのために簀巻きにして海に沈めるみたいな言い方だった。どんな方法で口を塞ぐのか、想像するのが怖かった。


「勘違いしないでよ。近くにいるって言っても、あくまで監視が目的だからね」


 釘を差すように撫子が言った。


「うーん浅倉殿、さすがにそれはやりすぎでござるよ」


 忍が腕を組んで言った。


「光殿にだって自由に学校生活を送る権利があるでござる」


「別に浜岡君の自由を侵害するつもりはないわよ。何かあったら止めるだけで。それ以外は別に何をしたって構わないわ。それに男女別の行動になったら何もできないしね。できる範囲のことをするってだけよ」


 光は昨日撫子が言っていた「私は私が守れるものを守るだけよ」という台詞を思い出していた。


 撫子のの中に、光と他の生徒が入っているということなのだろう。


 光は暴言を吐いて孤立することから守られ、他の生徒は光の暴言で傷つくことから守られる。


「しかし、普通は監視されてたら自由に物が言えないでござるよ」


 忍が食い下がる。

 撫子は光を見て、


「そうなの?」


と尋ねた。

 光は返答に困ってとりあえず頭をかいた。光はこのままずっと隣に撫子がいることを想像した。思ったより悪くないんじゃないかと思ってしまっている自分がいた。


 ここでシュウが口を挟んできた。


「忍の言う通りだぜ、浅倉さん。自分を殴ろうと追い回してた相手に監視される身にもなってみろって。それに、いくら委員長でも本人の了解無しでそこまでする権限はないはずだぜ。もしそんなことをするんだとしたら、それはもうストーカー行為になっちまう」


「ストーカー!?」


 撫子が思わず声をあげた。そして心外だという表情で光を見て言った。


「ちょっと、浜岡君。あなたからも何か言ってよ」


「えっ、僕が言うの?」


「困ってたんでしょ?」


 それはそうなのだが。


 実のところ、撫子と一緒にいること自体に悪い気はしないのだが、監視する・されるという関係になるのは違う気がしていた。


 撫子は眉根を寄せて、少し口元をむっとさせている。


 優等生のようなフリをしているが、撫子はどちらかというと感情を抜き身のままぶら下げているタイプの、天然な性格の持ち主だと光は思った。


 倒す。守る。好き。嫌い。


 巨大な力と、それに伴う正義感。


 光は目の前の少女の内面のアンバランスさに思いを馳せた。


 撫子が「ねえ浜岡君、聞いてるの」と光の目の前で手をパタパタ振って、ちゃんと起きているのかを確認する。光はううんと曖昧な返事をする。


 シュウはそんな呆けた光を隣でしばらく観察した後、ははーんと何かに気づいたように目を細めた。そしてニヤリと笑うと、


「――俺に名案があるんだけどな」


と言った。


「何よ」


 撫子は険のある声をシュウに向ける。何かよからぬことを企んでいるのではないかと訝しむ表情だった。そんな撫子に対してシュウは思い切り口元を吊り上げ、


「俺と光と浅倉さんで、アイドル研究部に入るんだよ。そうすれば合法的にずっとそばにいられるようになるだろ? それに、もうすぐ夏休みだぜ。部活でもないと、毎日のように顔を合わせられないだろ?」


「その手があったかーーーー!!!!」


 バーン!と机を激しく叩いたのは忍だった。忍側の長机は、両脚が妙な方に曲がって、音を立てて床にへしゃげた。


 忍以外の三人は目を丸くしている。


 数秒の沈黙が過ぎ去ってから、忍はいそいそと長机の脚を器用に直し、再び元の状態に戻した。


「その手があったでござるか」


 そして言い直した。


 シュウの提案は理に適っていた。

 同じ部活動に入れば一緒にいても不自然ではない。監視という本来の目的があったとしても、二人で何か同じことに取り組むのであれば、緊張感のない関係に自然となっていきそうではあった。


 だが、撫子はヤンキーを見たときと同じようなになっている。心底嫌そうだった。


「あのねぇ有沢くん、私がアイドル研究部に入るわけないでしょ」


「なんでだよ。アイドル研究部楽しそうだろ。何する部活なのかイマイチ分からないけど」


「これまで斎藤君に何回誘われても入らなかったのよ?」


「別にいいじゃねーか。今回は俺と光も一緒だぜ」


 と言いながら、シュウは光の肩を抱いた。そのまま光の顔の横に、自分の顔をぐっと近づける。一蓮托生のポーズといったところだろうか。光は思わず笑ってしまった。


「あなたがよくても、浜岡君がどう思うか」


「はあ? そんなのOKに決まってるだろ。なあ光」


 グッと肩を抱く手に力を込めるシュウ。ニヤニヤしながら小声で「本音を言え」と光に促した。


「――僕はアイドル研究部、入ってもいいよ。浅倉さんも一緒に入ってくれたら嬉しい」


 自分でも思った以上に素直にそう言えたことに、光は驚いていた。なんの逡巡もなかった。


 その言葉を聞いた撫子は一瞬目を見開いて驚きを示した後、腕を組んで溜息をついた。


「三人でグルになって私をからかってるの?」


「違うよ浅倉さん、堅苦しい監視なんかより、一緒に楽しいことしたほうがいいってことだよ」


 嘘偽りのない本音をぶつけて光は撫子に笑いかけた。


「拙者も部員が増えるのは大歓迎でござるよ。卒業した先輩から部を受け継いで四ヶ月。そろそろ本格的に活動したいと思っていたでござる」


 忍もうんうんと頷いている。


「ちなみに俺は楽しければなんでも大歓迎だからな。今は他に部活も入ってないし。あとは浅倉さんの気持ち次第ってことだ。どうする?」


 シュウが撫子に返答を迫った。


 撫子は光が出会ってから、一番困惑した表情を浮かべていた。形のいい唇の端がピクピクと動いている。どんな言葉を口にすべきか悩んでいるようだった。


 そこに、部室のドアを控え目にノックする音が響いた。一体こんなときに誰が――と全員の目がドアに注がれる。


 忍がどうぞでござると言うと、そっとドアを開けて一人の女生徒が入ってきた。


「澄乃」


 撫子が澄乃と呼んだその女子は、ふわっとした栗色の髪をしていた。どことなく子鹿のような印象を漂わせている。全体的に線が細く、幸薄そうに見えるが、撫子に負けず劣らずの美人なのは間違いなかった。


 いったいどんな状況なのかと部室内をぐるりと見たその女子――澄乃は、


「なでなで、今日一緒に帰ろうって言ってたのに急に消えちゃうからびっくりしたよ。みんなに尋ねながらここまで来たんだよ」


と、撫子に向かって口を尖らせた。


 なでなで。


 すげえニックネームだなと光は思った。


「誰かと思ったら立花さんか」


 シュウは光の肩に回していた腕を離しながら言った。そして光に「クラスメイトだよ」と耳打ちした。そういえば二年一組にいたような気がする。


「立花さんからも言ってやってくれよ。アイドル研究部に入れって」


「ちょっ……!」


 珍しく撫子が焦っていた。


「えっ、なになに?」


「澄乃、聞かなくていい!」


「浅倉さんがアイドル研究部に入るって話」


 こらばか!と撫子が止めるがシュウは舌を出して笑うだけだった。


「ええええ! なでなでがアイドル研究部に! 素敵!」


 澄乃は手を合わせて目を輝かせた。


「私いつも思ってたんだよね。斎藤くんがなでなでを誘ってるのを見るたびに、アイドル研究部に入らないかなって」


「な、何を言ってるのよ!」


 撫子、いや、なでなでは本気で慌てていた。


「なでなで、部活も入らずに放課後いつも一人でいるから幼馴染として不安だったんだよ。学校中の運動部のキャプテンがぜひウチにって誘いに来てくれたのに、ぜーんぶ断っちゃうし」


「ぶ、部活に入ってないのはあなたも同じでしょ! それに二年生の私が入ったら部内の雰囲気が壊れて――」


「アイドル研究部はそんなこと考えなくてもいいでござるよ! 部員ずっっっと一人でござる!」


 忍が笑顔でサムズアップする。ちょっと悲しいが。


「ほら! ちょうどいいよなでなで! もしなでなでがアイドル研究部に入るんだったら私も一緒に入るから! ね!」


「澄乃あんた何言ってるのよ!」


 顔を真っ赤にして撫子は澄乃に掴みかかるが、澄乃はにこにこしているだけだった。


 幼馴染は強し――である。


「これは決まりだな」


 ニヤリとシュウが笑った。

 忍も突然の展開だが、部員が増えるということで嬉しそうだ。

 澄乃も撫子とじゃれあうようにぴょんぴょんと跳んで、笑顔を見せている。


 撫子は――すがるように光を見た。予想外の事態に顔を赤らめている『岩田屋町最強のセイブツ』は超が付くほど可愛かった。


 光は――自分が今、どんな顔をしているのだろうと思った。


「浅倉さん、観念しろよ」


 シュウが忍から受け取ったまっさらな入部届を四枚、机の上に並べた。


「いやー、『岩田屋にくにくフェスティバル』のアイドルコンテストに出場申し込みしておいてよかったでござる」


 忍が棚から取り出したのは、夏休みに開催されるイベントのチラシだった。


 もしこういう展開にならなかったら、忍一人でアイドルコンテストのステージに立つつもりだったのだろうか。ちょっと怖い想像をしてしまった。


 一人ずつ入部届に名前を書いていく。

 シュウと光が書いたあと、澄乃もためらいなく入部届にボールペンを走らせた。こうなったらもう、撫子も覚悟を決めなければならない。


「なんでこんなことになるのよ」


 と言いながら、岩田屋町のすべてのヤンキーを震え上がらせる『町内最強』は、アイドル研究部の入部届にその名前を刻んだ。


 浅倉撫子。


 名前欄に書かれたその筆跡は、案外丸文字でかわいかった。


 夏休みは、もうすぐそこまで来ていた。

 



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