【結城】02 犬になりたい

 プレイが終わって結城とアイはベッドの上に寝転んでいた。アイは結城のぎこちない腕枕の上にちょこんと頭を乗せている。結城はアイの身体の温度を感じながら、こうやって改めて見ると小さいなと思った。


 無論、彼女の身体には大きな部位もある。


 仰向けに寝ているアイのバストは今は重力に引かれて横に広がっていた。


「前から思ってたんだけどゆーきくんは結構ドMだよね」


 アイが結城の太股をさすりながら言った。「結城」の発音は本来はどこにもアクセントが来ない平板なものなのだが、アイは"勇気"と同じ発音で結城のことを呼んでいる。

 結城は風俗店の予約でも堂々と本名を名乗るタイプだった。ある嬢に「三人連続で山田さんだよ!」と言われてからそうするようになったのだ。こういった店に来始めた頃は「もし知り合いに会ったら……」などと考えていたが、今はもう、どうでもよかった。


「いや、そんなことはないと思うけど。痛いのは好きじゃないし」


 とりあえず結城はアイの言葉を否定した。


「そうかなー。絶対ドMだと思うんだよね。痛いのとかじゃなくて、精神的なやつが好きそうな。次からはもっと性癖ディグっていこうかな」


「ええ……」


 実際はなんとなく自覚もあった。間違いなくSではない。こういう店でときどきMな嬢と当たることもあったが、上手く噛み合わずに不完全燃焼なプレイになることが多かった。30代人妻(実際は40代だろうと思う)に「ぶって…!」と言われたとき、結城は我に返って爆笑してしまったのだ。

 恐らく本質的にはMなのだろう。

 虐げられることに興奮するような。

 なんでそんなことになっているのかはわからないが。生まれ持ってのものなのか。それとも、。 


「アイさんはどっちなの?」


 と振ってみる。


「んんー私はプロだからさー。どっちもイケるよ。うん」


「いや、それはそうなんだろうけどさ」


「強いて言うなら、私もMなんだよね。たぶん」


 これまで何度もアイを指名して遊んでいるが、そういう姿を見た記憶はなかった。アイのそういう面を引き出すことができないのは、やはり結城自身もMだからに他ならないのではなかろうか。


「めーっちゃドSのお客さんもいるからさ。そういう人と当たると、もうぼろぞーきんみたいにされたりするのよ。乱暴なのはNGだけどさ、めっちゃ激しい人とかもいるから。涙が出るほどいじめられて、でもちょっと楽しい……みたいな。ってうわ! なんでこんな話聞いて元気になってんの! 想像しない!」


 妄想が暴走して、不覚にも臨戦態勢に入りかけてしまった。しかし、ドSな誰かに責められているアイを見たくないかと言われれば、少し見てみたい。


「もしかしてNTR性癖ってやつ? わー根が深そうだねー。どうする? もう一回する?」


「いや、やめとくよ」


 残された時間は十分にあったが結城は断った。「時間は長く。そして一球入魂」が結城のプレイスタイルだった。今日も120分の枠を取ったが、プレイは一回で十分だった。残った時間はダラダラと過ごすのがむしろ楽しかった。昔は回数をこなさなければならないという強迫観念みたいなものがあったが、そうやってしゃかりきにやっても、むしろ途中で失速して全体的な後味が悪くなるような気がしてきて今のスタイルに落ち着いたのだった。


「んんー、じゃあこうやってゴロゴロしてようかー」


「うん」


 アイが猫のように丸まる。かわいいなと素直に思う。アイ本人は犬派だと言っていたが。実家ではコーギーを飼っているらしい。


 こうやって毎回ピロートークみたいなことをやっていると、彼女のいろいろな情報を知ることができた。


 出稼ぎでこの●島県の『みるくあっぷ』まで来ていること。北海道出身で、実家では年老いたコーギーを飼っていること。事務の昼職をしていること。スポーツ観戦が趣味で、生観戦のためにフットワーク軽く様々な場所に行っていること。


 独身であること。


 これは嘘か本当かわからない。

 ――いや、そもそも語られたプロフィール全てがそうなのか。結城はボーッと目の前にあるアイのつむじを眺めている。


 アイが語ったことと同じぐらい、結城もこれまで自分のことを話してきた。なんでこんなに素直になんでも話せてしまうのだろうか、というぐらいに。ときどき見栄っ張りなウソも交えながらだが。太古の昔からハニートラップによる諜報活動が世の中から無くならない理由がわかる。相手の弱みを握りたいなら枕を共にするのが一番手っ取り早いのだろう。


「日曜の昼間にベッドの上でダラダラしてるのっていいよなぁ」


「うんうん」


 アイがこちらに顔を向ける。至近距離であったため、結城の鼻に彼女のおでこがぶつかった。


「子供の頃の日曜ってさ、すごく特別だったよねー。小学生の頃とかさ、まだ部活もしてなかったからずっと友達と遊んでられたし」


 アイはそう言いながら指先で結城の鼻をちょいちょいと撫でた。


「あ、ああ、なんかわかるかも」


 不意打ちを食らった結城はドギマギしながらふわっとした返事をする。


「ウチの実家の周りなんてさ、なーんにもない原っぱだからひたすら外で鬼ごっこしたり、ボール蹴ったりして遊んでたよ」


 たはーほっかいどーはでっかいどーなんだよねーとアイ。結城は原っぱで遊んでいる小学生時代のアイを想像した。いつから胸は大きかったのだろう。


「結構男の子っぽい遊びが多かったんだ」


「ゲームとか買ってもらえなかったんだよね。ウチ結構きびしくてさ。笑っちゃうよね。教育ママだったんだよ、うちのお母さん」


 おかげで娘は立派な泡姫になったよーとアイはおどけた。どう反応すればいいのかわからない。


「いや、でもさ。実際すごく地頭が良いんだろうなって思うよ。話してて全然飽きないし。なんか、失礼な言い方でごめん」


「えっ、いいよ。うれしい。頭いい人に頭いいって言われたらうれしいよ」


「いや、別に俺は頭はよくないよ」


 大学を卒業しても、就職活動に失敗して地元に帰ってきたぐらいだ。もしかしたら学校の勉強はできるほうなのかもしれないが、世の中で求められる頭の良さはそういうものではないということが、今はわかっている。


「ゆーきくんのお母さんはどんな人だったの?」


「俺の母親かぁ」


 別にどうってことない普通の専業主婦だった。大企業に勤める父親はあまり子育てに協力的なタイプではなかった。「子育てこそ母親の仕事だ」と言わんばかりに母親に家庭に入ることを求め、特に取り柄のない母親はそれに従った。


「普通の母親だったよ。別に教育ママって感じじゃなかったと思う。厳しくもなかった気がするし。変なことしたら叱られたりはしたけど」


「えー、ゆーきくんでも叱られるようなことするんだ。意外」


「そりゃ子供の頃はするよ。しょうもないことをして怒られてたなぁ」


 言いながら、結城は自分の一番古い記憶のようなものを思い出していた。


「なんでだったか理由も覚えてないんだけどさ、めちゃくちゃ叱られたことがあって、夜に家の外に放り出されたことがあるんだよ」


「うんうん」


「泣きわめいて玄関のドア叩いてさ、入れてくれって頼んでるの。で、俺はそんな自分を、なぜか後ろから見てるっていう」


「えっ、なになに。幽体離脱ってやつ?」


 オカルトめいた話になったからか、アイは笑いながら結城の腹を撫でた。


「よくわからないけど、なんかそんな視点で覚えてるんだよな。それが自分の一番古い記憶かもしれない」


「へー、なんか不思議だね」


「うん。結局、泣いてもわめいても入れてくれなくて、ドアの向こうから母親が『あんたなんかウチの子じゃない』みたいなこと言ってるっていう。――そこで記憶は終わり」


 実際は入れてくれたのだろう。そうでなければ結城は今も野生児としてどこかの山で暮らしているかもしれない。


「なるほど、つらかったんだね」


「――えっ」


 アイの手が結城の頬に伸びていた。細い指先がぴたりと目尻のあたりに当てられた。


 我知らず流していた一筋の涙を、アイが止めてくれていた。


 そんな悲しい思い出だとは、自分では思っていなかったが。


「よーしよしよし。ゆーきくんはえらいねぇ」


 アイは両手で結城の頭を掴み、自らの豊かな胸に押し当てた。結城は抵抗せず、その柔らかな感触を顔全体で味わった。さっき二人で使った同じボディソープの香りがした。アイの手が結城の後頭部を撫で回す。


「いや、子供じゃないんだけど」


「ん? 子供? 犬のつもりだったんだけど。わんわーん!わんわーん!」


 結城は犬になりたいと思った。

 

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