第9話 マックスc大気突入
入念に最後の点検をして、突入の日を迎えた。サクロとルルアを含めた乗員全員が戦闘指揮所の座席に座り、ハーネスで体を固定している。
「ガレオン船に変化なし。進路そのまま北上しています。周辺海域に陸地、人工物、他の船舶など見当たりません」
ナウラス大尉はミロウンガの示す情報を自分でも確認して艦長に報告する。
「了解。着水点は予定通りガレオン船より南の海上、千キロメートルのポイントに設定します」
相手に先手を取られることは避けたかったので、確実に射程外になるように千キロメートル離すことに決めていた。
「着水点の深度二千メートル、巨大な海洋生物などは確認されず。着水点の設定完了。すべて異常ありません」
操縦士のマーザがそう応える。
「了解。ミロウンガ号の突入シークエンスを開始します。突入シークエンス用意」
「突入シークエンス用意完了」
「突入開始」
「突入開始」
マーザは復唱し、パネルを操作する。一連の動作のほぼすべてをミロウンガAIが自律的に行うようだ。
それまで高さ五百キロメートルほどを維持していた対地高度計の表示が、徐々に減り始め、代わりに対地速度計の値が急速に増え始めた。
やがてミロウンガ号の外壁は大気との摩擦熱で加熱され、その影響でカメラ映像も衛星からの信号も途絶えた。
高度計と速度計の表示だけが、めまぐるしく変化している。対地速度が最大になろうかというとき、速度計の示す値が一瞬止まったように見えた。しかし、それは見間違いではなく、今度は速度が落ち始めた。
「重力遮断とスラスト噴射開始しました」と、マーザ。
「了解」
重力遮断装置が動作し、マックスcとミロウンガ号との間に働く重力が遮断された。さらに減速させるため、逆噴射を行いながら海面に接近しているようだ。自由落下中は無重力だったけれども、今は減速しているので下向きに重力を感じる。
どういう原理で重力を遮断できるのか、そしてどうやって実現しているのかも人類には理解することができない、まさに魔法だった。
高度が海面に近づくにつれて、速度はゼロに近づいていく。
突然、小さな爆発音が響いた。
そのころには船外カメラの映像も回復していて、何が起こったのかを確認するためにサクロは壁面のパネルモニタに目をやる。モニタにはマックスcの夜の海と空の映像が映されていて、その中を黒く焦げたパネルが何枚も落下しているのが見えた。
「シールドのパージに成功しました」
どうやら、大気圏突入用の耐熱シールドを切り離したようだ。ずんぐりとしたシールドが外れて、ミロウンガ号は本来の姿になっているはずだけれども、艦内にいるサクロにはその姿を知る術はなかった。
やがて海面に到達すると速度はゼロになり、スラスト噴射も止まって、ミロウンガ号は海面スレスレで静止した。重力遮断装置が動作しているので、ミロウンガ号は浮遊している。
「まもなく重力遮断装置停止します。揺れに備えてください」
マーザのその注意喚起から数秒後、重力遮断装置によって遮断されていた重力が戻り、ミロウンガ号は船底から海中へ大きく沈み込んだ。その反動で、水しぶきが上がる。それと同時に無重力状態だった船内も、一気にマックスcの重力下に置かれ、急激に自分の体が重く感じた。突入開始からわずか一〇分ほどの間に、めまぐるしく重力のベクトルが変化したため、サクロは目が回り、吐きそうだった。ルルアも多少は顔色を悪くしていたが、サクロよりは平気そうだ。
他の乗員の様子は普段と変わりない。こういうことに慣れているのか、あるいは肉体を改造しているのかもしれない。銀河連合では、人体の強化について厳しい規制が設けられているけれど、コルセアたちはその規制にはそれほど縛られていない。そのため、コルセアの中には、『彼ら』の魔法技術を使って肉体を改造している人間も少なからずいる。それが、コルセアが魔法使いと呼ばれるゆえんの一つになっていた。『彼ら』の技術による肉体強化は得体がしれないためリスクが高く、人体実験に参加するようなものだ。しかし、そういう命知らずのおかげで安全性が確かめられた技術については、銀河連合側も採用していた。それらの強化技術は、生殖細胞に施されることが多く、サクロも自身にどのような改造が加えられているのかは知らなかった。
「着水成功しました」
一旦、海中に沈んだミロウンガ号は、浮力でクジラのように海面へ浮上した。と同時に、船内では歓声が上がる。
「自己診断によれば破損箇所はありません」とナウラス大尉が報告する。
「了解。念の為、スーは艦内の点検をお願いします」
「了解しました」
ミロウンガ号が着水した場所は、マックス太陽のちょうど反対側なので、時間としては真夜中になる。宇宙から観測した結果、マックスcの一日は、標準時間で二五時間一二分だったので、これを二四分割して現地時間の一時間とした。つまり、現地時間での一時間は、標準時間での六三分になる。また、地軸がほとんど傾いていないため、常に昼と夜の長さが等しく、そのため日の入りを現地時間の午前六時、日没を午後六時と定めた。それらから計算すると、現在はちょうど午前零時となるので、ミロウンガにそのように表示させることにした。
「今後は、この現地時間で作戦を行います。目標、ガレオン船。全速前進」とファルハ艦長は乗員に通達する。また、マックスcの大気組成をもう一度調べて問題ないことを確認したあと、交替で甲板に出て休憩する許可を与えた。数十分の短い時間とはいえ、満天の星の下、数ヶ月ぶりの新鮮な空気を思う存分吸えた乗員たちはみな羽を伸ばして明るい表情を浮かべていた。
サクロとルルアは、甲板に出たとき、初めてミロウンガ号の船体を見ることができた。しかし、船体から艤装に至るまで視覚欺瞞迷彩が施されているので、月明かりの中、ぼんやりとしか輪郭が見えない。毛が生えているように見えたかと思うと、今度は鋭利なナイフのようにも見える。ルルアは視覚欺瞞迷彩を初めて見たようで、しきりに不思議がっていた。主砲もあるはずだけど、結局よくわからなかった。
乗員たちは交替で休憩しながら、ガレオン船まで水上航行を続ける。途中、夜が明けて、マックスcの空も海も青いことがわかった。二〇時間ほど水上航行を続け、ミロウンガ号はガレオン船に五〇キロメートルまで迫り、戦闘指揮所に緊張感が漲っていた。壁面パネルには、ガレオン船の衛星画像がリアルタイムで映されていた。人類の脅威となるような様子もなく優雅に航行している様子が見て取れる。
「ガレオン船、ミロウンガ号の主砲の射程に入りました。衛星との戦術データリンク良好。風力、コリオリ力、重力補正よし。いつでも主砲発射可能です」
ナウラス大尉はファルハ艦長に報告する。航海中に聞いたところによると、主砲は昔ながらの砲弾を飛ばす滑腔砲らしい。子どもに情報端末はプレゼントするが、機関銃をプレゼントする親はいないように、『彼ら』は人類に魔法技術を与えてくれたけれど、武器や兵器は与えてくれなかった。そのため人類はいまだに、砲弾やレーザー砲、核ミサイルなどで戦っている。光圧推進エンジンを搭載したミサイルは、宇宙空間では実質的にほぼ無限の射程になったけれど、その程度のものであり、冷凍光線銃とか、原子分解銃といったものは意外にも持っていない。
「了解。火器管制コントロールはそのままで、ガレオン船との通信を開始してください」
事前の打ち合わせ通りにガレオン船との通信を開始し、ミロウンガ号の所属を開示した上で、ガレオン船の所属を誰何する。シュア専門官が言っていたように、連合よりも先にマックスcを発見して遊覧航行を楽しんでいる富豪のクルーザーの可能性があるからだ。しかし、ガレオン船からはなんの応答もなかった。続けて、あらゆる信号と言語で停船を呼びかけるが、こちらもなんの応答もなく、ガレオン船は航行を続けている。
ここまでは予測していたことだ。
「識別信号にも応答ありません」
「では、交戦を開始します」とファルハ艦長はサクロに向き直った。「構いませんね、ラウスフル調査官」
「いえ、待ってください。確実に方舟であることを確認できるまでは、交戦は認められていません」
もし違っていたら、責任問題になる。それは今後のキャリアに関わる問題だ。
「ですが、応答がないということは、連合に従う意志のない敵と判断するのが妥当と思料しますが」
「通信機が壊れているだけなのかも」とルルアが心配そうに口を挟んだ。
「ファルハ艦長、目視での確認をすべきです」
サクロは艦長にそう進言する。
「何を言ってるんだか、このとっつぁん坊やは」
それまで操舵していたマーザが突然声を荒げた。
「艦長があんたに訊いたのは、許可を求めたんじゃなくて、連合側の顔を立てただけで、部外者が艦長に意見できると思わないでよ。保身のために言ってるなら、船を下りれば?」
とっつぁん坊やと言われてサクロは少し腹を立てたけれども、すぐに冷静になり反論する。
「我々は海賊ではない。戦闘を始めるには、連合の定めた交戦規定に則る必要があります」
「私たちのことをさんざん海賊呼ばわりしておいて、今さら海賊じゃないとか都合良すぎなんですけど。そんな悠長なこと言って、先制攻撃されたら、どう責任取るつもり?」
「ナウル」とファルハ艦長は二人のやり取りを遮るようにナウラス大尉を呼ぶ。
「はい」
「ガレオン船に攻撃の兆候は?」
「攻撃の兆候なし。ミロウンガAIでの脅威度判定も不明のまま変わらず」
「了解。では目視できるまで近づいてみましょう。ただし、もし何らかの敵対的な挙動がある場合は、自衛権を行使して即時対応、つまり撃沈します。マーザ、速度そのまま、目標ガレオン船」
「目標ガレオン船、了解」
マーザはサクロになにか言いたそうだったけれど、睨んだだけですぐに視線をモニタに戻す。
「ありがとうございます」
サクロはファルハ艦長に謝意を示した。
「いえ、私もガレオン船を直に見たくなりました」
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