神様がくれた最高で幸せな人生

川島由嗣

神様がくれた最高で幸せな人生

 彼の第一印象は最悪だった。

「初めまして・・・かな。俺はA組の中村慎太だ。いきなり話しかけた上に唐突で申し訳ないんだが、明日発表される中間テストの点数で勝負しないか?」

「は?」

 この人はいきなり何を言い出しているのだろう。記憶を探るが、入学してから話した記憶はない。興味をひかせるための方便で、ただのナンパだろうか。


「・・・・本当に唐突ですね。私のことを知ったうえでおっしゃっているのですか?」

「ああ。中高一貫のこの学校に入学してからずっと学年1位を保っている大谷さんだろ。」

「それを知っていながら勝負を挑むんですか」

「ああ。ちょっと今回は自信があってな。」

「お断りします。私にメリットがありません。」

「そうだな。だから勝ったほうが負けたほうに一つお願いができるという賭けをしないか。」

 やっぱりか。この人も私の体目当ての下種な人だ。

 今までも男子生徒からのいやらしい視線はよく感じていた。だから男性に対しては嫌悪感しかなかったし、告白なども全て断っていた。そんな人達と同類と分かればさっさと話を切り上げて帰ろう。


「それこそ私にメリットがありませんが。」

「別に大谷さんにとっては変なのに絡まれたぐらいで何も変わらないだろ。もうテスト自体は終わっているから何か仕込むなんてこともできないし。」

「・・・・・。」

「なんだ。自信がないのか?」

 明らかに挑発だとわかっていても怒りで手が震えた。もう少しで張り倒していたかもしれない。彼は私が簡単に1位をとり続けているとでも思っているのだろうか。そう思ったら反射的に言い返していた。


「いいでしょう。ただし私の体とか付き合うとか言い出したら交番か職員室に駆け込みますが。」

 私は携帯電話をとりだし握りしめる。実は事前に企んでいて仕込み済みの可能性もあるかもしれない。

「そんなこと言うつもりはないよ。勝負を仕掛けたうえでこんなこと言うのは申し訳ないが、貴方に女性としての魅力は感じていないんだ。」

「は?ならなんでこんな勝負を仕掛けるのですか?」

「必要なことだから。」

 意味が分からなかった。彼は何がしたいのだろう。だが、これ以上説明する気はなさそうだった。反射的にとはいえ頷いた手前、やっぱりやりませんとは言うのは私のプライドが許さなかった。


「いいでしょう。」

「・・・・・よかった。」

 我ながら馬鹿な提案にのったものだと思ったが、まあ最悪口約束の賭けなど破棄して教師に男子生徒に付きまとわれていると相談すればいいだけだ。


「本当に意味が分かりませんね。貴方は。」

「自分でいうのもなんだが申し訳ない。それで大谷さんの願いは?」

「勝負を仕掛けた理由を話して、それ以降二度と私の前に現れないでください。」

「願いが2つの気がするがまあいいか。承知した。もし負けたら貴方に話しかけないことを約束しよう。さすがに学校を退学するのはできないが、やむをえない場合を除き、貴方には話しかけないし、関わらないことを約束しよう。」

「それであなたの願いはなんですか?」

「俺の願いは1人で登下校・外出する際は必ず俺と行動することだ。ただし、友達と遊ぶと時等、誰かと行動するときは一緒に居る必要はない。」

「「は?」」

 思わず素で変な声が出てしまった。先ほど彼はわたしに魅力を感じていないと言っていた。だが願いを聞く限りそれは嘘としか思えない。

「意味不明だと思われるのは承知の上だ。だがもし俺が勝てたら頼む。」

 そういい、彼は私に向かって頭を下げた。よく見ると彼の両手は力強く握りしめられ、震えていた。頭が混乱している。正直言って彼が勝てるとは思えない。それなのに何故こんなにも必死にお願いするだろうか。


「念のためもう一度確認しますが、私に対して邪な思いを抱いていないのですよね?」

「ああ。神に誓って貴方に対して興味はない。」

「言葉と願いが矛盾しているのですが。」

「大谷さんが勝ったら理由を聞いて、頭がおかしい人間の戯言だったと思ってくれ。」

「・・・・まあそれもそうですね。わかりました。受けましょう。ではまた明日。」

 そう言い、私は帰宅した。意味が分からなかったが、今回も手ごたえはあるのでどうせ私が勝つだろう。その時に聞き出せばいいと切り替えることにした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「そ・・・そんな。」

 次の日、私は廊下で立ち尽くしていた。目の前の光景が信じられなかった。目の前には中間テストの結果が張り出されている。私は2位だった。1位のところには昨日勝負を仕掛けてきた彼の名前があった。しかも全教科満点。彼が嬉しそうな顔をしてこちらに近づいてきた。

「俺の勝ちだな。約束は守ってもらうぞ。」

「何か・・・・事前に仕込んでいたのですか?」

「残念ながら教師達も同じ感想らしくてな。放課後に再テストだよ。もしそれで駄目だったらちゃんと伝えるから遠慮なく罵ってくれ。」

 彼が肩をすくめる。全教科満点など勉強したというより、問題を事前に盗んでいたという方が納得できる。教師達も腐ってはいない事がわかると少し安心した。

「・・・・・わかりました。失礼します。」


 放課後、私は約束通り教室で彼を待っていた。再試験の結果は担任の先生が教えてくれた。彼は再試験でも全教科満点だったらしい。怒りというよりも何故という気持ちが強い。別に学校で実力を隠す意味などない。目立たないためというのであれば何故今そんなことをしたのだろう。考えていると教師たちと話が終わったのか、彼が私のクラスにやってきた。思わず彼に詰め寄る。

「あなたは今まで実力を隠していたのですか。」

「いや。隠していたわけじゃないよ。ただ今回はひたすら勉強をしていただけだ。」

「・・・・・・。」

「事情はどうあれ、賭けは俺の勝ちだ。約束通り帰ろうか。」

「・・・・・わかりました。」

 私は頷くことしかできなかった。ささやかな抵抗として、何かあった時のためにすぐに助けを求められるように携帯を握りしめた。


「それじゃあまた明日。朝迎えに行くから。」

「・・・これに何の意味があるのですか?」

 彼と一緒に帰ったが、一言も喋らなかった。どこかに誘われることもアピールされることもなかった。本当にただ一緒に帰っただけだった。意味がわからない。

「負けたんだから秘密。気になるなら何でもいい。また他のテストでリベンジすればいい。」

「いいんですか?」

「ああ。ただ体力試験とか謎解きとかはなしな。あくまでテスト類で。1度でも負けたら話すよ。」

「・・・・ずいぶん余裕ですね。」

 怒りで手を震えた。お前など取るに足らない相手だと思われているとしか思えなかった。だがそれが伝わったのか、彼は首を振った。


「まさか。こっちも死に物狂いだよ。毎日遊ぶこともなく勉強漬けだ。」

「本当に?」

「今の1分1秒が奇跡の連続だからな。それを手放さないように必死なのさ。」

「?」

 そう言ったとき、彼は一瞬だけ辛そうな顔をした。なんだろう。だがそれを聞く権利は私にはない。

「気になるなら勝ってくれ。それじゃあまた明日。」

「・・・・はい。また明日。」


 次の日、彼を無視して先に行くことも考えたがやめた。それこそ負けた気がするのだ。連絡手段を交換していなかったことを思い出したが、いまさら言ってもどうしようもない。少し、早めに家を出たら彼は既に外で私を待っていた。

「悪い。時間を決めていなかったな。申し訳ない。」

「構いません。行きましょう。」

 それだけ言い、私は歩き出した。彼も慌ててついてくる。横に並ぶと彼は1枚の紙を手渡してきた。

「なんですか?」

「俺の電話番号とメールアドレス。今後1人で帰らない時にいちいち言いに来るのは面倒だろと思って。何かあればそこにメールなり電話してくれればいいから。勿論迷惑をかけたりするつもりはないから俺からは連絡しないよ。」

「え・・・・。」

「まあ、履歴は残っちゃうけどな。ただ連絡先を知られるのも嫌な場合は伝言でもいいから事前に伝えてくれると助かるかな。基本俺が迎えに行くつもりだけど、大谷さんを俺の教室に来させるのは申し訳ないから。」

「言いふらしたり悪用したりしなければ別に構いませんが・・・。」

「それだけは絶対にしない。」

 力強く言う彼の言葉を聞き、とりあえず彼の言葉を信じてみることにした。紙を受け取り携帯の電話帳に登録した。それから学校に向かったが。歩いている時も私との距離を必要以上に縮めようともしないどころか、まるでこちらを安心させるかのように最低限の時以外、こちらを見ようとしなかった。彼の意図が掴めず私は首をかしげることしかできなかった。


 あれから数日がたった。数日彼と一緒に登下校をしたが、何もなくて拍子抜けした。余計な寄り道も一切せず、会話も全くない。ただ一緒に登校して下校するだけ。それでも家に着くと彼は嬉しそうに笑っていた。

 放課後、彼と帰るために準備をしていると、いきなり後ろから肩をつかまれた。

「恵那!!帰る前にちょっと話を聞かせてもらおうか・・。」

「加奈。・・・まあ聞きたいことはなんとなくわかるよ。中村君の事でしょ。」

 彼女は加奈。小さい頃からの私の親友だ。唯一私が信頼している人間でもある。

 小さい頃私は弱虫でいじめられていた。そんなある日彼女が私を助けてくれたのだ。それからはいつも一緒に居て守ってくれていた。彼女は人気者でどこでも中心人物となっていたため彼女と一緒にいる私に手を出そうという人間はいなかった。ただ加奈は守るだけではなく、角が立たないように私を彼女のグループに誘ってくれた。そのおかげで私は小中高、クラスで孤立しすぎることもなく虐められることもなかった。


「そうなの!!恵那についに春が来たのかと思って!!」

「残念だけど違うよ。中村君とは別に付き合っていないよ。」

「え!?ここ数日毎日一緒に登下校しているのに!?皆の話題それで持ちきりだよ」

「えぇ・・・。」

 周りを見ると、クラスの皆がちらちらとこちらを見ていた。興味津々のようだ。まあ無理もないか。 

 私は学年1位を取り続けていることなどで目立つ存在なのは自覚している。だが加奈以外と積極的に関わることはせず、基本1人で行動していた。そんな私が急に彼と一緒に登下校し始めたので目立ったのだろう。しかも彼は必ず私の教室まで迎えに来ていた。

 話すかどうか悩んだがこれも加奈の狙いだと気づいた。私に恋人ができたのを周知させるつもりなのだ。聞くだけなら電話かメールで聞けばいい。いい機会だと思い私は事情を話すことにした。


「この前中間テストがあったでしょ。その時に賭けをしたの。彼は私に勝ったら1人で登下校する際は一緒にいさせてくれって。だから一緒に登下校しているだけだよ。」

「何それ!!いやもうそれ告白じゃん!!だから中村君いきなり中間テストで1位だったんだ。愛の力ってすごい!!」

「違うわよ。そんな感じだったらそもそも勝負を受けないわ。だって「貴方に女性としての魅力は感じていない」って言われたし。」

「・・・・は?何それ?」

 加奈の顔が強張る。タイミングがいいのか悪いのかちょうどその時彼が教室に入ってきた。一斉に視線が彼に向くが、彼は気にせず私の元にきた。

「話し中だったのか。申し訳ない。外で待っていたほうがよかったかな。」

「別に構わないわ。」

 どうせもう話題になっているのだ。いまさら気にすることはない。帰ろうと立ち上がったときに加奈が私と彼の間に割り込んだ。


「ちょっと待った!!!中村君だったよね。恵那と付き合っていないって本当?」

「ちょっと加奈。」

「ああ。大谷さんとは付き合っていないな。」

「勝負して勝ったから一緒に居るって。」

「その通りだな。中間テストで賭けをして俺が勝ったから一緒に登下校させてもらっている。」

「恵那に女性としての魅力は感じてないって。」

「その通りだ。ただ語弊がありそうだから補足をすると、人としては誰よりも尊敬しているよ。誰よりも努力をし続けるというのは本当に大変なことだから。」

「え・・・・。」

 その言葉に驚いて思わず彼を見る。そんな風に思われていたとは思わなかった。だが彼は意外そうな顔をしていた。


「入学からずっと学年1位なんて毎日勉強を頑張っていなければできないよ。努力を続けられるというのは本当にすごいことだから心の底から尊敬しているよ。」

「それはわかった!!でも付き合ってなくて女性として興味もないならなんでそんなことをしているの!?」

「それは秘密。賭けの意味がなくなるからな。次俺が負けたら話す約束だし。」

「え!?卒業まで恵那に勝ち続ける気なの!?」

「卒業までとは限らないよ。例えば彼氏ができてこれからは彼氏と一緒に帰ると言われたらその時点でこの賭けは終わり。他の人と帰る時も割り込む気はないよ。あくまで1人で登下校する時は俺がついていくって約束だから。」

「・・・・なにそれ?」

 加奈が困惑した表情を浮かべる。大丈夫。私も同じ気持ちだ。彼が何を考えているのかさっぱりわからない。


「自分でもおかしいことを言っている自覚はあるよ。まあ、頭がおかしい男に大谷さんがお情けをかけているとでも思ってくれ。それにリベンジはいつでも受けて立つと伝えているぞ。」

「あれ・・・。本気だったのですか?」

「もちろん。」

 てっきり口約束だと思っていた。言ってものらりくらりと躱されるのだと。なら皆が見ているここで試しに挑んでみることにした。

「・・・では2週間後にオンラインで模試が開催されるのですが、そこで勝負をしてくださいと言ってもいいのですか?」

「もちろん。ただ申し込みは間に合うのか?」

「あくまで塾の宣伝と試験的な意味も含めた開催とのことなので・・・。アカウントさえ作ってくれれば問題ないようです。結果も自動採点ですし。」

「わかった。時間がある時にその試験の詳細を教えてくれ。」

「あ・・・はい。」

 あっさりと引き受けられて拍子抜けしてしまった。彼は嘘をついていなかった。


「話は終わりかな?じゃあ帰ろうか。」

「・・・そうですね。それじゃあね、加奈。」

 注目を浴びながら彼と一緒に教室をでる。去り際に加奈が何か言っていたが、聞こえなかった。


「何それ・・・・。1人にさせないって恋人じゃなくて護衛じゃない。」


 勝負が決まったその日から私は勝つために2週間必死に勉強した。休み時間も勉強し、教師にも不明点は質問攻めにした。だが勝てなかった。だけどその結果を見てどこか安心している自分もいた。あの結果は嘘ではなかったのだと。やはり彼は何1つ嘘をついていなかったのだと。

 しかしそれと同時に別の不安が募った。賭けに負けたから今度はどんなお願いをされるのだろうか。今度こそ下世話なお願いをされるのだろうか。不安を抱えつつ帰り道に聞いてみると予想外な回答が返ってきた。

「特にないけど。俺が勝ったら今のままの状態が続くだけだ。」

「え!?それでいいのですか?」

「勿論。今の時点でも嫌というほど迷惑をかけているし。」

「・・・・・本当に何がしたいのですか?」

「知りたかったらリベンジだな。」

 彼が楽しそうに笑う。だが表情は優しげだった。その顔に思わず見とれそうになったので慌てて顔をふる。

「わかりました!!また試験を見つけて今度こそリベンジさせていただきます!!」

「ああ。楽しみに待っているよ。」


 その日から私は事あるごとに勝負を仕掛けることにした。塾の公開模試等を探しつつ、学校で小テストがあった時は、教師を捕まえて彼の教室でも小テストがあるかを聞いた。ある場合はメールで小テストの勝負を持ち込んだ。教室で話してしまうと他の生徒に伝わってしまうので、そこは自粛した。

 しかし結果は私の全敗だった。両方満点という時もあったが、その時は引き分けにした。私が納得いかなかったのだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「加奈~。勝てないよ~。」

 そんな日が続いたとある昼休み。私は加奈達と一緒に昼食をとりながら愚痴っていた。最初のほうは負けても次こそ勝つ!!という思いだったが、負け続けるにつれ悔しさが勝つようになった。それを加奈に愚痴るというのが恒例となっていた。

「あんたもよく諦めないねえ。もう半年ぐらい続けてるよね?」

「だってえ・・・。勝ちたいもん。」

 加奈は呆れたようにため息をつく。もう何回勝負したかわからない。だが負けっぱなしではいられない。自分がこんなに負けず嫌いだと思わなかった。彼と過ごすうちに知らない自分に気付かされる。帰り道も無言ではなく彼に話しかけることも増えた。試しに勝負に関係ないと前置きをしたうえで雑学のクイズを出してみたところ、それすらも完璧に答えられて悔しがったのは苦い思い出だ。


「皆もどこかでテストがあったら教えてね!!次こそ勝ってみるから!!」

 そう言いながら皆を見回すと、皆が微笑ましい表情でこちらを見ていることに気づいた。

「な、なに?」

「恵那さあ。あんた変わったね。」

「え?」

「昔は私としか喋らなかったから私が他の人と橋渡しをしていたけどさ。今は当たり前に皆と喋っているし。勉強も聞かれたら教えたりしてるんでしょ。」

「それはそうだけど・・・。でもどちらかというと話しかけるより話しかけられるようになったが正しいかも。」

 私としては特に何かを変えたつもりはない。だが確かに前よりほかの人から話しかけられることは増えた。昼食もいつの間にか1人で食べることはほぼなくなっていた。加奈のグループが多いがそれ以外の人からも誘われた。まあその時の話題はほとんど彼の事だったり恋愛の話だったが。


「うん、恵那さん話しかけやすくなったよ。」

「え?」

「前までは、話していても壁があってお嬢様!!って感じだったけど。勝負に負けて加奈ちゃんの前ですごい悔しがっているのを見て、あ、恵那さんも普通の人なんだなあとなんだか微笑ましくてなっちゃって。」

 皆がうんうんと頷いている。予想外の反応にどう反応してよいか困ってしまう。というか加奈の前で悔しがっているのを見られていることが恥ずかしかった。そんな私を見て加奈が私にむけてびしりと指をさす。

「やっぱり愛の力だね。」

「だから最初にそんなことないって言ったじゃない・・・。」

「でもさあ。今は教室に来るのも当たり前のようにしているし、遠慮なく待たせたりもしてるじゃん。初対面の人があれを見て付き合っていないと言われても信じないよ?」

 確かに最近は来るのが当たり前になって遠慮はしなくなった。会話することも増えたが、結局は一緒に登下校しているだけだ。


「そんなこと・・・・ないと思うんだけど。」

「でも恵那さん。実際どうなんですか?中村さんはともかく、恵那さんは彼の事をどう思っているんですか?」

「いや・・・単なる勝負相手としか・・・・。」

 言われてみて改めて彼の事を考える。私は彼の事をどう思っているのだろう。勝負の事で頭がいっぱいだったので今まで恋愛対象として考えたことはなかった。


「不思議だね。別にイケメンでもないし運動が得意ってわけでもないのに。」

「顔や運動なんて関係ないじゃない!!彼って高校生とは思えないぐらい大人びていて皆にも優しいけど、勝負以外の時は宿題とかお弁当忘れたりとか意外とおっちょこちょいな面もあるし!!なにより彼って笑うとき本当に嬉しそうに笑ってくれるから、こっちまで嬉しくな」

 加奈の言葉に頭に血が上り思わず反論するが、加奈が楽しそうに笑っているのをみて慌てて口を塞ぐ。これじゃあどう思っているかを言っているようなものだ。周りも楽しそうにこちらを見ていていたたまれなかった。どうやら自分でも気がついていなかったが、私は彼に惹かれていたらしい。


「でもこれじゃあ、他の男子達は望み薄だね。」

「え?」

「知らない?あんたが変わったことで男子達も気になっているんだよ。それで中村君と付き合ってないなら自分にも可能性があるんじゃないかって。自覚ない?」

「確かに男子達からも話しかけられたり、誘われることも増えたけど・・・。」

 男子生徒達からも放課後や休日のお誘いを受けることが増えた。全部断っているが。そんな時間があったら勉強したい。休日も基本勉強しているが彼に勝てないのだ。


「あ、誘われるで思い出した。加奈。今度の土曜日あいてる?」

「あいてるけどどうしたの?」

「最近勉強ばかりで買い物に行けてなくてさ。服とか見たいから付き合ってくれない?」

「別にいいよ。」

「加奈さん加奈さん。」

 クラスメイトが加奈に何かを囁いていた。それを聞いて加奈がいたずらっぽく笑った。どうしよう。すごく嫌な予感がする。

「あ~。ごめんごめん。思い出した。その日は予定があるんだった。」

「・・・そう?ならしょうがないか。一人で行くか・・・。」

「いやいや。一人で外出しちゃ駄目なんでしょ。中村君について行ってもらいなよ。」

「はぁ!?」

 予想外の言葉に驚いて思わず立ち上がる。出かける?彼と?それは一般的にデートというやつでは?

 

「いやいやいやいや。流石にそれは。」

「いいからいいから。聞くだけ聞いてみなよ。自分の気持ちに気づけたんだからさ。素直になってみたら?」

 皆が期待に満ちた眼差しでこちらを見てくる。完全におもちゃにされているとわかってはいたが、もしかしたらと思ってしまう自分がいる。私は予想以上に彼に惹かれているらしい。おずおずと携帯電話をだし、彼にメールを送った。返信はすぐに返ってきた。それを見て思わず顔が赤くなる。

「問題ないよ・・・だって。」

「「「おおおおおお!!」」」」

 クラスメイト達が歓声をあげる。だが私はそれどころじゃなかった。

「加奈!!どうしよう!!私異性と外出したことなんてないんだけど!!」

「何。あんたのプロポーションなら大丈夫だよ。ついでに告白でもしてきなさい。」

「こ、こくひゃく!?」

 声が裏返る。私が?彼に?顔がどんどん赤くなっていく。それを見て皆も楽しそうに笑っていた。

 

「嬉しいけどちょっと妬けるね。恵那をここまで変えるなんて。」

「でも・・・中村君はどうして恵那さんに構うんだろうね。」

 それは私も疑問だった。本当に何もないのだ。今は会話するようになったが、基本は一緒に登下校しているだけ。それで彼を好きになっているのだから、もしかしたら目論見どおりなのかもしれないけど。

「なんとなくだけど私には彼の狙いはわかるよ。」

「え!?教えて!!」

 私は加奈に詰め寄る。だが加奈は両腕でバツ印を作った。

「駄目だよ。それは勝って自分で聞かないと。第一私から聞いて納得できる?」

「それは・・・そうだね。ごめんやっぱりいいや。勝って聞く事にする。」

「うん。頑張れ。」



「ちなみに私達は聞いてもいいんですか?彼がどうして恵那さんと一緒にいるのって。」

「彼は何かから恵那を守ろうとしているんだよ。それが何かまでは知らないけど。あそこまでするってことはよっぽど恵那を守りたいんだろうね。」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ししししまった!!」

 お出かけ日当日。鏡を前にしてあーでもない。こーでもないとやっていたら待ち合わせ時間を過ぎていた。慌てて外に出る。彼は家の前で待っていてくれた。

「お、お待たせ。ごめんね。」

「気にしなくていいよ。行こうか。」

 そう言って歩き出す。怒っていないようでホッとする。私も彼の横に並んで歩きだす。

「それにしても大丈夫だったの?せっかくの休日なのに。」

「いや、むしろ気分転換になるからちょうど良かったよ。大谷さんこそいいのか?付き合うのが俺で。」

「それは全然いいんだけど・・・・。」

 むしろ嬉しい。そんなこと口に出せるわけがないが。歩いていると、彼が何かを思い出したのか急に立ち止まりこちらを見た。

「ごめん。言うのが遅くなった。」

「何?」

「服、すごい似合ってる。いつも綺麗だけど正直びっくりした。」

「!!あ・・・ありがとう。」

 顔が一気に赤くなる。加奈達が頭の中で「こーくはく!!こーくはく!!」と叫んでいる。それを頭を振って叩き出し、速足で歩きだすと彼が慌ててついてきた。



「なあ・・・大谷さん?」

「・・・・・。」

 そこから2人で買い物をしたり食事をしたりしたが、私はだんだん苛立ちを隠せなくなった。耐えられなくなったのだろう。彼が焦っているのがわかる。

「な・・・なあ。俺なんかしたか?」

「別に。」

「いやそんなあからさまに不機嫌な顔で言われても・・・。」

 最初は答えてやるものかと思ったが。昔みたいに無言の関係に戻るのも嫌だった。しぶしぶ思っていることを口に出す。

「・・・・だって。なんか女慣れしてる感じがして・・・。彼女でもいるのかなと。」

 そう。彼のエスコートは完璧だった。私の事を優先してくれるだけじゃなく、ナンパ目的らしきの人がいたら自然な形で視界に入らないように隠したりするなど、気の使い方が完璧なのだ。しかも途中のアクセサリー店で何か買い物していたし。結論をいうと、ただの子供じみた嫉妬だった。


 彼は虚を突かれたようだったが、すぐに深いため息をついて降参するように両手を上げた。

「勘弁してくれ。女性と付き合うどころか女性と出かけるのは初めてだよ。」

「嘘!!」

「本当だよ。出かけるのが決まってから、太郎とか彼女持ちの人に聞いてまわったんだ。後は雑誌とか色々調べた。試験よりよっぽど大変だったよ。」

「・・・・そうなの?」

「ああ。というか彼女いてこんなことしているってどれだけ外道なんだ俺は。」

「それはそう・・・・・だけど。」

「まあ、でもよかったよ。間違ったエスコートをして不快に思われたんじゃないかってヒヤヒヤしていたんだ。」

 彼が安堵してため息をついているのをみて、どうやら本当の事らしいと実感できた。ということは私のためにそこまで頑張ってくれたのか。我ながら単純だと思うが、それが嬉しくて、思わず彼の腕に抱きつく。


「お、おい。」

「ならもっと頑張った成果を見せてほしいな。」

「頼むからこれ以上ハードルをあげないでくれ・・・・。」

 彼がため息をついているのを見て、私は声を上げて笑った。抱きついたせいで私の顔が赤くなっている気がするが、きっと気のせいだ。


 それからも2人で買い物を続けた。最後に服を見ていたのだが、私は2択で悩んでいた。同じワンピースなのだが、色が濃いめの青色か、少し明るめの青色か。ふと気になり彼に聞いてみた。

「色・・・・どっちがいいと思う?」

 聞かれるとは思わなかったのか、彼は固まっていた。そして何度か深呼吸した後心配そうに尋ねてきた。

「実はこれ勝負の延長とか言わないよな?好きな色を選ばなかったら負けとか。」

「!!ふふ。あははははは。」

 予想外の質問に思わず吹き出してしまった。そんなことは欠片も考えていなかった。純粋に聞いてみたかったのだ。まあ彼の好みも聞いてみようかなあという思いもあったが。


「笑うなよ・・・。こっちも必死なんだから。」

「ごめんごめん。大丈夫。体力試験とか謎解き系は禁止でしょ。純粋に気になったの。」

「・・そっか。それなら明るい色だな。大谷さんには明るい色系が似合うと思う。」

「そう?じゃあこっちにするね。」

 私があっさりと服を選んだのを見て彼の方が慌てていた。

「いや、俺が言い出しておいてなんだが、本当にその色でいいのか?俺が言ったからとか気にしなくていいんだからな?」

「うん。本当にどっちでもよかったの。最後のひと押しが欲しかっただけ。」

「・・・・それならいいんだけど。」

 そうして、最後の買い物が終わって私の家に着いたのはもう日が暮れる前だった。


「ありがとね。今日は付き合ってくれて。」

「いや。こっちも楽しかったよ。いい気分転換になった。」

「それならよかった。それじゃあ。」

「あ、ちょっと待った。」

 家に入ろうとした私を彼が呼び止める。振り返ると彼が小さな紙袋を渡してきた。たしかこれは買い物の途中で買っていたもののはずだ。てっきり誰かへのプレゼントかと思ったが・・・。開けてみると、小さなイヤリングが入っていた。


「これって・・・・。」

「今日の記念。プラス気分転換ができたからそのお礼。似合うと思って。」

 これも調べたことなのだろうか。一緒に出掛けたときは記念品を贈るとかの記載を見つけて彼が焦っているのを想像して心の中で笑ってしまった。彼女がいるなんて思っていた自分が恥ずかしい。でもこのサプライズが嬉しすぎて思わず彼に抱きついた。

「お、おい。」

「嬉しい!!ありがとう!!」

「そこまで喜んでくれるとは・・・・。よかった。」

 彼の安心したような笑顔を見た時、ようやく私は強く自覚した。私は彼の事が大好きなんだと。

「ねえ。また誘ってもいい?」

「構わないぞ。というか1人で出かけるときは必ず言ってくれ。ついていくから。」



「それで?告白はしたの?」

 帰った後、気持ちが抑えられず加奈に電話をかけ報告していた。まあ報告というか完全に惚気だったが。加奈にも「けっ。リア充爆発しろ」と言われてしまった。

「ううん。してない。というかしない。」

「え?」

「だって多分今告白しても断られるから。」

「・・・・。」

 今日一日一緒に過ごして気づいたことがある。彼はいい気分転換だと言っていたが、一日中気を張っていたようにも見えた。気分転換できたというのも本当だとは思うが、彼にとっては私と一緒に出掛けることだけが目的のように思えてならなかった。勝負に勝つまでは何のためか教えてくれないし、彼はきっと私をそういう目で見ていないように思えた。


「だから勝負に必ず勝つ。そのうえで私の事を好きになってもらおうと思う。」

「・・・・そう。あんたがそういうなら何も言わない。でもアプローチは続けなよ。」

「勿論。また誘っていいって言われたし。誰かにとられないようにアピールしていかないと。」

「・・・・・・そんな心配するだけ無駄だと思うけどね。まあいいや。後1つだけ。勝負の頻度は少し下げなよ。」

「?どうしたの急に?」

 加奈の予想外の言葉に戸惑う。だが加奈は深いため息をついた。

 

「闇雲に勝負を仕掛けても勝てないのはわかったでしょ。小テストとか学校のはいいけどさ。模試とかそういうのは彼の時間を奪っているんだから。彼の体調の事も気にしてあげてもいいんじゃない。」

「!!」

 言われて初めて気がついた。そうだ。勝負と言えば彼はいつも付き合ってくれるが、模試等になれば試験はほぼ丸一日だ。勉強時間も含めれば相当な時間を使わせている。


「勝負するなとは言ってないよ。でも今回いい気分転換になったって言ってくれたんでしょ。それなら毎回勝負するより定期的に気分転換してもらった方がいいじゃない。これが嫌いな相手とかなら相手を疲弊させる意味も含めてありだけど。好きな相手なら逆効果だよ。」

「そっか・・・・」

「ようはメリハリをつけろってこと。うまくいくように私も応援するしアドバイスもするからさ。」

「そうだね・・・。ありがとう。加奈」

 加奈に感謝しつつ通話をきった。我ながら自分に呆れてしまう。どうやら私は一つの事に目が向くと周りが全く見えなくなるらしい。

 それからは彼と過ごす時間も大切にしつつ、勝負も挑むことにした。勝負は負け続けていたが、肩の力が抜けたのだろう。少ない時間で効率よく勉強ができるようになった気がする。数点差という回も増えてきた。勿論アプローチも忘れなかった。帰りに寄り道をしたり、登下校時は私から色々話しかけた。学園祭では1人だと言い訳して一緒に回ってもらった。回っているときに無理やり撮ってもらった2ショット写真は、私の宝物として部屋に飾っている。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 そして彼と勝負を始めてから一年近くたった日。放課後加奈から一枚の紙を手渡された。

「何これ?」

「ちょっとアプローチを変えた勝負をしてみたらと思って。」

「なになに。「学生の英語論文発表会?」」

「英語で論文を書いて、その内容を発表するんだって。全員発表後、最優秀賞が発表されるからどっちが選ばれるかで勝負できるんじゃないかなと思って。あんた英語得意じゃない。絶対評価じゃないからもしかしたらいい勝負できるかなと。」

「!!ありがとう加奈!!大好き!!早速行ってくる!!」

「こら!!恵那!!・・・・まったくもう。」

 私は立ち上がり彼のクラスに向かって走り出す。後ろで加奈がため息をついていたが気にする余裕はなかった。

 私は英語も好きでよく字幕なしで映画を見たり、英語の小説を読んだりしている。それにいつもテストだけだったのは盲点だった。謎解きはダメと言われていたが、論文なら許されるかもしれない。相対評価なら可能性はある。私は期待に胸を躍らせながら彼の教室に向かった。

 彼に勝負を仕掛けたところ、彼は快諾してくれた。今はもう前みたいにメールはしていない。アピールの目的も含めて勝負を持ち掛けるときは必ず彼のクラスで宣戦布告するようにしていた。


 その日から私は、必死に資料を探して論文を書いた。発表練習は加奈やクラスメイト達にも協力してもらった。

 しかし勝負は私の完全敗北だった。彼の発表は学生とは思えないものだった。発表内容も高度だし、訛りなど全くない流暢な英語だった。今回の発表会には有名な教授が来ていたらしく、彼に惚れこみ卒業後は自分の元に来なさいと猛烈なアプローチを受けていた。


 発表の帰り道、私は久々に怒りをあらわにしていて歩いていた。

「まったくあなたはなんなんですか!?」

「いや大谷さんも優秀賞だろう。充分にすごいと思うが。」

「慰めはいりません!!なんですかあの発表は!!外国人の専門家と変わらないレベルじゃないですか!?しかも海外の大学に誘われるなんて信じられません!!」

「断ったけどな。」

「・・・・なんで断ったんですか?」

 それが不思議だった。確かあの教授は海外のテレビに何度も出演するぐらいに有名な人だったはずだ。話を受ければより成長できるだろうし彼の未来は約束されたようなものだと思う。だが彼は肩をすくめるだけだった。


「興味ないからな。」

「では何が興味あるんですか?というか賭けはいつまで続けるのですか?」

「俺が安心できるまで・・・かな。」

「・・・なんですかそれ?」

「いっただろ。俺が負けたら教えてやるよ。」

 彼がニヤリと笑う。いつもはドキッとしていたが、今日はやり場のない怒りと不安の方が勝った。彼が好きだと自覚して半年近くたったが、色々アプローチをしても彼の態度は全く変わらなかった。勝負が終わったら彼との関係もあっさりと終わってしまうのだろうか。それとも安心できたからこの関係を終わりにしようと言われてしまうのだろうか。そんなのは絶対に嫌だ。嫌な思考のループに入りそうになったのを、頭を強くふって振って振り払い、早歩きをして彼を追い抜く。そして振り返って彼に向かって指を突き付けた。

「まあいいです。次こそ勝ちます!!」

「ああ。期待しているよ。」

「ふん!!」

 不安なのを気取られないように私は早歩きで歩く。勝ちたいという思いとこの関係が終わってほしくないという思い。それらがせめぎあって頭の中がいっぱいだった。


 だから私は周囲の様子なんて全く見えていなかった。


「大谷!!」

「え?」

 振り返ると必死な形相の彼が目の前にいた。そのまま手を思いっきり引っ張られる。

「きゃ!!」

 引っ張られた勢いでしりもちをついた。その直後に巨大な音が周囲に響きわたる。慌てて顔を上げると、目の前には悲惨な光景が広がっていた。彼が目の前にはいない。彼がいた場所には車がいた。そして少し先に彼が血まみれの状態で倒れていた。慌てて駆け寄る。

「中村さん!!中村さん!!」

 声をかけるが彼には届いていない。だが彼は満足そうに笑った。

「・・・・・ああ。守・・れた。」

 彼はそれだけ言って目を閉じた。そして何度声をかけても動かなかった。

「いや!!いやああああああああああああああああ!!!」


 それからの事はよく覚えていない。気づいたら手術室前のイスで力なく座っていた。刑事さんから話を聞かれたはずだが、何を話したかも覚えていない。体に力が入らないのに、涙は止まらない。いつの間にか彼の両親が駆け付けたようだが、挨拶する気力もなかった。

 どれくらい時間がたったのだろう手術が終わったようで手術室から人が出てきた。その姿を見てようやく意識が覚醒した。出てきた人に駆け寄る。

「彼は!?彼は!?」

「あなたは・・・ご家族ですか?」

「いえ・・・。」

「申し訳ありません。まずご家族の方にご説明しなければいけませんので・・・。」

 その言葉にうちのめされる。結局のところ私は彼の恋人ですらないのだ。むしろ彼を被害に合わせた加害者に近い。絶望して力が抜けてその場に座り込むと、私の横に2人の人が立った。

「先生。私達は彼の親なのですが、説明には彼女も同席させてあげてくれませんか。」

「・・・・わかりました。ではこちらへ。」

「さあ。君も一緒に行こう。」

 彼の父親らしき人に手を差し出される。手を取り何とか立ち上がる。そこで挨拶すらしていないことに気づいて慌てて頭を下げた。

「申し訳ありませんご挨拶もできず!!今回は私のせいで!!」

「・・・今は話を聞きましょう。まずはそれからです。」



 結論から言うと彼は生きていた。だがいつ目覚めるかわからないという。

「目覚める可能性は!?」

「こればかりは・・・。すぐ目覚めた方もいますし、言いづらいのですが、目覚めないで親族の方が諦めた方もいらっしゃいます。」

「「そんな!?」」

 彼のお母さんと私が取り乱すのを彼のお父さんと看護師さん達が必死におさえる。そして彼の病室へ移動させられた。病室は個室でそこには手術室から戻された彼がいた。包帯や呼吸器が痛々しくて見ていられない。


 おもわず目をそらすと彼の父親と目が合った。彼は軽く会釈すると私に話しかけてきた。

「改めて初めまして。僕は慎太の父親です。」

「ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ありません。初めまして。私は大谷恵那といいます。」

「君は・・。息子の彼女だったのかい?」

「・・・・いいえ。私の片思いです。彼にいつも勝負を挑んでは返り討ちにあっていました。」

 その言葉に彼の父親は納得したように頷いた。

「ああ・・・・。君がそうなのか。最近ね。息子は君の事ばかり話していたんだよ。負けたくない相手がいるんだっていつも夜遅くまで勉強していてね・・・・。」

「そう・・・だったんですか。」

 彼が自分の事を話していてくれたのは嬉しかったが同時に辛くもあった。私がいなければ、いや周りに充分注意していれば彼はこんなことにはならなかったのだ。一つの事で頭がいっぱいになると周りの事が見えなくなるなんてわかっていたはずなのに。


「ごめんなさい・・!!私のせいで!!」

 力強く頭を下げる。だが彼の父親は静かに首を振った。

「君を責めるのはお門違いだよ。君のせいじゃない。気にしなくていいとは気軽に言えないけどね。」

 どれだけできた両親なのだろう。本当なら罵倒されても何も言えない。いや罵倒してほしかった。もし私があの時周りをもっと注意していたらこんなことにはならなかったと。それでも一番辛いのは私じゃない。彼らを前にしてこれ以上取り乱すわけにはいかなかった。


「あの・・・。また・・・彼のお見舞いに来てもいいですか?」

「もちろん。・・・・・ただ、今は僕らだけにしてもらえるかい?」

「はい・・・。失礼します。」

 頭をもう一度下げ病室を後にする。扉を閉めた瞬間、病室の中から激しい慟哭が聞こえてきた。だが戻るわけにはいかない。私にそんな資格はないのだから。


 家に帰っても余計な事しか考えることができず、縋るように加奈に電話をかた。加奈は話を聞いて驚いていたが、私が話し終えるとぽつりとつぶやいた。

「そう。中村君は恵那を守りきったんだね。」

「え?」

「昔の私と同じ。中村君は貴方を守りたかったんだよ。たぶんね。」

「そんな・・・。」

 言われて今までの事を振り返ってみれば納得のいくことばかりだった。常に私を1人にしないようにしてくれていた。出かける時も常に気を張っていた。何故そんな簡単なことに気づけなかったんだろう。


「辛いだろうけど、きついことを言うよ。あんたは生きなきゃいけない。立ち直れとか前を向けなんて安っぽい言葉はかけない。でも自暴自棄になることだけは許されない。守ってくれた彼の分まで生きなきゃいけない。わかるね。」

「うん・・・・。でも加奈・・・・。」

「なに?」

「泣くことだけは・・・・・許されるかなぁ・・・・。」

「・・・・今日は電話越しだけど一緒にいてあげる、だから思いっきり泣きな。」

「ああああ・・・。うわああああああああああああああ!!!!」

 その日は携帯の電池が切れるまで泣き続けた。加奈は最後まで付き合ってくれた。彼女がいなかったら私は立ち直れなかっただろう。


 気がついたら次の日になっていた。何があっても時間は止まってはくれない。「自暴自棄になってはいけない。」という加奈の言葉を支えに私は力を振り絞り、学校に向かった。だが授業の内容は全く頭の中に入らなかった。

 昨日の事について、学校ではたいした連絡はされなかった。事故にあった学生がいるので、皆も注意するようにと連絡事項があっただけだった。こんなものなのか。もちろん頭では理解している。私だって世界のどこかで私に関係ない誰かが倒れても興味がない。だが、同じ学年という身近な人が1人いなくなってもこんなものなのか。誰も彼がいないことに興味を示さず、彼の事を忘れて生きていくのか。自暴自棄にならないようにと必死に言い聞かせていたが、もう既に心が折れそうだった。

 放課後、思わず教室の扉を見るがもちろん彼は来ない。泣きそうになるのを必死に堪え帰宅の準備をする。ふと横を見ると加奈が何も言わずに隣に立っていた。

「かなぁ・・・。」

「頑張ったね。かえろ。」

 涙が零れ落ちそうになるのを必死にこらえて頷く。


 その時教室のドアが勢いよく開いた。はっとしてドアの方を見るが、勿論彼ではない。一人の男子生徒が入ってきた。男子生徒は教室を見渡し、私を見つけると近寄ってきた。その表情は怒りに満ちていた。

「大谷恵那だな。俺は工藤太郎。中村慎太の友人だ。悪いがこの後時間をもらうぞ。」

「え?」

 いきなりすぎて頭が回らない。責められるのだろうか。罵倒されるのだろうか。加奈が慌てたように私を引っ張り工藤君との間に立つ。

「ちょっとあんた!!恵那はそんな状態じゃあ」

「中村慎太からあんた宛の手紙がある。」

「「!!」」

 その言葉に思わず顔を上げる。彼が私宛に手紙を?何を?気にはなる。だが不安もある。思わず加奈を見た。加奈も私を見て力強く頷いた。


「・・・わかった。でも悪いけど私も同行させてね。恵那が不安定なのはわかるでしょ。話の時邪魔なら外すから。」

「構わない。一度俺の家によってからあいつの家に行くぞ。」

「え・・・・・。でも。」

「あいつの両親には了承をもらっている。いいから行くぞ。」

 有無を言わせない形で彼は教室を出て行った。私達も慌ててついていく。工藤君の家に行くと、工藤君は荷物を家に置き、すぐに家から出てきた。それから彼の家に向かった。彼の家は意外と学校から近かった。工藤君がインターホンを鳴らすと、彼のお母さんが出てきた。ずっと泣いていたのだろう。目元が真っ赤だった。

「お待ちしておりました・・・・。どうぞ・・・。」

「失礼します。」

「「失礼します。」」

 工藤君に続き、彼の家に入る。彼の家には初めて来たが清潔感のある家だった。リビングに通されると、彼のお父さんが待っていた。仕事はと一瞬思ったが息子があんな状態になってすぐ仕事なんてできるわけがない。それに一日しかたっていないはずなのにすごく痩せたように見える。


「待っていたよ。初めての方もいるが・・。とりあえずどうぞ。」

「あ、私席を外します・・・。」

 加奈が席をはずそうとするが、それを工藤君が制した。

「別にいい。大谷さんのためにも傍にいたほうがいいだろ。」

「加奈・・・。お願い。」

 私は加奈の手を力強く握る。彼は怒ったり、恨み言をいう人間ではないことはわかっている。でも今の私は悪い方にしか考えられない。とてもじゃないが1人では耐え切れそうにない。

「・・・・わかった。」

 席に3人とも座る。彼のお母さんがお茶を入れようとキッチンに行こうとしたが、工藤君が制した。

「余計な気遣いは無用です。皆疲弊しているでしょうから早速本題に入ります。」

 それを聞き彼のお母さんが慌てて席に着く。席に着いたのを見て、工藤君が話し始めた。


「数か月前、俺は彼にあるものを託されました。自分に何かあった時に両親と、大谷さんにそれぞれ渡してほしいものがあると。内容は俺も知りません。」

 そう言って工藤君は懐から封筒を取り出し、彼の両親と私にそれぞれ手渡した。2通とも薄い。私に渡された封筒の表には「大谷さんへ」と書かれていた。

「開けても?」

「勿論。」

 彼のお母さんからハサミを借り、恐る恐る開封する。私の方の封筒には2枚の紙と1枚の写真が入っていた。

 1枚目の紙には一行だけ、こう書かれていた。



「俺には選択肢をあげることしかできない。でもどうか君が良い選択をして幸せになってくれることを願っている。」



 泣きそうになるのを必死に堪え、2枚目を見る。2枚目は、私と彼の勝負記録だった。これを封筒に入れる直前まで、彼は全てを記録し、残していたのだ。

そして最後の写真を見た時、涙腺が崩壊した。それは学園祭を2人で回っていた時に撮ってもらったあの2ショット写真だった。そして写真を裏返すと一言だけ書いてあった。



「楽しい思い出をくれてありがとう。」



「!!!!」

 一気に感情が爆発した時は声も出ないらしい。彼との思い出がまるで走馬灯のように頭を駆け巡る。彼はどんな気持ちでこれを書いていたのだろうか。もう感情がぐちゃぐちゃになっていた。加奈に抱き着き大声をあげて泣き続けた。だが私の泣き声に重なるように大きな泣き声が聞こえる。それは彼の母親だった。旦那さんに抱き着き泣き叫んでいる。

「しんた!!しんたぁ!!」

 リビングは私達2人の泣き声が響き渡った。


 私たちが泣きつかれて落ち着くまでどれくらいかかったのだろうか。涙は枯れ果てたが、まだ気持ちは落ち着かない。彼は私が死ぬかもしれない可能性を警戒してそれを防ぐために一緒にいてくれていたのか。私がアピールをして一喜一憂しているのをどんな気持ちで見ていたのだろう。どうして私はもっと彼の思いなどをもっと知ろうとしなかったのだろう。一度考え始めたら後悔が止まらなかった。

 そんな中、唐突に工藤君が口を開いた。

「落ち着かない状態なのは承知の上ですが、お願いがあります。彼の部屋に入らせてもらえないでしょうか。」

「かまいませんが・・・。ですが息子は貴方に何を。」

「俺には今までの裏事情の説明と今後の事を事細かに依頼しやがりましてね。むかつきますが、あいつの思いをくみ取ってやらないといけません。」

「それは・・・私達には・・・。」

「すみません。約束なのでお話しすることは出来ません。ですが、一部ならお教えすることができます。そのためにもまずは彼の部屋に行きましょう。」


 皆で移動し彼の部屋に入った。彼の部屋はきれいに掃除され整理整頓されていた。本棚には英語の本や難しそうな参考書もある。だが逆に言えばそれ以外の娯楽品などがなかった。

 工藤君は彼のベッドに行くと、ベッドの下に手を入れ、横長の大きな箱を引きずり出した。皆が驚く中、素早い手つきでロックを外して箱を開けた。

「これは・・・・。」

 箱に入っていたのはたくさんの封筒の山だった。10や20ではない。しかも1つ1つの封筒は分厚かった。そして封筒の表紙にはそれぞれ未来の日付と宛先が書いてあった。

「これは彼が書いていた論文・・・だそうです。彼が言うにはそれを表紙に書いてある日付に書いてある相手に送ってほしいと。」

「論文?だが、息子は研究なんて・・・。」

「彼は日本を含めた世界各地の研究者や医者と連携をとって論文を書いていたようですよ。そしてそれを定期的に送っていたようです。」

「そんなことをあの子が・・・。」

 初耳だったらしく彼の両親は驚いていた。私も驚きを隠せない。ということは彼は毎日学校に通い、勉強をし、私と勝負をし、そのうえで論文も書いていたということか?どう考えても圧倒的に時間が足りない。彼は寝ていたのだろうか。

「去年のお二人の結婚記念日の後、パソコンを一台買ってほしいと言われたのでしょう?それを使っていたようですよ。パソコンのIDとパスワードはもらっているので後でお渡しします。」

「わかりました・・・。お願いします。」

「その代わり、論文は今すぐ全部書いてある宛先に送り付けてください。日付などは全部無視で。」

「「え!?」」

 彼の両親が驚きで目を見開く。だが工藤君は平然としていた。いや平然としているように見えたが、工藤君の手は力強く握りしめられていて震えていた。


「いいんですよ。あいつはあまりにも自分勝手すぎます。文句ならあいつが帰ってきてから言わせればいい。」

「「「「!!!」」」」

 全員がはっとした表情で工藤君を見る。

「あいつはこれを俺が開けるとき、自分は死んでいる想定だったようです。ですが、まだ死んではいない。死んではいないんです。俺はあいつが何年、何十年かかろうと目覚めると信じています。そして起きたら思いっきり殴ります。」

「工藤君・・・・。」

「お金の心配は無用です。今はおそらくはとしか言えませんが…。」

 そこで気づく。そうだ。彼が入院している間は入院費がかかる。その金銭的な負担と待ち続けるという精神的な負担は計り知れない。だけど。彼はまだ生きている。諦める必要などどこにもないのだ。


「私も!!」

「恵那・・・・。」

「私も学校に行きながら入院費のために働きます。彼が助けてくれたことを無駄にしないためにも大学にもちゃんと行って就職もします!!だから・・・お願いします。彼を・・待たせてください・・・。」

 そう言って彼の両親に向かって頭を下げる。彼のお父さんは私を見て深いため息をついた。そして顔を上げる。その顔は何か覚悟を決めた表情に見えた。

「君たちにそこまで言わせるなんて息子は果報者だね。僕も覚悟を決めないと。」

「あなた・・・。」

 彼のお父さんが、お母さんを強く抱きしめ彼女の髪を優しくなでる。


「親が息子を信じなくてどうするんだい。そして起きたら寝坊しすぎだよと思いっきり叱ってやらないとな。」

「はい・・・。はい・・・。」

 彼のお母さんは再び涙を流しながら何度も頷いていた。


 彼のお母さんが泣き疲れて寝てしまったのでその日はそれで解散となった。加奈と一緒に家路を歩く。帰り道加奈が呟いた。

「工藤君か・・・・。彼すごいね。」

「え?」

「だってさ。言い方は悪いけど、友達のはずなのに詳しいことは話さず、手紙を託して何かあったら後はよろしくって言われたんでしょ。それであそこまで行動できるのは本当にすごい。」

「そうだね・・・・。」

 思い返してみればそうだ。加奈ですら涙を流していたというのに工藤君だけは1回も泣いていなかった。目元を見たが泣いたようには見えなかった。そして全員が絶望している中、工藤君だけは彼を信じて待つと言い切ったのだ。そんな工藤君だからこそ彼は託したのかもしれない。

「さあ。大谷恵那さん?貴方はこれからどうするの?」

 加奈が優しそうな顔でこちらを見てくる。勿論私の答えは決まっていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「あー。今日も仕事終わった~。疲れた~。」

 彼の病室に向かいつつ私は伸びをする。あれから10年近くの時が過ぎた。私は今薬の研究者となり働いている。「学生の英語論文発表会」で出会った教授から勤め先を紹介してもらった。職場は、残業等は一切なく実家から通える距離と聞いて即決した。


 あの事故の後私はアルバイトを始めた。といっても無茶はしない程度であくまで学業優先だ。遊ぶ時間はほとんどなくなったけれど、無理をせず勉強しながら入院費を稼ぐと決めたのだ。

 ただ、唯一最初に出た給料で自分用に指輪を買った。安いガラスの指輪だ。だがラベンダーのデザインが施されているのが気に入った。それを毎日左の薬指にはめていた。 

 そのおかげでナンパされることは減り、誘われても「婚約者がいるのでお断りします。」と切り捨てることができた。婚約者は嘘だが。今では毎日彼がくれたイヤリングと指輪をつけているのを確認して、写真に挨拶して出かけるのが日課になっていた。


「看護婦さんも新しい人が入ったんだなあ。まあこれだけ時間がたてばそれはそうか。」

 10年近くの時が過ぎたが、どんなに忙しくてもできうる限り毎日彼に会いに行った。今では病院の看護婦さん達ほぼ全員と顔なじみだ。そのかいもあって、時間がある時は彼の筋肉が衰えないように教えてもらいながらマッサージを行わせてもらった。できないときでも必ず彼に対して話しかけ続けた。今日あったこと、テストの点数等。

 そう。私の中では勝負は終わっていない。彼が残してくれた戦績表につなげてそれを書き続けている。全部私の不戦勝だが。


 それでも何度も心が折れそうになった。涙が止まらない夜もあった。工藤君や加奈がいてくれたおかげでなんとか踏みとどまれた。

 彼の両親にも救われた。病室で何度もお会いしたが、まるで自分の娘かのように優しく接してくれた。ある時、我慢できずに彼の両親に何故こんなに良くしてくれるのかを聞いてしまったことがある。彼のお父さんは寂しそうに笑った。

「正直君に対しては複雑な気持ちだったよ。君のせいではないのはわかってはいるけど負の感情だけはどうにもならないからね。でも息子の手紙にあったんだ。「自分が誰かを助けて何かがおきたとしても、助けた相手を決して恨まないでください。むしろ、自分の息子はすごいだろうと誇ってほしいです。私が尊敬している両親は、泣いて暮らすのではなく、辛くても胸を張って生きてくれると信じています。」とね。だから君が生きてくれているのを見るたびに、私は息子を誇らしく思うよ。」

 その言葉に彼のお母さんも笑顔で頷いていた。私はそれを聞いて2人の前で号泣してしまった。あの日から私はすっかり泣き虫になってしまった。それを聞いてからは、あくまで私の中ではだが、わだかまりはなくなり、2人と高校での彼の様子や、彼が目覚めた後の事を話すことが増えた。今では本当の両親のように思っている。


「今日は・・・お見舞いの方はいなかったはずよね。」

 彼が入院してから今まで、彼の元にはたくさんの人がお見舞いに来た。理由は彼の論文だ。彼の論文を一斉に送った結果、研究機関や医学会は大混乱に陥ったらしい。あの時はよくわからなかったけれどだいぶ時代を先取りした論文だったらしい。医学の歴史を1人で10年進めたと言われているとかなんとか。流石に過剰評価だとは思うけれど。しかも権利等の利益関係は提携先に全て譲る代わりに、1人でも多くの人を助けろと書いてあったらしい。論文によっては感染病の発生時期と解決策をピンポイントで記載したものもあって、それのおかげで町1つが救われた事もあったと聞いた。彼が残した論文がどれだけの人数を救えたのかはわからない。それこそ数えきれないほどだと思う。


 だが、ずっと疑問なのは、彼はあの時高校生だ。何故そんなことができたのだろう。工藤君に話を聞いたら「あいつにとって今は2週目の人生なんじゃないか?」と冗談交じりに言っていた。そんなことを言う工藤君も目覚しい活躍を見せていた。地方で大震災等が起こった直後に、いつの間にか用意していた救援物資をすぐに配送したり、予知したかのように川の氾濫を事前に警告して住民を避難させるなどをしてたくさんの人を助けていた。見返りは一切求めていないのにお金もたくさん持っていて、彼の入院費も工藤君が全てだしているらしい。

 周りからは「奇跡の人」や「未来人」等と呼ばれているらしい。テレビに呼ばれたりもしたらしいのだが、「私は何も望みません。私と同じ思いをする人間が1人でもいなくなればそれでいいです。もちろん助けた方が医学を発展させて私の友人を目覚めさせてくれればいうことはないんですけどね。」と言っていたとか。だが私はあの日から工藤君が表情を変えたことを見てはいない。


「さて。今日は何を話そうかなと・・・。そうだ。駅前に新しいケーキ屋ができたことを話そう。」

 そんなことを呟きつつ、彼の病室の扉を開けた時、私は持っていた花と荷物を落とした。



 最初は指が動いているのが見えた。見間違いかと思った。だが違う。

「ぁ・・・・。」

 彼の声が聞こえた。慌てて病室に駆け込み彼の元に駆け寄る。

「慎太!?」

「ぉお・・た・・・に」

 微かだが確かに聞こえる。そしてうっすらだが目を開けている。帰ってきた。彼は帰ってきたのだ!!動いている彼の手を力強く握りしめる。

「慎太・・・。慎太・・・・。良かった目が覚めた!!ああ!!神様!!」

 私はこの日の事を一生忘れることはないだろう。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「まさかとは思ったけれど、本当に2週目の人生なんて言われるとはねえ。」

「なんだよ。正直に話せって言ったのはお前らだろ。正直に話したのに太郎には思いっきり殴られるしさ。」

 彼が頬を膨らませてそっぽを向く。拗ねているだけで本気で怒ってはいないのはわかっている。だがそんな彼も愛おしくてたまらない。

「ほらほら。主役がそんな顔をしない。せっかくの記念日なんだからさ。」

「まったく・・・。お前だって主役だろ?」

 慎太が私の手を握る。私も力強く握り返した。そうして2人で廊下を歩く。ふと彼を見ると彼は辛そうな顔をしていた。

「どうしたの?」

「・・・・なあ。俺は君を助けられたけど10年以上色々なものを犠牲にさせてしまった。そんな人生で本当によかったんだろうか?」

「もう。その質問何度目よ。確かに今日まで波乱万丈な人生だったし、これからも何が起こるかわからないわ。けど何度聞かれても私の答えは決まっているの。」

 繋いだ手に力をこめて笑う。そんな私を見て彼も安心したように笑った。その時係員の方から合図がきた。私達2人は揃って扉の前に立つ。


「お待たせしました!!新郎新婦の入場です!!」

 そう。何度聞かれても私は胸を張ってこう答える。私にとって今の人生は、神様がくれた最高で幸せな人生だと。

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神様がくれた最高で幸せな人生 川島由嗣 @KawashimaYushi

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