21.素直になれなくて

 バシュロ様は夜会の後、私の居室を訪ねてきた。

 まだ着替えていなくて幸いだった。


 こんな夜に困った人だ。


「今日のオティーリエ王女から君の香水と似た匂いがしたけど…」

「はい。わたくしが使っていたものと同じでございます」

「そう…」

 少し考え込んで

「つける人によって変わるものだな」

 と小さくおっしゃった。

 オティーリエ王女からはスミレの香りがした。バシュロ様に気に入られようと健気ではないか。

 私は少しむっとした。


「バシュロ様」

「なに?ベル」

 優しく微笑んで私を見るバシュロ様。

「わたくしはオティーリエ王女殿下に冷たいバシュロ様が嫌いでございます」

「好きで娶った妃ではないからね」

「それが王族のおっしゃることですか。それも政治でございましょう?」

 私は厳しい顔でバシュロ様を睨んだ。

「ベルはそんな顔でも可愛いね」

「バシュロ様!!」

 どこ吹く風のバシュロ様に手がつけられない。


「どうしてそんなに怒るの?寵愛が自分に向くのは喜ぶことだろう?」

 それはどうだが、素直に喜べない。

「バシュロ様がわたくしを側妃に望んだ時を覚えておいでですか」

「ああ。アシャール子爵家の扱いは頭にきたな。そしてなんて健気で可愛い子だろうと、バイエに取られまいと必死だった」

「それでわたくしに優しくしてくださったのでしょう?」

「それもあるけど…君はあの頃から一所懸命で可愛かった」

「オティーリエ王女殿下にもお優しくなさってください。オティーリエ王女殿下はインジャルで頼れるのは、夫であるあなた様だけなのです」

 それでもバシュロ様は言い募った。

「君とオティーリエ王女は違う」

「違いますわ。オティーリエ王女殿下は正妃でございます。大切にしてさしあげてください」

 バシュロ様は私の頬に手を当てる。

「君は私を愛してくれていないの?私は君を愛しているのに」


 私は困ってしまった。バシュロ様のお気持は気づいていた。そして今では私もバシュロ様を愛している。しかし、十二歳の頃から

「側妃たるもの正妃を立てて、いつでも二番目に甘んじなくてはならない」

 という教育を受けてきたこともあり、またオティーリエ王女の境遇が不憫でもあり、素直にその寵愛に甘えられず気持ちを表に出せないのだ。


「君は私を愛しているよね。気のせいじゃないといってくれ」

 少しの沈黙の後、ついに私は言ってしまった。

「お慕い申し上げております」

 バシュロ様は私を抱きしめて、頭頂部にくちづけた。

 顔が熱くなる。

 それでも私は必死にバシュロ様の胸を押し返した。


「わたくしを側妃にしたのはバシュロ様でございます。わたくしは側妃の勤めを果たします。バシュロ様はご自分の勤めをお果たし下さい」

 バシュロ様はため息をついてから、私を放した。


「わかった。今はこれでいいよ」

「では、今夜はオティーリエ王女殿下の元へ行ってくださいますね?」

「ベルが望むならね」

「望みます」

 ふーっとため息を吐くバシュロ様。

「行くけど、ご機嫌うかがいだけだ。泊まらないよ。まだ実質正妃じゃないんだし」

 まったく困った人だ。だが少し嬉しい。

「ではオティーリエ王女殿下に花束を。温室で選びましょう?」

 お誘いすると嬉しそうについて来た。


 温室で侍女に命じて、華やかな薔薇を摘ませて花束にする。

「さ、これをお持ちになってオティーリエ王女殿下を労わってさしあげてください」

「ベルはいらないの?」

「わたくしは温室に参っただけで十分でございます」

 バシュロ様もご一緒ですし、とは付け加えない。心の中だけだ。

 言えばバシュロ様はオティーリエ王女の元へ行かないと思うのは、私の自惚れではないだろう。


 バシュロ様がオティーリエ王女に優しくすれば、オティーリエ王女も変わるだろう。情が移れば、私は名実ともに二番目となるだろう。

「愛している」と言われたからと言って、ぬか喜びで驕ってはいけない。


「務めを果たしたら、明日の午後は一緒にお茶をしてくれるね?」

「はい。東屋に用意いたしましょう。オティーリエ王女殿下もお喜びになると思いますわ」

 と胡麻化せば

「私はベルと一緒にお茶を飲みたいんだ」

 とふくれるバシュロ様。

「わたくしもご一緒させていただきますわ」


 二人だけのお茶会。それはなんて魅力的なのだろう。

 だが、今はいけない。

 オティーリエ王女がいらっしゃる前と違うのだ。ましてや婚儀を上げたばかり。さらには新枕の儀を失敗している。

 今後の半年で、オティーリエ王女の進退が決まってしまうかもしれない。


 王妃殿下がおっしゃったように、私が正妃を出し抜く形になってしまったら、オティーリエ王女があまりにも哀れではないか。

 オティーリエ王女は私と違い、第一の人となるように育った人なのだから。


 もちろん、今のままの言動はよろしくない。

 王妃殿下も近々、教育を再開するとおっしゃっている。


 オティーリエ王女が良い方に変われば…


 私は矛盾する気持ちを殺す。


「バシュロ様ともですが、わたくしとオティーリエ王女殿下との交流も公務の一環でございますわ」

 と、バシュロ様を送り出した。


 私はしばし温室に残り、気持ちを静めた。

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