女神が指揮する美容室
国樹田 樹
第1話 捨てた想いの行く末は ~beauty karte.1 沙耶の場合~
「ばっさりやって下さい」
緩やかな音楽が流れる、アンティーク調の調度品で整えられた店内。
壁に取り付けられた大きな鏡越しに、私は自分の背後に立つ人へ向けきっぱりとそう言い放った。
「ばっさり・・・・・・ですか?」
美容室では必ず備えられているセットチェアに座る私の後ろで、綺麗な顔をした美容師さんが大きな瞳をぱちくりと瞬かせ、驚いた声を出した。
それに、私は首を縦に振って肯定の意を表す。
動いたせいか、座り心地の良い革張りのチェアが、僅かに軋む音を響かせた。
ごめんなさいね。美形の美容師さん。
今気付いたけれど、貴方男性だったんですね。
とても美人さんなので、最初女性だと思っていました。
だから初見でお店に入ってすぐ、貴方でいいかと聞かれた私は頷いたんです。
『男性』とは、暫く関わりを持ちたくなかったものだから―――
◇◆◇
「お願いします」
「あの、ですが・・・とても丁寧にお手入れされている様に見受けられますが・・・・・・」
そう困ったような顔で言う美容師さんを前に、私は必殺その場しのぎの愛想笑いを浮かべつつ、いいんですと自然に、しかし強く念押しをした。
初見の客、というのもあってか、あまり突っ込まないように聞いてくれているんだろう。
ついでに言えば、モンスタークレーマー対策というのもあるのかもしれない。
言われた通りばっさりやって、後から文句付けられちゃたまったものじゃないものね。
けれどそれは心配無用だ。
私は本当に、この長い髪を切って欲しいのだから。
「最近仕事が忙しくなりまして。お風呂上がりの手入れも中々面倒になってきたものですから、この際思い切って軽くしてみようかと」
言いながら、鏡越しに美容師さんへ笑顔を見せる。
社会人になって身につけたスキル「社交辞令」と「当たり障りの無い返し」を発動させつつ、私は努めて軽くそう説明した。
正直な所、この美容室を選んだのはちょっと失敗だったかな、と今になって思っている。
だって、髪を切って下さいと言われたら、大抵のお店は「はい」の一つ返事で次はどの位切るかとか、パーマはかけるかとか、そんな話に移るものなのに。
こちらの美容師さんは、切ってしまうなんて勿体ないと言わんばかりに綺麗なお顔全面で訴えてきてくれている。
・・・・・・というか、この美容師さん美人にも程がある。
失礼します、と一言断りを入れてから髪質をチェックしてくれている美容師さんを鏡で見ながら、そんな感想を抱く。
チェアに座った私より、かなり高い位置にある綺麗なお顔。
ハニーブラウンとでも言うのだろうか。長めの前髪は色素が薄く、それと似た色の長い睫で縁取られた大きな瞳は、黒よりも薄茶に近い。ハーフかクォーターかと問いたくなる位彫りの深い顔立ちは、そのくせ繊細さの方が強いせいか中性的な雰囲気を漂わせている。肌の色も私より白く、正直言って羨ましい。
というか、何でこんなに肌綺麗なの。毛穴どこよ。
見た目からは想像できない低音ボイスのおかげで男性だと判別できたけれど、そうでなければ背の高い美女にしか見えない。
「ばっさり・・・・・・とは、具体的にはどの位でしょうか?」
未だ綺麗な顔を困り顔にしている美容師さんが、私の髪を一通り確認してからそう言った。
「出来れば、この位まで切りたいんですが」
両手を使ってジェスチャーしながら示せば、ますます綺麗なお顔の困惑が濃くなった。
何となく言われる事は理解しているが、それでも私は顎の下ほどまで切ると決めていた。
「肩までの長さですね。二十センチは切ることになりますが、よろしいんですか?」
「かまいません」
予想通りの言葉で優しく確認を取ってくれる美容師さんへ、最初と同じくきっぱりとした返事で答える。
恐らく彼が考えているのは、私が失恋でもして長い髪を切ってしまいたいのだという事なんだろうが、正直な所その通りである。
簡単で判り易く、かつよくある話だ。
私がこうやって何年も大切にしてきた長い髪を切りに来たのも、式直前で婚約者に捨てられたからに他ならない。ちなみに式の予定は来月。勿論キャンセルしたが、社内では笑い話どころか憐れまれているのだからもうどうしようも無いだろう。
髪を切るのにどんな理由があろうが、切る側には関係の無い話だ。
しかし、勢いでお店に乗り込んだ時は気がつかなかったが、名札を見る限り私についてくれた美形美容師さんはどうやら店長さんらしい。花で彩られた名札には、箕郷
今までお世話になった美容室では、初見さんへ当たる美容師さんはお店によって様々だった。新人さんを当てる所もあれば、通ってもらう為に店長さんや中堅さんなどのベテランを当てる所もある。
ここは店長さんがついた辺り、固定客確保を重視しているお店なんだろう。
まあ、余程気に入らなきゃ通いになることは無いけれど。
私は俗に言う、美容室難民というやつだった。
そもそも男性美容師さんが苦手で、女性に切ってもらうところから始める時点で、結構な美容室を振るいにかける。その次は内装が硝子張りで無いか(外から丸見えの美容室が苦手)などをネットでチェックし、口コミだって一応目を通す。
初見で行ってみて、つけてくれた人がチャラければ即アウトだし、口調が丁寧でも手つきが雑ければそれもアウト。全部揃っているお店なんて早々無い。我が儘なのは判っているけれど、カットにカラーにパーマなんて結構な時間過ごすことになるのだから、少しでも苦痛が無い方が良いのは誰でも同じだろう。
「畏まりました。それでは、イメージに合うものをこちらからお選び頂けますでしょうか」
そう言って渡されたのは、希望した長さの髪の女性が載ったヘアカタログだった。
内側にくるりと巻き込んだものや、ストレートに真っ直ぐにしたタイプ、他に全体にパーマをかけたカットの写真が載っている。
しかし、私はそれを片手で制して断りの態度を示す。
「・・・・・・特にこだわってませんので。おまかせでお願いします。自然であればいいです」
本音はどれでもいい、という気分だったが、流石にそれは口に出せず美容師さんまかせという事にする。これはこれで面倒な客だと判ってはいるけれど、余程奇抜出なければ文句を言うつもりもないので、話しながら適当に合わせて決めていけばいいだろうと私は考えていた。
「おまかせで・・・・・・自然に、ですか」
しかし、私が告げた途端、美形の美容師さんの雰囲気ががらりと変化を見せた。
それを見て、鏡越しに私の肩がびくりと跳ねる。
壁に取り付けられた大きな鏡越しに、美容師さん―――箕郷さんは、先程と変わらない笑顔を浮かべていた。
けれど、その雰囲気は今までとは全く違う。
どこか心の深い所を見透かす様な・・・・・・綺麗過ぎて、寒気さえ覚えるような、そんな人離れした空気を放っていた。
鏡を通して合わさる視線から、自分の目線が外せない。
え、何・・・・・・?
何なの、この人。
まるで視線に縛られたように、身体も喉までもが動かせず、じっと相手の口元を眺める。
それはさながら、何か不思議な力によって時を止められたかのようだった。
「失礼ですが、貴女はこの髪を『切り捨てたい』のでしょうか。それとも『消してしまいたい』のでしょうか―――?」
緩やかな音楽の流れる店内。
アンティーク調の内装を映し出す鏡の中で、男性とも女性とも一目では判別しがたい美麗な人が、美しい笑顔のまま、突き刺す様な視線で私を見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます