1-9 ほっぺにキスされても、最弱勇者は勘違いを恐れます
「……ふう……起きた様子はないか……」
オークの巣穴に身を潜めた俺たちの存在は、まだオーク側には気づかれていないことが分かった。
俺は少しだけ心を落ち着かせた。
「なんとかなったな。……怪我はないか?」
ランタンを持たず、すでに日が暮れた暗い夜道を一目散に走ってきた。
幸いなことに洞窟までに大きな崖や下り坂は無く、転倒することは無かったが枝や岩で手足を切ったり、草花でかぶれたりした可能性はある。
俺はオークを起こさないよう、小声でトーニャに話しかける。
「ごめん、聞こえない」
そう言うとトーニャは俺のすぐ隣に座ってきた。
「!!!???」
トーニャのふんわりとした髪が俺の顔にかかり、俺は顔が紅潮するのが自分でもわかった。
そしてトーニャの柔らかい肌が、服越しにそっと俺の肩に当たる。
「なんていったの?」
暖かい吐息のかかる距離でそう口にされ、俺はどぎまぎしながら答える。
「その、怪我、してないか?」
「してないよ。キミじゃあるまいし」
トーニャの方は逆にそっけない態度で答えてきた。
まあ、それは当然だ。
……トーニャの村を俺は守れなかった。そんなトーニャは俺のことを憎んでいるのだから。
俺は改めてそう思い、何とか平静を保とうとする中、トーニャは尋ねてきた。
「そういえば、なんで、影たちは私たちを取り逃がしたの?」
そう言えば、そのことを説明していなかったな。
「あの男……リズリーの兄さんはさ、ずっとミノタウロスを操ってたろ?」
「うん。略奪の時以外は小屋に住まわせてたんだろうね」
「ってことは、それに加えて影を5体も操るなんて、よほどの精神力があっても出来るわけないって思ったんだ」
「確かにね。……てことは……」
「そう、あいつらは『熱源』をもとに俺たちの位置を探知していたんだよ」
基本的に物体を自分の意のままに操るような魔法は、非常に大きな精神力が居る。
それが複数にもなれば、誰がどこにいて、どれをどう動かせばいいかなんて、まともにこなせるわけがない。
その為『相手の場所の特定』などの基本的な動作は、何らかの手段によって自動で行わせるのが、この手の魔法では基本となる。
それを聞いて、トーニャは不思議そうな顔をした。
「けどさ、私たちだって暖かいでしょ? ほら?」
そう言ってトーニャは俺の手を取り、自らの頬に当てる。
(……やめろ、マジで……)
その柔らかいほっぺたに触れた俺は幸福のあまり、意識が飛びそうになる。
……頼むから、そう言うのはやめて欲しい。
そう思っていると、トーニャは続けた。
「なのになんで、あの時はランタンに向かっていったの?」
「ああ。多分息の上がってるやつを優先的に倒せるように『熱くなってるもの』を優先して狙ってるって気づいたんだ」
最初に疑問を感じたのは、トーニャの偽物に遭遇した時だった。
あの時偽トーニャは、わざわざランタンを『持っている方の』手を握ってきた。
特に理由がないのであれば、ランタンを持たない方を握るだろうと疑問を感じていた。
また、戦闘中もトーニャではなく俺の方、それも俺の『ランタンを持っている方の手』ばかり狙ってきていた。
そのことから『術師の操作がない限り、特定の生物以外で、熱量の高いものを優先して狙いをつける』ように影は動作させていると判断した。
それを説明すると、トーニャは感心したようにつぶやく。
「なるほどね。ちょっと※納得いかないところもあるけど、何となくわかったよ」
(※トーニャが納得いかない通り、この理屈だと『太陽が出ていたら、それを狙ってしまう』ことになってしまいます。
この影の魔法ですが、本当は『特定の生物を除く、より多くの二酸化炭素が感知できるもの』を基準に狙うものです。
ただ、この世界の住民は、一部の転移者を除き化学に関する近代的な知識がないので、ワンドは判断を誤っています)
「あの炎、ミノタウロスに当たれば、同士討ちも狙えたんだけどな」
「キミ、腕力もコントロールも悪いよね。私に言ってくれたら、私が投げたのに」
確かに、今にして思えばそうしてもよかったな。
「それで、これからどうするの? ここに居ても見つかっちゃうよね?」
暗がりの中を突っ走ったが、先ほどの小屋とここは、さほど離れていない。
それに、先ほどから近くでガサガサと物音がする。恐らくは例の影が、周囲を捜索しているのだろう。
「そうだな……」
俺はそう思いながら少し考えていると、トーニャのお腹がぐう……となるのが聞こえた。
トーニャは少し恥ずかしそうな表情を見せた。
「……そういえばご飯食べてなかったもんな」
「うん。……何かある?」
「えっと……」
俺は荷物袋に入れていたヤマユリと木の実を取り出した。
どちらも生で食べるには少々厳しい。
かといってうかつに火を用いると、食い意地のはったオークたちを起こしてしまうことになるだろう。
「悪い、今食べられるものは無いみたいだ」
「そうみたいだね。……あ……」
だが、それを見てトーニャは何かを思いついた
「……あのさ、あの手の魔法って使っている途中、術者は魔法が使えないよね?」
「ああ。ミノタウロスの支配と影の掌握をして、更に他の魔法を使うのはまず無理だな」
「じゃあさ……」
そしてトーニャの作戦を聴き、俺はなるほど、と思った。
「なるほど、良い手だな」
トーニャは少し苦々しそうな表情でつぶやく。
「まったくキミに頼るなんて、屈辱だよ。……言っとくけど、キミが有能だから頼るんじゃない。私の役割が私にしか出来ないから、この仕事を頼むだけ。勘違いしないでね」
まったくだ、と俺は思った。
この仕事、トーニャが居てくれて本当に良かった。
「ああ。頼りにしてるよ、トーニャ。……最悪勝てなくてもいいから、生きて帰ってこいよ」
俺が笑って答えると、トーニャは少し歯噛みするような、恥ずかしそうな表情を見せた。
「……そういえばさ、ワンド。さっき私の影見た時、なんていった?」
「え?」
あの時のことか。
えっと……。確か『可愛い』って言ったな、そう言えば。
……そうか、俺に可愛いって言われるのは不愉快だったのか。
「ごめん、忘れたよ」
「……あっそ。……キミのそういうところ、嫌いだよ」
それから俺たちは荷物を手に取り立ち上がろうとした。
だがその瞬間、トーニャがつぶやく。
「……あのさ、ワンド。ちょっと待って?」
(え?)
その瞬間、頬に暖かいものが触れるような感触があった。
……暗がりではっきりと分からなかったが、それは頬にキスされたような感触だった。
「もういいよ、立って」
だが、トーニャは何事もなかったかのように答えた。
(……キス……な訳ないか……。勘違いするのはよそう)
ここ最近勇者がパーティの女の子や村娘に対して『俺のこと好きかも』と勘違いしてトラブルを起こす話を本当によく聞く。
一番多いのが「魔物に襲われた少女を助けた際、お礼にと食事に誘ってもらっただけで『こいつ、俺に惚れたな』と勘違いして猛アプローチするバカ野郎」だ。
そもそも、魔物に襲われたのを助けたくらいで惚れるほど、人間は単純な心理は持たない。
なまじ、そう言う輩は『命の恩人』なだけに無碍な態度を取るわけにもいかず、最悪の場合は別の勇者にこっそりと裏で撃退依頼を出しているという話すら聞く。
……だが、俺の場合は事情が違う。
俺は偽勇者のせい……もとい、偽勇者の『おかげ』で富と名声だけは何故か手に入れたが、ゼログのような力もなく、魔法も使えない。
それ以上に『トーニャに嫌われる理由』があり、それゆえに嫌われていることは分かっているからだ。
それにトーニャは率直に『嫌いだ』と俺に言ってくれるおかげで、俺は勘違いしないでいられる。
俺が『トーニャが俺のことを好き』なんて思うこと、それ自体が罪だ。
……正直、これ以上トーニャのことを好きになりたくない。
(やっぱ、二人っきりの冒険はダメだ。ゼログが居てくれたらなあ……)
ゼログには戦闘で頼るだけでなく、普段もよく悩みの相談を聞いてもらっていたのを思い出した。
……ダメだな、俺は。相変わらずゼログのことばかり考えて。
そう思いながら俺は、作戦に取り掛かるべく、手元の道具袋を取り出した。
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