第259.5話 傾いた猛牛は、最強のライバルに遭遇する
元亀3年(1572年)11月中旬 美濃国岐阜 秋山虎繁
今朝、柴田殿と真理姫様の婚約がめでたく成立したという知らせを耳にした。
まあ……はからずしも、見合い中のおつや殿を寝取ってしまったことは、柴田殿に申し訳なく思っていたので、俺としてはホッと胸をなでおろす展開となったわけだが、問題は俺自身が一人の女に縛られたくはないということだった。
「だが……今更、断るわけにもいかぬし……」
此度の織田との盟約には、双方の重臣である俺と柴田殿が、互いの家から姫を妻に迎えて縁を深めることが条件に含まれている。断ればお屋形様のお怒りを買い、そのあとはきっと、穴山殿や木曽殿の後を追う羽目になることは容易に想像できる。
それゆえに、俺はもやもやした気持ちを抱えて、いつもの傾いた服装で街に出た。面白いヤツが居れば、共に酒を酌み交わして憂さを少しでも晴らそうと思って。そして、そう思いながら歩いていると……
「おっ?」
正面からド派手な格好をした若い侍がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。真っ赤な着物に鳥の羽をいっぱい付けた陣羽織と袴……さらには首から大きく長い数珠を掛けている。
「おお、そこの君。俺とお茶しない?」
「は?」
おいおい、そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないか。冗談だよ、冗談。俺だって、そっちの趣味はないぞ。
「だったら、何の用だ?」
「いや、何か君、面白そうな格好をしているからさ。ちょっと、そこでお話をしたいなと思って……」
「出会い茶屋でか?」
えっ!?あれ……出会い茶屋だったのか?全く気付かなかった……。
「すまぬ。本当にそんな気はないんだ。同じ傾奇者として、話をしたかっただけなんだ。甲斐には俺だけだから」
「甲斐?なるほど……すると、貴殿が噂の秋山伯耆守殿か」
「そうだが、そういう貴殿は?」
「俺か?俺は……」
しかし、どういうわけか目の前の侍は、俺の横を通り過ぎて行った。だが、それはどうやら、ならず者どもに連れて行かれそうになっている少女を見かけたことが原因のようで……
「おい、貴様ら!何をやっておるか!」
先程までとは打って変わって怒気を孕んだ声を出して、相手を威嚇した。しかし、これで怯むのならば、ならず者などやっていないだろう。
「はあ?何だ貴様は!」
当然だが、その中の大将らしき男がそのように答えて、手下に周りを囲ませた。だから俺も加勢することにした。これも何かの縁だと思って。
「必要ないぞ?」
「まあ、そういうなよ。俺も丁度体を動かしたかったし」
嘘ではない。元々もやもやしていたし、こういう楽しい祭りに参加しない手はない。
「じゃあ、右半分を頼む。俺は左半分を片付けるから」
「了解♪」
「……なんだ、貴様ら。余裕かましやがって!みんな、遠慮することねぇぞ。やってしまえ!」
「「「「おう!」」」」
ならず者たちは、この大将の号令の元、俺たちに拳を向けてきた。それゆえに、こちらも拳で応戦する。刀など抜いたりしない。
「……流石は、武田の猛牛と呼ばれるだけありますな。瞬殺ですか」
「そちらだって同じじゃないか。それで……そろそろ貴殿の名を聞かせてもらっても?」
「俺か?俺は……」
「……てめえら、何を……やったのかわかっているのか?」
しかし、またしても名を聞く機会をこのならず者の大将は邪魔をしてくれた。挙句の果てに、自分の後ろには織田家の重臣である佐久間右衛門尉がいるから、ただでは済まねえと脅してきた。どうやら、この連中は佐久間殿の屋敷に仕える小者たちのようだ。
「この件は必ず右衛門尉様に伝えておくからな!」
そして、小悪党に相応しき捨て台詞を残して、連中はこの場所から立ち去って行く。残るは、連れて行かれそうになっていた少女だ。
「あの……ありがとうございます」
「気にするな。それより、何であのようなことになったのだ?」
「実は……」
少女はその理由を包み隠さずに話してくれた。何でも、謹慎中の佐久間殿の息子が暇だからと女を求めて、自分に声を掛けられたのだと。
「おい……佐久間殿の倅って、確か今、謹慎中ではなかったか?」
「そのはずだが……しかし、この様子だときちっと守っていないのでしょうね」
それが本当ならば、由々しき事態だ。下手をすれば、切腹モノだぞ……。
「それで、お武家様。お名前は?」
「某は、若狭浅井家家老・前田慶次郎だ。このことは、きっと我が主に伝えておくから、何も心配しなくてよい」
なるほど……。この若者が天下に評判の傾奇者か。これは是非とも一緒に酒を飲みたいものだ。さすれば今宵は、楽しい話がきっと聞けるだろう。楽しみだ。
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