第242.5話 万福丸は、深夜に弟とおしゃべりをする
元亀2年(1571年)5月下旬 越前国府中 浅井万福丸
弟・竹松丸の形ばかりの祝言が終わってすでに1刻半。時刻は子の刻(23時)を少し過ぎているが、勉強の気分転換のため、縁側に出て夜風に当たりながら月を眺める。少し雲は出ているが、それでも美しいとは思う。
「それにしても……」
最近、自分の身に起こったことを思い返して、ついため息交じりでその言葉が零れた。尾張清洲に30万石と弾正忠様のご息女であらせられる彩姫との婚約。さらに、武田の信玄公まで孫娘をボクの側室にと連れてきて……この天才の思考をもってしても、理解が追い付かない。
「しかも、その余波で竹松まで茶々様と祝言とは……」
もう何がどうなっているのか、意味不明だ。伯母上はボクが猿夜叉丸様を裏切ると本気で思っているのだろうか……。
「兄上……やはり、起きておいででしたか」
「竹松?」
今日は初夜のはずなのに、どうしてこんなところにいるのか。そう思っていると、竹松は答える。「茶々様は、祝言が終わったら速攻で寝ました」と。そういえば、茶々様はまだ4歳なのだから、初夜も何もないことに気づいた。お子様に夜更かしはまだまだ早すぎるということだ。
「それでどうしたんだい?」
「少しお話がしたくて……構いませんか?」
「ああ、いいよ」
ボクがそう答えると、竹松は隣に座った。そして、おもむろに口を開いて質問を投げかけてきた。「どうして、兄上は斯波のお家を継がれたのですか?」と。
「さあ、それは……」
「どう考えても、ボクは兄上の足下にも及びません。なのに、ボクがこの家の嫡子で、兄上は遠い他国に行くことに……。おかしいと思いませんか?」
おかしい……か。そういえば、今更ながらに気づいたが、竹松の言うとおりおかしい話だ。長じて今の才能を判断して、斯波の家を継いで貰いたいというのであればまだしも、ボクが斯波家の当主になったのは、まだ2歳の時だったはずだ。まさか……。
「それで、竹松は何が言いたいんだい?ボクが本当はこの家の子ではないとでも?」
「え……?いきなり何を言われるのですか?」
「ん?だって、ボクが斯波家を継いだ時の状況を考えれば、そうなるんじゃないか。たぶん、ボクは妾の子で、竹松が生まれたから邪魔になって他家に養子に出された……と」
「いや……考え過ぎではないですか?うちよりも斯波家の方が格上だから、長男である兄上を選んだということも……」
なるほど。そういう意味で選ばれた可能性は否定できないな。しかし、一度調べてみるか。浅井の旧領・北近江は今、勝蔵殿のお父上の領地だから、今度お願いしてみよう……。
「じゃあ、話を戻すけど……それで、竹松としては不服なのかい?」
「いえ、不服なのではありません。ただ、兄上に申し訳なく思って……」
それから竹松はボクに心の内を話してくれた。本来ならば部屋住みで終わるはずの自分を父上と母上が憐れんだために、兄であるボクに大変な役目を負わせてしまったのではないか……と。
「竹松……おまえこそ考え過ぎだ。さては、『史記』の伯夷伝でも読んだか?」
「あ……よくご存じで」
「ならば、わかっていよう。あの話のように、竹松がボクに遠慮してはいけないことも」
「はい。それは……」
そうなのだ。竹松は、ボクに遠慮せずにこの若狭浅井家を継がなければならない。叔斉のように、兄に遠慮して国を捨てて隠遁するようなことになっては、家臣・領民が大迷惑をこうむるのだから。
「竹松……それでもどうしても、ボクに申し訳ないと思うのであれば、ボクよりも良き領主になってはどうだろうか?」
「良き領主にですか……」
「そうだ。そのためには、もっと勉学に武芸に励んで、自分を高める努力を怠らないことだ。……できるかな?」
「はい!必ずや!」
竹松はそう力強く宣言して、自分の部屋に戻っていく。そして、その弟の後ろ姿を見送りながら、より一層目標となるべき兄になるために、ボクは勉強を再開するのだった。
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