月と星が交わる夜空の果て【番外編】
檀(マユミ)
愛してるって言わせたい
「でも私、結婚式に来ていく服しか持ってません。しかも数年前の友人の」
美月が言う。
そうだろうな、と思った。だからこそ買ってやりたい、とも。
「それなら見繕ってやるから、今度の休みに店にでも行こうか。ついでに食事も済ますのはどうだろう?」
デートに誘ってみた。でも返ってきた台詞は
「いいですね。それなら新色の絵の具もみたいなぁ。あとイーゼルが壊れかけているから買い直さないと。画材屋さんも行きましょう!」
買い出しの提案だった。
それでもいい、と思った。それでも美月といられるのだから。
僕には10年以上恋している女性がいる。だた残念なことに、彼女には愛し人がいる。それでも諦めきれないのだから、損な性格だと自分でも思う。
「先輩、どっちのドレスの方がいいと思います?」
美月がトルマリンブルーとガーネットレッドの二つのドレスを差し出して聞く。青と赤が混じり合う黄昏時の色合いだ。
「君の色の選択は大胆だね」
「そうですか?」
「自然の色そのものを好むところがね。そうだな、僕は赤の方が情熱的で好みだけど、君には青が似合う。夜空を連想させる。明るすぎない青だ」
美月という名に相応しく。青を従え夜空で輝く女神。
「じゃあ試着してきますね」
女神は販売員に伴われて試着室に向かった。
「奥様ですか?ドレスを選んでくれる旦那様って素敵ですね」
別の販売員に声をかけられる。
「あ、いや…」
妻ではないが、そういうことにしておこう。そうしたい気分だ。今くらいそういう気分を味わいたい。
「妻は最高です」
妻ではないが、最高なのは本当だ。僕は満足してほくそ笑む。
「先輩?」
ぎくりとする。
「どうでしょうか、試着してみました」
聞こえていなかったようだ。
トルマリンブルーのドレスは美月によく似合った。ドレスを着た美月は、鎖骨のラインがはっきりと出て色っぽかった。
「髪の毛はアップにするのかい?」
「はい、私、割と器用なので自分でセットできますし」
「そうか」
そうしたらうなじの線も出て美しかろう、と想像する。スカートはたっぷりと布を使い脚全体を覆っている。美月が動くたびにチラチラと見える細い足首。
このままキャンバスに写したい衝動に駆られた。
「先輩?」
「それを買おうか。会計は僕が出そう」
「そんな。自分で払います。私のドレスですから」
美月は頑として聞き入れず、さっさと会計を済ませてしまった。
「僕に華を持たせてくれれば良いのに」
店を出て、食事に向かう途中で僕は不満を言ってみた。
「そういうわけにはいきませんよ、ケジメです」
「それなら食事は僕に出させてくれ」
「それじゃあお言葉に甘えて」
美月が笑う。嬉しそうだ。僕は思いがけずどきりとした。
食事はレストランを予約した。中心街のホテルの最上階にあるレストランだ。
「あっ!」
美月が思い出したように声を上げた。
「画材屋さん!先に行きましょう!近くですし」
今日はデートのつもりで誘ったが、やはり画材屋に寄るのか。今日くらいは仕事を忘れたかったのだが。
「美月、画材屋は今度でも良くないか?イーゼルを買うんだろう、車があった方がいい。」
「じゃあ、新色の絵の具を見るだけでも…」
「……」
懇願する上目遣いの愛しい女神に、僕が勝てる術はなかった。
美月が絵の具に夢中になっている間にレストランに連絡し、予約取り消しの詫びを入れる。
そしてため息を一息ついた。僕が勝手にしたことだ。
「センパーイ!これこれ!綺麗ですよね!新色の絵の具。トルマリンみたいな落ち着いたブルー。新作にもってこいだなぁ」
美月が差し出した絵の具は、さきほど僕が選んだドレスの色によく似ていた。
「こういう色は混色して出すものだけど、この絵の具はこれで完成していますね。緑が少しだけ入ってて」
「そうだな。夜空を描くのにふさわしい」
僕がそう言ったのを聞いて、美月は驚いた顔をする。
「私もそう思ってました。同じことを思っていたんですね!」
満面の笑みでそう言った。
こんな彼女が見られるのなら、画材屋も悪くない。
「お前ってほんっとーに奇特なヤツだよな」
大学からの友人の賢治が呆れながら言う。バーカウンターから酒が差し出される。強い酒だ。
「恋してはや10年。ずっと追いかけてる」
「14年目だ」
「…お前、そんなんで良いわけ?」
「良いわけがない。我慢にも限界がある時だってある」
「合コンでもセッティングしてやろーか?つうか、お前モテるだろ。いい加減切り替えたら?」
「彼女でなければ意味をなさない」
「頑固だなぁ」
「切り替えられるならとっくにそうしている。できなかったから今お前に相談している」
賢治はしょうがないなぁという顔をする。
「そしたら当たって砕けるしかないだろ」
「砕けること前提で言うな」
「ミツキちゃん、だっけ?好きな男がいるんだろ?」
「ああ」
「だったら早く口説かねーと取られるぞ」
「もう口説いた」
「え?」
「だから口説いた」
「ええ??」
「この間、そいつに偶然会った。いけすかない野郎だった。まだ美月に未練があるらしい」
未練があるのはお前もだろ、と賢治は思ったが、口には出さなかった。
「口説いたが、返事が怖くて聞けない。玉砕するかもしれない。口説きはするが、答えさせないように仕向けている」
「天才で通っているお前さんでも怖気付くことがあるとはなぁ」
クツクツと面白そうに笑う。
「美月が応えてくれるなら、いくらでも口説くよ。僕は美月にたった一言、愛してると言わせたいだけなんだ」
「熱いなぁ。せいぜい相手の男に奪われねーように、さっさとツバつけろよ」
「…『奪われる』って、まだ手に入れてすらいない」
自分で言って悲しくなった。
告白の返事を待つ代わりに僕は美月にお願いをした。僕の絵のモデルになって欲しいと。美月は承諾してくれた。あの日のドレスを着た僕の女神がモチーフだ。
美月を想うほど僕の絵は深まっていく。美月は僕に創作の意欲を与えてくれる。
だからこそ僕はこの女性を思い切り甘やかしたい。与えることができる相手がいるのは幸せなことだと思う。でもただ一つ、望みたい。
「愛してる」
まだ制作途中の絵の中の美月が僕に言う。本物の美月が同じ言葉を囁いてくれることを願いながら。
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