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外清内ダク

1:ダメ男と家出娘

1-1 大阪国恵美須アーケード賭けゲーム



 このおッ!

 ハジメは最後の気力を振り絞り、全身をぴったり包む質量制御飛行服フロートドレスの制御コンプにコマンドを送った。そのとたん、腰の両脇にくっついた、刀の鞘のような形のジェット推進器二基が、一斉に青白いプラズマを放出する。

 ハジメの体は一瞬で五十五MPSメートルまいびょうまで加速され、千里中央センチューの上空へと飛び上がる。全面ガラス貼りのきらきら光るデザイナー・ビルに寄り添うように、真っ直ぐ太陽めがけて上昇し、タイミングを見計らってガラスの壁を蹴りつける。

 ぱきん!

 完全な調和を保っていたビルのガラスが、小さな音を立ててひび割れる。千里中央センチューの空に飛び散る無数の細かなガラス片。光のシャワーのようなそれを後方カメラで確認しながら、ハジメは更に加速する。フロートドレスは、着た人間の体重を千分の一まで縮小してくれる。わずか六十グラムの体重なら、人間はキックの反動だけで遥か上空まで跳び上がれるというわけだ。

 次の瞬間、さっきまでハジメが飛んでいたデザイナー・ビルの外壁ガラスを、無数の徹甲弾が打ち砕く。SMGサブマシンガンの掃射だ。光のシャワーはたちまち光の大豪雨となり、悲鳴をあげる眼下の人混みへと降り注ぐ。

 無茶をするっ。

 ハジメが顔をしかめた瞬間、制御コンプが神経リンクを通じて警告を送ってくる。敵のロックオン電波を感知。後ろから追いかけてくる敵――近藤の「闇御津羽クラミツハ」にロックされたのだ。

 すぐさまハジメは《重心移動/(8・0)》をコマンドする。フロートドレスが体の一部分だけの体重を千倍に引き戻し、それを利用して重心を移動させる。X軸方向に+8、右手のあたりに重心がずれて、ハジメの体は急速旋回する。

 ふたたび重心を中央に戻し、ハジメは稲妻のような鋭角カーブをなし遂げた。近藤の放ったSMGの9ミリ弾が、虚しく空を貫いて過ぎる。

 脳が悲鳴を挙げている。コンプは警告を送りどおしだ。すでに三回戦の最終戦、ハジメの疲労は頂点に達している。度重なるコマンド入力による脳神経の疲労で、ハジメの視界はぐるぐる回っている。

 おちつかなけりゃ。脳を休ませなけりゃ。焼き切れそうな脳みそで、ハジメは自分に言い聞かせる。

『逃げてばかりかぁハジメッ!』

 公共周波数で飛び込む通信。送り主はもちろん近藤だ。

『ランカークロウの名前が泣いてるなあ! そんなんじゃあいつは取り戻せないなあ!』

 にっくき近藤。恵比須アーケードのトップランカー、近藤。暴力団ヤクザの幹部の息子で、散々好き勝手をしてくれた近藤。殺しても殺したりない近藤。僕から……

『優子は可愛いよなぁーハァージメェーッ!』

 僕から優子を奪った近藤ッ!

「このやろおォおおおおおおッ!」

 ハジメの脳が焼き切れる。コンプにコマンド急速反転バーニア全開推力最大真ッ正面に近藤を捉えて一直線に突撃する。ひはーとかけはーとか叫びながら近藤の放ったミサイル群。非自律誘導タイプのペンシルミサイル。まるで蜘蛛の巣のようなその弾道。

「《アクティヴ》!」

 思わず口を吐いて出た、悲鳴のようなコマンドに応え、ハジメの背中にくっついた翼のような高機動型増加推進器アクティヴ・ブースターが、小刻みにプラズマを放出する。常識外れの高機動力を得たハジメの体は、網の目を縫うかのようにいともたやすくミサイル群を回避する。

 ハジメの行く手を阻むモノはない。目の前には真っ黒なフロートドレスに身を包んだ近藤の姿。右手を大きく振りかぶる。下腕全体を覆う格闘戦用手甲ガントレットの内蔵コンデンサは充電完了。

 一撃必殺のパンチを叩き込んでやる!

 ハジメが歯を食いしばった瞬間、近藤が急速上昇する。無駄だ。この距離まで近付いて、誉田の最新型フロートドレス「ヴィクセン・アクティヴ」を振り切れるはずがない。ハジメはすぐさまコマンド送信、近藤を追って自身も上へ旋回する。

 相手の軌道は読めている。コンプがはじき出した予測軌道への突入コースを指示しながら、ハジメは渾身のコマンドを送る。

「《インパクト》ォッ!」

 磁気レールに電流が注がれる。フレミング左手則の洗礼を受け、金属ピストンが加速する。繰り出す拳。右腕が風を切って唸ると同時に、猛烈な勢いの金属ピストンが叩き込まれる。これがヴィクセン・アクティヴの最強装備、インパクト・ピストン・パンチ。

 ハジメの拳が空を貫く。

 空だけを。

「消えた!?」

 コンプのはじきだした予測軌道に反して、近藤の姿はどこにもなかった。ハジメは慌てて周囲を見回す。探すのはMAF航跡ウェーキだ。フロートドレスが飛行した後、空に残るわずかな白い輝き……それさえ見つければ、近藤がどこに行ったかなんてすぐにわかるのだ。航跡ウェーキ航跡ウェーキ航跡ウェーキは!

航跡ウェーキは見つかったかい?』

 声。

 電波を介するまでもなく聞こえる肉声。

 真後ろから。

 ハジメはすぐさま振り返り、再び拳を




 一瞬、ハジメの意識が寸断された。

 気が付けば、全身汗だくになって、パイロットブースにへたりこんでいた。頭には脳波リンク・ヘルメットをかぶったまま。周囲で大勢の人間が、熱狂的な叫び声をあげている。どこか遠い世界で。

 全てが、何もかもが、遠ざかってしまったような気がした。

 ここは恵美須のアーケード街でも一番大きなゲームセンターだ。蒸し暑い雨の夜だ。真昼のさわやかな千里中央センチュービル街などではない。さっきまで没入していた仮想世界の光景が、頭に一瞬で飛び込んでくる。まるで圧縮されていたエアバッグが一気に膨らむみたいに。

 負けた。

 僕は、負けたんだ。

 呆然とハジメは、明滅する画面を見つめ続けた。敗北の表示がそこに刻まれていた。隣のパイロットブースからは、いけすかないにやにや顔をした近藤が、ヒーロー気取りでゆっくり出てきた。集まっていた観客に手を振って応える。実際ヒーローだろう。ハジメには非現実的な光景だが。

 人形のように整った、美しい金髪の女が――優子が、妖艶な笑みを浮かべて近藤に寄り添う。近藤は優子の肩を抱く。やめろ。優子が瞳を閉じて、唇をそっと突き出す。やめろ。近藤は乱暴に、所有権を主張するかのように、彼女の艶やかで真っ赤で柔らかい唇を!

「うッ」

 ハジメはパイロットブースから転がり出ると、胃の中身をヘルメットの中にぶちまけた。たまらずメットを脱ぎ捨てる。ひどいめまいが襲ってくる。長時間、脳波リンクに意識を集中しすぎた弊害だ。「接続酔い」というやつだ。

「げェッ」

 ハジメのうめき声に、周囲の視線が集まる。近藤のとりまきのちんぴらどもが集まってくる。頭上で何か言っている。だれかの脚がハジメの顔を蹴り上げる。それすらも非現実。別のだれかの脚が、ハジメの頭を吐瀉物に押しつける。それすらも非現実。だれかの腕が、ハジメの襟首をひっつかみ、ゲームセンターの入口まで引きずっていって、雨の降りしきる道路に放り投げる。それすらも非現実。

 ハジメは冷たい大粒の雨に打たれながら、ゲームセンターの入口に佇む、近藤と優子の姿を見上げた。

「ごめんね、ハジメ」

 優子の涼しげな声が、雨音をかいくぐって聞こえてくる。

「もう来ないで」

 近藤と優子は互いにじゃれ合いながら、ゲームセンターの喧噪の中に消えていった。

 雨に濡れる通りに、ハジメはそのままゴミのように転がっていた。歩道を歩く人々は、まさに足元のゴミを避けるように、ハジメを避けて歩いた。車道の車は時折、水たまりの上を走ってハジメに水をひっかけた。雨はハジメの上に降り続けていた。

 どれもこれも非現実。

 このまま眠っていれば、死ねるだろうか?

 ハジメは静かに目を閉じた。



   *



 どのくらい時間が経ったかしれない。

 ハジメはふと、何か暖かいものを感じて目を覚ました。薄く開いた瞼の向こうに、赤い、ビニールの傘が見えた。傘はハジメの上に優しくさしだされ、ハジメを打ちのめす雨粒を防いでくれていた。

 暖かいものは、ハジメの頬に触れていた。

 はっとして首を巡らせる。白くて細くて優しくて暖かい指が、ハジメの頬をなで、かわいらしい花柄のハンカチで、ハジメの口元についた吐瀉物の残りをふき取っていた。

 目の覚めるほど美しい、花よりもかわいらしい、どんな炎よりも暖かい、一人の少女がそこにちょこんとしゃがみこんでいた。

 ハジメのそばに。ハジメを慈しみ、護るように。

 これも、非現実?

 いや、これは――

「だいじょうぶ?」

 少女はハジメの手を握った。

 ハジメは夢中で、その手を強く握り返した。

 少女はにっこりと微笑んだ。

 そこから先の記憶は、ハジメにはない。雨に溶けたか、風に飛ばされたか、炎に焼き尽くされたか。いずれにせよ、思い出は彼方。遥か彼方の、ナルの世界に落ちて消え去った。


 それが、ナルとの出会いだった。



(つづく)

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