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外清内ダク
1:ダメ男と家出娘
1-1 大阪国恵美須アーケード賭けゲーム
このおッ!
ハジメは最後の気力を振り絞り、全身をぴったり包む
ハジメの体は一瞬で五十五
ぱきん!
完全な調和を保っていたビルのガラスが、小さな音を立ててひび割れる。
次の瞬間、さっきまでハジメが飛んでいたデザイナー・ビルの外壁ガラスを、無数の徹甲弾が打ち砕く。
無茶をするっ。
ハジメが顔をしかめた瞬間、制御コンプが神経リンクを通じて警告を送ってくる。敵のロックオン電波を感知。後ろから追いかけてくる敵――近藤の「
すぐさまハジメは《重心移動/(8・0)》をコマンドする。フロートドレスが体の一部分だけの体重を千倍に引き戻し、それを利用して重心を移動させる。X軸方向に+8、右手のあたりに重心がずれて、ハジメの体は急速旋回する。
ふたたび重心を中央に戻し、ハジメは稲妻のような鋭角カーブをなし遂げた。近藤の放ったSMGの9ミリ弾が、虚しく空を貫いて過ぎる。
脳が悲鳴を挙げている。コンプは警告を送りどおしだ。すでに三回戦の最終戦、ハジメの疲労は頂点に達している。度重なるコマンド入力による脳神経の疲労で、ハジメの視界はぐるぐる回っている。
おちつかなけりゃ。脳を休ませなけりゃ。焼き切れそうな脳みそで、ハジメは自分に言い聞かせる。
『逃げてばかりかぁハジメッ!』
公共周波数で飛び込む通信。送り主はもちろん近藤だ。
『ランカークロウの名前が泣いてるなあ! そんなんじゃあいつは取り戻せないなあ!』
にっくき近藤。恵比須アーケードのトップランカー、近藤。
『優子は可愛いよなぁーハァージメェーッ!』
僕から優子を奪った近藤ッ!
「このやろおォおおおおおおッ!」
ハジメの脳が焼き切れる。コンプにコマンド急速反転バーニア全開推力最大真ッ正面に近藤を捉えて一直線に突撃する。ひはーとかけはーとか叫びながら近藤の放ったミサイル群。非自律誘導タイプのペンシルミサイル。まるで蜘蛛の巣のようなその弾道。
「《アクティヴ》!」
思わず口を吐いて出た、悲鳴のようなコマンドに応え、ハジメの背中にくっついた翼のような
ハジメの行く手を阻むモノはない。目の前には真っ黒なフロートドレスに身を包んだ近藤の姿。右手を大きく振りかぶる。下腕全体を覆う格闘戦用
一撃必殺のパンチを叩き込んでやる!
ハジメが歯を食いしばった瞬間、近藤が急速上昇する。無駄だ。この距離まで近付いて、誉田の最新型フロートドレス「ヴィクセン・アクティヴ」を振り切れるはずがない。ハジメはすぐさまコマンド送信、近藤を追って自身も上へ旋回する。
相手の軌道は読めている。コンプがはじき出した予測軌道への突入コースを指示しながら、ハジメは渾身のコマンドを送る。
「《インパクト》ォッ!」
磁気レールに電流が注がれる。フレミング左手則の洗礼を受け、金属ピストンが加速する。繰り出す拳。右腕が風を切って唸ると同時に、猛烈な勢いの金属ピストンが叩き込まれる。これがヴィクセン・アクティヴの最強装備、インパクト・ピストン・パンチ。
ハジメの拳が空を貫く。
空だけを。
「消えた!?」
コンプのはじきだした予測軌道に反して、近藤の姿はどこにもなかった。ハジメは慌てて周囲を見回す。探すのはMAF
『
声。
電波を介するまでもなく聞こえる肉声。
真後ろから。
ハジメはすぐさま振り返り、再び拳を
一瞬、ハジメの意識が寸断された。
気が付けば、全身汗だくになって、パイロットブースにへたりこんでいた。頭には脳波リンク・ヘルメットをかぶったまま。周囲で大勢の人間が、熱狂的な叫び声をあげている。どこか遠い世界で。
全てが、何もかもが、遠ざかってしまったような気がした。
ここは恵美須のアーケード街でも一番大きなゲームセンターだ。蒸し暑い雨の夜だ。真昼のさわやかな
負けた。
僕は、負けたんだ。
呆然とハジメは、明滅する画面を見つめ続けた。敗北の表示がそこに刻まれていた。隣のパイロットブースからは、いけすかないにやにや顔をした近藤が、ヒーロー気取りでゆっくり出てきた。集まっていた観客に手を振って応える。実際ヒーローだろう。ハジメには非現実的な光景だが。
人形のように整った、美しい金髪の女が――優子が、妖艶な笑みを浮かべて近藤に寄り添う。近藤は優子の肩を抱く。やめろ。優子が瞳を閉じて、唇をそっと突き出す。やめろ。近藤は乱暴に、所有権を主張するかのように、彼女の艶やかで真っ赤で柔らかい唇を!
「うッ」
ハジメはパイロットブースから転がり出ると、胃の中身をヘルメットの中にぶちまけた。たまらずメットを脱ぎ捨てる。ひどいめまいが襲ってくる。長時間、脳波リンクに意識を集中しすぎた弊害だ。「接続酔い」というやつだ。
「げェッ」
ハジメのうめき声に、周囲の視線が集まる。近藤のとりまきのちんぴらどもが集まってくる。頭上で何か言っている。だれかの脚がハジメの顔を蹴り上げる。それすらも非現実。別のだれかの脚が、ハジメの頭を吐瀉物に押しつける。それすらも非現実。だれかの腕が、ハジメの襟首をひっつかみ、ゲームセンターの入口まで引きずっていって、雨の降りしきる道路に放り投げる。それすらも非現実。
ハジメは冷たい大粒の雨に打たれながら、ゲームセンターの入口に佇む、近藤と優子の姿を見上げた。
「ごめんね、ハジメ」
優子の涼しげな声が、雨音をかいくぐって聞こえてくる。
「もう来ないで」
近藤と優子は互いにじゃれ合いながら、ゲームセンターの喧噪の中に消えていった。
雨に濡れる通りに、ハジメはそのままゴミのように転がっていた。歩道を歩く人々は、まさに足元のゴミを避けるように、ハジメを避けて歩いた。車道の車は時折、水たまりの上を走ってハジメに水をひっかけた。雨はハジメの上に降り続けていた。
どれもこれも非現実。
このまま眠っていれば、死ねるだろうか?
ハジメは静かに目を閉じた。
*
どのくらい時間が経ったかしれない。
ハジメはふと、何か暖かいものを感じて目を覚ました。薄く開いた瞼の向こうに、赤い、ビニールの傘が見えた。傘はハジメの上に優しくさしだされ、ハジメを打ちのめす雨粒を防いでくれていた。
暖かいものは、ハジメの頬に触れていた。
はっとして首を巡らせる。白くて細くて優しくて暖かい指が、ハジメの頬をなで、かわいらしい花柄のハンカチで、ハジメの口元についた吐瀉物の残りをふき取っていた。
目の覚めるほど美しい、花よりもかわいらしい、どんな炎よりも暖かい、一人の少女がそこにちょこんとしゃがみこんでいた。
ハジメのそばに。ハジメを慈しみ、護るように。
これも、非現実?
いや、これは――
「だいじょうぶ?」
少女はハジメの手を握った。
ハジメは夢中で、その手を強く握り返した。
少女はにっこりと微笑んだ。
そこから先の記憶は、ハジメにはない。雨に溶けたか、風に飛ばされたか、炎に焼き尽くされたか。いずれにせよ、思い出は彼方。遥か彼方の、
それが、ナルとの出会いだった。
(つづく)
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