ラピュタ解放~ラピュタを見つけられなかった少年の物語~

@LaputaLiberation

第1話 見果てぬ空にラピュタを求めて

 訳者まえがき


 以下の極めて特異な物語は、ある異世界で出版された書籍を日本語に翻訳したものである。


 この異世界では、現代の地球と同じくらい高度で複雑な文明が築かれており、中世ファンタジーとも、現代日本とも、近未来SFとも異なっている。


 独自の歴史と思想を持ち、人々の価値観も違う、本当に〝"なる世界である。


 翻訳には細心の注意を払ったが、地球の読者には難解な部分も多いと思う。


 しかし、我々の知る世界に何もかもうんざりしている方は、この新たに「発見」された世界の物語を、しばしの間、お楽しみいただけるだろう。


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 凡例


 1.本訳書の底本には『ある騎行師の追憶 第12巻 -ラピュタ解放線‐』苦杯書房,1723年刊行 を用いた


 2.共通語は日本語に翻訳した。死語や古語による固有名詞(瑞燈ストア威主弖馬イシュテバアル)や、地球にも存在する固有名詞(樂秘多ラピュタ九頭龍クトゥルフ)は日本語にしたがって発音されるようにし、意訳となる漢字を当てた。


 3.造語はできるだけ控え、医療用語の「術式」や「術具」を魔法の技術用語として流用し、日本神話の「思金おもいかね」を「黄金こがね」や「白銀しろがね」のように金属の名称として転用するなどした。また「トルコ石」「さつま芋」「呉越同舟」「サンドイッチ」「ハンバーガー」など地球の固有名詞を含む単語も、同じ意味である場合は、そのまま使用した。重さや長さの単位も「グラム」や「メートル」等に適宜換算した。


 4.訳註はおおむね各話の末端に掲載した。文責は訳者にある。地球の読者のために、かなり多めに註を付したが、読者によってはわずらわしく感じる向きもあろうかと思う。その際はその部分は読み飛ばしていただきたい。


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 ラピュタ。

 Laputaラピュタ

 樂秘多ラピュタ


 神のむちにして、邪神の砂糖菓子。


 その都市をあがめる八つの宗教があり、

 その都市をたたえる八百万やおよろずの歌があった


 天の御国みくに

 太古のユートピア。

 少年が焦がれる星。

 誰もたどりつけない場所。

 嘘。


 それはさておき――


 赤黒い肉塊がカフェのテラス席に降ってきたのは土曜の午後だった。


 刺激をお求めの方には気の毒だが、その肉塊は人肉ではなく、馬肉だった。馬の首だ。濡れた土嚢どのうを放り投げたような音をたてて、胡桃くるみ材のテーブルをぶち割り、木端こっぱと馬肉をぶちまけた。馬の目玉が雅蘭ガーランド製の白磁のデミタスカップに飛び込み、黒い飛沫しぶきをあげた。


 1秒後、テラス席はパニックに――と言いたいところだが、「伏せろ!」「早く店の中へ!」と客たちは声をかけあい、避難しはじめた。銀ぶちの眼鏡をかけた老婆が赤ん坊を抱きあげ、たちつくす母親の尻を叩く。小太りの清掃員が、腰を抜かしたウェイトレスの両脇の下に手を入れて店内へ引きずりこむ。戦後から10年。慣れている。老人と中年のほうが冷静だ。


 2秒後に爆発音がつづいた。みれば黒煙がのぼっている。瑞燈ストア医科歯科大学のほうだ。いや、それより手前か。


 遍歴の騎行師きこうし山道さんどうわだち燕雀えんじゃくは、術具を起こして、構えた。その名前は「山の道の、車輪が通った跡の、小鳥」ほどの意味である。




 1分2秒前、世界は平和だった。


 雨上がりのきらめく石畳いしだたみの歩道で、紫水晶アメシストの叩き売りが王朝時代の歌をうたいながら練り歩いていた。

 アルバイトの中学生がワゴンの露店で乳香にゅうこうのドロップと伽羅きゃらのウッドチップを売っていて、螺逸ライツ人の留学生にうまく値切られていた。


 縞瑪瑙しまめのうの横断歩道で2階建ての路線馬車が一時停止すると、近くの女子校の陸上部員が軽く一礼しながら駆け抜けていった。

 紺のランニングブルマからこぼれる太ももには汗がきらめき、装填衣そうてんいのガーターボーンが食い込んでいた。


 好々爺こうこうやふうの御者は幸福そうにほほえみ、〈飛行〉の術式を切って、車体をサスペンションにあずけた。熾太利シトリー産の芦毛あしげの馬が馬糞受けに馬糞ボロをもらした。陸上部員が通りすぎてから、御者はふたたび重力の鎖を断ち切り、車体を3センチほど〈飛行〉させた。


 1頭の馬が40人乗りの馬車をきつつ、カフェの前を横切り、桜の並木道へゆっくりと歩きだした。焦げ茶いろの馬車の屋根に、庭師の剪定せんていし忘れた枝が引っかかって、たわんだ。お天気雨にぬれた花びらから薔薇石英ローズクォーツいろのしずくがぱっと弾けた。


 車窓から乗り出した旅行客の女の子が空を指さした。その先には龍とくじら混血児あいのこめいた葡萄酒ぶどうしゅいろの飛行艇が、雲ひとつない瑠璃るり色の空を這っていた。


 お天気雨の都、瑠璃と桜の都、数多あまたの愛称をもつ世界都市・瑞倫スロウン。その学生街の学び区ではまったく平凡な、日常の風景がながれていたのだった。


 わだちは、テラス席で蜜弥瑪瑠ミヤマル産の珈琲コーヒー豆をつかったエスプレッソをすすっていた。バリスタが勝手に気を利かせて、ラム酒を1滴たらしていて、エキゾチックな甘い香りがした。だが、彼は17歳であった。そして騎行師でもあった。正確には騎行師だが。いずれにせよ、飲酒は禁じられていた。


 さらにつけくわえると、彼は「カフェのテラス席でエスプレッソをむ」という、俗っぽい行為を蛇蝎だかつのように嫌っていた。しかし、やむを得ない事情があった。後述する。


 轍の顔を真正面からみれば――ただし、その勇気をもつ者はまれだが――左の半面が醜く焼けただれた哀れな美少年だと思う。しかし、さらに勇気を出して目をらせば、無傷な右の半面も、醜い左側とのコントラストで美しく見えるだけで、なんてことない、ふつうの凡人の顔だと気づく。


 その目は疲れた男の目。右の焦土にめ込まれた瞳に若い星を見る者もいる。本人は否定する。いつも眉間みけんにしわを寄せている。好きでそうしているのではない。眉間に力を入れないと涙腺がゆるむからだ。涙もろいのではなく、いたんだ筋繊維と病んだ神経の問題である。少なくとも本人はそう主張している。


 そんな彼に話しかける者がいた。物好きもいたものである。くりかえすが、1分2秒前のことだ。馬肉が降ってくる前のことである。


「あなたはワダチ・サンドウだよな?」


 標準的な王国語だった。宮廷語ではないが、貧民語でもない。声は喜びに跳ねている。飼い主を出迎える、犬のしっぽのように。


 轍は醜い方の片目でみあげた。どこぞの女学生だった。高校生か中学生かわからない。どこの学生かもわからない。学び舎区は世界最大の学生街のひとつで、とかく学校が多い。


 先だってのお天気雨にぬれて湿り気を帯びた白いドレスシャツが子供らしくない身体に吸いついている。どこの制服かはわからないが、着こなしが無礼なまでに無造作で、垢抜けない。どこの田舎から出てきたのか。長い豊かな銀髪はつやうるおいがあって美しいが、前髪が片目をおおうほど伸びていて、むさ苦しい。襟足のほつれ毛に、ふちが茶色にせた桜の花びらが2、3枚、貼りついている。


 陰気だが、ぶっきらぼう。

 自分が繊細だと思っているだけの無神経な臆病者。そう、轍は決めつけた。

 つまり、自分に似ている。轍は自分が嫌いである。ゆえに彼女は嫌いなタイプだ。


 轍は迷った。騎行師らしく、なにか御用でしょうかと慇懃いんぎんに応じるか、それとも完全に無視するか。だが、それも次の言葉が吐かれるまでだった。


樂秘多ラピュタを探している、冒険者の、ワダチ・サンドウだよな?」


「ラピュタは存在しないし、僕は冒険者ではない」


 轍は噛みつくように答えた。


 山道・轍=燕雀は有名人である。その証拠を女学生は胸に抱いていた。1冊の書籍。すりきれて、色あせている。初版だろう。2年前の。


 タイトルは『見果てぬ空にラピュタを求めて』。表紙には15歳の彼のモロクロ写真。空を見上げる少年の、芸術的なローアングル。そのころから左の半面は焦土。しかし、瞳は星だった。


「その本に書いてあることはデタラメだ。編集者が手をくわえた。バカに売れるように」


 轍はもう1点、毒をつけくわえた。


「本当のことも書いてある。ラピュタはなかった。見つからなかった。世界を一周しても。どこにもない、そんなものは」


 女学生は凍りついた。銃で撃たれて倒れる前の一瞬が永遠につづくように。そこはかとなく人なつっこい印象の顔も、いきなり仲間に裏切られて、背後から撃たれたような表情にかわった。だが、轍はもう見ていなかった。


 轍はエスプレッソをすすった。甘すぎて、生ぬるい。


「でも、あなたは――」


 と少女が言いかけたところで、馬の首が降ってきて、馬の目玉が雅蘭ガーランド製の白磁のデミタスカップにぶちこまれたのだった。

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