ある学生の青春
信濃
新幹線内で告白した話
日が少し傾き始める午後三時ごろ、大宮駅を出発した東北新幹線やまびこは仙台駅へと向かっている。
本来であれば、この新幹線は何事も起きることなく目的地たる仙台に無事に到着することが出来た。修学旅行からの帰りである中学校の生徒たちを大勢乗せているという特殊な状況ではあったが、それなりの教育を施されている彼らが問題行動を起こすことなどない。現に問題は起きていない。
しかし、そんな状況を私は壊そうとしている。私は、友人と約束してしまったのだ。私は、自分が愛している人に告白をすると。しかも、この新幹線の車内でだ。
こんな状況ではまともな思考など働かない。まずは、何故このような事態に陥ったのかを考えてみることにしよう。この事態の根源は何かと問われれば、私が今まで生きてきた中で命を捧げても構わないと思えた、あの人との出会いだろう。
あの人と出会ったのは、中学校に入ってばかりの一年生の時だった。
あの人は、あのころから異色の存在だった。異性かつほぼ初対面の私に対して、今まであった女性の中で一番優しく声をかけてくれたのが、何を隠そうあの人だ。距離感は、自分が知っている男女間の距離感よりも圧倒的に近いのに、彼女からは一つも下心が見えない。
かといって、自分の事をただの友達としか見ていないとは到底思えなかった。あの人が時折見せる年相応の照れている顔は、間違えなくあの人の女としての姿であろうと子供ながらに男としての本能が告げていた。
今まで出会ってきた女性とは全く違い、小説でも中々見ることが出来ない純粋さと優しさと少しの色気を持ち合わせた女性。そんなあの人との出会いに、私は心の底から歓喜していた。
そして、あの人はまた私の想像を軽々しく超えていった。六月の何もない普通の平日、学校の休み時間に私を呼び出してあの人はこう告げたのだ。
「好きです。付き合ってください」と。
明らかに何かがおかしい。そんなことあるわけないと必死に否定しようとするが、あの人の普段とは違う声色と付き添いらしき女性の神妙な表情に、私の脳はこれは現実だと冷静に判定を下した。
それ故に、私は熟考した。何が答えとして正解なのかと。どうすれば、彼女を傷つけずに済むのかと。だが、当然のことではあるが恋愛に正解などない。迷走に迷走を続けた結果、私は日本人らしくもあり退路を自分から立つような回答をすることにした。
「あなたの告白、本当に嬉しいです。私も、あなたと付き合えたらなと思っています。でも、私はあなたのことをまだよく知らないんです。それに、私もあなたもまだ12歳です。お互いに抱いている好きという感情が、likeなのかloveなのか、少なくとも私は軽々しく断言したくありませんし、できません。
だから、お願いがあります。2年ほど待っていてください。あなたのことが好きか嫌いか普通か。明確な答えを必ず出しましょう」
あの瞬間に出るとは思えない、冷静な返答にあの人は少し驚いたような表情を浮かべると、決意した表情で語りかけてきた。
「待っています。そして、信じています。あなたは私を愛してくれると。………ちょっと、怖いけど」
私の耳が偶然拾った、今にも消えてしまいそうで不安の気持ちでいっぱいだと訴えるようなか細い声。あの人の本当の姿が垣間見えたようで嬉しくもあり、あの人を不安にさせたことに対する罪悪感を感じてもいた。
その日からあの人とは微妙な関係に………みたいなことは残念ながらない。公私混同はしないという表現が正しいのかは分からないが、あの人は私に以前と変わらない態度を貫いてくれた。約束を守ってくれることへの嬉しさと、我儘を言っていることへの申し訳なさを感じながら、あっけなく一年生は終わった。
あの人とは、二年生も同じクラスだった。その頃になると、電話をしたり一緒に遊びに行ったりするような、自分が思い描いていた友人らしい事をするようになった。やっぱり、人と遊ぶのは楽しいと心の底から思えた。少なくともlikeではあるだろうとようやく確信が持てた。
今思い返せば、あの人に対する恋心はこの頃から生まれていたのだろう。勿論、それは自分自身でも気づくことのない心の奥底にある淡い恋心であり、自分はそんなことは一つも考えずあの人と紡ぐ青春というものを素直に楽しんでいた。
その状況が動き始めたのは、その年の終わりごろ、いつものように電話をしていた時だった。あの人が、少し躊躇しながらこう言い放った。
「ね、ねぇ。好きな人っていたりする?」
当然、慌てた。あの約束の事を忘れるほど薄情ではなかった故に、この質問の意図をなんとなくではあるが理解していたのだ。だからこそ、何と答えれば良いのか本当に迷ってしまった。あの時と変わらないまま、生きて来たんだと少し後悔しながらも何と返答するかを考えた。
自分は、「恋愛経験がないためなんとも言えないが」と前置きした上で意を決して答えた。
「いますよ。この気持ちが本当かはわかりませんが、自分が愛していると信じたい人が」
「そ、そうなんだ」
冷めているとも、思考が追いついていないとも言えるなんとも言えない返答になんとも言えない感情を抱いたものの、少しやり返してやろうと「そういうあなたは、どうなんです?」と尋ねた。
すると、あの人はこう答えた。
「し、知ってるでしょ君は。もう、いじめないでよね…」
可愛い。なんだこの可愛い生き物は。今なら自信を持って言える。自分は、あの人が好きだ。冷静に考えて、あの人の隣にいないという選択肢はないと確信できた。何より、あの可愛い人を慈しんであげたいと自分の心が訴えていた。
ただ、これをきっかけに変な行動を取ろうとは思わなかった。わざとらしい行動をする方が恥ずかしいし、何よりこんな状態を二年続けてきたことが冷静におかしく思えたので、軽挙妄動は控えていた。
そういう訳で、自分たちの関係は、三年生に進級しても何一つとして変わらずに推移していた。ただ、以前と比べて私の視線はあの人に注がれる様になった。
それと同時に、ある問題が浮上した。約束していた告白をいつするかである。律儀に日付を守るなら、6月上旬にすべきであろう。だが、イベントごとも何もない6月に告白をするのは良くないと直感的に思い、私はあの時あの人の告白を見守っていた女子に連絡を取った。
その女子は、当然と言わんばかりにこう言い放った。
「あの子はね、意外とロマンチストなんだよ。並の告白じゃダメに決まってるじゃん。私が、それとなく言いくるめておくから、告白する日程は決めておくんだよ」
そう言われ、自分は真剣にいつ告白するのかを考えた。そこで、合唱祭か卒業式がいいのではないかと目星をつけ、それまでは申し訳ないが告白を待ってもらおうと内々に決めた。
本来、変わることがあり得なかったこの決断は、修学旅行で大幅な変更を強いられた。
一日目の夜、中学生としては定番ともいえる恋バナが行われた。同部屋の四人と順番に話すことになり、自分は三番目に話すことになった。
前の二人が少し恥ずかしそうに話している中、自分は別に好きな人がいるのは当然だろうと思っているし、向こうから先に告白された身なので、極めて冷静に好きなあの人の魅力を真剣に語った。
そこまでは良かったのだ。同部屋の四人も、「まあ、そんな気はしてた」「…楽しそうだな」と納得と呆れの言葉をこちらに向けてきて、どこの中学生でもやってそうな恋バナで終わるはずだったのだ。
問題は、二日目の夜に起きた。
現学級委員でもある部屋の一人が、恋愛指南をすると言い唐突に相談会を開催したのだ。この男は、好きな人から拒絶されてるのに付き合えると信じて付き纏い続けている可哀想な男なのだが、この男の無鉄砲な行動は今場においても健全だった。
他の人に対しては、「中長期的視点でじっくりことを進めろ」と言っていたのにも関わらず\、自分に対しては「さっさと告白しろ」と何ともひどいことを当然のように突きつけてきたのだ。。
しかも、その意見に他の三人も賛同した。流石に驚いた私は、その理由を問いただした。すると、4人ともほとんど同じ様な答えが返ってきた。
「二人が両思いなのは分かり切っている。見てて気持ち悪いからさっさと告白して付き合っちまえ」
これはひどいと言わざるを得なかった。気持ちは理解するが、そこまで言うかと思ってしまった。
それでも、自分で決めたことだし卒業式くらいまでは引き伸ばすかと考えていたのだが、唐突にある事を思い出した。修学旅行の数か月前、告白の約束を知らないがあの人と親しい女子からあるメッセージをもらっていたのだ。
内容は、「あの人が自分からの告白を待っている。なるべく早くお願いしたい」というものだった。自分は、あの事を知らないのに、あの人の気持ちに気付けるのかと謎に感動しながらも、もう少ししてからと引き延ばしてた。こう短期間に多くの人から言われると、告白をした方がいいのではないかと思えてくる。
また、完全に私情になってしまうものの、あの人とさらに親密な関係になりたいという気持ちは着々と肥大化しつつあり、早く告白してしまいたいと最近思い始めていた。
よくよく考えると、修学旅行最終日に告白というのも十分にロマンチックであり、あの人の潜在的な要望も叶えられる様な気がした。
そして、自分は腹を括った。明日、あの人に告白をすると決めたのだ。
そう結論付けると、自分は部屋の四人に告白における全面的協力を要請し、多少の責任を押し付けることにした。そうでもしなければ、形容し難いムカついた感情が発散できない様に思えたからだ。
翌日、いろいろな調整を終えたのか、四人の中で一番仲が良い一人から、いつどこで告白するのかを教えられた。どうやら、自分とあの人の交際を願ってやまない多くの同級生に協力を要請したらしく、クラス一丸となって送り出す気らしい。
こんなことでクラスが団結するなんてとは思ったものの、自分とあの人の為だけにこんな事をしてくれるのには、ものすごく感謝していた。
彼曰く、場所は修学旅行先からの帰路で乗る東北新幹線車内のデッキが良いと判断したらしい。計画では、四人を含むクラスの協力者達が、交代交代でそれとなくデッキ内の人の数を確認し、誰も人がいないと判断したタイミングで自分がデッキへ移動、あの人が来るまで自分は待機し、あとは任せるというものだった。
場合によっては自分が呼びに行く必要があるのかと思い尋ねたところ、彼によればあの人の隣に座っている告白を見守っていたあの女子と連絡を取り合ったらしく、自分が移動したタイミングであの人にデッキへ向かうよう手段を選ばず説得してくれるらしい。
県内有数の進学校の頭脳を友人の告白なんかに惜しみなく使う彼らに少し呆れたが、さすが自分の友人だと納得はしていた。
また、同級生らの協力の元で自分は怪しまれないように普段通りの様子で三日目の旅程をこなした。勿論、数多の誘惑や自分が告白を決意している事を知らない純粋無垢なあの人からの誘いに惑わされたものの、全てはあの人の為にという思いでなんとか乗り越えることができた。
そうこうしてるうちに時間は経過し、自分はすでに新幹線内にいた。周囲の人たちがこぞって騒いでいる中、自分だけが静かに瞑想し時を待っていた。
数十分後、とある駅を通過したタイミングで周囲の雰囲気はガラッと変わった。到着まで残り数十分、このタイミングがベストと彼らは判断していた。デッキを巡る静かな攻防戦が始まったのだ。
今まで余裕な態度をなんとか貫いていたが、恋愛も告白も経験していない俺の心は緊張で揺らぎつつあった。逃げたかった。この三年間の集大成となる告白から、何も考えずに逃げ出してしまいたかった。
だが、あの人を心から愛する自分の気持ちがそれを押し留めてくれた。クラスの人たちが応援してくれるという事実が、自分を支えてくれた。もう、逃げれない。逃げるつもりもない。私が始めた物語なのだ。私の手で終わらせなければならないのだ。
1人の友人がこちらに来て、耳元で囁く。
「伝言だ。お膳立ては済ませた、だってよ」
デッキ内が空いていると察することができた。同級生の暗躍に感謝の念を抱きつつ、極めて冷静に答えた。
「ありがとう。お前らがいなきゃ、この三年間の物語に終止符を打てなかったかもしれん。お礼に何が欲しい?ここは資本主義国家だからな」
あの夜とも、三年前の運命の日とも違う、上から目線の言葉だった。覚悟はすでにできている。俺はお前らよりも先を行くと、虚勢を張っておきたかったのだ。
友人は笑みを浮かべながら答える。
「去年、お前は担任の離任式で結婚式の友人代表スピーチをやりたいと言ったな。お前の真似をさせてもらう。お前らの結婚式に、友人代表として出させてくれ」
「・・・負けたよ。行ってくる」
彼らの様な友人に出会えたことは、この三年間で一番感謝すべき事なのかもしれない。この様な重大な時に、自分はそんな事を考えていた。
デッキ内に入ると、彼らが計画していた通り人はいない。人が入ってきた時に備えて洗面所にでも隠れようかと思い、カーテンを開く。あの人のことを抱きしめたいという想いから、無意識に手を洗っていた。自分の行動ではあるが、素直に恐怖を感じてしまう。この三年で、あの人には全てを奪われていたのだと心の底から思えたのだ。
洗面所の蛇口からは、水が流れ続ける。あの人が来るまでの静寂を紛らわそうとした結果だった。
数分経った時、新幹線の車両間をつなぐ自動ドアが開く音が鳴り、流れていた水の音を一瞬かき消した。あの人が来たのだ。何の根拠もないが自分はそう確信し、振り向いた。
そこには、やはりあの人がいた。三年前は、同級生の女子のうちの1人としか認識していなかったのに、今では天使の様に思えてくる。
私の感情など露知らず、あの人はいつものように近づいてきたので、私もいつものように話しかけた。あの人には、少し鈍いところがある。本来あり得ないようなこんな状況でも、いつものように言葉を返してくれる。
いきなり告白を切り出せるほど、俺は度胸のある人間ではない。他愛もない話をしていると、あの人が突然あることを口にした。
「なんか、隣の子にデッキまで行ってこいって言われたんだよね。だから来たんだけど、何だったのかな?」
予想外だった。あの人からこの話を振ってくるなんて。だが、言い方は悪いが好都合でもあった。結局、自分から話を変えて告白する勇気は自分になかったのだと、告白を諦めそうにもなっていたからだ。慎重に、そして冷静に、言葉を紡いていく。
「…実は、あなたを呼び出したのは自分なんだ。突然すぎて、ちょっと驚いてるかもしれないけど、大事な話をしたいんだ。こっちの方に来てくれない?」
「う、うん」
あの人は、少し驚いた様な表情を浮かべたものの、カーテンで区切られた洗面所の中に来てくれた。自分のことを信頼してくれているのだろう。
自分は、通行人が来ても問題ないようにカーテンを閉めると、あの人の眼をしっかりと見つめた。あの時から一切変わっていない、純粋で美しい自分が愛したあの人の瞳だった。静かに深呼吸をし、心拍を整える。
自分は、あの時の約束を果たさなければならない。そう心に決め、静かに口を開き想いを吐露した。
「…私は、あなたのことが好きです。愛しています。…付き合っていただけませんか?」
極度の緊張に襲われながらも、あの人に右手を静かに差し出す。あの人は、頬を赤く染め少しの時間固まっていた。自分も、緊張と羞恥心で顔は当然赤くなっていると思ったが、それを気にしている暇はない。思考がまとまったのだろう。あの人は、静かに微笑みながら自分の右手を握り返してくれた。
ああ、可愛い。やはり、私が一生愛することができる存在はあの人なんだと、改めて痛感する。煩悩の塊みたいなことを考えながら見つめていると、あの人はゆっくりと口を開いた。
「はい。…私もあなたのことが好きです。あの時からずっと、愛していました。これからは、恋人としてよろしくお願いします」
その言葉が告げられた時、今まで経験したことのない喜びを感じた。あの時から溜め込み続けた想いが、遂に届いたのだ。あの人、いや、もう彼女でいいだろう。彼女が私の恋人となり、私は彼女の恋人になれたのだ。
冷めることのない高揚感に乗せられ、自分は彼女に秘めていた欲望を曝け出した。手を握っただけでは満足できないくらいに、私の愛は肥大化していたのだ。
「抱きしめても、いいかな?」
「…いいよ」
頬を赤らめ、期待している様な瞳で見つめてくる彼女。もう、自らの衝動を抑えることはできなかった。こんなにも可愛い彼女を抱きしめないという選択肢は、私の脳内には存在しなかった。左手を彼女の背中に回し、右手を軽く添え、彼女の体を強く抱きしめる。予想以上の手際の良さに、自分だけでなく彼女も驚いた表情を浮かべる。
彼女の温もりで、心が安らいでいく。すっかり安心した私は、彼女に胸の内を打ち明けた。
「ありがとう…本当にありがとう。2年も待たせてしまって、本当に申し訳なかった。最近は、君への愛で狂ってしまいそうだった。自分の人生に君がいないことなんか、考えたくもないし考えられない。お願いだ。君が僕のものである確かめさせてくれ。抱きしめさせてくれ」
彼女も少し落ち着いたようで、静かに自分のことを抱きしめてくれている。そんな彼女のやさしさと温もりに、私の思考回路は完全にやられてしまった。
この時、私はこの新幹線内に同学年の全生徒・随伴する教員・一般の利用者がいることを完全に忘れていた。彼女への愛が、私の思考を完全に占拠していた。私は静かに彼女の後頭部に右手を添えた。
またもや混乱している彼女を無視し、自分は彼女と唇を重ねた。もう、自分に怖いものなどなかった。
ある学生の青春 信濃 @koukuusenkann
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