第1章 閉じた世界で

第1話

 これは、そう――過去のお話。


 私たちはいつも一緒で、いつも三人だった。


 前を走る彼女は、私たちの光で、誰よりも明るく、誰よりも美しい。


 彼女は世界の中心で、世界のど真ん中にいる。そんな彼女に私は憧れた。

 だから、必死に追いかけたりもした。


 後ろで呼ぶ声が、私を引き止める。

 

 振り返れば――鈍臭く、派手に転ぶ少女の姿。

 放っておけなくて――だから、手を握ってやることにした。

 本当、私って意外といい奴だったりするのだ。

 

 だって本当は――今すぐ、彼女を追いかけたかったんだから。


 


 時は過ぎて、憧れは変質し、心が窮屈になる。


 叫びたくなった。好きだと、彼女に言いたかった。愛していると、今すぐにうちあけてしまいたい。でも、女同士だった。女と女が結ばれる――そんなの、ただの夢物語でしょ?


 だから、私は気持ちを抑え込んだ。正直、苦しかったから、下を向いたんだ。本当、昔の私はとんだ乙女野郎だ。


 そして、後悔することになる。目を離した隙に、彼女は消えてしまったから。だから、私は絶望してしまった。情けない話だけどさ。


 だけど、私の手を握る少女は――彼女と、瓜二つ。だから、手放せなくなった。


 三人から――二人になる。もうこの子しかいない。この子しいないから、この子は、私の全てになった。


 愛している。


 私はこの子を、愛していた。だけど、同じ失敗を繰り返すことになる。


 膨れ上がる感情を抑え込んで――今日も私は笑っている。


 自分と彼女の影を眺めながら――今日も私は、アンニュイな気分だ。



 

 

 ***



 

 

 高校2年の初夏、5月初旬。


 ゴールデンウィークが終わってまだ間もない頃、久々に大事件が起きた。


 あくまで私の中だけのこと。

 

 事件が起きるまで、いつもと変わらない朝だった。


 いつもと変わらない登校風景で、同じ制服に身を包む人間が列を作って歩いている。白シャツに紺色のカーディガン、グレーのチェック柄のスカートをなびかせながら。

 

 そして、隣には幼馴染の深雪がいつものように私の隣を歩いている。標準的な高さの私よりも、少しだけ背が高い。絹のように美しく長い黒髪を揺らし、タレた目を私に向け、優しげに微笑む。

 

 いつものように下駄箱を開け、いつものように上履きを履き、いつものように顔を上げた。その先に――いつものように、私を待つ深雪の姿がなかった。

 

 後ろを振り向くと、深雪は下駄箱の前で立ち尽くしている。

 

「深雪、どうかした?」


 彼女は困った顔で私の方を振り向く。その手には、ラブレターらしき便箋。

 

 私はひどく動揺した。だって、あり得ない。ここは女子校なのだから。1年以上ここに通っているが、女の子に告白されたとか、付き合っているとか、そんな話は聞いたことがない。

 

 そもそも私たちは部活にも入っていないし、交友関係も少ない。深雪は確かに美人だが、大人しく、それほど目立つ存在ではない。だから――そんな訳がないんだけど。本当にラブレターだったのなら、そんなのはただのいたずらに決まっている。


「でも、良く考えたら、ラブレターな訳ないよね。なんだかすっごく恥ずかしい勘違いしちゃった。だから、後で確認することにするね」


 私と同じ結論になる。それでも、それを信じきれない私は、今すぐに確認してくれと言いたいのに、何も言えなかった。


「そうね、深雪がラブレター何て絶対にあり得ないから」


 強がって、気にしていない振りをした。

 いつだって、この気持ちが表に出ないか、私は恐怖している。夢で何度だって見てきた。この気持ちが溢れ、離れていく深雪の姿を。


「あー、奈々ちゃんは本当にひどいなー。でも、本当にその通りだと思うよ」

 

 そう言って深雪は笑う。その笑顔を私以外に向けないで、私だけを見て――笑っていて欲しい。だけどそんなこと、いちいち言えるわけがない。

 

 深雪は人見知りが激しく、クラスの人間とは殆どまともに話さない。――そんな彼女を見ると、私は独占欲を満たし、優越感に浸ることができる。そう、実にいい気分だ。

 

 深雪は手紙をカバンの中に大事そうに仕舞う。そんな紙けらひとつに、私は嫉妬してしまった。そんな自分が、本当に嫌になる。けれど、そんな自分を殴ることなんてできない。だから、代わりに彼女を小突きたくなってきた。


「それじゃあ、そろそろ教室に向かわないとね」


 深雪の言葉に、私は頷いた。




 教室に入り、自分の席にカバンを置くと深雪の机に向かった。

 

 彼女の手には例の便箋。ハートマークのシールで閉じられている。

 深雪は私の視線に気づいて、手紙をすぐに裏返した。


「奈々ちゃん、ゴメンね。この手紙、読もうと思うから」

「別に、気にしなくても大丈夫なんじゃない?」


 私は、自分の笑顔が引き攣っている気がして、口元を手で隠した。声が固くなっていなかったか、私は不安になってくる。


「もしかしたら、ただのいたずらなのかもしれないけど、私にくれた手紙なら、私一人でちゃんと向き合うべきだと思うから」


 そんなの絶対に駄目で――絶対に嫌だから。


「そう、分かった」


 出て来る言葉はいつだって、正反対。

 

「ありがとう、奈々ちゃん」


 私は頷いて、笑って、手を振って、席から離れる。


 私の気持ちと行動は、いつだって正反対だ。


 今すぐ、その手紙を奪って破り捨ててやりたい。そうすれば、私の心はほんの少しぐらいは救われたことだろう。

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