枢機卿、策謀する


 田舎町の端に古い馬車が停まった。

 休憩を始める御者をよそに珍しもの好きな村人が馬車を覗く。


 そこに馬車に座していたのは聖教会の礼服を着た少年だった。


「ユリウス様……! 聖教会の枢機卿様が、このような粗末な馬車になぜ」


 お世辞にも小綺麗とは言えない古馬車に座る少年は微笑を返す。

 

「聖教会の信仰は本来清貧を尊ぶものです」


 白地に金の刺繍が入った礼服に手を当てて続ける。


「このような華美な礼服に身を包むのも心苦しいのですが、ボロ布を継ぎ当てたものでいいと言っても周囲が許してくれないのです」


 なんと、清廉なお方だ。

 聖教会の永遠・ユリウス様!


 人が集まり、口々に褒めそやされるユリウスはどう見ても10歳程度にしか見えない。

 しかし、その年齢はとうに300を越えていた。


 それがいかなる奇跡かは、本人にもわからない。

 ただ信仰に目覚めた日から、彼は歳をとらなくなったのである。


「もう行きましょう」


 ユリウスの小声に行者が驚く。


「え、しかし。まだほとんど休んでいませんが」


「僕の言葉が聞こえないのか?」


「そんな、とんでもございません」


 低くなったユリウスの声に気圧されて御者は慌てて馬車を出す。

 別れを惜しむ村人たちの声を背にユリウスは笑顔で手を振った後、鼻を鳴らした。


「できる限り人目を避けて欲しいと言ったはずです。枢機卿の仕事は人気とりではない。浮ついたことは嫌いです」


「申し訳ございません。しかし、食料や水の補給には村に立ち寄る他なく」


「人間、三日程度なら食事も水も不要でしょう?」


 枢機卿の目は笑っていなかった。

 まるで当たり前のことかのような口調だった。


「そ、そういうわけにも……」


 御者は馬を駆りながら、その横顔で許しを乞うような笑みを浮かべる。

 枢機卿・ユリウスの頭上には疑問符が浮かんでいた。


(この人、本当に飲まず食わずでも生きてそうなんだよな……)


 こぼしそうになった言葉を押し留め、御者は続ける。


「それにしても、なぜユリウス様はこんな辺境地帯へ。目的地のトータス村には何もありませんぜ。しかも、隣はあのベリア領。魔物が跋扈する魔窟です。わざわざこのような危険をおかさなくても」


「何もないからこそ、我ら聖教会の信仰が必要なのです」

 

「王国にありながらその立地からどの領にも属せず。恩恵を受けることができない寒村こそ、救われるべきではありませんか」


「……! おっしゃるとおりで」


 御者はユリウスの正論に当てられ、背筋を伸ばす。

 かの枢機卿は厳しくも優しいお方、俺なんぞにはとても図りしれん。


 従順になった御者を見てユリウスは微笑を浮かべる。


 嘘だ。

 ユリウスの目的はトータス村を救うことではない。


 仮に救われたとしても、それはついでである。


【コード・ドラゴンオブリタレート】


 初代グランツ王より命じられた。殲滅命令。

 厄災の竜を解き放ち対象を殲滅するところまではそう難しいことではない。


 重要なのはその後、解き放たれた竜を再度封印することだ。

 つまり、グランツ王国においてその時代に招集できる最高戦力を投入することになる。


 一つ、聖教会の永遠・枢機卿ユリウス

 二つ、聖銀(ミスリル)の母・魔導学院長パンタグラフ・アージェンダイン

 三つ、精錬のハイエルフ・王下直属剣士ビャクラン

 四つ、はじまりの王・初代グランツ


 言わば、竜の後詰めとしてベリア領に超越者たちが結集するわけだ。

 何らかの幸運によって竜を倒せたところで勝ち目がないのは明白だった。


 ユリウスがトータス村に向かっているのは殲滅後、迅速にベリア領に侵入し。竜と戦闘を行うため。


 トータス村を救うというのはただの建前、偶然そこに居合わせたというアリバイ作りでしかない。


 殲滅対象となっているナナシの職業適性は盗賊SSS。

 つまるところ、犯罪者予備軍である。


 職業適性検査魔法を開発したユリウスとしても、そのような邪悪な存在は確実に殺しておきたかった。


 ユリウスは300年もの間、多くの悪人を更生させようと試みた。

 その上でわかったことがある。


 人間には適性があり、それが悪事に向いている場合いずれ悪事を成すことになるのだ。


 もちろん例外はあったが、それはユリウスにとって些末なことだった。


 悪の芽を育つ前から摘むことができたなら、世界はどれだけよくなるだろう。


 最初に摘まれる者は苦しいだろうが、摘み続ければいずれ生命は収斂し、悪は生まれなくなるのではないか。そう考えた。

 

 このような過激思想が受け入れられないことはわかっている。

 だからこそ、善悪判別魔法ではなく適性確認魔法という体裁をとったのだ。


 効果は上々だった。

 将来犯罪者になるはずだったものたちは社会によって自動的に迫害され、教会が裁く手間も省けた。


 多くの悪の芽が育つ前に摘まれたのだ。


 ようやく正しい時代が来る。

 人間はようやくまともになれるのだ。


 ユリウスの瞳に苛烈な希望が生まれたのは随分昔のことだ。


 10歳の頃。

 生まれた村を盗賊に襲撃され、母も父も友も隣人も次々に殺されていく中、少年は信仰に目覚め、その心は肉体と共に固定した。


 300と12年が経過した今も、その姿は変わらない。


「ん、なんだ。配信? このタイミングで……」


 半透明に光る画面を表示するとナナシが配信していた。

 暴れ狂う三体の竜を背に、いつものように酒を飲んでいた。

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