かつて敵だった赤き凶星

聖家ヒロ

第1話 彼女の仮面

『エクエーター共同連盟 首都市街地にて、大規模なテロが発生。秩序管理機構〈フォーチュナー〉のパイロットは、ただちに所定の位置についてください』



『カタパルト接続、出力正常。A班、B班の退避を確認。進路クリア、バジーナ隊 発進どうぞ!』



 起動する全天周モニター。

 目の前、後頭部、頭頂さえも外の景色によって取り囲まれるその空間で、一人の娘が息を呑む。


 何度経験したって、戦場に立つ瞬間は全身の筋肉が強張るのを感じる。

 誰だって同じだ。入隊上がりの伍長だって、そこそこの経験を積んだ軍曹だって。皆、戦場に立つという行為に些細な恐怖くらい抱くはずだ。


 そうだと、彼女は信じたがっていた。


『大尉、背中は任せてください』

『大尉!! あたしのこと踏み台にしてくれたって構いませんからね!!』


 大尉、大尉――。それは恐らく尊敬の念が込められた”敬称”というやつだろう。

 立場が上の人間には、立場が下の人間は嫌でも尊敬し、その意思を見せなければならない。


 それがだ。


 でも、分からない。

 たったの十九で、二人はその何歳分も年上なのだ。階級こそ上だけど、年齢的には彼女に敬意なんて示す必要ないはずだ。


「ありがとう、リック軍曹、ディアス伍長。今日も頼りにしてるよ」

『任せてください』

『大尉の期待に応えちゃうぞー!!』


 輸送艦の甲板に備わった発射路。

 二対に並んだそこへ、人型兵器――〈ディノスドライバ〉が屹立する。


 灰色のボディで、モノアイを持つその姿は無骨な兵士を彷彿とさせた。


 〈ディノスドライバ〉が発進すれば、背部の飛行ユニットを翼のように展開し、スラスターから蒼炎を吐き出しながら陸を目指すのだった。


『バジーナ大尉。発進、いつでも行けます。ご武運を願っていますよ』

「ありがとうございます」


 自分より何倍も年上に見える整備班のリーダーが、彼女に敬礼をする。


 分からない。未だにというものが。



 発射路に立つ〈ディノスドライバ〉。

 構造的には、先に発進した二人の機体となんら変わりない。


 問題はその色。

 彼彼女らの機体色はグレーなのに対し、彼女のものはである。



「ミハイル・バジーナ、バーク 行きます!!」



 この機体の色を、誰かにとやかく言われたことは一度もない。

 ――皆、四年前の悲劇なんて忘れてしまっているのだろうか。



 されど彼女は、今でも夢に見る。




 


 ――





『テロリストに告ぐ!! こちらは秩序管理機構〈フォーチュナー〉!! 直ちに戦闘行為を停止せよ!! 繰り返す――』


 陸を駆ける〈ディノスドライバ〉。

 灰色のボディを持つ、四年前から変わらない量産機 バーク。


 空からそれを見下ろして、蟻を潰す感覚でビームライフルを撃つ。

 目元を覆う仮面で視界は狭い。それでもコックピット内部の彼女は、仮面を外すわけにはいかなかった。


 鮮やかな光線が空を薙ぎ、大地を焼く。その過程で颯爽と大地を駆けていたバーク達は粉砕されていった。


 それを見たバークの一機が、飛んだ。

 六百秒しか与えられない自由飛行時間をもって、敵を落とさんと、その戦士は空へと舞い上がった。


 真紅クリムゾンの機体は、背に負った巨大な大剣を振り下ろし勇ましい意思と共にその機体を一刀両断にする。

 火花と電流と、溢れ出た無数のパーツが飛び散るだけで、たしかに捉えたはずのパイロットの亡骸は見えなかった。

 

 爆炎を吐き出して、そのモノアイの光を失わせながら墜ちてゆく戦士を眺める彼女へと、新たなる殺意が向けられる。


 機体を高速駆動させ、降り注ぐ流星群にも似た光線の雨を避ける。

 自由飛行可能時間は、もう半分もない。



『君のような女の子が……! まだ戦場に呑まれようとしているのか……!?』



 聞こえてくるのは、敵の声。

 それなのにどこか優しい矛盾を孕んだ声。



 戦士の眼の前に現れたのは――天使と見誤るような一機の〈ディノスドライバ〉。


 純白と翡翠に包まれた機体。黄金のツインアイを輝かせ、その背には六対の翼にも思えるスラスターパックを負っていた。

 

「お前はまだ……そんなことを!!」


 私は荒々しく抵抗した。

 ふつふつと湧き上がる怒りを抑えられず、血染めの狂戦士で天を駆る。

 

 真紅のディノスドライバは、その一つしか無い眼へ敵影を捉え、悪魔の羽を彷彿とさせるスラスターウィングから光の翼膜を展開。


「ならば教えろ!! これ以外の生き方を!!」


 翡翠の天使が、背部ウィングから六基のビット兵器を展開。独立稼働するそれは、流星群にも似た狂乱の光線雨を降り注がせた。


 残像を残し、高速飛行する真紅クリムゾンの機体。

 懐へ一瞬のうちに潜り込み、大剣を叩き込む。


 しかし、その力強い狂気の一撃はたった一本のビームサーベルによっていなされ、大剣を真っ二つに破壊された。


『君のような女の子が、人を殺して生きていいものか!! 君は”普通の女の子”として生きなければならないんだ!!』

「決めつけるな!! 見ず知らずのお前が!!」


 娘は、サブモニターに映る『60』のカウントダウンを見て腹を据える。



 光の翼から狂うほどに美しい煌めきを放ち、スラスターを最大稼働させて、空を突き進む。

 翡翠の天使は、ビットを失った翼から光の軌道を放ち、光剣を据えて空を駆けた。



 瞬きする間に、討つべき――堕とすべき敵が颯爽とその姿を現した時。

 もはや、自らの命すらどうでも良くなった。

 それよりも、上からの目線で自分を諭し、今まで生きてきた道を否定され、自分だけの狭い視野で新たな道を勝手に強要されたことあの人間を殺す――それだけが望みだった。 


 天を駆る戦士は、黒煙の羽衣に包まれた紺色の大空の中心で、その信念をぶつけ合う。


 赤き凶星かのような機体は、掌部を敵のコックピットへ突きつけ、そこへ仕込まれたビーム砲を至近距離でぶっ放した。


 同時に、翡翠の天使が振るった光の刃が残像を残しつつ赤い悪魔の首を跳ねた。


 ――勝った!!


 そう思った矢先、奴は赤熱するコックピットを胸に孕みながら、文字通り最後の力を振り絞って、再び一閃を振るった。


 その一撃は、こちらのコックピットを正確に捉えた挙げ句、力強く装甲を焼き切ったのだった。


 一瞬のうちに真っ赤に染まり、警告表示で埋め尽くされるコックピット。

 灼熱がパイロットスーツに包まれた彼女の肢体を灼き、鉄片があらゆる箇所を貫いた。


 ――薄れゆく意識の中で彼女が見たのは、翼を失った天使が、力無く堕ちていく様だけだった。




 ◇ 




 「おい!! あんた!! コックピットで何やってんだ!! 大丈夫なのか!?」


 

 やけに荒々しい声音に促され、一人の軍人が鉄に包まれたゆりかごの中で目を覚ました。

 〈ディノスドライバ〉のコックピットは、ベッドに丁度いいときだってあるが、だからと言って昼寝場にすると周りに迷惑をかける。特に整備班には。

 コックピットハッチを開けると、外部の生温い空気がいやらしく頬を撫でる。寝坊助を煽っているようで、本当にいやらしかった。


「嬢ちゃん……心配かけるんじゃねぇよ」


 よく焼けた中年の整備班の男は、まだ眠たりなさそうな女の子の顔を見て、安堵と呆れの混ざった表情を浮かべた。


「あはは……ごめんなさい。つい、うっかり」


 困り顔で笑う顔も可愛らしい、整った顔立ちで腰まで伸びる艷やかな空色の髪。柔和に細くなった金色の瞳には、宝玉にも勝る輝きが宿っていた。

 純白の襟詰め軍服を纏った彼女は、整備班の男たちにぺこりと頭を下げる。


「……よく見りゃあ、あんた見ない顔だな」

「そうなんです。今日付けでここへ転属になりまして」

「そうか。馴染むのは大変だろうが、コックピットに閉じ籠もるのはよしてくれよ」

「ごめんなさい……尽力します」


 女――ミハイル・バジーナは、両手を合わせながら苦笑する。

 彼女は機体から華麗に降り、その靭やかな肉体美を見せつけるよう、大きく背伸びをした。


 〈フォーチュナー〉の軍服は女子の場合、白のブレザーに短めのタイトスカート。服に浮かぶ身体の線と曝け出される乳白色の脚を、整備班の若い者たちは目に焼き付けていた。


「野郎ども!! 仕事サボんじゃねぇ!!」


 男が一喝すれば、若い衆はびくんと身体を震わせ神経を作業に集中させた。 


「すまねぇな、気持ち悪い視線を浴びせちまっただろ?」

「いえ。男の人ですから、仕方ないですよ」


 ミハイルの思わぬ返答に、整備班の男は呆気にとられたような表情を浮かべる。

 整備班はむさ苦しい男の集団の中で、華もなしに怒号を浴びせられながら、辛い仕事に身を任せなければならない。


(今のはもう少し言い換えたほうが自然だったか……危ない危ない)


 彼女はそれを加味して言った一言なのだったが、少し言葉足らずであったとミハイルは反省した。


「パシフィクスって暑いですね……故郷と大違いです。適宜水分補給、忘れないようにしてくださいね」

「気が利く嬢ちゃんだ。そっちも頑張れよ」

「では、失礼します」


 ミハイルはぺこりとお辞儀をし、軽快な足取りで格納庫を出ていった。

 その最中、若い衆達の視線は彼女の背中へと密集していた。


「あの子……毎日ここ来てくれねぇかな」

「あぁ……眼福ってやつだよ」


 


 格納庫を出たミハイルは、暫く歩いた地点で立ち止まる。

 絹のように美しくも、少し艷やかさに欠けた前髪を描き上げて額を撫でてから、彼女はぽつりと呟いた。


「嫌な夢……」



 ◇



「大尉、お待ちしていました」


 ミハイルが休憩室に足を踏み入れると、大柄な男がびしっ、と洗練された経歴を見せつけてきた。

 彼のような男が三人もいれば一杯になってしまいそうな休憩室には、新品の白い長椅子と多彩な飲み物を揃えた自動販売機が置かれてあるのみ。


 ミハイルは彼に向けて、微笑みと敬礼を返す。

 

「ご苦労さま。時間通りですね、軍曹」

「……すいません。片方はまだ」

「いいんですよ。突然のことですし」


 申し訳なさそうに頭を下げる男を横目に、ミハイルは自動販売機で飲み物を購入する。

 カップに注がれたホットカフェラテを、そんな彼に差し出した。


「い、いえ! 悪いです」

「そんなこと言わずに」

「……いただきます」


 大男とミハイルは、カフェラテを口にしながら長椅子に腰掛けた。


「リック軍曹。お願いしていた件は、どんな感じですか?」

「はい。ディアスの奴がもうすぐ持ってくる筈なんですが……」

「あはは、気長に待ちましょうか」


 リオン・リック。階級は軍曹。

 以前彼女が勤務していたエクエーター連盟基地からの部下であり、見た目にそぐわず忠誠心が強く生真面目な男だ。だが年上ということもあってか、あまり友好な関係は築けていないし、付き合いも短かった。


 嫌なくらいの静寂が流れたために、ミハイルは彼に世間話を持ちかけた。


「そういえば、軍曹のご出身は?」

「私でありますか――」


 リオンは少し照れ臭そうに続ける。


「フィヨルド連合の極北の田舎です。妹が五人もいるものですから、養うために飛び出てきました」

「妹が五人も。なら、頑張らないとですね」

「大尉のご出身もお伺いしてよろしいですか」

「私もフィヨル――」


 そう言いかけて、ミハイルは言葉を詰まらせた。

 咄嗟に誤魔化すために、言おうとしていた文をガラリと変える。


「フィヨルド連合に生まれたかったけど、実際はアサイア共和国生まれです」

「……?」


 リオンは顔を顰めた。あまりに不自然な文脈に、いくら上司といえども突っ込みたくなったのだろうか。それとも――


「フィヨルドもいい事ばかりではありませんよ。アサイアと違って年中寒いですから」


 そんな事はなかった。

 ミハイルは心底安心し、大袈裟に続ける。


「そ、そうですよね! あはは……」

(あっぶなーい……!)


 温くなったカフェラテを胃に送り込み、ミハイルは安堵の息を吐いた。

 その直後、〈ディノスドライバ〉の駆動音にも似た大きな足音が遠くから近づいてきて、休憩室の前で止まる。


「申し訳ありません大尉ぃぃ!! アスカ・ディアス伍長、ただいま到着しましたぁぁ!!」


 赤く、きれいな長髪をふわりとさせて敬礼を行ったのはアスカ・ディアスという女性。

 彼女もリオンと同じく、エクエーター連盟からの部下であった。


「ディアス伍長!! お前は大尉がお呼びだというのにふざけているのか!?」

「ひぇえええ!! 軍曹ご勘弁〜!!」


 あれだけ穏やかだったリオンが怒鳴りあげる姿に、ミハイルは圧巻されつつ、真剣な声音で彼女に尋ねた。


「伍長。頼んでいたもの、どうだった?」


 奇声を上げていた彼女は、ミハイルに尋ねられて態度を改めてから、ブレザーの懐より一台のタブレット端末を取り出す。

 ――その行為で、もう答えは決まっていたようなものだった。


「……こちらに」


 ミハイルは、手渡されたアダプタを接続したタブレット端末を起動させ、恐る恐るそれに内蔵されているデータを見る。

 数多のピクセルにより織り成される画像。

 その全貌を見据えた彼女は、一瞬驚愕の表情を浮かべてから、可憐な顔を悲哀で埋め尽くす。


「……ありがとう。ディアス伍長」

「どうされるんですか、大尉」

「別にどうにも。私に止められることじゃないだろうし」

「無茶だけはやめてくださいね!! 大尉!! 私、大尉に何かあったら」


 心配からか、少し顔が青くなっていたアスカ。

 そんな彼女を見て、ミハイルは昔の情景と今を重ねながら、を取った。


 

 ぽす、とアスカの頭に彼女の華奢な手が乗る。


「心配しないで。また、私はあなたに仕事を頼みにくるから」


 艷やかな赤髪を掌で撫でミハイルは優しく笑う。


 リオンは啞然とし、アスカはあらぬ方向を見つめたまま硬直していた。

 微妙な空気感に耐えきれなくなったミハイルは、二人に別れを告げて休憩室を飛び出した。


「……」


 アスカの頭頂には彼女の掌の感覚が残っていた。


 

 アスカは彼女無き後、髪の毛をぶちっと引き抜いて、どこからともなく取り出された透明な袋へとしまい込み、顔面をとろけさせる。


 リオンはその光景を、黒い甲虫ゴキブリでも見るような目で眺めていた。


 

 ◇


 


 自室に戻ったミハイルは、ドアに背をつけてため息をついた。


(”普通”って難しいな……)


 ひどい疲労を覚えたミハイルは、ブレザーを脱ぎ捨ててベッドにそのままダイブした。


 天井を見上げ、ミハイルは先程までリオンと行っていた会話の内容を振り返る。


「フィヨルド連合か……」



 ミハイルは、暫くであるフィヨルド連合には帰れていない。

 否――もう帰れないのだ。


 強烈な眠気が襲ってきた。カフェラテのカフェインが一向に効き目を現さないようで、あの自販機を恨む。


 だが、午後にも訓練がある。兵士たるもの、それを疎かにするような行為は慎まなくてはならない。

 それに、この基地に来る最中抱いた疑問も解消する必要がある。ここでへばるにはまだ早い。


 ミハイルは勢いよく起き上がって、洗面器に向かった。

 眠気の出てきた顔に、思い切り水をぶっかけてからそれらを一気に吹っ飛ばした。

 

「今の私は、ミハイル・バジーナだ」


 ミハイルは鏡の自分に向けてそう言った。


 表面に反射した実像に過ぎない自分が、実在する自分と違う表情をしている気がしてならなかった。

 いいや、表情だけじゃない。

 髪型、瞳の光沢に身に纏う服、身なりや佇まいまで、と異なっているという違和感に蝕まれていた。


「それ以上でも……それ以下でもない」


 ミハイルは自分に言い聞かせる。


 ミハイル・バジーナ。

 それは今の彼女にとっては仮の名前でしかない。

 〈フォーチュナー〉に入る為――それ以前に全てのいざこざから解放され、必要だった偽名である。   



 ミハイル・バジーナ。

 またの名を――ミーシャ・アンタレス。


 〈フォーチュナー〉の兵士を大勢殺し、機体をそれらの血で染めたと噂される

《赤き凶星》の異名を持つだ。



 

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