こちら異世界怪獣対策研究所!

杉林重工

第1話 化学怪獣ラジュード

 週に一回、レンタルビデオショップに連れて行ってもらえるのが、子供のころの楽しみだった。


 まだ、動画配信サービスがそこまで浸透していなかったこともあり、ビデオショップの棚いっぱいに並んだDVDの背表紙は、なによりも想像を掻き立てる。今日は何を借りようか、父の手を引き、あれやこれやと大声を上げた。


 いろんな映画があった。ドラマがあった。アニメがあった。でも、おれが真っ先に飛びついたのは特撮コーナーだった。


『どれがいい? 『ゾディアッカー』にするか?』


『やだ。怪獣! ラジュードがいい!』


 父の問いに、おれはそう答えた。特撮といっても幅がある。そんな中でも、おれが好んで、何度も観たのが怪獣映画だ。すでに、五回も六回も繰り返し観たものだってたくさんある。それでも、おれは飽きずに怪獣映画を求めた。父も母も苦笑いしながら、それでも否定の言葉を並べることなく、それをレジに持って行ってくれたのをよく覚えている。


 怪獣が街を壊すのも好きだったし、怪獣同士が火花を上げて闘う様子にも喜んだ。人間と戦って傷つく様に心を痛めたり、倒されたと思ったら、映画の最期、エンドロール明けに鳴き声が入っていることに歓喜したり。


 両親だけでなく、友達とも観た。おじいちゃんとおばあちゃんと観たこともある。テレビで、映画館で。そうしているうち、せいぜい小学生ぐらいに卒業するもの、なんて言われていたその習慣は、高校生になっても続いていた。


 そして、それは、うっかり車に轢かれて死ぬまでそうだった。


『いいね、怪獣映画。わたしも大好き。じゃあ、君にはその思い出だけ持って、転生してもらおっか。その代わり、無敵とか最強のスキルはないけどね! だってさ、思い出って、何よりも素敵じゃん?』


 これが、おれの前世における最後の記憶であった。


 ***


「あれは、化学怪獣ラジュードじゃないか……」


 彼は、どこまでも遠く透き通った青空を塗り潰す、黒々とした積乱雲の様なそれを、そう呼んだ。見た目は、本当に、天空から大地まで伸びる真っ黒な雲だったのだ。だが、それには、はっきりとした輪郭と、生物然とした頭や、不気味に長い腕と爪、そして極太の足と、頭と同じく天まで届きそうな長い尾があったから、皆はそれを魔物だと思った。直立二足歩行の、翼のない竜。そんな印象だったに違いない。


「なんだ、竜か?」

「騎士共は何をしてるんだ、まったく」

「魔物除けの結界はまだ有効だろうが、こんなに近いと気味が悪いな」


 この町の建物の高さは大体が四階建て。大体十二メートル程度がせいぜいで、それが密になって升目状に敷かれている。京都、というニュアンスが近いかもしれない。ただし、南北まで一時間ほどあれば歩ききれる距離、つまり五キロ四方程度の広さである。


 対する相手のサイズは計り知れなかった。精々が十メートルぐらいな気もしたし、その青空を擦るような巨躯故、千メートル以上ある気もする。それがまた、このケイヘンの町の人々の感覚を狂わせた。


 ――否、彼は知っている。それは、全長八十メートル、体重四万トンの、怪獣であることを。


「騎士団は何してんだ、魔物だぞ」

「避難した方がいいかしら」

「大丈夫だろ。まだ距離がある」


 大路にいる周囲の人々は暢気にそんなことを言っている。まだ昼下がり、ここにいる人達は買い物客や、昼食を摂り終えて帰る所だろうか。皆が皆、遠くに見えるそれを眺め、各々の感想を口にする。周囲は山に囲まれたこの町で、魔物との戦争とは縁のないこの土地。必然的に、住民達の感覚に、危機が致命的に足りないのだ。


「……逃げろ!」


 だが、彼は知っている。故に、叫んだ。あれが来たということは、あれが本当に、『化学怪獣ラジュード』だとしたら、これから何が起こるかは察するに余りある。


「何言ってんだ、ゴドー。安心しろ。この町は大丈夫だ。魔物除けの結界なら二か月前に更新したばかりだ。あいつだって、この町のことなんか見えちゃいないさ」


 住民の一人、肉屋のマークが明るく言う。


「一応、子供と女は地下の避難所に行った方がいいんじゃないか?」

「用心しすぎだと思うが……」

「まあ、万が一ってこともあるし」


「違う……」


 あくまで、『もしも』の話。住民達の言葉は雑談と変わらない。故に、彼はそう口走った。


「逃げよう! じゃないと、全員死ぬ。あれは、そういうものじゃないんだ!」


「用心に越したことはないってことだな。わかったわかった」


 マークはそういって、


「じゃあ、とりあえず、女子供は避難所に行くといい。後は騎士団に任せよう」


 と大声で言う。その言葉に、なんとなく皆が皆、小さな苦笑いを浮かべて『日常』に帰っていく。誰一人避難所に行こうとはしないし、家に帰ろうとする者すらいない。彼らは買い物に戻り、頭の中で酒や晩飯のことしか考えていない。


「違う、違うんだ……」


 彼は譫言の様にそう言いながら、対手を見上げた――化学怪獣ラジュードを。その時、全長八十メートル、約三十階建ての高層ビル相当の怪獣と、なんとなく目があった気がした。その時だった。


 ――一歩。


 怪獣がその一歩を踏み鳴らした途端、世界が一変した。大した基礎を打ち込んでいないこの世界の建物が、文字通り宙に飛び上がった。エネルギーが伝達するとき、波の形をとると、はるか昔、物理か何かの授業で聞いた気がする。今、彼だけがそれを、この大地で見た。怪獣の足元から発せられた四万トンの歩行から打ち放たれたそのエネルギーは、大地を飲み込む大きな波となってこの五キロメートル四方の小さな町を飲み込み、一瞬で瓦礫の山へ変えたのだ。


大地が、その地下に巨大な土竜でも孕んでいるかのように大きく隆起し、建物と、人をひっくり返し、降り注ぎ、その中に埋めていく。地面から生まれた無数の掌が、一度地面から突き出た後、次々と人々をその下に引き摺り下ろしていくかのようでもあった。


 結界、魔術、それなりの建材。それらが、ただの怪獣の一歩に一瞬で踏み砕かれた。


 そんな中、人間といえば。


「なんだ、なにがどうなって……」


 この小さな町で、唯一防御魔法を使った人間が、彼=ゴドー・トジオだった。化学怪獣ラジュードと目が合った時、それの膝が持ち上がるのを見た。その時、反射的に『先生』から習った防御魔術を使ったのだ。


 目を開けると、十匹の土の精霊〈ノーム〉が両手を突っ張って、彼に降ってきそうな瓦礫を押さえていた。背中にも五匹、〈ノーム〉が下敷きになっている。多分、クッション代わりになってくれたのだろう。ぱきん。ネックレスに封印していた精霊達の餌である宝石が砕けて消えた。ぞっとした。巨象に踏み潰されるほどの力すら防ぎきる量の宝石が消滅したのだ。


 精霊達は、彼が目を開けたことを認識すると、サッ、といなくなる。ゴドーは慌てて身を翻し、倒れ込んでくる瓦礫から逃げた。そして、立ち上がり、絶句した。


 怪獣の只の一歩。それだけで、さっきまでいた人々も、建物も。そのすべてが地に平伏していた。そして、その様を満足げに見下ろすその存在こそが。


「本当に、ラジュードなのか? ……なんでお前がこんなところにいるんだ」


 おれの言葉が聞こえたのか、それはわからない。だが、たったの一歩、足を踏み鳴らしただけで破壊の限りを尽くしたそれは、確かにその時、天へその大顎を向け大いに叫んだのだ。


 ――後にこの大災害はケイヘン怪獣災害第一号と呼ばれ、記録上最初の怪獣による破壊行為とされている。


 異世界転生者、ゴドー・トジオ、十歳の時の事である。


 当然、これが第一号であるのだから、二号、三号と厄災は続いた。


「馬鹿な、最新の対魔獣結界が破られた?」

「騎士団は何をやってるんだ!」

「それより逃げろ! 見てわかんないのか、あんなの騎士団じゃどうにもならねえ!」


 その後の怪獣の引き起こした災害は、不謹慎ではあるが、快進撃というよりほかなかった。怪獣はたった一歩で山間の小さな最初の町、ケイヘンを潰し、周辺に大きな地滑りや地盤沈下を引き起こした後、そのまま東へ移動、大小合わせて四つの村や集落を消滅させた。そうして多大なる損害と爪痕を遺しながら、怪獣が目指したのは最新の対魔族魔術のテストベッドとして建設されていた城塞都市グレイフォートレスだった。


 グレイフォートレスに、それを囲む外郭や、大層な外壁はない。その代わりに、高さ百メートルを超える高層ビル、のような建造物が内外に敷き詰められている。それは『現代』の高層ビル街、或いはビル群と呼んでいい姿をしていた。ただし、それは見た目だけ。中には魔族襲撃用に作られた魔術兵器がごっそりと詰まっており、火炎魔法や冷凍魔法、捕縛用の罠、雷雲の召喚すら一秒と経たずに行い、かつそれらが大暴れしても傷一つ付かない防御力も兼ね揃えた『兵器群』だった。


 それを、化学怪獣ラジュードは、一方的に破壊し尽くした。


 自分よりもやや背の高いそれから放たれる火炎を無視し、冷凍魔法を肩で弾き、各種罠魔法を踏み潰して侵攻した。


 燃え盛る炎は、常に粘液を湛えたヘドロのような怪獣の表皮に宿ることはなく、とうの昔に生物的熱を失っているその骨身に、冷凍魔術は無意味だった。魂や意志があるのかわからないそれに、催眠も幻覚も麻痺も通じない。雷撃は雷雲より淀んだ深い瞳に吸い込まれるように消えていった。


 さすがに、この最新の砦の高層兵器群は怪獣の歩いた振動で崩れるなどという体たらくを示すことはなかったが、体の接触には殊に弱かった。否、怪獣が規格外だった、というのが正しいだろう。


 怪獣が頭を振ってビルに当たれば、それらは一瞬で崩れ去った。外装がぱらぱらと剥がれ、内部の鉄骨が露出し、ひしゃげ、飛散り、それで支えきれなくなった全体が、失敗した積み木のように倒れていく。


 ふと気まぐれに方向を転換した怪獣の、全長に等しいとすら思える長い長い尾が、根こそぎビルを薙いでいく。そうすると、扇形にビルが一網打尽に刈り取られ、後には瓦礫しか残らぬ。宝剣の一撃にすら耐える、太さにして五メートルの柱が五芒星の形をとって配置され、魔術的にも高い精度をもって建物を支えていたのだが、それが実にあっさりと根元から折れ、隣のビルにしな垂れかかった。その後は、ドミノ倒しになって自壊した。中の魔術も好き放題に暴発し、そこかしこで火災が起きた。


 こうして、グレイフォートレス内部で、最新の魔術の力で守られていると思っていた貴族達は、逃げ場を失った。どんなに魔族が来ても安心だと思っていた彼らへ向けて、怪獣は『それ』を撃ち放った。


 ――光化学レーザー。


 怪獣の頭から背中、尻尾の先まで続く棘が一斉に励起し、蛍光灯のような明るい光を瞬かせたかと思うと、怪獣の口から真っ直ぐに、超超高輝度の閃光が、貴族たちの家と体を焼き払った。


 まるで、百回分以上の雷が一度に注いだような眩さと破壊。太陽が落ちてきたような熱と熔解。ぶち上った光の柱は地上と天を繋ぎ、数十キロメートル離れた近隣の町々にもその様子が見えたという。宮殿のように立派だった住宅地はぐちゃぐちゃに破壊され、そこはずっと昔に子供が遊んだまま放置した、砂場のような見た目に変貌した。


 そして、代わりにそのど真ん中に開いた大きな焼け跡に怪獣は立ち尽くし、最初の事件発生から一週間たってようやく休眠に入った。


「逃げればよかったんだ、みんな、みんな……」


 怪獣による死者は、王国が把握しているだけで一万九千五十四人。負傷者は数知れず。


 ところで、『それ』が怪獣と呼ばれるまでに、なんと六年もの歳月が必要だった。ゴドーはその知らせを新聞で知り、不思議な気持ちになった。つまり、六年もの間、人間達はグレイフォートレスで時折身を起こして暴れる怪獣に、何一つ有効な対策を見出すことができなかったのだ。


「お前は、どこの世界に行っても〈怪獣〉なんだな」


 ゴドー・トジオは十六歳。たまたま落ちていた新聞の切れ端を読みながら、そんなことを呟いた。


『この怪物について、魔術局はついに、魔術的反応がないと認めました』

『魔王側も立場を変えず、この怪物についての関与を否認し続けています』

『王国はこの新しい怪物について、魔物でも動物でもなく、分類を新たに〈怪獣〉とすることを決定しました』


「賭けをしてたら負けてたな」


 最初の街、ケイヘンの生き残り=ゴドー・トジオへ、同年代の少年にして仕事仲間、カンターが声を掛ける。


「賭けるほどのことじゃない。それに、おれだって、あれの名前が怪獣になるなんて思ってなかった」ゴドーは肩を竦めた。


「さぼるな! 仕事は終わってないぞ!」


 そんな話をしていると、二人に大声が降ってきた。ギュオ・ギビル。筋骨隆々、四十歳過ぎの彼は、この瓦礫の町、旧ケイヘン跡地を仕切るボスの一人である。正確に言うと、この土地の瓦礫撤去を担っている業者の一つ、ギビル組のボスである。


「お前たちみたいな親からも捨てられたクズみたいな餓鬼どもに飯食わして金まで恵んでやってるのは誰だ! 答えろ!」


 ギビルは大声で叫ぶ。


「ギビル様です!」「ボスです!」ゴドーとカンターは同時にそう叫び、ギュオから同時に鞭を受けた。二人は乾いた大地にひれ伏した。鞭が迸った腕や同に痛みが走る。


「なら、早く働け、ぼさっとするな!」


「すぐにかかります!」「はい!」


 ゴドーは慌ててそう返し、カンターの背を押し突き放す。早く『仕事』に戻らねばならない。


怪獣が現れてから六年が経ち、漸くこの国は怪獣に破壊された街の復興に手を付けることにした。遅すぎる気もするが、そもそも生存者がほとんどおらず、この国では親族もほとんどが近くの町に住んでいた。怪獣の破壊は、文字通り一族郎党を皆殺しにしていたため、優先順位は自然と下がっていたのだ。


 それに、怪獣が通った後は深刻な汚染が広がっていた。草木は枯れ、生物も奇病に罹る。長い歳月と雨風がそれらを薄め、こうしてぎりぎり人間が活動できるようになったのだ。(それでも人が住めるようになるのは遠い未来の話だろうが)


それでも、こうして瓦礫撤去が始まった理由は一つだ。


「ダメだな。この地区は。ろくな人間が住んでいない」


 背後でギュオ・ギビルの声がする。ここは、ケイヘンの中でも中流の人達が住んでいた地区だ。場合によってはそれなりのものも見つかるはずだが。とゴドーは内心思ったが、口には出さない。


 そう、瓦礫撤去とは名ばかりの、阿漕な連中の小遣い稼ぎ。遺族もいない元住民達から、金目の物を剥ぎ取るのが目的である。ギビル組は百人の組合員を抱え、このケイヘンの町を浅ましく嗅ぎまわっている。


「おい、ゴドー。ここに死体があるからちゃんと後で捨ててくれ」


 当然、死体、というか白骨もよく出る。なにせ、この町の生き残りはたった一人だ。ゴドーはなるべく大きな声で、はい、とだけ返事をした。


 ゴドーは、瓦礫を台車に乗せて、ごろごろと運び、町の外のゴミ置き場に運ぶ。それらを週に一回、魔術が使える者達で灰に変えるのだ。


 怪獣が暴れた汚染地域での瓦礫収集とゴミの焼却、死体処理。これが今のゴドー・トジオの仕事であった。

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