雨の日の僕らは

@zawa-ryu

雨の日の僕らは

 僕は別に雨が嫌いってわけじゃない。雨の日のこの教室が大っ嫌いなだけだ。

 校庭を走り回れない級友たちが、休み時間になると教室の中を所狭しと駆け回る。ドッヂボールと鬼ごっこを混ぜ合わせたような傍迷惑なゲームに興じるのは、普段から僕とは会話もせず目も合わせない、スクールカースト上位の男子とその取り巻きたち。

 それだけでも十分なのに、さらにその上位男子に群がる女子連中を筆頭に、クラスの女子もほぼ全員参加のような格好だから、クラスに馴染めない僕にとって雨の日の教室はまさに生き地獄だった。

 ゲームに参加していないのは僕を含めて数人しかいない。その数人とも誰とも口を聞かず、みな机に突っ伏して死んだふりをしている。唯一僕の隣に座る彼女、瀬川有希だけは何をするでもなくただ迷惑そうな顔をして、いつも黙って窓の外を眺めていた。


「おいおい何やってんだよ!お前一生鬼やるつもりかぁ?」

 リーダー格の男子、武井大翔が大声で喚く。

「えっ?くそう。待てー」

 小猿のように小柄な男子はボス猿の咆哮に一瞬たじろいだが、すぐに顔を真っ赤にして近くにいた女子たちを追いかけ回した。

「いやーっ来ないで!」

「こっち、こっち!キャハハハハ」

 雨の日はいつもこんな感じ。

 彼らは一体いつまでこんなことをしているつもりなんだろう。もう再来月に僕たちは、中学生になろうとしているのに。

 もう少し、あと少しだけの辛抱だ。僕はそう自分に言い聞かせる。どうせあとひと月も経たないうちに、このクラスともサヨナラするんだ。僕は他県の学校に入学が決まっていたし、もうこのクラスの連中とも二度と会うことは無い。

 それだけが今、僕の唯一の心の拠り所だった。

「ふぅ」

 小さくため息を吐く。

 不快極まりない狂騒から逃れるように、僕は今日もそっと一人席を立った。



 図書室。ここはこの学校で唯一残された僕の聖域だ。

「こんにちは」

「あら、こんにちは。今日は遅かったじゃない」

 カウンターに座る司書の赤根先生と軽く挨拶を交わす。昼休憩の30分間、僕はいつも図書室に籠り、本の世界に浸っていた。

 窓の外に振る雨は静かな音を奏で、決して僕の読書を邪魔したりしない。

 その音色はまるでショパンのプレリュードのように、苛立った僕の心を癒してくれる。

 心地よい雨のリズムに、僕は物語の世界へと身を委ねていく。


 顔を上げると、時計は13時ちょうど。キリのいいところで本を閉じて読書を切り上げ、カウンターへと向かう。

「先生、この本を借りたいんですけど」

「はい、今日も名前書いといたわよ」

 先生はいつも先回りして、貸出ノートに「柏原結人」と僕の名前を書いておいてくれる。

「いつもありがとうございます」

「結人君ももうすぐ卒業か。寂しくなるわね」

「まだもう少しありますけど、僕も先生に会えなくなるのは寂しいです」

「中学校ではあなたに合う友達が出来ればいいね」

 ふいに出た先生の言葉に、僕の心が少しざわついた。

「友達?……ええ。まあ、そうですね」

 曖昧な返事を返す僕に、先生は寂しそうに笑った。

「結人君、この学校が世界の全てじゃないわ。あなたにはまだこの先に、広い世界が広がっているの。その中できっと、理解し合える仲間と出会えるはずよ」

「はい。ありがとうございます」

 口では素直にそう答えたけど、心の中の僕は先生の意見を肯定する気にはなれなかった。僕は毎日を静かに過ごせたらそれでいい。気の合う友人や分かり合える仲間なんて、今の僕には必要ない。そう思っていたから。



 急ぎ足で教室へ戻る。

 次第に強くなってきた雨が、窓の無い渡り廊下を濡らしていた。

 予鈴が鳴る前に戻ってきた教室ではまだ、幼稚な鬼ごっこ擬きが繰り広げられている。

 思わず叫び出しそうになるのをぐっと堪え、自分に言い聞かせる。

 あとひと月、いや、数週間の我慢だ。

 どうにか心を落ち着かせようとしたその時、走り込んできた誰かが僕の背中にぶつかった。その衝撃でバランスを崩した僕は、思わず瀬川有希の机によろけてぶち当たり、机の上にあった彼女の筆箱が落ちて激しい音を立てた。

「痛ってえな、ちきしょう」

 ぶつかってきた小柄な男子は謝ることもせず、あろうことか僕を睨みつける。

「何やってんだよお前。どんくせえな」

 ボス猿の声に小猿君は急に威勢を失うと、弱々しく弁明した。

「いや、コイツが邪魔なとこに立ってるから……」

「バーカ、障害物に気づかないお前が悪いんだよ」

 そう、このクラスでは僕はただの障害物だ。

 ぶつかっても誰も謝らない。誰も気にもしない。それは筆箱を吹っ飛ばされた瀬川有希も同じことで、女子連中も誰一人として彼女を気遣うこともせず、僕たちに冷ややかな視線を向けていた。

 僕は床に散らばったシャープペンシルや消しゴムを拾い上げると、

「ごめん」

 そう言って、彼女に筆箱を手渡した。

 彼女は少し青ざめた顔をしてそれを受け取ると、無言で頷いた。

「うぉーす。席つけよー。しっかしよく降るなあ」

「なんだよ、もう昼休み終わりかよ」

「先生、来るのはやーい」

 担任の川田先生が入ってきて、生徒たちは不平を言いながらも席に着く。

 僕は隣に座る瀬川有希の事が気になったけど、彼女はいつものように迷惑そうに窓の外を眺めていて、その表情からは彼女が何を考えているのか、窺い知ることが出来なかった。



 5時限目の途中から雨音が激しくなったなとは思っていたけど、ホームルームが終わるころには土砂降りになっていた。

 昇降口まで降りてきた僕は鞄に入れていた折りたたみ傘を取り出したが、この大雨の中では傘は役に立ちそうになかった。

「げえ、見た?柏原ってば折り畳み傘使ってるよ。ヤバくない?」

「オジサンくさーい」

 僕を嘲笑う声に目を向けると、女子連中は揃って目を逸らし明後日の方向を向いている。

 無言で彼女達の間を通り抜け距離をとると、昇降口の端っこに瀬川有希の姿があった。

「やあ」

 僕は少し迷ったけどそう声を掛けた。

 僕の声に彼女はビクッと身体を震わせた。驚かせるつもりは無かったけど、彼女は黙ったまま僕に背を向けてしまった。

 雨は全く止むそぶりを見せず、校庭を激しく打ちつけている。

「あ、あの……」

「えっ?」

 ふいにどこからか聞こえてきた声に思わず振り返った僕は初め、それが瀬川有希の声だとは気づかなかった。

 だって、彼女はまだ僕に背を向けたままだったし、そもそも僕にとって彼女の声を聞いたのは、それが初めてだったから。

「……ありがとう」

 彼女はそう言った、ように聞こえた。確証が持てないぐらい彼女の声はか細く、弱々しかった。

「筆箱、拾ってくれて」

 今度は確かにそう聞こえた。それで僕はようやく、ああ、彼女はさっきの事を言ってるんだなと理解した。

「いいんだよ、お礼なんて。悪いのは僕、いやアイツらなんだから」

 ぶつかって落としたのは僕だけど、なんだか自分だけのせいになるのもシャクで、僕はそんな言い回しをした。

「…………」

 彼女は少しだけ、体をこちらに向けてくれた。

 僕は何となく黙っているのが不自然な気がして、話題を変えて話しかけた。

「やむのかな、雨」

「雨、嫌い?」

「いや、僕は嫌いじゃないよ」

「そう……」

 また黙ってしまった彼女に、僕はどんな言葉を続けたらいいのか分からなくなった。

 雨はますます激しくなり、まるでテレビで見たスコールのような様相だ。

「ちょっ……見て……れ……」

「やだ、マジ?つき……って……」

 さっきの女子連中の下世話な声が聞こえる。だけど彼女たちの意地悪な声は、激しく降る雨音にかき消されて殆ど聞こえなかった。

「私も雨、嫌いじゃない」

 今、僕に聞こえるのは瀬川有希の声だけ。周囲の雑音は何も届かない。

「雨音のおかげで、嫌な声も聴かずにすむから」

 僕は驚いて彼女の方を見た。だってそれはまるで、いま僕が考えていた事そのものだったから。

「うん、そうだね。僕もそう思うよ。だから僕も雨は嫌いじゃない。それに雨は、嫌な音を消してくれるだけじゃなくって寄り添ってもくれるしね。でも雨の日のあの教室だけは最悪だけど」

 僕が笑うと、彼女も頷いてクスリと笑った。

 空を見上げた後、玄関口に目を向けると、階段を走り降りてきた武井大翔が何事か叫んで、手を振り回しながら傘もささずに雨の中へと飛び出して行った。取り巻きたちも慌ててその後を続く。それを見た女子たちが楽しそうに手を叩いて笑っていた。

 雨音は彼らの声をかき消し、僕たちには何も聞こえない。



 しばらく経つと、雨はだんだんと落ち着いてきた。

 一人また一人とそこにいた人たちが傘を開いていき、昇降口には僕と瀬川有希の二人だけになった。

「傘、持ってないの?」

「うん、朝はお母さんが送ってくれたから」

「そっか。じゃあ迎えを待ってるんだね」

「そうなんだけど、迎えに行けるの5時過ぎになるってさっきメールが来てて」

 5時過ぎって、まだ1時間以上もあるけど……。

「待つの?」

「うん、傘も無いし」

「良かったら、入っていく?」

「えっ?」

「………………」

「………………」

 彼女は僕の提案に何も答えず黙ったままだった。

 声に出した後で、僕は何でそんな事を言い出したのか自分でも分からなくなって、恥ずかしくて顔が真っ赤になった。

 でも、少しの間を置いて耳まで赤く染めた彼女は、

「……いいの?」

 俯きながらそう呟いた。

「そんなに大きな傘じゃないから、少し濡れちゃうかもしれないけど」

 言いながら傘を開き、僕たちは歩き出した。

 彼女が濡れないようにと思うと距離が近くなって、少し離れてはまた近づいて。

 そんな風に微妙な距離を保ちながら、僕たちは二人、いつもの通学路を歩いた。


 彼女の方から話しかけてきたのは、しばらく歩いてお互いが何となく距離感に慣れてきたころだった。

「ねえ、いつも雨の日は休み時間どこに行っているの?」

「えっ?」

 休み時間に僕がいないことに気づいていたんだ。

「図書室だよ。図書室で本を読んでる」

「どんな本を読んでるの?」

「そうだなぁ。最近ハマってるのは北欧ファンタジーかな」

「ファンタジーなら私も好きよ」

「へえ。瀬川さんも本が好きなんだ」

 僕はその時、初めて彼女の名前を呼んでみた。

「うん、好き。私は中国を舞台にしたファンタジーをよく読んでるよ」

「そうなんだ。それは読んだことないけど、面白そうだね」

「良かったら……あっ、見て。雨上ったかも?」

 傘を出て手を伸ばした彼女の声に、僕も空を見た。いつの間にか雲はすっかり薄くなっていて雨はもう今にも止んでしまいそうなほど、さっきまでの勢いを無くしていた。

 ……雨よ、もう少しだけ降っていてくれないか。

 もう少しだけでいいから、一つの傘の下を、僕は彼女と並んで歩いていたいんだ。

 心の中で、そう空に呟く。

 そんな僕の祈りが通じたのか、止みかけていた雨はまたパラパラと降り出し、慌てて彼女はまた傘の中に納まった。

 お互いの距離が近づいて、思わず見つめ合ってから、二人同時に赤くなった顔を逸らす。

「なんの話しをしてたんだっけ?ああ、そうだ。中国が舞台のファンタジー小説だね」

「う、うん、そう。明日持ってくるから読んでみて。すっごく面白いんだから」

 嬉しそうに笑う彼女を見て、何だか僕も嬉しくなった。

「楽しいね」

「えっ?」

「……一緒に帰れて」

 はにかんで笑う彼女に僕も笑顔で応える。

「うん、僕も楽しいよ」

 そんなやり取りをしながら、僕たちはまた本の話をしたりお互いの事を話しているうちに、いつの間にか彼女の家の玄関先まで来ていた。

「今日はありがとう。また明日ね」

「うん、また明日」

 彼女に手を振って、ぼくはまた小雨の中を歩き出した。

 見上げると雲はまた厚みを増していた。この調子だとひょっとしたら明日も雨が降るのかもしれない。

 でも、やっぱり僕は雨が嫌いじゃない。

 それに雨の日の教室だって、明日からは少し違った景色で過ごせるような、今はそんな気がしていた。

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