閑話 イァハの下町塾 ①
『聖都ラドミラル南区の魅力といえば?』
「下町感が強いよなあ。人も多いし」
41歳 職人 男性
「検問が緩い」
32歳 小売業 女性
「そりゃあ、安宿と飯と、そうだなあ。女を買うのもいいぞ」
44歳 自営業 男性
「えーっと、温かみがあるとかかなあ」
30歳 騎士団 男性
「ハバキくじゅくがある」
10歳 女児
◆ ◇ ◇
聖都の最南に位置する、都市最大のスラム街、ハバキ区の住人は分かりやすく最下層の人間である。
金がないのならまだいい方で、死にかけの病人やお尋ね者、人身売買の業者さえ顔も隠さずに大通りを歩く無法地帯である。
以前、ある役人がハバキ区を問題視して、浄化活動を行ったことがあるが、凶悪な犯罪者たちはその情報をいち早く掴み、他の区に逃れた。残された孤児と病人だけがその暴力的な浄化作戦の被害を受け命を散らせた。
そして人々の反感をかった役人は失脚し、それ以降はアンタッチャブルな場所として、再びその闇を深めている。
そして今も、そんなハバキ区は存在している。
ところで最近話題に挙がるのが、そんなハバキ区で私塾を開いている男がいるという噂である。
今回はその噂を我々、週刊聖都が直撃取材した。
・南区 南北大通り沿い
「はあ?週刊聖都だあ?なんだいそりゃあ」
道沿いで1人の男が、肉団子屋の女主人に向かって羊皮紙とインクペンを突き出しながらしつこく話を聞いていた。
「ご存知でないのも無理はありません。我々、つい最近、ラドミラルでの新聞の販売を、執政官さま直々に許されまして。
新聞というのは、皆さんが知りたがる情報を羊皮紙に書き付け、それをご覧になったお客様から代金を頂くという、まったく新しい商売なのです」
「誰がそんなものを見るのに金を払うんだい。それで儲けられるなら、せこせこ働くのも馬鹿らしくなっちまうよ」
「なるほど。例えばですよ、おくさん。
あなたの隣のお店の主人はご存知ですか?」
「そりゃあまあ、しっているよ。ロッグさ。昔馴染みだよ」
「そう、ロッグさん。彼は妻帯者ですが、なんととある女性と密かに姦淫されているのです」
「な、なんだって!?あいつ、メリナを裏切ってるってのかい」
「うーん。その女性とは」
「誰だい?」
「そちらは、今週の週刊聖都をご覧いただきたい。見物代金はなんと銀貨1枚。おっと、ちょうどこの肉団子と同じ値段です」
「な、なんだい教えてくれないのかい」
「本来ならば、我々の本社に足を運んで頂かなければならないのですが。
もしもこの肉団子をまけてくれるのなら、今回に限り、特別に、情報を先行公開させていただきましょう」
「それでいいのかい。それで、浮気相手ってのは」
男は女主人に耳打ちする。
「なんてこった。本当かい?」
「残念ながら、流石にその証拠はここで公開できませんので。ただ、確かな筋からのタレコミとだけ」
「あらまあ、なるほどねぇ。いいじゃないの、新聞って。下品で好きよ」
「それでは、ご馳走様です」
腹ごしらえが済んだ男は、伸びをしながら大通りを南へと下っていく。
「それにしても、スラムで私塾ねぇ。悪いネタでもないんだが、いかんせん派手さに欠けるなぁ。せめて塾長が人売りとかなら。なるほど、それはありだな」
独り言を呟いていた彼に、若い男がぶつかる。
「おっと悪いね」
彼は腕に抱えた汚れたガラクタを地面に落とす。はじめ記者の男はそれを見て見ぬ振りをしたが、見覚えのある顔だと引き返してくる。
「すまないな。ほれ、これで全部かい」
「ええ、そうです。こちらこそ不注意ですみません」
「あなたはもしかして南区を治めるサブーフ隊の副隊長様ではありませんか?」
彼は一瞬、鋭い眼光で記者の男を見る。しかし、すぐに温和な笑みを浮かべてこたえる。
「治るだなんて。そも、この聖都はあくまで王の領地。騎士団はそれの治安維持を担っているだけです。
王権への軽はずみな言及は避けられた方がよろしいと思いますよ」
「これは不敬な事を言いました。誓ってそのようなことは。
ところで、非番ですか?」
軽口を咎められたそばから放たれたその軽口に、流石の騎士も面食らった表情になる。
「そうですけれど。なにか?」
「わたくしはこういうものでして」
男は腰に提げた小袋から、薄い木の板を取り出す。
「これは、『週刊聖都』専属記者?」
「ええ、週刊聖都、ご存じありませんか?」
「そういえば、近所の子供がなにかそんなことを言っていたような。南区について聞かれたとかなんとか」
「それはきっと、南区で行ったイメージ調査のことでしょう」
「はぁ」
「ここではなんですから、その荷物を運ぶのを手伝うついでに、お話をお聞かせいただきたい」
◇ ◆ ◇
「なんと、ハバキ区で子供達に手習を学ばせておられるのはあなたでしたか。
これはこれは。
私はその噂を聞き、それを知りたくて南区にまで来たのですから、大変な幸運です。
まさか、探していた人と道でぶつかるとは、なんという神の導きか。はい、もちろんイース教の主神の、ですよ」
その胡散臭い記者とともに若い騎士はハバキ区のごみの山を進む。
「ついてきたって、騎士団の情報はかけらも喋るつもりはないし、あんたは時間の無駄だと思うよ」
しばらくの間、彼はその男の長々しい話を聞き流していたが、忍耐に優れているわけではないので、だんだんとその声色は厳しくなる。
「あ、イァハにぃだ!!」
その時、崩れた壁の陰から1人の子供が若い騎士、イァハのもとへと駆け寄ってくる。
「もう、日があの壁よりも高くなったらって約束だったのに。
遅れちゃダメでしょ?」
「ちこくちこく」
「だれこのおじさん」
どこに隠れていたのか、みるみるうちに、1人2人と子供が集まり、気がつけば20人ほどの集団になった。
「なあ、あんた帰んないのか?」
「これは面白いですね。よろしければ見学させていただきたい」
「全員集まったな〜。そんじゃあ、今日はこの前の続きをすんぞ」
「えー、また『アレ』やるの」
「今日は、イァハにぃのお話聞く日じゃん」
「ほら。全員、構え」
すると、その場に集まった子供達は、それぞれ隠し持っていた棒切れや錆びた金具を手に持つ。
「これは」
その記者は目を丸くする。彼の目の前の子供達が取り組んでいるのは、魔術の基礎にあたる付与の術。いわゆる、『硬化』と呼ばれるものであった。
「ちょ、ちょっとお待ちください。イァハ殿は、もしやここで身寄りのない子供に魔術を教えているのですか?
これは私兵の所持と捉えられるのでは」
「はは。あんたはどこの馬の骨だ。南区じゃあ、魔術なんてのはありふれた武器のひとつだぜ?
騎士団も取り締まれるもんなら、取り締まってる。でもな、ここの悪人どもは死んだって次から次へと現れる。
そんな中でガキが生き残るためには、こんくらいやらなきゃならねぇんだ。
ちなみに南区の治安維持は、例外的にサブーフ隊に一任されてる。その意味は、どんな手段使っても問題を南区から外へ出すな。その代わり、こいつらが死のうがどうしようが構わないってことだ。
腹が立つよ。
なぁ、あんたはどう思う?」
「わ、私ですか。
私としてはあくまでも、非常に興味深い活動だなと」
「そうかい。まあ、いいよ」
男の返答が気に掛かりつつも、イァハは再び穏やかな表情に戻る。
「よし、そこまで。なら予定通り俺物語、幼少期編、『人喰い男VS俺』を上演してやろう。
あれは今日みたいに暑い日のことだった。おれがちょうどら西区から流れてきた、傭兵のくずれの男を半殺しにしてその見ぐるみを剥がしていたとき」
◇ ◇ ◆
南区
ナメクジ酒場
薄暗い奥のテーブルで3人の男が密談をしている。
「おい、その話。本当だろうな」
顔に傷のある細身の男が身を乗り出す。
「ええ、間違いありません。この目で確かに、子供達が魔術を使いこなしているのを見たんです。
驚きました。魔術の才に溢れた子供ばかりをいったいどうやって」
「ふはっ、あんたもまだまだだねぇ」
横で聞いていた濃い髭と長髪の男が鼻で笑う。
「はい?」
「イシュタッドからきたあんたも、魔獣って名前くらいは知ってるだろう?」
「ええ、実際、東区の城砦で魔獣を討伐するところも見ましたよ。
それがなにか?」
「ハバキ区にもたまに迷い込んでくるんだがよ、あの魔獣はよう。死ぬ時に、ヘドロみたいな体液をぶちまけるんだよ。
こいつが、よくは知らんが魔術の素養がないやつ以外には毒でな。
土にかえるか、建物なんかについた時は、それを騎士団様がせっせと持ち帰ってくれるんだが、瓦礫が多く、文句を言う奴もいないハバキ区じゃあそうも行かない。
騎士団も大抵は最低限の掃除だけして、帰っていく。そうすると、そのヘドロは瓦礫を拾って小銭を稼ぐ子供の体に付着して、そのガキが持っていない側だと、すぐにおっ死んじまう。
そうなると、必然的にハバキ区じゃあ、持ってるガキばかりが生き残るのさ」
「なるほど、魔術の才のない子供の選別ができると」
「ああ、なんで俺はいつも言うのさ。これは国が仕組んだ大規模な魔術師の育成計画なんじゃないかってな」
騒がしい店内で、その小汚い男の下品な笑い声は自然とよく通った。
「話を戻そう。俺たちはそのガキを捕まえて売り捌きたい。そんであんたは、俺らの組織が集めた情報が欲しい。
あんたにはもう少し働いてもらおう」
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