14-4

『じゃあ、くれぐれも聖剣と魔剣のことは任せたよ。私はこれから王宮でひと芝居だ』

 サブーフはイァハとレメテにそう言い残し、青白い顔で儀礼用の隊服に着替え、王宮へと向かっていった。

 

 太陽が沈むと、高地からの冷たい空気が流れ込む。ラドミアの大地は昼と夜の寒暖差が激しい。イァハは手を脇に挟んで、身震いをした。


「何か羽織ってくるべきだったかな」


 そんなイァハの背後から、しゃがれたあの恐ろしい声がする。


『おい、さっさとあの小僧のもとへ向かわぬか』


 板に車輪が二つ付いただけの簡素な荷車から、魔剣テネブラエが文句を言う。


「はあ、その頭に直接話しかけてくるやつ、やめてくださいよ。特にこんな月明かりもない夜には。なんだってこんな気味の悪い魔具を運ばないといけないんです。

 絶対にこれ呪われてますよ。いいんですか、そんなものを先王の霊廟になんて持ち込んで」


『ふん、魔術を知覚できるならば気配で察さんか。この怠け者が』


「あんたがいるせいで、ずっと泥の海にいるような感覚だよ。まるで魔力が本当に肌に触れているみたいだ」


『そうですよ。

 その魔力垂れ流し剣は放って、早くその病に伏せる王のもとへと向かいましょう』


 その荷車の横、均整のとれた体の美しい栗毛馬が運ぶ、美しい装飾の荷車に乗った聖剣アーカーブが同意する。


『また魔獣に襲われてはたまりません』


「へいへい」 


 彼らは東の門を開き、アブイ川とタテ川が別れる地点、先王の遺した離宮へと向かう。

 夜の荒野をレメテの小隊がゆく。


「だけど、ウラヌス隊長。本当にいいんですか?あそこ、離宮は前の国王様の領地でしょう。確か先王の領地への立ち入りは、騎士団であっても禁止されていたような」


「今回はあくまで、なんと言ったかしら。そう、『対魔獣戦闘下における小隊の渡河訓練』という名目だから。

 ミネイ、ロロエー両執政官様は収穫期を前に、祭りと賄賂の準備で忙しい。いちいち、訓練が正しく行われているかなんて確認しないでしょう」


「はぁ、行事のほとんどを未だに先王の腹心たちで執り行って。お小遣いをもらえる機会を奪われた下級の騎士はひもじい思いをしていたり」


「はは、祭りとなると王国の蔵の閂も緩むから。

 確かに年中行事を事務的に消化し、私物化するやり方には私も反対ね。

 祭りというのは、ある種、民の鬱憤を晴らしてやる役割もある。イース教の教えを守り、執政官の定めた法を守り、そして道徳を重んじ。

 そうやって圧迫し張り詰めた、民の心の圧力が限界を迎えれば、最悪の場合、反乱という形で発散されるだろう。実際、明らかに聖都内の軽微な犯罪やいざこざは増えている。

 案外、我々が気が付いていないだけで、執政官の目に見えない圧政はこの国を蝕んでいるのかもしれない」

 

「その通りだと思いますよ。ウラヌス塩田伯の領地などはラドミアでもかなり豊かな方です。

 隊長は南区にいらっしゃったことは?」


「いいえ、聖都にいる間はほとんど城砦に篭りっきり」


「もともと、旧都から流れてきた人々が、仕事にありつけずにその日暮らしをする場所ではありましたが、この数年で流れてくる浮浪者が増えたように思います。

 なんでもイシュタッドから商人や職人がやってきて、仕事が奪われているらしく。イシュタッド銀貨の流通もそうですが、まるでかの国に、静かに侵食されているような」


「執政官殿も元はイシュタッドの商人。なるほど陰謀じみたものを勘繰ってしまうわね」


「俺たちってあの人ひとりにいいようにされっぱなしですからね。ミネイ執政官って昔からあんな感じなんですか?」


「ミネイ執政官か。そうね、大体昔からあんな感じよ。他国の商人から成り上がっただけのことはあるわ。ただ、昔は、もちろん若造の私から見てだけれど、今みたいな野心を表に出すような男じゃなかったわね」


「まあ、今ほど地位が盤石ってわけでもないからですか」


「そうじゃなくて。昔はもっと、いい意味で小心者だった。まだ、旧都の今の聖都の城壁の計画を手に、父上を訪ねてきたことがあった。父上が言っていたわ。『彼は大成なしに、望む地位を手にするだろう』って。実際、先王の腹心たちが失脚して、なし崩しにいまの地位にまで登ったわけだし。

 今は底の見えない深謀遠慮の印象だけれど、むしろその分、立ち振る舞いは雑というか。大きな後ろ盾を得て、今の地位にこだわっていないような」


「───さらに上の地位を」


 そこでイァハは流石にこれは国王直属の騎士団の、それも副隊長が口にするには危険すぎると口を閉ざす。


「わたしとサブーフはそう考えている。恐らくはあのサリューイもね。だからこそ、今から離宮で我らが王にそれについて具申するつもりよ」


 そこでイァハは普段気にかけることはない我らが国王陛下について思案する。下町で育った彼がまず思い浮かべたのは、あの唄であった。


 『一匹はそこに集めた葡萄を隠した

 

 もう一匹は美しい雌を閉じ込めた


 最後の一匹はそこに隠れて出てこなかった』


 あの災厄で亡くなった先王の跡を継いだ息子の王子は、病で人々の前に出てくることは無く、その勅だけが執政官によって我らに伝え奉じられる。お飾りの王よりも歪な、執政官の失策を押し付けられる、口のきけぬただの生贄のようにイァハには感じられるのだった。

 

 憂鬱な顔をするイァハを、レメテは暗闇で顔色など分かるはずはないのだが、慰めるように声をかける。


「イァハは、陛下にお会いするのは初めてね。

 確かに、病に臥せっているのは事実だけれど、あなたの予想しているような方でも無いと思うわよ」


◆ ◇ ◇


 その二つの川の支流には、それぞれ橋がかけられており、三角になった陸は小高い丘になっている。

 その丘の上にある古い様式の石造建造物は、セブ王の離宮、もしくは単に離宮と呼ばれる。

 もとは先王が近くで起こった内乱を鎮圧したのちに、ここへ度々足を運んで反乱を起こしたものたちから話を聞いたとされる。当初は役所の窓口のようなものだったが、現在は災厄で命を落とした先王を慰霊する霊廟に近い建物である。


「あれが離宮か。思っていたよりもずっと小さいような。本当にここに、国王陛下がいらっしゃられるんですか?」


「説明が難しいけれど、近くに行けば分かる。馬を繋いで、剣たちはサリューイと件の彼が来るまで外で待たしていてちょうだい。イァハと私が先に中に入るわ」


 2人は馬を留め、入り口の篝火に火をつける。闇の中に、地下へと続く階段が見えた。石壁の溝に流れる油を伝って、ゆく先が火に照らされる。


「この先よ」


 ひんやりと地下の冷気がイァハの喉元を流れる。苔の生えた石の階段を踏み外さぬように下っていく。宮と呼ぶにはいささか原始的すぎないかという彼の疑問はすぐに払拭される。


「これは」


 2人の目の前に広がったのは、紛うことなき宮殿であった。岩盤が支流の複雑な水の流れによって削られていき、地下にぽっかりと空間が生まれる。そして、長い時間をかけて、その川が深くなり、乾季により水位が下がることで、その自然の宮殿は現れるのである。


『よく来たな。我が騎士たちよ』


 その洞窟の中に、小さく掠れた声が響く。その声の主に、ウラヌス・レメテは伏する。そしてイァハも遅れて、騎士らしく片膝で顔を伏せる。


『顔をあげよ』


 イァハは隣のレメテに目配せされて、顔をあげる。そこには、揺れる火の中に立つ姿があった。

 ただし、それは誰もが眉を顰めるような異形の姿であった。


「あ、えっ」


 イァハの目に飛び込んできたのは、そんな自らが戦ってきた、そして殲滅してきたあの魔獣たちとよく似た姿の、男の姿だった。


 

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