13-2

「まあそう警戒せずともいい。どうだ、朝食はまだなんだろう。我らと共に食卓を囲もうじゃないか。それよりも、体を洗ってくるのが先か」


 半裸でこの牢へ運ばれてきたフレキはグロカスと同じく簡素な下位の騎士の隊服を着せられていた。

 しかし、桶いっぱいの水を浴びせられただけで、いまだあの戦いで被った泥が顔に残っている。

 サリューイは埃臭い牢と泥臭いフレキを一瞥して、彼に手を差し伸べる。


「い、いやだ。人売りの頭領か何かだろ。そうやって肌艶をよくして、身ぎれいにした後に足を縛られ肥えた変態の金持ちどもの前に放り出されるんだ」


「隊長に向かってその口はなんだ。騎士である我々には捕虜への拷問が禁じられているから、そのような態度なのだろう。やはり鞭の一発や二発───」


 そこまで言って、グロカスの頭にサリューイの手とうが振り下ろされる。


「次に規律を乱すようなことをすれば、グロカス、お前のその苔の生えた尻に城壁のバリスタをぶち込んでやろう。

 ただでさえ執政官様が内紛の火種を血眼になってお探しにんだ。あれをこれ以上の増長させるなよ。隊士たちにも余計な騒ぎは起こすなと通達しておけ。

 ───そうだお前、名は何という」


 グロカスに体罰を加えながらに振り向く、その騎士隊長の冷たい表情にフレキは顔を青くする。彼はグロカスが手に持った調書をひったくる。


「なるほどフレキというのか。北の民の名前だな。出身はイナクか」


「生まれは知らない。行商の一家で、長く住んだのはオリオールだ。名は確かに北方蛮族ジャンバラの祖父がつけた」


「オリオールか。どちらにしても随分と遠くから来たのだな。

 名の意味は知っているのか?」

 

 彼は含みのある、多少の嘲りが込められた問いを口にする。


「───飢えた狼だ」


「これは丁度いい。ついてこい、飢えた獣も逃げ出す我が隊の朝食風景を見せてやろう」


◆ ◇ ◇


 フレキは目の前に出された豪勢な朝食に驚きを隠せなかった。牢の中で、麦粥を出されたくらいでまともな食事は数日ぶりだった。

 鶏や川魚、根菜から果実で色とりどりの料理が磨かれた銀のプレートに山盛り載せられて、食欲を誘う甘いハーブの匂いが漂う。牢の外にいたあの下女がフレキにワインを注ぐ。


「知っている。これはワインだ。葡萄から作る、なんか手間のかかる酒だ」


 横ですでに食前酒を嗜むサリューイがにこやかに笑う。


「このラドミラルは確かに乾燥した荒野にあるが、ラドミア全土は広く。山脈からの水源が多い。肥沃な土地での農耕は盛んで、穀物で家畜も育つ。高地では古くから葡萄の栽培方法が確立し、ワインの生産量は大陸で随一だ。

 言い加えるなら、西の塩田や北の山地の銀採掘や金属加工もなかなかのものだ」


 フレキはとうとうと喋り続ける彼を遮って、先ほどから我慢していた違和感について口にする。


「あんたの国が豊かなのは良く分かった。食事も美味しいんだが、『彼ら』は何とかならないのか」


 フレキの席の下には、まるで主人に残飯を恵んでもらおうとする犬のように体躯のいい隊員たちが、寝転がっていた。

 というのも、フレキがサリューイに付き従ってこの部屋にたどり着くまでに、すれ違う者はみな生気のない顔で二人についてきたのである。そして料理が運ばれてくると、恥じらうそぶりもなく床に寝そべりだしたのだった。


「実際、俺のような傭兵あがりを除けば、騎士団の隊長どもはそういう経済的な地盤を持っている者が───」


 サリューイは座ったまま、這いつくばる隊員に骨付き肉を与え、その世間話を続けようとする。


「ちょっと待って。こいつらはあんたの部下じゃないのか。なぜそうも自然に餌付けしているんだ」


 取り乱すフレキに「なんだそんなことか」とサリューイは首を振る。


「こいつらはあろうことか、ものいみの期間に領地の家畜を仕留めてそれを食った」


「ものいみ?」


「ああ、ラドミアじゃ新月で月が隠れる日の前日は酒や肉を食ってはならんという教えがあるのさ。

 だから、ちょっとした罰を与えている。

 三日三晩、残飯食らいの刑だ」


 「なんて屈辱的な罰を...」


 その話を聞いていた隊員のひとりが顔をあげる。


「いえ、それは違います。本来なら我々は即刻首を刎ねられていたはずです。みな隊長の寛大な心に感謝しているんです。

 失礼、名を名乗るのが遅れました。わたしは」


 その瞬間、サリューイの蹴りがその隊員の顔を襲った。

 

「よいな」


「よくないだろ」


「どうした、もう食べ終わったのか?」


「いや、それは」


 フレキはその気の狂った騎士に脅されるまま、食事を口に運ぶ。

 その時、グロカスが血相を変えて部屋へと入ってくる。


「隊長!!本当に来ました。執政官様本人でさぁ」


「やっと来たか。そら、グロカスここへ座れ」 

 

 そう言って彼は、魚を口にしていたフレキを椅子から引き摺り下ろして、床でひれ伏す隊員たちの群れへと放り込む。

 そして、フレキの眼前であの赤褐色の眼を見開き、今度こそ恐ろしい笑みを浮かべる。


「おい、小僧。お前はそこで黙って隠れていろよ。死にたくないならな」


◇ ◆ ◇


 聖都ラドミラル東区

 城壁要塞内部


『人の子らよ。

 すべては真実なのだ。

 来るべき終焉に怯えよ。地表からそなたらの文明は一掃され、魔族がお前たちを支配する世界がやってくるのだ』


『テネブラエ、あなたは二度と口を挟まないでください。

 あなた方の穀物庫を勝手に漁ったうえに、魔獣に吹っ飛ばされ、城内へかれらを呼び寄せたことについては、わたしたちの持ち主を責めるといいでしょう。わたしの助言を無視した結果です。

 ですが悪きものの策謀に対抗するため、我々は北へと向かわなければなりませんから、さっさとあの男を解放していただきたいものです』


『世界は停滞し、ゆっくりと死へと向かっているのだ。命が惜しいのならば、我と契約し、魔族になるのだ。

 今ならば、なるべく強い魔族にしてやってもよいぞ。そら、早い者勝ちだ』


 石造りの一室に蝋燭に照らされた聖剣と魔剣が、机の上に置かれている。


「とりあえずその不吉なことばかり言う方はどうにかして黙らせられないかしら。

 本当に不快だわ」


 壁に寄りかかり、その二振りの話を聞いていた女は髪をかきあげてため息をつく。


「そうしたいのは山々なんだけど。どちらの話も聞いた上で判断したいから、例えこの剣がふざけていたとしても、根気強く尋ねてみるしかない」


「相変わらず学者さまは愚直ね。でも、サブーフ。それならあなたの隊舎で調べた方がいいんじゃないの?

 言っておくけど、ここ最近は新月に限らずに魔獣が現れている。迷宮ダンジョンが崩れたことで、かれらが生まれなくなっていればいいんだけれど」


「聖剣アーカーブ、あなたに尋ねたい。今の話にはいくつか意図的に内容を伏せていた点があるように思える。

 その理由はなんだい?」


『人智を超えた存在を知ろうとすれば、特にあなたのように聡明なものは、簡単に人の道をはずれてしまいましょう。

 あくまでわたしがお教えするのは、あなたたちの都市を襲う脅威、あなたたちの言うところの魔獣に関することに限ります』


「───分かったよ。一度、休憩を挟もう。私としても今の話を咀嚼する時間が欲しい。

 イァハ。君も少し休むといい。

 レメテ、いや失礼。ウラヌス殿はもう少し付き合っていただこう」


 残ってなにやら話し込むサブーフとレメテを背に、イァハはその一室を出る。扉を閉じると、疲れを感じたのか、肩を落とし、よろよろと薄暗い通路を歩き出した。


 彼はこの半日のことを思い返して、より一層、体の重さが増したのを感じた。

 突然の魔獣の襲来。それも、南区へ複数体が侵入した。それも前代未聞だが、魔獣たちに執拗に追い回される男と、その男が持つ喋る剣。

 そして、その剣を当たり前のように回収し、ましてや尋問する上司。

 混乱しているのは、自分だけなのだろうかと不安になりつつ、彼は城砦の頂上で朝の涼しい風を浴びながら伸びをした。

 

「こんな時は、何も考えずに街の様子でも見よう」


 彼は動き始めた聖都の街を眺めながら、日課である魔力の鍛錬をする。

 彼は脱力して、体の部位が正常に動くことを確認しながら、それぞれに硬化の魔術を付与していく。

 本来ならば、詠唱や魔法陣による補助を必要とする術であるが、イァハは稀代の魔術の才と幼い頃からの反復でそれを省略できるようになっていた。

 手、足、首、腹。とそこで彼は鈍い痛みに顔を歪ませる。


「そうか、あの一撃」


 魔獣との戦闘で食らった一撃を思い返して、目を閉じ苦笑いをする。

 不意に目を開くと、城塞からの眺めの中に、馬に乗って南へと向かう一団が映る。

 その一団は、イァハも、聖都の住民ならば誰もがよく知る人物を護衛しながらゆっくりと進んでいた。


「あれは、ミネイ執政官か?」


 執政官が聖都内を出歩くこと自体は珍しくない。たが、このような早朝に、それも聖都の中枢である北区ではなく、東区を移動しているというのは、よほどのことである。


「まさか、今回の魔獣の襲撃に。

 いや、そんなことはないか。都市の住民の被害よりも自分のお仲間の倉庫を心配するような人だしな」


 どちらにしても、自分には何ら関係のないことだと、イァハは寝転がり空を見上げるのだった。

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