10話 ある暗闇の中で

 魔獣の外殻が崩れ始める。魔獣の躰は、高密度に圧縮された魔力そのものであため、魔獣が生き絶えたあとは、一部の器官を残してその躰は霧散する。

 カランと音を立てて、穴の空いた楕円の塊が灰のように綻ぶ魔獣の骸から転がり落ちた。


 その場には魔獣の攻撃で歪んだ槍と、立ち竦むイァハと、二振りの剣が残された。

 洛陽の中、三者の影がぬかるんだ地面に伸びる。


「いったいなんなんだ」

 

 イァハは不安そうに指をもう片方の手で握り込む。彼の癖である。

 謎の男は訳も正体も明かさず、代わりに、彼に新たな謎を残していった。 


 男が何者か。なぜ魔獣に追われていたのか。

 時は数日前へと巻き戻る。


◆ ◇ ◇


 『腐食ノ槍コースティカ

 『睡蓮の護りテーレ!』


 激しい閃光が回廊から溢れる。そして魔剣から放たれた黒い魔力の光線は、その行先の苔むした壁を一瞬で灰にした。


 男の体がその反動でゆっくりと後ろに下がる。彼の体を包んだ聖剣の魔術障壁は悲鳴のような金切り声を発する。それは時たま、良く熱された油に水が跳ねたような、激しい反応を起こす。


「うおおおおおお」


 彼は自らの握った剣が、触れたものを塵にするような攻撃を放ったことに怯えつつも、止め方もわからないために、とりあえず叫んだのだった。もしくは、まったくの無意識であったかもしれない。


『ちょっと、テネブラエ。

 壁を壊すにしてもやり方というものがあるでしょう』


 聖剣は、魔剣と呼ばれる所以の凶悪さを遺憾無く発揮するそれを厳しく諌める。


『知らんな。

 外へ出たいと言うから、それを叶えてやったまでだ』


 閃光がゆっくりと収まると、そこには溶けて爛れた、赤黒く変色した壁があった。そして、そのぽっかりと空いた穴から、暖かい色の陽の光が漏れ入っている。


 土埃が光り輝いて、地下を闇が支配するように、地上には光が降り注ぐことを、狼狽して息の荒いその男に思い出させる。

 

「ま、眩しい。この先は外か!?」


『なんだ、それほど喜ぶことか?』


「鉄でできたやつに、人の心の機微はわからんだろうな。暗闇というやつは、不安を増長させるんだ」

 

 根源的恐怖から解き放たれた男は、勢いよくその光の中へと飛び出していく。


『不用心な』


 聖剣はその先の出来事を予感していたかのようにつぶやいた。


 壁の穴から飛び出した男の目に、最初に映ったのは、広大な小麦色の大地と澄み切った青い空のコントラストだった。

 男を迎えるはずの地面が眼下に広がっていて、仰ぎ見る空は随分と近くにあった。

 そして、重力が男の身体に作用して降下を始めた時、やっと彼は、自分が切り立った崖かなにかから飛び降りてしまったことに気がついた。 


『それほど登っていた感覚はなかったが。そも、風の谷がいつのまに』


「あああああーっ!!」


『自然には起こり難いことですが、『地下』が押し上げられて、これほどまで高くまで聳え立った、というにはこれは人為的すぎますね。

 わたしが流れ着いた、つい1000年前まであの場所は、地下水が流れ込むような地の奥深くだったことに間違いはないはず。

 数100年でこれほどの地形の変化は不自然です』


「ああ

       あーっ!!

   せめて今

 はこの危機を

       どう

        切り抜け

るかの方法を

       話し合ってくれないか」


 男は途切れ途切れの断末魔をあげながら、体を広げて風を受けつつ落下していく。





 

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