第46話 秀頼 松本に再び現る 改訂版
※この小説は「続 政宗VS家康 秀頼公諸国巡見記」の改訂版です。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。
空想時代小説
秀頼らが松本に着いたのは秋が深まったころである。信州がもっとも美しい季節である。
松本城の真田信繁(59才)は伏せっている。年齢だけでなく、若い時の戦続きで体が壊れかけているとしか思えなかった。信繁の兄信幸は昨年他界している。
「秀頼公、よくぞもどられた。12年は長かったですな」
「信繁殿、お待たせした。伊賀上野で思わぬ足止めを食らってしまいました。申しわけありませぬ」
「いやいや、あの統治しにくい伊賀上野をよくまとめられたと聞いております。立派なことをされましたな」
「それも大助のおかげである。内務担当として手腕を発揮してくれた。信繁殿の後継ぎとして申し分ない働きでござった」
「うむ、城にいてはできぬ体験を大助はしたであろう。たくましく育ててくれた秀頼公に感謝申し上げる。ゴホッ、ゴホッ」
と、せき込みながら礼を言うのがやっとであった。そこに茶を持った者が現れた。
「末娘のおたき(24才)でござる。さっぱり嫁に行く気がなく困っております」
「母は大谷殿でござるか?」
「いや、九度山で知り合った娘じゃ、おたきを産んだ後、死んでしまい奥が育ててくれた」
「できた奥方だ。して、今奥方は?」
「昨年亡くなった。今はおたきが奥をしきっている。いい人間は早死にする。第1次関ヶ原の戦いの武将は皆いなくなった。大坂の陣を知っている者も少なくなった。世代は替わった。秀頼公が表にでてもいいころではないですか」
「うむ、この前大助にも言われた。天下をとれ。と、しかし今さら関白や将軍になってもな」
「天下は関白や将軍でなくてもとれまする。秀頼公、伏見に屋敷を造られよ」
「伏見に? 今は廃城となっておるぞ」
「もともとあそこは豊臣の城でござった。徳川に占拠されていたので、焼き討ちにあいましたが、今の制度では2人の探題が召集をかければ諸侯会議を開催できまする。その探題の中には武家監察取締役も含まれます」
「そうか、われと信繁殿が召集をかければ諸侯会議が開けるな」
「わしはもう終わりです。今後は大助が探題となります。それに諸侯会議を年1回開催されることをおすすめします。春のサクラが見られるころがようございますな。正月では雪深いところの大名はつらいですからな」
「大助のことだが・・お糸という恋仲のおなごがいたのじゃが、琉球で火事にあい亡くしてしまった。それ以来、おなごを近づけようとはせん。いかがしたものか」
「そのことでござるか。松本に落ち着けばなんとかなりまする。祭りに行けば見つかるのでは・・」
「祭り?」
「明日、そういう祭りがあります。若い男女が出会う祭りです」
「そんな祭りがあるのか。われも行ってみようか?」
「秀頼公は少し年がいっていますな」
「そうか、それは残念」
翌日、秀頼は祭りが行われる城下の神社に行ってみた。すると鳥居のところでお面を配っている。男はひょっとこ、女はおかめである。秀頼は年がいっているということで、お面がもらえず帰されてしまった。大助はなんとかお面をもらい中に入った。中央の舞台で太鼓や笛がならされ、その周りを多くの男女がお面をかぶって踊っている。曲が終わると、しばらく休憩である。何人かの男女の組が木陰にはいっていく。ほとんどの組がすぐにもどってくるのだが、中には木陰に入ったまま、もどってこない組もいた。要は集団見合い、今でいう合コンである。お面をかぶるのは出会いの数を増やすためらしい。木陰でお面をはずす時のドキドキ感がたまらないという。がっかりすることも多いらしいが・・。
大助は踊りの輪には入らず、じっと人々の動きを見ていた。お面は頭の上にかぶせている。よって、だれも寄ってこない。人々の躍動感を感じて感動していたのだ。
(こういうことが大っぴらにできる平穏な時代になったのだな)
3曲ほど見て帰ろうとすると、木陰でうずくまっている娘に気づいた。
「どうされたのですか?」
と大助が聞くと
「足をくじいて歩けませぬ」
と言う。
「それではおぶっていってやろう」
と手をさしのべるが、娘は拒絶する。知らない男に声をかけられたら当然である。ふつうなならば、ここで引き下がる大助であるが、この時は違った。その娘がどことなくお糸に似ていたからである。
「わしは怪しい者ではない。武家監察取締役木下秀頼公の配下である。何かあったら秀頼公に訴えられよ」
秀頼の名をだしたので、その娘は少し気を許したのか、大助の誘いにのった。背中に娘をのせて、しばらく歩くと商家の町並みにでた。娘の家は、その中の呉服屋であった。店の前まで行くと用人がでてきて
「お嬢様、いかがされましたか?」
と、さっさと連れていった。大助は呆気にとられながら見送るしかなかった。
数日後、城に客人がやってきた。呉服屋の主人とあの娘である。
「木下秀頼公の配下の方にお会いしたい」
と門番に言うと、二の丸の館の客間に案内された。二人は、大げさなことになったと目を丸くしている。そこに、秀頼と大助がやってきた。娘は恐縮して頭を下げている。
「木下秀頼である。配下といえば、この大助しかおらぬが間違いないか?」
と聞くと、娘が少し顔を上げ
「はい、そうでございます」
と、か細い声で応える。
「大助が何か悪さをしたのか?」
と秀頼が聞くと、大助は必死の顔で否定している。
「いえ、私が足をくじいていたところを、おぶって家まで送ってくれたのです」
「なんだ、いいことをしたのではないか、大助よくやった」
そのやりとりを聞いて、呉服屋の主人はおそれおののいている。大助が城主信繁の長子だと知っているからである。娘が口を開く。
「あの時は本当にありがとうございました。ばたばたして、お礼もできませず、今日あらためて感謝をしにまいりました次第」
との言葉に大助が
「なんの、あの時は足を痛めておったのじゃ。手当を優先させるのはいた仕方ないこと。なんとも思っておらん。それより改めて礼にきてくれたことうれしく思うぞ」
と返すと、秀頼が
「よくぞ言った。それでこそ次期城主である」
その言葉を聞いて、娘がびっくりしている。娘は大助が嫡子と知らなかったのである。そして、主人がおそるおそる包みをさしだした。
「これは、ささやかな物でございますが、お礼の品でござります」
すると大助が
「人として、あたり前のことを自分からしたまでのこと。頼まれたわけではない。よって受け取る筋合いはない」
「大助、よくぞ申した。そうだ、大助が呉服屋に気楽に行けるようにすればよいのでは?」
と秀頼は半分おもしろがって言い出した。大助は手を振っている。
「それは、それは大助様においでいただけるならば、わが家のほまれ。毎日でもおいでくだされ。娘、千代(ちよ)がお相手いたします」
「それでよい。よいな大助」
と、秀頼のごりおしで決まってしまった。
冬の間、秀頼は松本にいた。信繁が危ないということもあるが、世話をしてくれるおたきとの時間が楽しかったからである。一緒に月見をしたり、雪景色の中を歩いたり、商家めぐりをしたりとおたきの案内で松本を知るいい機会となっていた。大助も三日に一度は商家めぐりをして、必ず呉服屋で茶を飲むというのが習慣となっていた。
2月の雪深い時、信繁が危篤状態となった。枕元には大助と二男の大八、そしておたきと秀頼が呼ばれた。息もたえだえの状態でやっと言葉を発する。
「大助、信州と甲州をよろしく頼む。また探題として秀頼公を助けよ。大八には松代を任せよ。おたき、お前もそろそろ嫁にいけ。できれば秀頼公にもらってもらえ。いつまでも一人でいるな。秀頼公、諸国巡見は終わりになされ。前にも話したとおり、伏見で全国ににらみをきかされい」
と、遺言を残し、その深夜息を引き取った。60才の生涯であった。日の本一の兵(つわもの)と言われた信繁も病には勝てなかったのである。
大助が喪主となって、葬儀が行われた。探題としては質素な葬儀であった。雪の多い時期でもあり、参列者を少なくしたからである。秀頼は弔辞を述べた。
「信繁殿、そなたはわれの心の支えであった。大坂の陣でわれに味方してくれただけでなく、平穏な日の本を作るために働いてくれた。心より感謝申し上げる。われが諸国巡見に出る際も大事な長子である大助殿を配下としてつけてくれたこと、何事にも代えられぬ恩である。そなたの遺志を無駄にはしない。家紋の六文銭は三途の川の渡し賃であるが、その先の閻魔大王はそなたにひれ伏すであろう。今後は天からわれらを見守ってほしい。ご冥福を心よりお祈りいたす」
と言って、手を合わせた。弔辞を聞いていた真田の家臣の中からは、すすり泣きが聞こえていた。
49日の法事を終えたある日、秀頼は京に向かって旅立つことにした。別れる時、太一を呼んだ。
「太一、今までよくやってくれた。お主に何度助けられたことか。どんな感謝をしてもしきれん。お主も嫁ごをもらう年じゃろ。上田にもどって、静かに暮らせ。上田の真田殿には文を書いておく。無下にはしてくれないはずじゃ」
と言って、過分の銀子が入った袋を手渡した。
「殿、さびしうござりまする。しかし、ここに来てわしの仕事は無くなりました。これも平穏な世の中になったことでござる。殿とご一緒した12年間、決してわすれませぬ」
と言って、太一は静かに去っていった。大げさな見送りは嫌いな性分である。
次に、秀頼は呉服屋に寄った。その主人に
「信繁公の喪があけたら、千代殿を城にあげていただけぬか。大助を末永く見守ってほしいのだ」
と言うと、主人が
「おそれ多いことでございまする。商家の娘が城に入るなど、あってはならないことです」
と応える。平穏な世になっても身分の意識はまだ根深い。
「ご主人、日の本は変わったのじゃ。武家とか商家とかの区別はもういいのだ。好きおうている者同士が一緒になるのに何の問題があろうか」
「ですが・・・いずれお殿様は奥方を迎えられることでしょう。それでは娘は人目を気にして過ごさなければなりませぬ。それではあわれでございまする」
「そのことか、大助は千代殿以外に嫁をもらうつもりはない。正式な奥方にしたいとも思っておる。何ならわれの養女にして嫁がせてもよいのだが・・」
と話すと、主人は涙を浮かべて伏していた。
喪があけた後、大助と千代は婚姻を結んだ。正式な奥方として城に迎え入れたのである。そして生涯、側室をもつことなく3人の男子に恵まれたのである。
秀頼の供の中に大助はおらず、代わりに妹のおたきがいた。それと数名の侍とおたきの付き添いがついている。
京都守護の細川忠利と畿内探題の大野治友の尽力で伏見に秀頼の館ができていた。そこに移ることになったのだ。次の諸侯会議は京の二条城で秋に開催されることになっている。諸侯会議の面々や諸大名が代替わりしてきたので、顔合わせとともに、今後の方針を決定するためである。
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