第24話 秀頼 肥前唐津に現る 改訂版
※この小説は「続 政宗VS家康 秀頼公諸国巡見記」の改訂版です。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。
空想時代小説
夏の暑い日、秀頼らは肥前名護屋城跡にいた。その広大な敷地に圧倒されていた。
「大助、大坂城よりも広いのではないか?」
「そうでございますな。本丸跡だけで大坂城ぐらいあります。二の丸・三の丸そして諸大名の屋敷も含めたら大坂の地に匹敵するかもしれませんな」
天守閣跡から見ると、朝鮮が見えるかのような海の広さがあり、諸大名の屋敷跡が眼下に広がる。朝鮮出兵の際には、どれだけにぎわったことだろうと思いをはせる秀頼であった。しかし、今はその面影もない。石垣と曲輪の跡が残っているだけだ。栄華必衰の習わしを見るがごとくだ。
肥前の地は、九州探題加藤忠広の領地となっている。しかし、忠広は熊本本城におり、一度も肥前には来たことがない。10才の時に父清正が亡くなり、現在17才である。評判は芳しくない。名将の2代目はなかなか難しいのかもしれない。それだけに優秀な家臣が必要なのだが、黒田藩みたいに家臣同士が争うのでは話にならない。
肥前には清正の弟である正幸が城代としてやってきていた。いわば加藤家の支藩である。正幸がいる唐津へ行ってみたら、やたらと立派な天守閣がそびえたっている。高い石垣の上に五層の天守である。戦(いくさ)のための城というよりは、見せるための城である。大助が
「今の時代には不要な城ですな」
「うむ、ちとでかすぎるな。この城を造るのにどれだけの年貢を取り立てなのだろうな」
秀頼も相槌をうった。
城下の旅籠に泊まった。大助とお糸は同じ部屋で寝ているが、いまだに同衾はしていないようだ。じれったい二人である。最近は春馬と義慶も聞き耳をたてておらず、早々といびきをかいて寝ていた。
その夜のことである。秀頼の枕元に太一がやってきた。
「太一か、珍しいな。どうした?」
「はっ、城下に不穏な動きがあります。10人ほどの不審な集団が走りまわっております。どうやら盗賊のようです。お気をつけくだされ」
翌朝、旅籠の主人に尋ねると、毎日のように夜中に盗賊が出没するという。昨夜は近くの呉服屋がおそわれたとのこと。
「番所の役人はどうしているのじゃ?」
「それがまるでやる気がありませぬ。現場だけを見て、それで終わりでござる。夜回りをするつもりはないようです」
「ところで、見事な城があるが年貢は高いのでござろうな」
「いえ、そんなことはございませぬ。他の藩とほぼ同じであると思います。お城は加藤本家が出したお金で造ったとのことです」
「それならば加藤家はすごいな。それにしても連日の盗賊は問題だな。番所へ行って聞いてみるか」
ということで、秀頼らは番所へ出向いた。
番所に着き、大助が尋ねる。身分は伏せてある。
「お役人、我らは旅の者だが、昨夜盗賊が現れたとのこと。聞けば連夜で出ているというではないか。これはどういうことであるか?」
と言ったが、軽くあしらわれた。そこで、大助は役人の袖に銀子を何気なく入れる。すると顔色が変わり、
「それでは少しだけ教えてやる。昨夜は呉服屋がねらわれた。ただ蔵があけられただけで、人には危害は加えられていない。我らは暗闇のねずみと呼んでおる」
「つややかな盗み方だと聞いているが・・」
「うむ、音もたてずに忍び込み、音もなく去っていくので、近所の者は気づかない」
「番所のお役人はどうして夜回りをしないのじゃ?」
「以前は夜回りをしたのだが、裏をかかれて別のところがおそわれるのじゃ。まるでこちらの動きがわかっている感じじゃ」
そこで、大助と秀頼は目を合わせた。番所の中に情報をもらしている者がいることは明白だ。
旅籠にもどり、6人で話し合いをした。
「さて、役人の中に内通者がいることは明白となった。皆の者いかがする?」
家光が応える。
「城に出向いて、武家監察取締役の肩書きを示せば一発で解決するのでは?」
「それでは内通の役人をあぶりだしても盗賊はつかまえられない。どちらの尻尾もつかまなければならぬ」
「では、盗賊を見つけ、どこに逃げるかを見極めればいいのでは?」
と応えたのはお糸であった。それに大助が尋ねる。
「どうやって盗賊を見つけるのだ? 太一が見つけたのは我らの近くに盗賊がいたからじゃぞ」
「二人一組で夜回りをすれば見つかる確率が高くなるのでは・・・わたしは大助様と二人で歩きとうございます」
大助は顔を赤くした。義慶と春馬はヒューヒューとはやしたてている。
「それはいいな。われは家光と二人で歩き、酔っ払いの侍でもやるか」
秀頼がそう言ったが、家光は苦虫をかんだ顔をするしかなかった。
「となると、わしは春馬と一緒か? 何に扮装しようか」
と義慶が言うと、大助が
「こじきの姿をしていれば、だれも怪しまんぞ」
と先ほどの仕返しをしていた。結局、秀頼の裁定で二人はこじきになることになった。
「いいか、盗賊がどこに行くかを見極めるだけでいいのだ。もしかしたら役人の屋敷に逃げ込むやもしれぬ。決して手をだすのではないのだぞ。それと大助、太一にも告げて持ち場の割り振りを決めておいてくれ」
「はっ、わかり申した」
その後、城下の4ケ所に分かれて夜回りをした。しかし、その夜は盗賊に出くわさなかった。城下のはずれの旅籠がねらわれたのだ。旅人たちが気づかないうちに裏の蔵があけられたとのこと。
「我らの夜回りがばれていたのでしょうか?」
と家光が聞いてきたが、大助が
「我らの仲に内通者がいるわけがない。たまたまだと思うぞ」
「そういう疑念が、我らの仲を気まずくするのじゃ。余計なことは考えるな。それよりは今後に備えて休もうぞ」
という秀頼の言葉で、昼寝となった。春馬と義慶はあいかわらずいびきの応酬である。
2晩目、配置を変えた。毎夜同じところにいては、怪しまれるからである。秀頼と家光は旅人姿で酔っぱらいを演じている。なかなかの演技である。春馬と義慶はこじき姿で道のはずれに座っている。何の違和感もない。変なのは大助とお糸である。逢引きを装っているのだが、大助がなんともぎこちない。お糸は大助にくっついて歩けるので喜んでいる。太一はどこかで見張っていると思われる。
深夜、春馬と義慶の前を10人ほどの侍の集団が駆け抜けていった。黒ずくめの集団である。怪しいと感じた二人は距離をとってその集団を追った。すると、ある屋敷の裏で忽然と消えた。
翌朝、二人は秀頼らに報告し、皆でその屋敷の前に立った。すると10人ほどの足跡が裏口でとぎれている。明らかにこの屋敷に入っていったのだ。正門に行くと、片桐という表札がでている。なかなかの大きさの屋敷である。旅籠の主人に聞くと、藩の勘定方の役人だという。
「勘定方であれば、商家の蔵の場所等は分かっておるな。合鍵を作るのもできるか」
と秀頼が言うと、家光が
「であれば許せんことですな」
と怒っている。
「うむ、それでは今夜は皆で片桐の屋敷に張りこむぞ。実際に皆で確かめるのだ。大助、太一に片桐の屋敷に潜り込むように頼め」
「はっ、わかり申した」
その夜、6人は片桐の屋敷の周辺で夜回りをした。裏口が遠くから見えるところに陣取る。義慶と春馬は見られている可能性もあるので、こじき姿ではなく虚無僧姿で下手な尺八をふいている。秀頼と家光はぐだぐだの酔っぱらいを演じている。日々、演技が上達している。大助とお糸はなんかぎくしゃくしているが、人が近づくと抱き合うことにした。余計に目立っていたが、一応逢引きの二人に見えなくもなかった。
すると戌の刻(夜10時ごろ)に10人ほどの集団が片桐の屋敷に入っていった。秀頼らは間違いないと判断した。後は、中に潜り込んでいる太一の情報が頼りだ。6人は宿にもどり、今日からはぐっすり眠れると寝入ってしまった。だが、大助とお糸は違った。抱き合った興奮がそのまま続き、とうとう同衾することになった。
翌朝、二人の様子がいつもと違うので、春馬と義慶は悔しがった。
「起きているんだったー!」
と騒いで、大助からにらまれた。秀頼は
「大助もやっと男になったな。家光お主は?」
「おなごは苦手じゃ。すり寄ってくるおなごにろくな者はいない。それに母の父に対する姿を見ていたらぞっとする」
「それは母御の方が年かさだからだろう。本来おなごはかわいいものだぞ」
「それを言うなら殿はなぜおなごを近づかせないのですか?」
との家光の言葉に大助が口に人差し指をあてた。ふれてはいけない話題なのだ。しかし、秀頼は
「いいのだ、大助。我らに隠し事は無用だ。大坂にいた時におなごに子を産ませたことがある。しかし、その子は早死にした。その時のおなごがあわれでな。ましてや、母がそのおなごにきつくあたり、しまいには身投げをしてしまった。それ以来、おなごは近づけないようにしている。この気持ちをくつがえすおなごが出てくれば別だがな。母に気にいられるおなごはなかなかおらん」
大助はうなずいていた。秀頼の母の気性の激しさをよく知っていたからである。
すると、そこに太一がやってきた。
「殿、もどりました」
「太一、ご苦労であった。して首尾は?」
「はっ、実行役は勘定方の役人でござる。中心は勘定奉行補佐の飯野左衛門。黒幕は奉行の片桐主膳でござる」
「やはりな。勘定方皆でやっているというわけだな」
翌日、秀頼らは城に入った。武家監察取締役としてである。家老の加藤彦左が出迎え、客間に案内してくれた。
「城主、加藤正幸殿に会いたい」
と申すと、
「どのような用件でござるか? 殿は病で伏せっておりますが・・」
との返事。仮病とは思ったが、相手が家老職でも充分と思い、
「連夜の夜盗の話、ご存じであるか?」
「もちろんでござる。我らも何度か夜回りをいたしましたが、いずれも空回りでござった」
「それは役人に内通者がおったからです」
「内通者? まさか?」
「でなければ、夜回りにひっかからないわけがありませぬ。それで我らが内密に夜回りをして、犯人を見つけた次第」
「見つけた? それで犯人はどこに?」
「それは城内に・・」
「城内に!」
家老は突拍子もない声を上げた。そこで
「勘定奉行の片桐主膳と補佐の飯野左衛門を呼んでいただきたい。詮議をいたす」
と大助が厳しい表情で言い渡した。
しばらくして、二人が客間にやってきた。詮議とは思っていないようだ。
主座に秀頼、その隣に家老の加藤彦左が座り、脇には家光と大助が座っている。廊下には義慶と春馬が控えている。今日の担当は大助である。
「お二人にお伺いいたす。正直に答えられよ」
「はっ、何でも」
「では、連夜の夜盗騒ぎをご存じかな?」
二人は顔色を変えて、お互いに見合った。そしてか細い声で
「承知しております」
と応えた。
「それはお主たちの仕業であろう」
との問いに二人はだまってしまった。そこで口を開いたのが家老の彦左である。
「申し開きがなければ、お主たちの仕業と判断するぞ!」
との恫喝に、主膳は
「ご家老、そんな殺生な。ご家老が藩の財政を何とかせい。年貢はあげるな。とおっしゃるから金の余っている商家から取ったまでのこと。取った金は全て藩の蔵に入っており、我らの懐にはびた一文も入っておりませぬ」
と申し開きをした。左衛門も
「我らはお奉行の命でやった次第。人を傷つけることはしておりませぬし、蔵の中にある金を全て奪ったわけではありませぬ」
「それならば許されると思ったか!」
と今度は秀頼の怒りの声があがった。
この件は、家老の加藤彦左預かりとなった。もともと藩の中のことなので、武家監察取締役がどうこう指図することではないのだ。ただ家族も巻き込むような極刑は避けるようにと言っておいた。恨みの重複を避けねば、平穏な世が守れないからだ。
結果、主膳は隠居の上、熊本にて蟄居。左衛門ら手下は熊本本家に預かりとなった。また夜盗にあった商家については、今後5年間の年貢を免除するということで決着を見た。
唐津を出ようとする時、大名かごに乗って加藤正幸がやってきた。
「こたびは、わが家臣の不届き、申しわけありませぬ。その上、温情ある裁きをありがとうござる」
と、立つのもやっとの体で話すので
「正幸殿、平穏な世を作るのが我らのつとめ、お体を大事になさって民百姓の暮らしを守ってくだされ」
との秀頼の言葉に、正幸はうっすらと涙を流していた。
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