第21話 秀頼 筑後小倉に現る 改訂版
※この小説は「続 政宗VS家康 秀頼公諸国巡見記」の改訂版です。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。
空想時代小説
秀頼らは船で小倉にやってきた。毛利輝元の配慮で長崎に行く商船に乗せてもらうことができたのである。日本海は荒れたが、大きな船なので揺れは少なかった。
小倉に着くと、早速視察の開始である。まずは、造船所に足を向けた。そこでは新造船の建造がされていた。噂のひとつは真実だった。城下に行くと、新兵募集の高札がいたるところに立っている。やはり浪人を雇い入れているのだ。これで噂の二つ目も事実であった。
しかし、秀頼は疑問に思った。なぜ、こんなにまで大っぴらにして兵を集めているのか? これでは戦が間近いと知らせるだけではないか? とすれば近隣の藩も警戒するはずだ。だが、長州にそんな気配はなかった。やはり何かある。と秀頼は思っていた。
そこで城主の黒田長政あてに文を書き、「明日、城へ出向く」と伝えた。
その夜、旅籠に泊まった秀頼らは妙な噂を聞いた。(春になって海がおちついたら船で兵たちがでていく)という噂である。どうやら新兵募集の際に、船酔いのことが聞かれるらしい。
大助が
「黒田藩は船でどこへ行こうとしているのでしょうか? 今は亡き黒田官兵衛殿がねらっていたのは九州平定。それならば船はさほどいりませぬ。かといって、長州に攻めたら背後から諸藩にねらわれます。そんな愚挙はされないでしょう」
と言うと、秀頼が
「船で行くとしたら・・対馬もしくは朝鮮・・」
「朝鮮!」
大助は絶句した。いくら黒田長政が朝鮮出兵の際の先鋒のひとりだったとはいえ、単独で朝鮮に攻め込むだろうか。考えられぬことであった。秀吉の没後、家康は朝鮮と親密外交を行い、朝鮮通信使を丁寧に招いている。徳川の治世が終わってからは朝鮮通信使は来ていないが、朝廷の名前で朝鮮に使いを出し友好関係を確認している。
翌日、秀頼らは小倉城に入った。城主黒田長政は病に伏せっていた。
「秀頼公、よくぞ参られた。このような体で床から出ることもままならず、申しわけありませぬ。詳しくは家老の大膳がお話申す」
ということで、傍らにいる井上大膳に客間で応対するように伝えた。歴戦の猛者黒田長政も50才を過ぎて病には勝てずにいたのである。
大助と大膳が問答を始めた。秀頼は主座でそれを聞いている。
「さて、お聞きしたいことがいくつかある。よろしいか?」
「はっ、殿からは包み隠さず話せ。と言われております」
「それでは新兵募集の高札がいたるところに立てられておるが、戦をなさるつもりか?」
「はっ、そのつもりでおります」
秀頼は顔をひきつらせた。肯定するとは全く思っていなかったからである。廊下に控えている家光や義慶らも顔を見合わせている。
「して、相手は?」
「海賊でござる」
「海賊?」
「今、対馬に海賊が頻繁に出没しております。その多くは朝鮮人ですが、中には中国人もまた日の本の者もおります。国に追われたやさぐれどもです。対馬近くの離島を根城にしていると思われますが、この勢いだと対馬の半分が海賊の領地になりかねませぬ」
「それで船の建造をしているわけですか?」
「そうでございます。海賊は100艘ほどの船を所有していると言われております。ほとんどが小型船ですが、10艘ほどの大型船もあります。それに対抗せねばなりませぬ。今は、対馬の宗家と連携しておりますが、宗家がどこまで耐えられるか不安でござる。対馬が海賊に支配されれば、次は黒田藩がねらわれます。朝鮮の人々は黒田藩に恨みをもっておりますゆえ」
「そうでござったか。これで疑問が解決しました。殿、これでよろしいでしょうか?」
「うむ、よくわかった。こうなると対馬に行かねばならぬな」
と秀頼が言うと、
「今は無理でござる。冬の荒波を越えて対馬へ渡ることはできませぬ。春になったらご一緒にいかがですか」
と大膳が応えたので、それに従うことにした。
冬の間、新兵訓練に参加することになった。大助らは体がなまっていたので、いい運動になっていたが、家光は初の新兵訓練で体のいたるところが痛いとぼやいていた。
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