第20話 秀頼 長州萩に現る 改訂版

※この小説は「続 政宗VS家康 秀頼公諸国巡見記」の改訂版です。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。


 空想時代小説


 初冬になり、秀頼らは冬を越す温泉地をさがした。すると城下町萩の近くに温泉宿があり、そこに逗留することにした。14種類もの湯がある宿で、長逗留するには最適の地であった。

 そこに、共に戦った毛利秀元があいさつにやってきた。

「秀頼公、お懐かしうござる。因幡ではわが家臣がとんでもないことをいたし、申しわけありませぬ。本来であれば城主輝元がお詫びに来なければならぬところですが、高齢と病で伏せっており、城より出られませぬ。でも、秀頼公に会いたがっております。ぜひ一度、足をお運びいただきたく思います」

「うむ、輝元公には一度お会いせねばと思っていた。ところで、我らをおそった松原次郎介の身内はどうされた?」

「はっ、次郎介の父は切腹をいたしました。また上司の内藤修理は蟄居閉門といたしました」

「内藤殿は次郎介の素性を知っておったのか?」

「いえ、次郎介は幼きころに松原家の養子になっており、実父とは面識がありませんでした。それゆえ、そういう遺恨をもっているとは露ほども知らなかったようです」

「であろうな。渇え殺しの話を聞いて、非道のことと恨みを強めたのであろう。われとても次郎介の立場ならばそうであったかもしれぬ。元々は父秀吉の蛮行が原因である」

「と言っても策を授けたのは軍師の黒田官兵衛でござる」

「そうではあるが、決めたのは父秀吉である。責めは父秀吉にある。われは子として、その責めを負わなければならぬのかもしれぬ。内藤修理殿は日がたったら元にもどしてやってくだされ。鳥取では世話になった恩人である」

「わかり申した。殿に話し、そのようにいたします」

 その日は秀元と酒をくみかわし、いっしょに湯につかった。共に戦った際のぎらぎら感はなくなり、好々爺に近づきつつあった。


 翌日、輝元公に文を書き、大助を使者とした。三日後に登城していただきたいと返書がきた。

「三日後か、それまでゆっくり過ごすか」

 ということで、秀頼らは萩の城下町を歩いてみた。

「殿、とても落ち着いた町ですな」

 と大助が秀頼に言うと

「そうだな。長州は大内家が統治していた時に、京の公家たちが逃げのびてきたところ。それで京文化が浸透している。大内家の後を継いだ毛利家はその家風を残しつつも、質素倹約につとめ、独自の文化を創り出した。それがこの町にも表れておる」

「この家々の石垣もそのひとつでござるな。それぞれの家で石垣の組み方違いまする。これも個性ですかな。それに高さが皆同じで人の目線となっております。いざという時には守りの石垣になり、攻める石垣にもなる高さでございますな」

「うむ、華美ではない美しさを感じるな」

 町を歩いていると、堀をめぐる船着き場に着いた。お糸が乗りたそうな顔をしているので、大助が

「殿、船で堀をめぐるのも一興ではござらぬか」

「そうだな。水堀を船でめぐるというのも平穏な世なればこそだな」

 ということで、皆で船に乗った。太一までやってきた。皆でわいわい言いながら堀めぐりを楽しむ。萩の城は海に張り出した水城である。橋がなければ孤島といってもおかしくはない。水城なので、石垣はさほど高くはない。だが天守は見えない。奥の見えないところに建っているのだろうか。大砲に対する備えで高い天守を造らなかったのかもしれない。半刻(はんとき・1時間ほど)で堀めぐりは終わった。海に出る時があって、波を受けた時は皆悲鳴をあげていたが、船頭さんはニヤリと笑っていた。それも堀めぐりのひとつの余興のうちなのかもしれない。

 町にもどると料理屋を見つけた。義慶が大助になにかをねだっている。秀頼が

「どうした? 何かもめているのか?」

 と聞くと、義慶が

「殿、長州に来たのですから、やはりあれを食べたいですよね」

「あれとは?」

「長州の食べ物といったら、あれしかないでしょ」

 そこに大助があきれた声で

「殿、義慶はふぐを食べたいと言っているのです。まったく生臭坊主だから・・」

「ふぐは魚だから坊主でも食べる。それに今は坊主ではなく、武家監察取締役の配下でござる」

「都合のいい時はそれを言う。ふだんは坊主だと言うくせに・・」

「まぁ、大助いいではないか。長州でなければなかなか食べられるものではない。われも食べてみたい」

 ということで、料理屋でふぐを食した。皆、ふぐの毒をこわがって手をつけないようにしていたが、お糸が真っ先にはしをつけて

「おいしい!」

 と言ったら、皆争うように食べ始めた。量は物足りなかったが、珍味に舌鼓をうつことができ、満足であった。


 城に行く日になり、秀頼は正装して登城した。毛利輝元は無理をして客間に来てくれた。付き添いの者に肩を借りてである。

「秀頼公、よくぞ参られた。こたびは、わが家臣が失礼し、まことに申しわけありませぬ」

「いやいや輝元殿、もとはといえば父秀吉がまいた種でござる。内藤修理殿は忠臣でござる。時を見て蟄居閉門を解いていただければと思う次第」

「ありがたきお言葉、まことに恐れいりまする」

 このやりとりがあって、膳を囲むこととなったが、輝元は早々に寝所へ引き揚げていった。膳の中にふぐが出てきて、ふぐちりがやたらとうまかった。

 輝元の代わりに相手をしたのは毛利秀元と長州藩の2代目となる毛利秀就(ひでなり)である。秀就は輝元の長男で秀頼と同年代である。いかにも聡明な若侍という感じだ。その秀就が

「秀頼公、今、隣の黒田藩が武器を集めていることをご存じか? 浪人を集めたり、大きな船も造っているとのこと。まさかとは思うが、戦のしたくをしているのではないかと噂がたってござる」

 と言い出した。

「それは真でござるか?」

「多くの商人が見たと言っておる。まったくのウソではなさそうでござる」

「それが真ならば、放ってはおけぬな。早速、九州へ行かねばならぬか」

「どうぞ、萩で冬を過ごしてから行かれては?」

「いや、たとえ雪道であっても、反乱の動きがあれば確かめなければならぬ。それがわれの仕事じゃ」


 翌日には、秀頼らは九州をめざして旅立った。雪がちらつく寒い日のことである。

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