第4話 秀頼 羽前山形に現る 改訂版
※この小説は「続 政宗VS家康 秀頼公諸国巡見記」の改訂版です。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。
空想時代小説
白石を出る時に、大助は小十郎の配下から懐に入る程度の布袋を渡された。中を見ると小粒の銀子がたくさん入っている。
「殿より路銀を渡すようにと仰せつかってござる」
と言って、そそくさと戻っていってしまった。
「かたじけない。小十郎殿によろしくお伝えくだされ」
と後ろ姿を見送った。(これで、しばらくは金の心配をしなくていい)と安堵する大助であった。秀頼に金の心配をさせるわけにはいかない。そこで、草の者の太一がどうしているか心配になった。草の者ゆえ、食い物はなんとかなるとは思うが、何かの際には銀子が必要になると思ったからである。
そこで、城下を過ぎて人の気配がなくなったところで、太一を呼ぶ合図を送った。ふくろうの鳴き声である。昼にふくろうは鳴かないので、すぐに合図と分かる。しばらくして、太一の声が聞こえてきた。声はすれど姿は見えずである。
「何かお呼びで?」
「しばらくお主の姿を見ていないので、心配しておったのだ」
「皆さまに危機が及ばぬので、見ているだけでござる。熊におそわれた時は少し離れたところにおり、かけつけた時には熊は倒されたあとでござった。熊肉はうまかったですぞ」
「あれを食ったのか?」
「はっ、それが草の者の生きる道」
「無理もないな。ところで路銀はどうしてる?」
「路銀? ほとんど使いませぬ。なくても食い物や寝泊まりには困りませぬ。それが草の者」
「そこが心配なのじゃ。これからは寒くなる。たまには旅籠で身体を休めよ。ここにいくばくかの路銀をおいておく。役立てよ」
「おあずかりいたす」
という会話の後に、少し歩いてから振り返ると、その袋はすでに無くなっていた。
白石から坂上田村麻呂ゆかりの宮の刈田嶺神社に寄り、旅の安全祈願をした。大助が地元の民から羽前山形への道を聞いた。
「山越えか、笹谷峠を越えるかだな。山越えは道はあるが、峠越えはやぶの中を歩くことになるだ」
「羽前(山形)の民はどこを通ってくるのだ?」
「金山峠(かなやまとうげ)を越えてくるだ。ここからだと白石へもどり、小原から七ケ宿を抜け、峠越えで羽前へいくだ」
「もどるのか。それはつまらんな。山越えすると何日かかる?」
「遠刈田から2日で行けるだ。山中の木こり小屋で一泊して行くだが、山中は寒いで毛皮がないと無理だな。遠刈田で案内の者を雇えるだ」
「そうか、それは助かる」
ということで、秀頼に相談すると、山越えをすることに決まった。
「富士に登るよりは楽であろう」
という気楽な反応であった。
その日は、遠刈田の旅籠に泊まった。ここは湯の町である。数軒の湯の宿がある。そこで、山越えの案内の者の手配と毛皮の入手を頼んだ。宿の夕餉はイワナやキノコなど山の幸でうまかった。大助は太一もどこかで泊まっていることを願っていた。(実際は旅籠の屋根裏に忍びこんでいたようだ)
翌日、案内に儀兵衛という60過ぎの老人を雇った。ふだんは熊撃ちをしているため、足腰はしっかりしている。
秀頼たちは儀兵衛についていき、中腹の滝見台までは順調に歩いた。そこからは、ふたつの滝がきれいに見えた。そこから急にきつい山道となった。賽の碩(さいのせき)までくると、樹木が少なくなり、見晴らしがよくなってきた。足下の道は岩でごつごつしていて、歩きにくくなった。
「もうすこしで刈田岳頂上につくだ。がんばってくだせえ」
という儀兵衛の言葉で奮い立つ。
夕刻、暗くなる前に刈田岳頂上に立つことができた。眼下には夕陽とともに緑色をした丸い池が見えた。
「お釜というだ。昔の噴火の後だな」
3人は、その絶景に見とれていた。
「さあて、もうすぐ木こり小屋につくだ」
と言われ、羽前山形側の樹林地帯にある木こり小屋に入った。4人でいっぱいの広さだった。陽が落ちると寒さが厳しくなってきた。たき火を消したら死んでしまうような寒さだ。毛皮がなければ寒くてたまらない。そこに客人が一人やってきた。太一だ。さすがに野外では寝られなかったようだ。秀頼が
「太一、こちらにまいれ。いつも影ながらの助け、かたじけない」
と言うと、太一は頭を下げただけであった。自分から話す男ではない。秀頼の横に座り、足を伸ばせる状態ではないが、体を寄せ合って寝ることで、むしろあたたかくさえ感じた。
朝、起きるとあたりは真っ白であった。
「今年の初雪だな。足下に気いつけて歩いてくだされ。わしの足跡についてくればいいからよ。昼には蔵王の湯につくだ。そこでゆっくりあったまってくだせえ」
湯に入れるということで、4人の足取りは軽くなった。吹雪でないのが救いだった。
昼には蔵王の湯についた。河原沿いにある露天風呂である。ここまでくると、雪はなかった。大助は儀兵衛に約束以上の銀子を渡した。
「また山越えして帰るのか?」
と聞くと、
「いや、雪が降ったので山越えはできん。笹谷峠を熊をさがしながらもどるだ。眠る前の熊がいるやもしれぬ」
「そうか、達者でくらせよ」
「一冬を越せるほどの銀子をちょうだいしたで、少しのんびりするだ。感謝ですだ」
と言い残して、儀兵衛は去っていった。
蔵王の旅籠に泊まり、英気を養った。ここは最上領である。最上義光(もがみよしあき)は亡くなり、二男家親(いえちか)が後を継いでいる。この相続がひと悶着あるのだ。義光が生前、家親に相続させるために長男義康を廃嫡し、暗殺してしまったからである。それで藩内は家親派と反家親派に分かれている。反家親派は三男義親を藩主にと考えている。政宗が別れ際に思わせぶりなことを言ったのはこのことかもしれない。
翌朝、宿で朝餉をとっている時、お宿あらためがあった。
「ここにあやしい3人組がいるとの知らせがあった。お宿あらためをいたす」
ということで、真っ先に秀頼一行の部屋にやってきた。
「そなたらの手形を見せよ」
と高飛車な言い方だ。そこで仙台藩が用意してくれた通行証を見せた。
「これは手形ではなく、仙台藩の通行証ではないか。それに関所の印がないぞ」
大助がそれに対応する。
「手形はござらん。諸国をめぐる旅人じゃ。仙台領からは刈田岳を越えてきたゆえ、関所は通っておらん」
「この寒い時期に山越えだと・・信じられぬ。手形もなく、ますますあやしい。くわしく調べるゆえ、番屋まで同行いたせ」
と言われ、朝餉もそこそこに連れ出されてしまった。
番屋に連れていかれ、土間に座らされた。大助が
「お主ら無礼であるぞ。この方をどなたと」
と言ったところで、秀頼が話を制した。最上領で何かと気をつけられよという政宗の言葉を確かめてみたいと思ったからだ。
番屋の長と思われる武士が詰問を始めた。
「名と生まれを申せ」
「拙僧は義慶、信州上田の生まれ」
「拙者は真田大助、紀州九度山(くどやま)の生まれじゃ」
ふつうは、ここでびっくりするはずなのだが、この武士は興味がないらしく反応がない。そして、
「木下秀頼、大坂の生まれである」
「秀頼? 仰々しい名前だの」
との反応に、大助が怒った。
「仰々しいとは何事だ! この方は」
「うん? この方は・・? どこかの若様か? さて、何故、関所を通らずに山越えをしてきた? 関所を通れないわけはなんじゃ?」
大助が応える。
「決して関所破りではござらん。天下の名峰を見てから山寺にまいるところじゃ」
「ほぉー、この時期に山を見るとはおかしな奴らだ。それにしてもよく山越えできたな」
「儀兵衛という案内人のおかげじゃ」
「その儀兵衛とやらは?」
「昨日のうちに、笹谷峠を越えて家にもどったはずじゃ」
「そやつも関所破りか? ますますあやしい」
「あやしいとは、我らを密偵とでも?」
「密偵? いや、違う。そなたらは家親殿か、義親殿の命をねらう暗殺団であろうが。そこの坊主が一番あやしい」
「暗殺団?」
3人は呆気にとられてしまった。最上家のお家騒動に巻き込まれてしまったようだ。その日は、番屋の牢屋に閉じ込められた。通行証は取り上げられ、山形城で吟味するということであった。
「殿、驚きでござる」
「まぁ、こういうこともあろう。泰平の世になっても家督相続のもめごとはなくならん。わしとて、それを乗り越えてきたのだ。もっとも幼くて、その時は何のことかわからんかったぞ」
「太閤の甥の関白秀次公が悲劇にあわれましたな」
「そうであった。最上義光公は娘の駒姫を秀次公の側室にだしたために、娘が殺されたのだ。秀次公に会うこともなくだからな。そんなことがあって正気の沙汰ではなくなって、嫡子に手をかけてしまったのかもしれぬ」
「えらくなるのも大変でござるな。生臭坊主が一番か」
という義慶の言葉に、二人は笑ってしまった。
翌日、また取り調べが始まろうという時に、早馬がやってきた。家老の山野であった。
「その取り調べ中止せよ。そのお方は武家監察取締役の木下秀頼公。以前の名は豊臣秀頼公なるぞ、頭(ず)が高い!」
という言葉に、番屋にいた役人が皆ひざまずいて頭を下げた。
山形城へ来るように誘われたが、家督争いの中にとびこんでは、ややこしくなるので失礼して山寺へ向かった。夕刻には、ふもとの旅籠に着いた。たたみの上で寝られるのを嬉しく感じた。
翌日、山寺の階段を上って薬師寺へ向かった。1000段を越す急な階段だ。山登りよりきつい。義慶は途中で音を上げている。
「少し太り過ぎなのじゃ。ゆっくり上がってこい」
と大助が言っている。
薬師寺のお堂に着くと、3人は手を合わせて旅の安全と無事を祈った。上から見る景色は心が洗われるほど素晴らしかった。山寺を下りてから茶屋で休み、名物のだんごを食べ、それから麓の旅籠に向かった。山寺を登ったために3人とも足が張ってしまい、今日中に峠越えする体力が残っていなかったので、泊まることにしたのだ。義慶は旅籠に泊まることがわかると心から喜んでいた。旅籠でゆっくりと湯につかって、翌日は二口峠を越えて仙台領に入ることにした。
二口峠は一本道なので迷うことはない。もちろん関所を通った。関所破りに間違われるのは二度とご免だ。
「殿、武家監察取締役として、最上家に行かなくてよかったのでござるか?」
「わしは家督争いには関わらん。それに最上家は本領安堵とはいえ、政宗公の管轄下じゃ。わしが乗り出すと政宗公の権限を奪うことになろう」
「そうでござるな」
「さぁ、今宵は秋保(あきう)の湯でのんびりしようぞ。奥州には湯の町が多くて楽しいところじゃ」
これにて、羽前山形での任務完了。
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