甘えさせて
#zen
第1話 甘えん坊の幼馴染(芽衣)
十月も半ばになって、涼しい風に包まれる早朝。
学校指定のブレザーを着込んだ
合鍵を預かっているため、インターホンを押す必要はなかった。
八階の角部屋に無言で踏み行った芽衣は、自宅のような気軽さでリビングを通ると、幼馴染の部屋に直行する。
すると、ベッドには
「ちょっと、早く起きなよ!」
「……ちょっと待って……あと五分だけ」
異性が部屋に入っても、動じるどころか意地でも寝ようとする幼馴染に、芽衣はやれやれとため息を吐く。
「このままだと遅刻するよ? ほら、早く着替えて」
芽衣が告げると、幼馴染の
「着替えさせて」
芽衣と同じ高校二年生にもなって、抱っこをせびる幼児のような
「何言ってるのよ! いくら幼馴染だからって……」
「えー……だって面倒くさい。遅刻してもいいの?」
「ああ、もう! 私まで遅刻するじゃない! 仕方ないわね」
(昔から
オタク女子で、三次元の異性に興味がない芽衣は、手早く蒼のパジャマのボタンを外すと、ズボンを脱がせた。
幼稚園の頃から手伝っているせいか、蒼の下着姿に動じることはなかった。
そして同じ学校のブレザーを着せたところで、芽衣は蒼の背中を叩いた。
「ほら、終わったよ」
「まだ靴下が残ってる」
「はあ!?」
「ねぇ、履かせてよ」
「ああ、もう! 今回だけだからね!」
(なんで私がこんなことまで)
芽衣が蒼の綺麗なつま先に靴下を通した時、ふいに顔をあげると、蒼が嬉しそうに見下ろしていた。その見下すような視線に、芽衣は思わず顔をムッとさせる。
「何ニヤニヤしてるのよ」
「ねぇ、お腹すいた。朝ごはん食べさせて」
「あんたは一体いくつなの!? それにもう時間ないから、朝ごはんは無理だよ。ほら、早くいくよ」
「ちぇっ」
「朝ごはんが食べたいなら、明日は早く起きなさいよ」
「早く起きたら、芽衣が食べさせてくれる?」
小首をかしげる
すると、蒼は頬を丸く膨らませる。
「じゃあ、学校行かない」
「何言ってんの!? ここまでして、学校行かないって選択肢はないでしょ!?」
「だって、芽衣がご飯食べさせてくれないから」
「なんなの? 私、あんたの保護者になった記憶はないんだけど!?」
「だって俺、両親が忙しいから……芽衣しか甘えられないんだよ?」
突然、泣きそうな顔をする蒼に、芽衣は思わず黙り込む。
蒼の複雑な家庭環境を知っている芽衣は、蒼の寂しさも容易に想像ができた。
そして蒼はさらに目を潤ませて芽衣に訊ねる。
「ねぇ、芽衣はどんな風にして育ったの? お母さんにはいっぱい甘えられた?」
「そ、そりゃ……それなりに甘えて育ったとは思うけど、覚えてないわよ」
「いいな……俺も、甘えられる家族がほしかった」
「わ、わかったわよ! 明日は朝ご飯を食べさせてあげるから、ちゃんと早く起きるのよ?」
「やった! じゃあ、学校行く」
嬉々としてリビングに向かう蒼を見て、芽衣はため息すら出なかった。
***
「——おはよう、芽衣。今日も疲れてるね」
登校して席に着くなり、友人の
芽衣は机に突っ伏しながら、朝の苦労を口にした。
「おはよう、育児って大変だよね」
「今日も
「そんなんじゃないよ!
「だって、朝から着替えを手伝うなんて、そういう雰囲気にならないほうがおかしいでしょ?」
「そういう雰囲気って何よ」
「もちろん、色恋沙汰」
「着替えの手伝いは小さい頃からのことだし、いまさらだよ」
「もったいないなぁ……蒼くん、人気あるんだよ? この学校のアイドル的存在の素肌に触れるなんて……」
「別に素肌になんて触れてないし。蒼は下着をちゃんと着てるよ」
「そういう話じゃないのよ」
「それより、あの子誰?」
芽衣はこれ以上蒼の話を続けたくないため、斜め前に座る少年のことを訊ねる。
そこは休学中の同級生の席だった。顔もほとんど知らない同級生が復学したのか訊ねようとすると、芽衣が口を開く前に千晶が嬉しそうに告げる。
「ああ、すごいイケメンだよね」
そしてさらに何か言おうと千晶が口を開いた時、教室のドアが開いた。
かと思えば、担任の女性教師が教壇にやってくる。
「皆さん、席に着いてください。
担任の声に従って、斜め前の男子生徒が立ち上がり、黒板の前に出た。
どうやら、転入生らしい。
担任は黒板に名前を書くと、男子生徒の紹介を始めた。
「今日からこのクラスに加わる
「
それから転入生の挨拶を見届けた芽衣に、担任が視線を送った。
「
「は、はい!」
「ちょっと来てちょうだい」
担任に呼ばれ、嫌な予感がしつつも、芽衣はこわごわ前に出る。
「なんでしょうか?」
訊ねても担任は答えず、転入生に告げる。
「仲間くん、この子はクラス委員の
「え」
聞いてない——そう思いつつも頼まれると断れない性質の芽衣は、苦い顔で笑った。
そして席に戻った優斗に、芽衣は声をかける。
「仲間くん、よろしくね」
「よろしくお願いします」
丁寧に答えた優斗は、目が合うと少しだけ口角をあげた。
————放課後。
「……あの」
芽衣が椅子を教室の隅に寄せていると、転入生の優斗が
さらりとした黒髪に大きな目鼻立ちの優斗は、すでにクラスの女子から人気を集めているようで、痛いほどの視線を受けていた。
優斗と話せば悪い意味で注目を浴びたが、それでも先生に頼まれた以上、世話をすると決めていた芽衣は、笑顔で優斗と向き合う。
「どうしたの?」
「部活動について聞きたいんですが」
「敬語はいらないよ」
「美術部ってどこにあるの?」
「ああ、美術部ね。わかった、案内するよ」
「でも掃除当番なんじゃ?」
「案内したらすぐに戻って掃除するから」
「それもなんか悪いし。掃除手伝うよ」
「え、いいよ」
「遠慮すんな。俺、掃除は得意だから」
「あ、ありがと」
いつも
それから優斗は慣れたように掃除を始めると、芽衣よりもずっと手際よく掃除を終わらせた。
王子様のような見た目で掃除をする姿には違和感がなくもなかったが、庶民的な一面を見て、なんとなく芽衣は親近感が持てた。
そして掃除を終えた芽衣は予定通り美術部を案内するため、優斗と廊下を並んで歩いた。
「美術部だよね。えっと……」
「山路は何部なんだ?」
(呼び捨て……別にいいけど)
「私は帰宅部……だよ」
家でゲームをするために部活には入っていない芽衣だった。
だが初対面の人間に自分がオタクだとは言えず言葉を濁していると——優斗はとくに気にする風もなく「そう」とだけ告げる。
「仲間くんは絵を描くのが好きなの?」
「いいや」
「は? じゃあ、なんで美術部?」
「ここの美術部は部員が少なくて、楽だって聞いたから」
「楽だから美術部に入るの?」
「放課後は暇だし、テキトーに時間潰したいんだよね」
「……そうなんだ。仲間くんは部活――」
言いかけたその時だった。
ふいに芽衣のよく知る声が廊下の向こう側から響いた。
「芽衣!」
「あ、
「そいつ、誰?」
いつも甘ったるい声で喋る幼馴染の
その別人のような顔に芽衣が驚く中、芽衣ではなく優斗が返した。
「そいつじゃない、
「お前に聞いてない」
「ちょっと!
「こっちが名乗ったんだから、君こそ名乗りなよ」
優斗が指摘すると、蒼は無表情で言い返す。
「お前に教えるような名前はない」
「ちょっと、聞いてる? 蒼やめなって」
「芽衣……三次元の男子には興味ないって言ってなかった?」
「なななな、なんで今そういうこと言うの!?」
「あ、もしかしてオタクだって言ってないんだ? バレるのは時間の問題なのに」
「そういうこと言うなら、もう朝起こしに行かないからね!」
「なんで?」
「なんでって……そもそも私が起こしにいくのがおかしいでしょ」
「芽衣は俺を見捨てるの?」
さっきとはうって変わり、捨てられた子犬のような目で見る
小動物に弱い芽衣である。
芽衣が蒼に翻弄されていると、そんな芽衣に優斗が声をかける。
「……山路」
「え?」
「早く美術部に行きたいんだけど」
「あ、ごめん」
芽衣が謝るのを見て、蒼は首を傾げる。
「美術部?」
「仲間くんは転入生で、美術部に案内するところだったの」
「なんだ、芽衣の男かと思った」
「そ、そんなわけないでしょ! 私は二次元にしか——」
言いかけて、しまったという顔をする芽衣に、優斗は噴き出した。
「山路って面白いな」
「はあ?」
面白いと言われて、驚きの声をあげたのは、なぜか芽衣ではなく
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